おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

清閑亭ふたたび

2011-03-22 13:31:54 | 小田原-建物
日曜の午後_
亭主が「ここもまだ行ってないんや」という清閑亭に
一緒に行きました。
(私は前回の「まちあるき検定」で一度お邪魔してます)

旧城内高校手前から天神山へ上がる坂道の途中に・・・
清閑亭はあります。
 
↓玄関前のこの樹は何でしょう?_というのが
 前回の「小田原まちあるき検定」で出題されてましたっけ^^) (答え:楠)
 

こちらは 貴族院副議長を長く務めた黒田長成侯爵(最後の福岡藩藩主の長男)の別邸だったところ。「公」の部分を極力廃し「私」の生活の場にするつもりで建てられたのが 例えばこの玄関からも伺えます_ と まちあるき検定の時教えて頂きました。
 
↑玄関までくると 中から学芸員さんが
 「今ちょうど館内の説明を始めたところです もしよかったら・・・」と
 声をかけてくれましたので
 お言葉に甘えて館内めぐりのグループに混ぜて頂きました。

明るく 風通しのよい ・・・
 
そして高台にあるので
(実はここは北条時代の土塁の上、ですって)
眺めのよいお家です。
 
↑松林の向こうは海が広がっています。

↓板襖には豪奢な孔雀の絵が!
 (この縁側はカフェなので まち歩き検定の時は拝見できなかったんです)
 
_板襖 学芸員さんに言われて一枚板であることに気づきました。
複雑な木目(モアレ柄)を見ながら 「元の木材は一体どんなサイズだったのだろう?」と思ったことです。

↓隣の座敷には 天板に桜の一枚板を使った大きな机がありました。
 
↑見学者一同 「おおーーーー」

二階に上がってみました。
真鶴半島の三ツ石がうっすら見えます。
 
(お天気のよい日は その向こうに 初島も見えるそうです)

黒田さんはここ小田原で 漢詩を作ったり 書を書いたり と
趣味に生きられたようです。
↓二階にあった黒田長成の書(雅号は桜谷)
 
↑「床板」を置かない「地板」張り、 節の多い床柱・・・ お殿様は意外に田舎屋風の書院がお好きだった?

当時の小田原には 同じように 喧騒を離れ
鄙びた地で赴きある暮らしをしようとする政財界の人々が多く暮らしており、
そうした人同士の交流も盛んだったようですね。
(そうそ、黒田家では 隣の閑院宮家からお嫁さんをもらわれています)

一階には ご近所さん(?)の一人_
↓山県有朋の書(雅号は含雪)もありました。
 


静閑亭は 戦後持ち主が浅野家(広島のお殿様ですね)に変わっています。
時代が変わり 持ち主が変わり・・・(一時生命保険会社の所有にもなっていたそうです)
内装も変わったようですが、 いつ誰がどの部分に手を入れたか、
は よくわからないのですって。
 
↓この裏庭も 最初からこういうお庭がついていたのかどうか・・・
 
↓でも蔵を建てたのは 浅野さんであることがわかっています。
 
浅野家は戦後東京のお屋敷を引き払って小田原に住まわれたので 沢山の家財道具を入れるのに蔵が必要だったのだ、とか。
↓蔵は家とつながっています。
 
↓廊下と結ばれた蔵の入り口。
 

庭から母屋を眺めたところ_
 
 
 
さて、清閑亭には_お台所がありません。
実は向かって右の一段低い場所に別棟の台所があり、
使用人もそっちに住んでいたのだとか。
台所のある棟の二階が 清閑亭二階家の一階部分と 渡り廊下でつながっていて、お料理は二階家一階部分で奥女中に渡されたそうですー。
(奥女中は母屋の続きの棟の一階に寝起きしていたようですよ)
いやいや
鄙びた別荘に住んでも お殿様はやはりお殿様だったんですね~。



↓東大社会学研究室の平井太郎さん(まちあるき検定でいつも解説をして下さる方です)の作られた清閑亭についての資料がご覧いただけます(PDF)
http://www.machien.net/about/seikan-tei-p.pdf

↓まちえん のブログ/先日の震災時の清閑亭の被害等を知ることができます。
http://machien5.exblog.jp/
私はこちらを読ませて頂いて・・・
「あ!『おだわら街歩き指南帳4』が出てる! 買わなきゃ!」でした。

