おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

ただいま 小田原!

2020-06-09 09:17:41 | Weblog
先月末 9年ぶりに 夫婦で小田原へ戻って参りました。

帰ってきたら このブログに続きを綴ろうと思ってきましたが 7年間使ってきたアメブロに頭が慣れてしまってて・・・
ここは「家族4人で暮らした楽しい思い出の置き所」としようと思います。
(息子は2011年の春 就職して独り立ちし、 義父は大阪で暮らす間に旅立ちました)

リタイアした亭主と 変わらず専業主婦の私との 新しい二人暮らしはこちら↓
https://ameblo.jp/numabe3/
に綴って参ります。 よろしければお訪ねを^^)

「ぬまべたまのHP」が消えました^^;)

2019-08-06 15:24:25 | Weblog
大田区の田園調布本町に住んでいた頃(2002年~2007年)に綴っていたHPが、ジオシティーズのサービス提供終了で消えました。少し寂しいけれど仕方がありませんね。/ 当時の「HP」は、 HTMLでWeb頁を作り midiや画像はバイナリーでUPする~ というものでした。手間がかかりましたが それも懐かしい思い出^^
(画像は住んでいたアパートのベランダからの眺めです。多摩川の向こうにどんどんできる武蔵小杉の高層マンション群を眺めていましたっけー)

「ぬまべたまのHP」が晒しになっています^^;)

2014-02-16 10:54:11 | Weblog
numabeがnumabeであるゆえん_
最初にもったHP 「ぬまべたまのHP」が晒しになっています。
midiの頁なりとも なんとかしようと思ったのですが・・・

HPを書くのに使っていたHTMLエディター FrontPage Expressが 今使っているPCのOS(W8)では開けないんですねー。/ PCってどんどん進化して 沢山「できること」が増えていく一方 「できなくなること」もあるんだーーー。

ちょっと残念_。 // (大阪豊中でもまだ 昔の名前で出ています なnumabe より)

とよなかぐらし はじめてます^^)

2013-05-19 15:25:14 | Weblog
みなさま すっかり御無沙汰しております。
numabe一家はお蔭様で元気です。
先月 二年住んだ松江から 大阪府豊中市に引っ越しました。
「とよなかぐらしはじめました」というブログも始めています。

もしよければ お訪ね下さいませ^^)

松江ぐらし 始めてました^^;)

2011-04-16 00:12:44 | Weblog
みなさま、お返事なかなか打てず
失礼を重ねておりましたが_

おかげさまで無事 引っ越せ
新しい街での生活も そこそこ順調にスタートさせられております。

とりあえず「まつえぐらしはじめました」というブログを立ち上げました。
もしよろしければお訪ね下さいませ。
(まだまだ全然読む部分はありませんけれど)

この「おだわらぐらし」は
コメント頂いた方へのお返事が書けた時点で
コメント欄を閉じ 「サラシ」にしております。
いつか 続きを綴れるように^^)
(ブックマークも再開の日まで非表示にさせて頂こうと思います)

短い間ですが 仲良くして下さってありがとうございました。
又お目にかかります。

               __numabe



まちがいだらけの別れの曲

2011-03-26 20:23:24 | Weblog
まちがいだらけの別れの曲

ブログを閉じるにあたり 最後に「別れの曲」を貼るのはどうかな
と思い (←いや ついさっきおもいつきましてね) 久しぶりに弾いてみたら・・・
ああ さっぱり弾けなくなっておりました すみません。
(暮頃はもうちょっとマシだったと思うんですが)

これ三回目に弾いたもの、です。
もうちょっと練習すれば もうすこしマシになるんじゃないかな
と思うのですが 電話が鳴ったり メール着信音が入ったり
息子が帰ってきたりしたので もう いいやと思いUPしまーす^^;)

