おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

江之浦のカレー屋さん Cote de SARA

2010-05-30 21:46:17 | 小田原-食
江之浦のカレー屋さん「Côte de SARA」に行ってみました。
http://www.0465.net/omise/sara/index.html?CATEGORY=199

真鶴旧道沿いにある洒落たお店ですが、お店の前は何度も通っているのに
不思議な入りにくさを覚えて今日まで行った事がありませんでした。
↓多分 原因はこの道に面してある「ドアの様な窓」。
 ここからは入れないのでした^^;
 
↓入り口は建物の北面にあったんですねー。
 
入店すると「お二階へどうぞ~」と言われました。
へえ、レストランは二階だったのかー でした。

店内は 木+布+陶器+ガラス+植物・・・
色んな「色」と「素材」で 華やかだけど落ち着く 感じ。

ナン食べ放題つきの「セット」を注文して・・・
やがて運ばれてきた「薬味」。
↓おお なんだか素敵だぞ。高まる期待。
 
↓別注文のサングリアとビールとチーズの盛り合わせ 登場。
 
↓前菜
 
↓タンドゥール料理盛り合わせ
 
↓亭主が注文した「三種のカレー」と
 ナン(左から「ハーブ」「チーズ」「レーズン」)
 
↓私が頼んだシーフード・カレー(450円増し)
 
↓息子が頼んだマトン・カレー
 
この後ナンを二枚追加。(あ 追加のナンはプレーンのハーフ・サイズになります)
お腹一杯になりました^^)

更にデザートがやってきた。
 
↓上がりの マサラティー、おいしかったですー。
 
大満足!

追:お店の公式HPがあったので 貼りま~す↓
http://www.hand-made-factory.com/cotedesara/
↑こちらで店名が Côte de SARA になっていたので、 上の記事中の店名も一度 Cote~ と打ちましたがアクサン・スィルコンフレックスをつけた Côte~ に修正しました。(意味も発音も変わりますしね)でもタイトルはアクサンを受け付けないので Cote のままですー^^;

5月のヒルトン

2010-05-29 23:00:25 | 小田原-食
息子の誕生日 「どこに行こうか」と聞くと
「食べ放題!!!」と言うので・・・
根府川のヒルトン・ホテルへ行ってみました。(又^^;)

今月のヒルトンは__
「北海道フェア」でした。
 
目玉は「カニ」だ。
身が太っててとっても美味しかった。
(カニをメインに頂けば かなりモトとれそう~)
 
↓オードブルのレベルも高い。
 
↓メインももちろんちゃんと立派ですが
 
↓我が家的には「デザートまでしっかりおいしい!ところが
 ヒルトンのいいところ」ですね~。
 

__とそういう訳で 息子は23歳になりました。
来年はちゃんと家を出ていてほしいものです

ケープ真鶴の 遠藤貝類博物館に行きました

2010-05-27 21:55:24 | 小田原隣接エリア
雨が降ったので_ 博物館へ行ってみました。

ケープ真鶴2Fにある・・・
 
↓今年4月にオープンした町立・遠藤貝類博物館~。
 (入館料・300円)
 
↓真鶴で見つかる貝の紹介の他
 
↓沢山の 日本の貝 海外の貝のコレクションが・・・
 
すごくおしゃれに陳列されていて
 
博物館、というより なんだか
 
アクセサリー・ショップを覗いているような楽しさを覚えました。
 
 
 
 
 
一階には実際に貝の加工品が売られていて
ミュージアムのスーベニア・ショップのような感じでした。
(このお店は以前からあったんですけどね^^;)

ヒレシャコ貝の照明、とっても綺麗でほしかったけど
高かったので断念・・・。
でも 見るだけでも幸せな気持ちになりましたー。
(おいでになったら是非 照明器具コーナーを覗かれませ~)

うに清へ行ってみました

2010-05-25 01:18:58 | 小田原隣接エリア
義父と真鶴の「うに清(ウニセイ)」へ行ってみました。

うに清は 真鶴漁港横の道を 半島先端の方へ進んだ先にあります。
この前は何度も通っていますが 入店は初めて。
 
↓「お二階へどうぞ~」と言われましたが、足が悪いので
 一階の椅子席が空くのを待たせてもらいました。
 
↓目の前にバスが停まり ここがバス停横だと気づく。
 ここは「里地」ってとこなんだね?
 