JR根府川駅

2010-09-21 22:01:18 | 小田原-建物
先月の朝日新聞(8/14)にこの「JR根府川駅」と茨木のり子の詩「根府川の海」が紹介されていて、「そうだ、根府川にカンナの花(←詩の中に出てくるのです)を見に行かなきゃ」と思ってから ああ もう一月経ってしまった・・・
でも 今年は9月の後半になっても まだまだ暑いし
なんとか「夏!」っぽい絵が撮れるかしら?と期待して訪ねてみた根府川駅_

駅前に停まっているあの小型のバスは
Hilton Hotelのシャトルバスです。
根府川駅はヒルトン・スパ・リゾートの最寄り駅、なんですね。
 
↓以前もここの写真はお見せしていますが・・・
 (去年の3/17)
手前のモダンな建物が お手洗いで_
奥の素朴な木造の建物が駅舎です^^;)
 
↓レトロでいい感じですね~。
 
↓駅員さんはいません。
 
↓傾斜地なので駅舎から直接連絡橋を渡るようになっています。
 (この駅の連絡橋の補修が中途半端なことになっている事を残念がる声を聞いていましたが、ああコレのことかー。奥側の階段の蓋い部分ですね?確かにこれは せっかくのレトロで可愛い根府川の駅を「ちょっと残念」にしてるかもー)
 
↓線路脇から見たホーム。
 静かな駅だけど、通っているのは東海道本線なので通過する電車は多い。
 
↓カンナの花は・・・ああ
 
終わっていましたー^^;
そして根府川の海は ぽう と淡く 空と溶け合っていました・・・


__根府川周辺については去年の秋 ブロ友あやこさんが「東洋のリヴィエラを歩く」という記事をご自分のブログに上げています。 みかんの色づく頃の山 あんな電車こんな電車、寺山神社の道祖神の写真は表情までよく撮れています。そしてなんとnumabeが見られなかったカンナも ばっちり撮ってるんですよ。/是非お訪ね下さい。

根府川の寺山神社

2010-09-21 20:42:32 | 小田原-建物
時間的には「江之浦テラスへ行く前」になりますが_
根府川の寺山神社へ寄ってみました。
 
車でこの前は何度も通っていますが
 お訪ねするのは初めて。
(ここの境内は「月極駐車場」になっていて車が置けないのです。
 この日はバイクだったので、隅にチョイ置き させて頂きました)
↓本殿。創建は不明。ご祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)だそうです。
 
↓本殿右横には末社と神輿格納庫があり、
 
↓左横には市の重要文化財になっている道祖神がいらっしゃいました。
 
↓スカーフが今風の巻き方(ワンループ)ですね^^
 
↓先月(確かカレー屋さんの帰り)ここで盆踊りが踊られているのを見ました。
 境内に櫓が立てられ 道路にはみ出す程 沢山の人が集まっていて・・・ 
 
「ここには まだ 『日本の夏』がある」なんて思った事でした__。


勢いで(?)根府川駅の写真も貼りますね。
(つづく)

6月のフラワー・ガーデン

2010-06-27 17:44:54 | 小田原-建物
今日は久野のフラワー・ガーデンへ行ってきました。
 
↓入り口近くには色とりどりの百合が咲いていましたよ。
 
↓バラは・・・ あら?お花が減ったかな?
 
↓と思ったけど 蕾を沢山つけた木も。
 もう少しすると又 どっさりな花を楽しめそうでした。
 
↓菖蒲は~
 
↓おおー 今が丁度見頃 のようですね。
 
↓紫陽花も~
 
↓今が盛り。
 

さて 今日_室内では盆栽展が開かれていました。
 
↓あら、私が思っていた ユワユル盆栽 とは少し赴きが違うようです・・・。
 
↓どこか「モダン」ですよねー?
 
