オメラスから歩み去る覚悟

2007年04月22日 | その他

 

また某地方新聞の記者コラムネタ。

もうすぐ父親になる記者が、取材先での子供達やその親たちの微笑ましい光景を引き合いにして、紙面を子供達の笑顔でいっぱいにできたら、と願う内容。

それは問題ない。文字通りの意味ではなく、ジャーナリストとしての覚悟であるなら。
笑っている子供の陰に、泣いている子供、笑うことのできない子供がいる。
そういう子供達の現実を取材して読者の関心を促し、子供達みんなが笑える社会にしてみせる、そういう意味での発言なら。

だがこの新聞のレベルからいって、読者受けのいい明るいニュースばかり提供しよう、ぐらいの意味ではないかと思えるが。
都合の悪い現実には蓋をして、みんなで笑っていれば幸せになれる、こういう考えは大嫌いだ。




話は変わるがアーシュラ・K・ル・グィン著の「風の十二方位」という短編集をご存じだろうか。そう、ゲド戦記の作者。
このなかに「オメラスから歩み去る人々」という一編がある。


オメラス、そこではあらゆる人々が間然するところのない完璧な幸せを謳歌している。
ただ独りの子供を除いて。
オメラスのユートピアはこの子の絶対的な不幸によって成り立っている。
この子に優しい言葉ひとつ掛けただけで、オメラスの幸福は砂上の楼閣よろしく崩壊する。
オメラスの住人は全員、このおぞましい「契約」を知っている。
ある程度の年齢に達すると、大人からこの子のことを聞かされるから。
知った上で自分を誤魔化し、スケープゴートの上に成り立った楽園に居座っている。
だが、まれにオメラスを立ち去る者たちもいる。自分の向かう先も分からぬままに。


なにが言いたいかって? それくらい自分の頭で考えることだ。

ひとつ言えるのは、某アニメ監督はこちらをアニメ化すべきだったということくらいか。