↓お店の前は「琴ヶ浜」。
 
↓磯遊びのできる岩場です。
 
↑上の写真で「ぽち」っと赤いのは・・・
↓真鶴漁港の防波堤の先の灯台。
 
その横の橋の様に見えるのは・・・
↓真鶴道路(有料)です。あの奥が「岩(いわ←地名)」の海水浴場。
 

あ、やっと呼んでもらえた~
(うに清さんは二階もあり 席は沢山 なのですが、
「一階椅子席」は二つだけなんですよ~)
こちらは 何といっても どどどどどん!な舟盛りが有名ですが
二人できてますし 義父は歯が悪いので
「うに」と「鯵のたたき」と「ご飯と味噌汁」
と「あしたばのおひたし」と「お漬物」。だけ^^;
(多分 うに清をご存知の方は「うに清に来たのに?」かも~)
 
いやいやでもでも これで私達には質も量も十分でしたよ^^)v


それにしても__
すごい人気店ですね。
次から次へ お客さんが 来る 来る 来る!でした。
義父も「よーはやっとる」と驚いてましたー。

弦楽グループ PIACEREのコンサートに行きました。

2010-05-23 18:59:44 | 小田原-イベント
 
我が家ではなにやら定着した感のある「ほっとファイブ・タウン」の催し
街なかコンサート。
昨夜は 小田原近在の音楽家の集まり「PIACERE(ピアチェーレ)」さんが奏でる弦楽曲を聴きました。

観客も もしかしたら出演者のお仲間が多かったのでしょうか?
入退場の折 手をちょっと振るしぐさ などが見られました。又
ソナタの一楽章のあと拍手される方が多く、1stヴァイオリンの方が
「あ このあと 二楽章 三楽章とあります」とおっしゃっても
やっぱり 二楽章の後で拍手が起こっていました^^)v
(補足:クラシックのコンサートでは楽章間では拍手をしない、というお約束があるのです。
 でも、素晴らしい演奏に対してはこのお約束の範囲内ではない、ということにもなっています)


曲は_(思い出せる範囲で打ちます 抜けてたらごめんなさい^^;)
モーツァルトのディベルティメント
バッハのWバイオリンのためのソナタ
パッヘルベルのカノン
ルロイ・アンダーソンのブルータンゴ
レハールの金と銀
久石譲のハウルの動く城
パラディスのシシリアーナ
そして アンコール ポール・モーリアの薔薇色のメヌエット

個人的にはバッハのソナタが良かったな~♪
(単に私の好みなので ここはスルーして下さい)
そして なにげにコントラバスが活躍していたことには
頼もしさを感じました。
(正確な音程とリズムで 音楽を下支えしてる のを感じました。
って単に私が学生時代コントラバスをやっていたので
コントラバスとコントラバス奏者に親しみを覚えるだけ かな
ここもスルーして下さい)

次回のコンサートは7/3。
クラシックの予定_だそうです。
今度は亭主も聴きにいけるといいのですが。

なぜか 街なかコンサートの日って 
亭主 不在なんですよね・・・。



余談:1stヴァイオリンの西本さんのレクチャー 面白かったです。
特にルロイ・アンダーソンの紹介には「へ~」。
音楽家になる前はハーバードの言語学の研究者だったんですね!
勉強になりました。

紀伊神社(きいじんじゃ)を訪ねてみました

2010-05-23 08:55:27 | 小田原-建物
石橋から小田原への帰り、石橋ICの先で 国道から旧道へ入ってみると__

すぐ左手に鳥居が見え「あ ここが紀伊神社ね?」とわかりました。
 
ここの道祖神さんは「市指定重要文化財」だそうです。
↓長の年月で輪郭はおぼろですが 苔むし古びて尚 
 道を守って下さってる姿には心打たれます。
 
(↑追記2023.06.27/ すみません、早川の道祖神は「稲荷型」という珍しいタイプで このお像の左手の祠にいらっしゃったもよう・・・//この石像は庚申さん あるいは馬頭観音?)))
さて 神社へ挨拶に・・・
↓? もしかしてあの線路の下をくぐって行くのでしょうか?
 