↓これなぞ 「野にある草を 野にある如く~」って感じー。
 
↑へ~ これも盆栽、ですか?
 (私が思っていた盆栽の「ここからここまで」が
  いかに狭いものだったかを思い知りました)

↓盆栽は展示即売もされており 沢山のお客さんが
 真剣に見てらっしゃいました。
 

さて_今日私ここフラーワー・ガーデンへは お花だけを見に来たのじゃありません、
実はお昼から コロアミカ さんの無料コンサートがあるんですよ~♪ (つづく)

紀伊神社(きいじんじゃ)を訪ねてみました

2010-05-23 08:55:27 | 小田原-建物
石橋から小田原への帰り、石橋ICの先で 国道から旧道へ入ってみると__

すぐ左手に鳥居が見え「あ ここが紀伊神社ね?」とわかりました。
 
ここの道祖神さんは「市指定重要文化財」だそうです。
↓長の年月で輪郭はおぼろですが 苔むし古びて尚 
 道を守って下さってる姿には心打たれます。
 
(↑追記2023.06.27/ すみません、早川の道祖神は「稲荷型」という珍しいタイプで このお像の左手の祠にいらっしゃったもよう・・・//この石像は庚申さん あるいは馬頭観音?)))
さて 神社へ挨拶に・・・
↓? もしかしてあの線路の下をくぐって行くのでしょうか?
 
↓東海道本線の向こうに お宮へ上がる階段がありました。
(こんな風になっていたんだー!)
 
↓階段の先にあったお社。平安初期の創建で
 ご祭神は林業の神様 五十猛命(いそたけるのみこと)と
 木地挽きの祖といわれる惟嵩(これたか)親王_だそうです。
 
紀伊神社は 地元では「木の宮さん」と呼ばれ
 特に木工業に携わる皆さんの信仰を集めたお宮。
(元々は「木宮(きのみや)大権現」といったそうです。これが紀伊~になったのですね)
こちらの社宝は 「木地椀」ですって。(市の重要文化財
なるほど、な宝物ですね。

↓お神輿の格納庫かな?
 検索で こちらの春の例大祭の画像をみましたが なかなかに迫力があって素敵!(河岸の祭り!って感じなの)いつかおじゃましてみたいなあー。
 
↓狛犬達は 逃げ出さないように(?)
 籠に入れられていました。
 
↓左の「うん」形は なんとあぐらをかき 手招きしています。
 まねきねこ型 っていうらしいのですが 
 私このタイプ初めて見たのでびっくりしました。
 
↓神社ですが 鐘つき堂が残っていました。
 (明治政府によって神社とお寺が分けられるまで 
 日本では「神仏混淆」だったのですね)
 
がたん ごとん がたん ごとん ごおおおおおー
↓突然の大音量に驚き振り向いたら 目の前を電車が通過!
 
あわててバッグからカメラを取り出しましたが間に合わなかったー^^;

__ と こんなのがnumabe的紀伊神社初参拝 だったのでございます。(おしまい)


追記:案内板にあった惟嵩親王の記述が興味深かったので ここへメモしておきます_
惟嵩親王は天安二年(858年)京の都を追われ伊豆の河津への流罪となった・・・ものの嵐で国府津の海岸へ漂着し、早川の庄(つまりこの地)へ至って没した、のですって。又親王の付き人が木地を挽いて「朝夕の奉仕の料にあてた」そうで、早川に現存する「木地挽」という字名はこれに由来すると言われているそうです。
惟嵩親王というと業平が使えた方。そんなお方が小田原で亡くなっていたとは知りませんでしたー。
(↑追記2023.06.27/ 伝承によれば、 ですね^^;)

佐奈田霊社を訪ねてみました

2010-05-18 16:54:39 | 小田原-建物
(下からの続き__)
文三堂(ぶんぞうどう)から 一度「分かれ道」まで戻り・・・
 
坂道を上ると 佐奈田霊社の駐車場がありました。
(結構広いので 車で来ても大丈夫そう)
 
更に坂を上った先に 
 
↓佐奈田霊社へのスロープが__。
 
↓スロープを上ると・・・
 
↓霊社の境内に出ました。
 
↓佐奈田霊社は 「社」がつくけれどお寺。守っていらっしゃるのはご住職様でした。
 正面の綱は 本堂内の阿弥陀様と繋がっていて、この綱に触れれば本堂で阿弥陀様を拝んだのと同じご利益があるそうです。(とご住職から伺いました/ ご住職からは他に お寺のこと 古戦場のこと 与一のことなども伺い 寺宝の絵や 神像 与一の墓石等を見せて頂きました)
 
