コンピューターによる気候変動予測の礎を築いたとして、今年のノーベル物理学賞の受賞が決まったという90歳の真鍋さん。
こういうノーベル賞を日本人が受賞するって、とっても嬉しいですよね。
こういう科学や技術の進歩のお陰で、私たちの物質的な豊かさは格段に良くなりましたね。
ただ、一説には仕分けの女王が先鞭をつけた?後押しをした?基礎研究分野への予算をバッサリできたお陰で?今後、こういう形でのノーベル賞、我が国の研究者には取れないだろうと。
一方、押しなべてですが、ヒトの感性は影をひそめるばかりのように思うから、我が国の学術的基礎研究を停滞に導いた先鞭も大いに功あり?
例えば、気候変動、ヒトの感性が豊かだった時代に、さまざまな兆候をどう捉え、どう行動したんだろう。
自然は自分たちと一体不二なものとして捉え、畏怖と畏敬の念を抱いていたであろう私たちの先達、直観的に自分たちの行動を自制していたに違いないと思うのです。
決して自然をコントロールしよう、自然と対峙しようと思わなかったのでは?
この気候変動を技術力で解決できるだろうと何となく思っているだろう今の社会、果たして間に合うのでしょうか?
エコカーに乗る、ごみの分別を徹底する、レジ袋は使わないみたいなことでのやった感で本当に良いのでしょうか?
もう、私たちの生き方を切り替えないと、引き返すことができなくなるのでは?
そんな視点で考えると、基礎研究の停滞は立ち止まって考えさせるってことだったかも(^^;;
真鍋さんの偉業を素直に喜び、よもやこんなブログを書くつもりではなかったのに、ついつい手が動いてしまって、、、