↓東海道本線の向こうに お宮へ上がる階段がありました。
(こんな風になっていたんだー!)
 
↓階段の先にあったお社。平安初期の創建で
 ご祭神は林業の神様 五十猛命(いそたけるのみこと)と
 木地挽きの祖といわれる惟嵩(これたか)親王_だそうです。
 
紀伊神社は 地元では「木の宮さん」と呼ばれ
 特に木工業に携わる皆さんの信仰を集めたお宮。
(元々は「木宮(きのみや)大権現」といったそうです。これが紀伊~になったのですね)
こちらの社宝は 「木地椀」ですって。(市の重要文化財
なるほど、な宝物ですね。

↓お神輿の格納庫かな?
 検索で こちらの春の例大祭の画像をみましたが なかなかに迫力があって素敵!(河岸の祭り!って感じなの)いつかおじゃましてみたいなあー。
 
↓狛犬達は 逃げ出さないように(?)
 籠に入れられていました。
 
↓左の「うん」形は なんとあぐらをかき 手招きしています。
 まねきねこ型 っていうらしいのですが 
 私このタイプ初めて見たのでびっくりしました。
 
↓神社ですが 鐘つき堂が残っていました。
 (明治政府によって神社とお寺が分けられるまで 
 日本では「神仏混淆」だったのですね)
 
がたん ごとん がたん ごとん ごおおおおおー
↓突然の大音量に驚き振り向いたら 目の前を電車が通過!
 
あわててバッグからカメラを取り出しましたが間に合わなかったー^^;

__ と こんなのがnumabe的紀伊神社初参拝 だったのでございます。(おしまい)


追記:案内板にあった惟嵩親王の記述が興味深かったので ここへメモしておきます_
惟嵩親王は天安二年(858年)京の都を追われ伊豆の河津への流罪となった・・・ものの嵐で国府津の海岸へ漂着し、早川の庄(つまりこの地)へ至って没した、のですって。又親王の付き人が木地を挽いて「朝夕の奉仕の料にあてた」そうで、早川に現存する「木地挽」という字名はこれに由来すると言われているそうです。
惟嵩親王というと業平が使えた方。そんなお方が小田原で亡くなっていたとは知りませんでしたー。
(↑追記2023.06.27/ 伝承によれば、 ですね^^;)

石橋山辺りを走ってみる

2010-05-20 09:34:50 | 小田原-自然
佐奈田霊社のご住職が 「米神の方から上がってこられたのなら 是非このまま坂を上がって石橋へ下りてみて下さい。眺めがいいから」とおっしゃるので、オススメに従い坂を上がってみました。
↓振り返ると 蜜柑畑の向こうに海がちらと見えました。
 
↓箱根側へ目を向けると 佐奈田霊社の屋根が覗いていました。
 
↓石橋山が海へ張り出している部分から見た小田原。
 足柄平野の向こうに曽我丘陵が、その向こうには丹沢山系の東端、大山が見えます。
 
↓更に行くと 石橋の町が見えてきました。
 
ズームIN! ↓ あのお寺がきっと宝寿寺ね?
 頂いた霊社の小冊子によると、宝寿寺は_ 与一を切った長尾定景が結んだ庵から起こっているそうです。/ 長尾定景は頼朝に捕らえられた折 与一の父によって命を救われ、出家し その後は与一の冥福を祈りながら生きたんですね・・・。
 
↓坂を下ると 東海道新幹線と 東海道本線が海をバックに並んでいる場所に出ました。
 
↓多分 電車が来るのを待っているのだろうと思われる「写真・鉄」のお兄さん。
 

この川は玉川。
(画像を小さくしたらわからなくなりましたが 川底には蜜柑が沢山ころころしてるんですよ)
 
↓木造の納屋 木製の道具類・・・
 あたたかみのある光景。
 
↓近くには「水と光の広場」という場所があり
 自然のせせらぎが保存されていました。
 
↓小川の石の上にはトンボが。
 
↓メタリックなペール・グリーンの胴体に透明な羽__。
 カワトンボですね。
 
この広場を作った皆さんは きっと 「ただの景色」ではなく こんな トンボが来るような「環境」を子供達にバトンタッチしようと思われたのだろうなあー。 と トンボを見ながら思ったことです。