↓境内にあった「手附石」。与一は大変な力持ちで 石に手をつけば手形がつく程・・・ だったそうです。
 
↓ご神木と与一塚。
 頼朝の旗揚げの戦であった1180年の「石橋山の合戦」は 三浦一族の到着の遅れにより「敵3000 見方300」という 多勢に無勢の悲惨なものになりました。これは、その戦いで 先陣役を与えられ25歳の若さで討ち死にした佐奈田与一義忠の墓です。後年この塚を訪ねた頼朝は 辛い戦とここに倒れた与一を思い落涙したそうです。
 
与一塚の前に階段が・・・。
ああ これを下りればさっきの文三堂に出るんだ。
主の与一の墓と 郎党文三の墓は こういう位置関係にあったんですね。
 

↓ご住職から分けて頂いた 佐奈田霊社の小冊子。
霊社の縁起 寺宝の紹介とともに 石橋山の合戦の話が平易な話語で書かれていて 興味深かった。
 
佐奈田飴_ 与一は戦場で痰のため声が出せずに討たれた、そうな。死後与一は喉の神様として祭られ 霊社では佐奈田飴というのど飴が売られていました。
 
↑これは実は買った物ではなく 
 もったいなくも頂戴してしまったものです。
 お土産に義父にあげました^^ 
(私も一つ頂きましたが 生姜がきいて美味しかったです)

↓駐車場まで戻ると 蜜柑畑に猿達が見えました。
 「サルにエサを与えないで」という看板があちこちにある小田原ですが
 猿、本当にいたんだー! でした。
 (猿は お堂辺りでも4頭程見かけました。
  群れで移動していたのかもしれませんね) 
 

この後は ご住職オススメのコースを通って帰りました。
(ちょっとだけ つづく)

石橋山古戦場を歩いてみました

2010-05-18 15:46:57 | 小田原-建物
国道135号線の 一段上になる「旧道」を行くと
「ふくや旅館」があります。
 
↓その向かいの道を上がると 石橋山古戦場 に出るそうな。
 
↓東海道線のトンネルだ。
 
↓トンネルの上から海側を眺めたところ。
 
↓この辺は蜜柑畑が多い。
 (この風景、ちょっとJ・R・R・トールキンが描いた「ホビット村」の絵に似ています♪)
 
↓今はみかんの花が咲いていて バイクに乗っていても
 みかんの香りの風の中を走ってるようでした。
 
↓あら、分かれ道__
 えっと 左に行くと「文三堂(ぶんぞうどう)」、
 まっすぐ行くと「佐奈田霊社」ですって。
 
↓で、この一帯が 頼朝挙兵の地
 「石橋山古戦場」なんですね?
 
ここで大庭氏率いる3000騎の軍と_ 頼朝側は頼みの三浦氏の到着が遅れ・・・ わずか300人で戦い 大敗してしまったのかー。

まずは「文三堂」の方を訪ねてみましょう。
↓途中にあった長い石段。
 これを上がると佐奈田霊社の「与一塚」だそう。
 
↓その先の案内板によると
 ここが頼朝から 大場兄弟を討て と命じられた佐奈田与一が討ち死にした場所で
 与一が敵と 上になり下になりしたところから「ねじり畑」と呼ばれている、んだとか。
 
↓少し離れたところに 文三堂へ上がる石段がありました。
 
↓これが文三堂。
 文三家安 は与一の家臣で、合戦の折 与一と一緒に命を落としています。
 (お堂の中には 墓石らしきものと 文三家安を描いた絵 が見えました)
 
↓石段脇には何体もの石仏がありましたが
 どれも素朴であたたかみがあり 和まされました。
 


この後はいよいよ(?)
佐奈田霊社を訪ねます。

(*「文三」はブンゾウ 或いは ブンザ と読むようです。勝手にブンサンかと思っていたので「へ~」でした。ブンサンじゃ東大みたいですね^^;)

米神(こめかみ)の八幡様

2010-05-18 09:34:44 | 小田原-建物
米神の浜に面して 八幡様がありました。
 
木造で素朴な いい佇まい。
 
 
 

立派な狛犬さん達_
でも舌を出してて なにやらのどかな「あ」形
 
りりしいんだけど 目をぱちくりさせてて
ごこか愛嬌のある「うん」形。
 
二体は今日も米神の海を見ながら
お社を守っているんでしょうー。


この後は 石橋山古戦場へ上がってみました__。

星ヶ山 (二日目)

