さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
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雲のようにのんびりと。

へたれ人生の慰め

2006-12-24 22:19:06 | 
今日も、わたしが子どもの頃に読んだ伝記から話をしましょう。

わたしが生まれて初めて読んだ伝記は、『学研まんが伝記シリーズ・ファーブル~こん虫の探検者』(大野進/構成 よこたとくお/漫画)でした。
ジャン=アンリ・ファーブル(1823~1915)はフランスの生物学者です。かの『昆虫記』の著者であることは、みなが知るところです。
子ども時代は、家庭の事情により祖父の家に預けられました。自然豊かな土地で過ごした約4年間は、ファーブルに大きな影響を与えました。
7歳で家族のもとに戻ったジャン=アンリは、両親が教育に理解があったこともあり、勉強をしつつもいたずらもする立派な子どもに成長しました。
しかし、10歳の時にロデズに一家で引っ越しましたが、父の事業が失敗続きで15歳のときに一家は離散してしまいます。その四年間も、ファーブルは勉学に励みます。
勉強を続けたくもその日の食事にも事欠く有様。肉体労働で日々の生活費を稼ぎつつ、自学を続けます。
その後、アヴィニョンの師範学校で生徒を募集していることを知り、受験をします。トップの成績で合格し、卒業も主席でした。
カルパントラのビクトル・ユーゴー学院で数学と物理学の教師として赴任し、のちにコルシカ島に渡り数学の勉強に励みます。
しかし、コルシカ島でのダンカンという医師との電撃的な出会いにより、彼はじょじょに昆虫の世界に惹かれていきます。
それまで、直感的で感覚的に眺めていた昆虫を解剖学や行動学という理知的感覚で捉えることを学び、ファーブルは昆虫学に傾倒していくことになります。
コルシカ島から帰ったファーブルは、茜染料の研究で成果を収め、フランスの権威ある賞レジオン・ド・ヌール勲章を受けます。
しかし、いつの時代や場所でも、実力で勝ち上がってきたにも関わらず、「成り上がり者」として疎ましく思う人間が出てきます。
ファーブルも、そういった差別を受けた一人でした。
彼はそういった古い人間との確執に失望し、アヴィニョンを離れセリニアンという町に移り住みます。そして、そこで亡くなるまでの36年の間、昆虫の研究に没頭するのです。
以後、ファーブルは極貧の生活を強いられますが、その生活はいかに充実していたことでしょうか。

わたしの理想の生涯は、ファーブルです。
子どもながらに、こんな一生を送れたらどれほど幸せだろうかと思ったものです。
例え、金や名声、あるいは組織に属さずとも、やりたいことをして生きていけた人がいるのだと思うと、わたしはほっとするのです。

ファーブルの人生は、
「人生を恐れてはいけない。
人生に必要なものは、勇気と想像力。
それとほんの少しのお金だ。」
という喜劇王チャールズ・チャップリン(1889~1977)の言葉とともに、わたしのへたれのような人生を慰めてくれるのです。

そんなジャン=アンリ・ファーブルは、昨日12月23日に生を受けました。

シリーズ・桃太郎電鉄⑥ 道路の必要性

2006-12-24 02:25:56 | 
前回は桃鉄16の感想を書かせていただきました。
今回は、桃鉄風山梨観光マップの続報です。

鉄道駅の洗い出しも終わり、物件も考えました。
これで、準備万端…と思ったのですが、考えてみれば、山梨ってのは実は鉄道網が発達しにくい土地ということに気付いてしまいました。
というのは、県土の8割が森林に覆われ、山ばかりの山梨では、電線や線路を敷設し定期的な細かいメンテナンスを必要とする鉄道よりも、車道の方が普及しているのです。
モータリゼーションの進度も速く、主な商業施設が甲府市郊外に集中していることもあって、もはや車がなければにっちもさっちもいかない状態です。

では、山梨の観光マップを作ろうとしているのに道路を考慮しないというのは、木を見て森を見ずということになってしまうのではないか。
と考えました。
そこで、また新しい駅を増やすことにしました。
今度は道路沿いに、主要な市町村を配置することにしました。
平成の大合併で消えてしまった町村ありますが、特に思いついたものを載せてみることにみました。
これで14駅増えましたので駅も、135駅ということになります。
がーん、狭い山梨に駅が135駅。
ちょっと多い気もしますが…まぁいいということにしましょう。

さて、では次回から物件駅を細かく見ていくことにしたいと思います。