この後は紀伊神社を訪ねてみました__。
(ああ UPがなかなか進まないー^^;)

佐奈田霊社を訪ねてみました

2010-05-18 16:54:39 | 小田原-建物
(下からの続き__)
文三堂(ぶんぞうどう)から 一度「分かれ道」まで戻り・・・
 
坂道を上ると 佐奈田霊社の駐車場がありました。
(結構広いので 車で来ても大丈夫そう)
 
更に坂を上った先に 
 
↓佐奈田霊社へのスロープが__。
 
↓スロープを上ると・・・
 
↓霊社の境内に出ました。
 
↓佐奈田霊社は 「社」がつくけれどお寺。守っていらっしゃるのはご住職様でした。
 正面の綱は 本堂内の阿弥陀様と繋がっていて、この綱に触れれば本堂で阿弥陀様を拝んだのと同じご利益があるそうです。(とご住職から伺いました/ ご住職からは他に お寺のこと 古戦場のこと 与一のことなども伺い 寺宝の絵や 神像 与一の墓石等を見せて頂きました)
 
↓境内にあった「手附石」。与一は大変な力持ちで 石に手をつけば手形がつく程・・・ だったそうです。
 
↓ご神木と与一塚。
 頼朝の旗揚げの戦であった1180年の「石橋山の合戦」は 三浦一族の到着の遅れにより「敵3000 見方300」という 多勢に無勢の悲惨なものになりました。これは、その戦いで 先陣役を与えられ25歳の若さで討ち死にした佐奈田与一義忠の墓です。後年この塚を訪ねた頼朝は 辛い戦とここに倒れた与一を思い落涙したそうです。
 
与一塚の前に階段が・・・。
ああ これを下りればさっきの文三堂に出るんだ。
主の与一の墓と 郎党文三の墓は こういう位置関係にあったんですね。
 

↓ご住職から分けて頂いた 佐奈田霊社の小冊子。
霊社の縁起 寺宝の紹介とともに 石橋山の合戦の話が平易な話語で書かれていて 興味深かった。
 
佐奈田飴_ 与一は戦場で痰のため声が出せずに討たれた、そうな。死後与一は喉の神様として祭られ 霊社では佐奈田飴というのど飴が売られていました。
 
↑これは実は買った物ではなく 
 もったいなくも頂戴してしまったものです。
 お土産に義父にあげました^^ 
(私も一つ頂きましたが 生姜がきいて美味しかったです)

↓駐車場まで戻ると 蜜柑畑に猿達が見えました。
 「サルにエサを与えないで」という看板があちこちにある小田原ですが
 猿、本当にいたんだー! でした。
 (猿は お堂辺りでも4頭程見かけました。
  群れで移動していたのかもしれませんね) 
 

この後は ご住職オススメのコースを通って帰りました。
(ちょっとだけ つづく)

石橋山古戦場を歩いてみました

2010-05-18 15:46:57 | 小田原-建物
国道135号線の 一段上になる「旧道」を行くと
「ふくや旅館」があります。
 
↓その向かいの道を上がると 石橋山古戦場 に出るそうな。
 
↓東海道線のトンネルだ。
 
↓トンネルの上から海側を眺めたところ。
 
↓この辺は蜜柑畑が多い。
 (この風景、ちょっとJ・R・R・トールキンが描いた「ホビット村」の絵に似ています♪)
 
↓今はみかんの花が咲いていて バイクに乗っていても
 みかんの香りの風の中を走ってるようでした。
 
↓あら、分かれ道__
 えっと 左に行くと「文三堂(ぶんぞうどう)」、
 まっすぐ行くと「佐奈田霊社」ですって。
 
↓で、この一帯が 頼朝挙兵の地
 「石橋山古戦場」なんですね?
 