2010-05-11 19:15:30 | 小田原-建物
離れのやど 星ヶ山_ 私達の二日目は やっぱりお風呂から始まるのでした。
↓前日「女湯」だったお風呂。
 
亭主は念入りに 部屋のお風呂にももう一度入りなおして_
それから 朝ごはん^^↓
 
上の鯵の干物、骨までサックリ焼けててびっくり。
宿の方に「どうやったらこんな風に焼けるんです?」と尋ねたら
 まず表面を強火で炙ってから火を落としてじっくり焼くのですが
 家庭用のガスレンジではちょっと難しいかもしれませんね _
とのことでした^^; (家では無理なのかな~)

食後は ナゴリを惜しみつつ 宿の南の谷を散策。
(都合により 前日の写真を貼っております)
この川は「白糸川」。
 
川にかかる橋__
 
__の上から東の堰きを見たところ↓
(ツリー風呂から見えた滝はここから落ちる水だった訳です)
 
↓少し川上に つり橋もありました。
 
↓そのつり橋からの眺め。
 
癒されましょう~?

さて、食事中 宿の方には 前の山に点々と見える倉庫のような建物のことも尋ねてみたんですよ。そうしたら
「あれは前の山が蜜柑畑だった時の名残です」とのこと!
昔はこの辺り一帯に蜜柑畑が広がっていたんですねー。
今は_ 左手前の柔らかい緑色のホコホコした処はキーウィの棚。
右奥の鮮やかな黄緑色の処はギンナンを取るためのイチョウの林_だそうです。
又 一列に並んだ杉はフェンス代わりに植えられたもので
区切られた場所ごとに地主さんがいらっしゃるのですって。
 
根府川(←小田原市内^^;) に泊まって 「また一つ地元に詳しくなっちゃった」な
numabeと亭主だったのでした。 おしまい。

星ヶ山のログハウスに泊まりました!

2010-05-10 21:45:34 | 小田原-建物
小田原は根府川にある「離れのやど 星ヶ山」でログハウスに泊まってみました。
http://www.hosigayama.com/
↑公式サイト

 
チェックインは3時からなのに 早々と到着してしまい
まずは、と 宿の受付のある「センターハウス」でお茶しました。
 
 
↓ログハウスにはそれぞれ星の名前がついていました。
 私達の部屋は__「ポーラリス(北極星)」だってー。
 
↓ロフトつきの部屋です。楽しみ~♪
 
↓ドアをあけるなり「ただいま」と言ってしまった
 落ち着ける部屋。
 
↓ちょっと猫の気分 (高い処が好き)
 
↓意外にもロフト部分は畳敷きであった。
 (亭主はここで 持参した「つぼおしき」を使っておりました。
  平素はお仕事おつかれさま)
 
↓スペースがたっぷりあると 心に余裕が(?)
 「あー 笛持って来れば良かったー」と
 口笛を吹きつつ テーブル上の「エア・ピアノ(???)」で伴奏をするアタクシ。
 
こちらの宿は お風呂も素敵でした。
↓_これは部屋のお風呂。
 
↓_男湯。(女湯とは入れ替え制で、翌朝はこっちが女湯になりました)
 
そのほか「貸切のお風呂」が三つ。
↓私達はその内の一つ「ツリー風呂」を50分借りました~^^)v
(ブログ友 シェフさんのおすすめ♪)
 
↑木の上のツリーハウスに作られたお風呂へは
 浴場のある棟から渡り廊下で移動。
↓風呂桶は文字通り桶。
 
↓風呂にはミニテラスもついています。
 
↓見えるのは 木々と川と空。(+遠くに「根府川の海」)
 聞こえるのは 滝の水音と鳥のさえずりだけ。
 
まるで『指輪物語』の裂け谷に フレト(同物語で森のエルフが木の上に作る 木製のフロア)を作り そこにホビット達のお風呂をのせた_ みたいな感じ!
私達はリゾート・ホテルに非日常を求めるけれど、ここにあるのはそれ以上の「非現実」(???)

でも 心は空想の世界に遊んでも
お腹は普通にすき・・・
夜7時。はらぺこになっておりました。
↓センターハウスの食事処へ~
 (お茶した場所です)
 
星ヶ山の食事は「和食」なのだ。(意外にも?)
 