ここで大庭氏率いる3000騎の軍と_ 頼朝側は頼みの三浦氏の到着が遅れ・・・ わずか300人で戦い 大敗してしまったのかー。

まずは「文三堂」の方を訪ねてみましょう。
↓途中にあった長い石段。
 これを上がると佐奈田霊社の「与一塚」だそう。
 
↓その先の案内板によると
 ここが頼朝から 大場兄弟を討て と命じられた佐奈田与一が討ち死にした場所で
 与一が敵と 上になり下になりしたところから「ねじり畑」と呼ばれている、んだとか。
 
↓少し離れたところに 文三堂へ上がる石段がありました。
 
↓これが文三堂。
 文三家安 は与一の家臣で、合戦の折 与一と一緒に命を落としています。
 (お堂の中には 墓石らしきものと 文三家安を描いた絵 が見えました)
 
↓石段脇には何体もの石仏がありましたが
 どれも素朴であたたかみがあり 和まされました。
 


この後はいよいよ(?)
佐奈田霊社を訪ねます。

(*「文三」はブンゾウ 或いは ブンザ と読むようです。勝手にブンサンかと思っていたので「へ~」でした。ブンサンじゃ東大みたいですね^^;)

米神(こめかみ)の八幡様

2010-05-18 09:34:44 | 小田原-建物
米神の浜に面して 八幡様がありました。
 
木造で素朴な いい佇まい。
 
 
 

立派な狛犬さん達_
でも舌を出してて なにやらのどかな「あ」形
 
りりしいんだけど 目をぱちくりさせてて
ごこか愛嬌のある「うん」形。
 
二体は今日も米神の海を見ながら
お社を守っているんでしょうー。


この後は 石橋山古戦場へ上がってみました__。

米神(こめかみ)の港へ行ってみました

2010-05-17 20:37:06 | 小田原-街歩き
今日はバイクで米神へ行ってみました。

ここは、真鶴へ行く途中 釣り人が沢山いる防波堤を見ながら
「あそこへは どうやって行くんだろうなあ?」と思っていた場所。
 
海沿いの国道から食事処「浜屋」さんの前を山側へ折れ・・・
 
・・・ると 浜へ下りる坂が現れるんですね。
 
下りた先は駐車場。(一台800円だったかな?)
 
架橋下をくぐると 防波堤です。
(こんな風になってたんだー でございます)
 
防波堤の先まで 行ってみました。
 
ちょっと気分は「相模湾 貸切」。
 
↓振り返って見た米神の港
 
↓~のつづき 
 (赤い屋根のところが「浜屋」さん。
  その手前_緑の部分の上はバス停です。)
 
↓岩場にズームIN! 
 や~ あそこ 気持ちよさそう~。
 (岩場の向こうが小田原漁港になります)
 
この後は 米神の八幡神社を訪ねてみました。(つづく)

小田原丼コンプリート!たけなわの「小波丼」

2010-05-16 15:35:34 | 小田原-食
すみませーん 大分前の話になってしまいますが・・・
家族で青物町の「たけなわ」さんへ小田原丼を食べに行きました。

この日は祭りの中日(5/4火)
商店街は(みんな神輿の担ぎ手らしく)お祭り見物のお客の多い「かきいれどき」にもかかわらず シャッターを下ろしてるお店がほとんど。
 
__の中 開けてらっしゃった「たけなわ」さん↓
 
当然!店内は満席。そして大将と女将さんはテンテコマイでした^^;
(お店の若い人はお祭りの方へ行かれたそうです)

「すみませーん、今日は 小田原丼しか出せないんですよー」

当方 その「小田原丼」目当てに来てますから
その点は無問題(モーマンタイ)です。
が 待ち時間は・・・確かにちょっと長かった^^;
(でも 厨房が大変なのは客達にもよくわかるので 
みんな丼を取りに行ったり お茶も自分達で運んだりしていましたー)

やがて運ばれてきた たけなわさんの小田原丼
「小波丼(さざなみどん)」です↓
 
塗り物の浅い大ぶりの丼に サザエにアワビにアジにサバにヒラマサにイカ、練り物。
すすす 凄い! これでお値段ナント1500円!(お値打ち!)

も~~~大満足。

__ とこうして numabeの「小田原丼20杯 全部味わいたい」という小規模な野望はめでたく達成されたのでした^^)v


どーでもイイハナシ: いやー たけなわさんの画像が見つからなくてなかなかUPできなかったんです。
画像ナンバーが60程飛んでいて・・・ 保存せずに消去したかと心配しましたが・・・。亭主のPCに入ってました。 ああ よかった よかった^^;

れんが屋でランチ

2010-05-14 13:58:37 | 小田原-食
今日もいいお天気
久しぶりにドライブに行きましょう!

「お義父さん、海と山と どっち行こう?」と聞くと
義父は「んー どっちにしょうかあー」と悩み・・・
・・・ なかなか決められないので
「じゃあ 海と山の間にしよう^^」と 江之浦の「れんが屋」へ~。

ここも 以前から一度来てみたいと思っていたんです。
海も山も見え、肉も魚も食べられる というので。
 
↓素晴らしいロケーション!
 
↓今日のランチを頂いてみました。
 
↓ぷりぷりのお刺身+こっくりした煮魚+あっさりした筍の煮物
 +ご飯+香の物+味噌汁+サラダ+甘夏(多分)
 これだけついて1365円。
 
↓余韻を楽しみながら外で一服。
 
「おいしかった~ いい店だ~」と義父。
ほんとほんと。
ドライブ途中 お客様と寄るのにも良さそう。
覚えておこうと思います^^)

湯河原のエルルカン・ビスでランチ

2010-05-12 21:55:19 | 小田原隣接エリア
根府川の星ヶ山のホテルを出た私達は
湯河原のエルルカン・・・ は私達には高級すぎますので^^;
本店から少し離れた所にある
カジュアル・タイプのフレンチのお店
「エルルカン・ビス」の方へ行ってみました。

エルルカン・ビスのHP↓
http://herlequin.com/herlequinbis/index.html

「和」な感じの入り口。
 
↓「和」な感じのお店。(奥には足湯が!)
 
↓ドアの前にはなんと暖簾が下がっていました^^
 
↓店内からは青々とした竹林が見え、
 心がしづまります。
 
飲み物は_ 亭主がノンアルコール・ビール
私だけ「非日常」の続きで 昼からアペリティフを頂くことに。
「キール下さい」(えへへ)

エルルカン・ビスのランチは二種類。
私達は迷わず「安い方」を選びました。
がそれでも質も量も◎。
満足度の高いお昼を頂く事ができましたよ。

はるばる訪ねた甲斐のある いいお店でした^^)v

星ヶ山 (二日目)

2010-05-11 19:15:30 | 小田原-建物
離れのやど 星ヶ山_ 私達の二日目は やっぱりお風呂から始まるのでした。
↓前日「女湯」だったお風呂。
 
亭主は念入りに 部屋のお風呂にももう一度入りなおして_
それから 朝ごはん^^↓
 
上の鯵の干物、骨までサックリ焼けててびっくり。
宿の方に「どうやったらこんな風に焼けるんです?」と尋ねたら
 まず表面を強火で炙ってから火を落としてじっくり焼くのですが
 家庭用のガスレンジではちょっと難しいかもしれませんね _
とのことでした^^; (家では無理なのかな~)

食後は ナゴリを惜しみつつ 宿の南の谷を散策。
(都合により 前日の写真を貼っております)
この川は「白糸川」。
 
川にかかる橋__
 
__の上から東の堰きを見たところ↓
(ツリー風呂から見えた滝はここから落ちる水だった訳です)
 
↓少し川上に つり橋もありました。
 
↓そのつり橋からの眺め。
 
癒されましょう~?

さて、食事中 宿の方には 前の山に点々と見える倉庫のような建物のことも尋ねてみたんですよ。そうしたら
「あれは前の山が蜜柑畑だった時の名残です」とのこと!
昔はこの辺り一帯に蜜柑畑が広がっていたんですねー。
今は_ 左手前の柔らかい緑色のホコホコした処はキーウィの棚。
右奥の鮮やかな黄緑色の処はギンナンを取るためのイチョウの林_だそうです。
又 一列に並んだ杉はフェンス代わりに植えられたもので
区切られた場所ごとに地主さんがいらっしゃるのですって。
 
根府川(←小田原市内^^;) に泊まって 「また一つ地元に詳しくなっちゃった」な
numabeと亭主だったのでした。 おしまい。