「これは日本酒を頂かねば」と亭主_
地酒 「ききざけセット」を注文↓
(お酒には 小田原のイカの塩辛がついてきました)
↓小田原といえばコレ な 鯵のたたきも登場。
 
↓カボチャ饅頭。(マッシュしたカボチャの中に鶏ひき肉多分を詰め、揚げた物の餡かけ) 代わってて楽しいお料理でした。もちろん美味しかったです。
 
↓カマスは脂がのってた。(旬ですものね)
 
↓揚げ物は かきあげとタラの芽の天麩羅。
 ご飯は 筍ご飯。おみおつけの具はきのこと三つ葉。
 
↓お腹は一杯でも デザートは別腹^^;
 (湘南ゴールドのプリン+ 湘南ゴールド すみません、ニューサマーオレンジだったかもー ←とにかく小粒だけど甘くて味濃くて美味しい!)
 

ご馳走様 と挨拶してセンターハウスを出ると
 辺りはとっぷりと日が暮れておりました。
(↓道側から見た センターハウス)
 
灯りって 心を非日常モードに入れますね~
 
二人で手に手に懐中電灯を持ち 夜の散策へ~
(お見せする程の絵は撮れてませんが)
 
 
そして部屋に戻ってお風呂でビールを飲めば 気分はすっかり「目玉の親父」!
 
翌朝に つづく__

久野散策・中世集石墓

2010-04-29 22:43:08 | 小田原-建物
久野の丘陵を バス路線でいう「小田原駅方面」へ下ります。

船原まで来ると「中世集石墓」という案内板がありました。
 
車一台分がやっと な感じの道をタララと下りると・・・
東へ向かえ の矢印が。
 
矢印を信じて ひたすらジグザグに進みます^^;
 
はいはい 今度は右ね?
 
矢印は この納屋の軒下を通り抜けろ と言っています。
 
ちょっとドキドキしながら進むと・・・ ↓あれかな?
 
↓これです!
 
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/culture/historic/s-syusekibo.html
↑市の史跡のページによると これは 人の頭大の石で「囲い」を作り その中を小石で埋め その下に骨壷を埋めるタイプのお墓、と考えられる_ そうですが、すると これで「一体分」でしょうか??? (どこか詳しい説明の載ったサイトを見つけたらリンクさせて頂きたいと思います)

さて、ここでトラブル発生!
numabeのミニ・バイクが又エンストを起こしてしまいました。
市立病院付近まで「下り坂」というのが唯一の救い・・・。

↓ちょっと悲しい気持ちで撮った 南船原バス停横の石碑群__。
 
↓もう少し坂を下った処にある公民館。
 
↓「欠ノ上(かきのうえ)公民館」ですって。
 
(ちょっと面白い地名ですね。因みに 秦野の「欠ノ上」は 
 かけのうえ と読むそうですよ)

さて ここで又脱線ですが
そういえば~ と思い出したんです。
坂を下りながらだと バイクはエンジンかかりやすいって。
で 試してみたら・・・ かかりました!よかったよお。

嬉しい気持ちで撮った 龍泉寺の八重桜。
 
そして どちらのお宅のかわからないけど
↓風をよく呑んでふっくら泳いでいた鯉幟。
 
ゴールデン・ウィークが始まります^^)v

(すみません 月曜日に撮った写真です ほぼ一週間遅れのUP。
 専業主婦って 忙しいから~ ^^;)

久野散策・古墳群

2010-04-29 22:35:53 | 小田原-建物
山神神社の少し先に 「久野配水池」があります。
(因みにこの先は 道幅が狭く 車ではすれ違いが困難な為
 「通り抜けできません」という案内板が出ています)
 
↓配水池の東には塚があり、
 
↓側に「久野一号古墳」という標識が立っていました。
 
注意して歩けば(いえ バイクですけど)
シリアル・ナンバー順に墳墓にお参りできるかな?
_と思ったけど・・・(後略)

↓幅員が狭くなってからの道は バイクで走るには気持ちがよいものでした。
 
↓周りは畑や草地や雑木林ばかり。
 
↓道脇に静かに佇む石仏。ああー のどかだー
 
__と その先で道が広くなりました。
道の両側の木々も雑木林ではなく 造園用の木に。
↓「日本列島 植木植物園」という看板が見えます。植物_園?
 
http://202.238.58.125/open-nursery/garden.php?mid=305
↑(有)小田原植木 という会社の庭木園だったんですね。
花木が多くて素敵な場所。そして・・・ 広い!(まるでどこまでも「庭」)

↓上の看板の向かいに 4号古墳の案内板がありました。
 (2号 3号墳はどこだったのでしょう?)
 
↓4号古墳はかわいい緑の塚でした。
 
↓少し先には15号古墳の案内板が。
(きっとすぐ近くに5~14号古墳もあるのでしょうねー^^;)
 
↓15号古墳は立ち木の並ぶ小道の先・・・
 
↓ぽん と開けた場所にありました。
 
↓あら 石室がむきだしに。長い年月に表土が失われたのかな と思ったのですが
 案内板によりますとこれは何でも「舟形古墳の代表的骨格」だそうで
 石室の石組み構造がよくわかるように保存することにした_ のですって。
 

さてでは 久野の丘陵地を南側へ下り、
「中世集石墓」というのを見に行ってみましょう。
 つづく

お城の二重櫓(にじゅうやぐら)跡、上がれました!

2010-04-02 14:34:40 | 小田原-建物
ネットで小田原城の二重櫓について調べていたら
「3/27公開予定」となっているページを発見!
何 もう立ち入れたのですか?

という訳で翌朝さっそく行ってみました。
(義父がテレビで高校野球を観ている時間に^^)

↓銅門(あかがねもん)を抜け 
 住吉橋の手前から堀越しに旧図書館を見たところ_
 
↓旧図書館の東側が 修復工事中の「二重櫓跡」。
 
↓あ、工事の重機は撤去されてますよー。
 
↓一部ヨシズで囲われていますが、隅の櫓跡には上がれそうだ。
 
 
 

櫓跡からの眺め!
 おお~なかなか~♪
↓お堀の南東の三叉路。
 
↓お堀南の桜並木と その向こうの三の丸小学校。
 
↓お堀東側の桜並木 中ほどに馬出門(うまだしもん)に通じる
 眼鏡橋(めがねばし)が見えます。
 
↓ヨシズが囲っているのは建築資材でした。
 
きっと程なくこれも撤去され この一角はすっきりした「馬屋曲輪(うまやくるわ)跡」として公開されるのでしょう。

これから小田原城址公園へいらっしゃる皆さんは是非
この「新名所」 お訪ね下さいませね~^^)ノシ

二重櫓(にじゅうやぐら)跡

2010-04-01 13:31:27 | 小田原-建物
すみません UPが遅くて・・・
えーと 火曜日のお散歩の続き、です。

空は青く 風も穏やか。
桜は1~2分咲きですが この調子なら土日のおでん祭りにはかなり咲きそろいそうな感じが・・・してました。(本日:木曜日の激しい雨と風で この予感はちょっと怪しくなっております)
↓常盤木橋周辺
 
↓常盤木門南斜面
 
↓銅門(あかがねもん)南の枝垂桜

 

観光バス用駐車場を抜けて帰りましょう。
観光客は中国からのみなさんが多いですね~。
 
↓ハニーこっちむいて~ か何か言ってる、んだと思われました^^;
 

小田原城の堀の南東の隅には 昔「二重の櫓」が建っていたそうです。
 
↓茶色の柵のところが 修復なった「二重櫓跡」です。
 
 
 
 
まだフェンスで囲われているのですが、いずれはあそこにも立てるようになる、のかな?
二重楼想像図、なんかも設置される、かもしれません(て あまり勝手なこと書いちゃいけませんね)。
4/2追記:すみません、二重櫓跡は3/27から公開されてました!

 
とまれ 又一つお城に見所 が増えます。めでたいことです^^)v

エキストラの皆様~

2009-09-29 14:00:26 | 小田原-建物
さっき図書館に本を返しに行ったら
小田原城の銅門(あかがねもん)の裏手で
時代劇の撮影の準備中~ 
と思われる皆様に出会いました。
 
スタッフさんが ブルーシートの上でワラジを履いてる人達に
「結び方わからない方 いますか~?」
と「方」を使って尋ねていました^^
(ちょっと面白く思いましたよ)


少し離れた処に給水車(?)がありました。
 もしかして雨のシーン?
クレーンもあるから 上から撮るのね?
 何て番組の どんなシーンなのかな?
とまれ 皆様 頑張って~ (たまたま通りかかった者より)