いつかちゃんと弾いたものを貼りなおしたいな。
(あ・・・期待しないでくださいね)
では 皆様 今度こそ
さようなら^^)ノシ

酒匂小前のバス停で降りてみました

2011-03-25 16:38:26 | 小田原-街歩き
高校野球が始まりましたね。
おじいちゃんが「野球見るデ」と午後の散歩をお休みにしたので・・・

ちょっとおヒマを頂いて、先日の宿題(酒匂小前の 蔵の横の建物は何か) を片付けに もう一度 酒匂小学校前を訪ねてみました。
↓時間短縮で国府津行きのバスを利用~
 
↓酒匂小の校門の内側にプレハブの家屋が二棟建っています。
 
↓左側が「小田原市役所 酒匂窓口コーナー」。
 そして右側が「市民集会 第一施設」でした。

そうかー ここが市役所の窓口コーナーだとすると・・・

↓この蔵の向こう側にある・・・
 
↓役所っぽい建物は何でしょう?
 (いや ほら建物の外観が市役所の「大窪支所」に似てるでしょ?)
 
↓「市民集会 第二施設」ですって!
 (どんなことに使われるのかな?)
 
↓裏へ回ってみました_
 (窓ガラスが一部欠けているのは ストーブの煙突用の穴_でしょうね?)
 
↓第二施設の裏は 垣根が無く、 
 酒匂小の運動場がよく見えました。


市民集会第二施設に詳しくなった(???)帰り路、
酒匂川近くの法船寺へ_先日拝み損ねた五重塔を見に参りました。
↓まあ、東側から歩いてくれば 五重塔の案内板がすぐ目に入るんだ!
 
↓門をくぐり・・・五重塔を探す_
 
↓ああ鐘の西側にあったんですね。
 
↓五重塔側から 鐘と本堂を眺めたところ。
 
1993年に立教開宗750年を記念して建てられたそうです。
↓相輪のUP。水煙部分に青海波の模様が使われてますね。
 (火伏の意味が?)

サイズは小ぶりながら 立派な塔!
(多分写真ではこの塔が「小ぶり」だということ 
 あまりわからないと思います。
 瓦が「小さい」からかな?)

__ こうして ほんの短時間の街歩きでしたが、
前回国府津への行き帰りで見落としたアレやコレやを確認でき
満足 満足 ^^)v


(蛇足ー
 酒匂川を渡ったあたりで急に雨が降り出しました。
 風も強く、傘もさせない状態だったので
 ビジネス高校前からバスで戻りました。
 私は後から来た身だったのですが 高校生達が私を先にバス乗せてくれ・・・
 恐縮しましたー。
 コノゴロノワカイモンも なかなか礼儀をわきまえとるなあ~^^
 はっ 私がオトシヨリに見えたのかー ???)

ダンボール箱と梱包材が届きました

2011-03-24 11:33:58 | Weblog


さっき 引越業者から ダンボール箱と梱包材が届きました。

実は亭主が4月1日付で異動を命じられ
家族三人で他県へ引っ越すことになりまして__。
(息子は4月から社会人。今月末 東京の会社の寮に入るので ここでお別れ、です)

せっかく義父も小田原という土地に慣れ
デイサービスで知り合いもでき
週一度ヘルパーさんにも来てもらえるようになり
(それなり、に)自立した生活が送れるようになってきたところですが・・・
ここで亭主を単身赴任させる のも又
義父の80という年齢を考えると「もったいない」。

残り少ない義父の「時間」
やっぱり 親子で暮らせた方がいいですよね?


__ いつか又 帰ってきたいと思います。
それまで 小田原よ お世話になった小田原のご近所の皆様 そして
ブログで仲良くしてくださった皆様、さようなら~。



あ 引越はもう少し先です、よ。
PCを梱包するまで もしかしたら何か貼り足しをする、かもしれません。
何しろ こんな形で「おだわらぐらし」が終わることになろうとは思ってなかったので 終わり方 を全然考えてなかったんですよー。

できたら お堀端の桜を撮って「さようなら」 っていう項をUPしたいのですが・・・
どうなることかー^^;) 

清閑亭ふたたび

2011-03-22 13:31:54 | 小田原-建物
日曜の午後_
亭主が「ここもまだ行ってないんや」という清閑亭に
一緒に行きました。
(私は前回の「まちあるき検定」で一度お邪魔してます)

旧城内高校手前から天神山へ上がる坂道の途中に・・・
清閑亭はあります。
 
↓玄関前のこの樹は何でしょう?_というのが
 前回の「小田原まちあるき検定」で出題されてましたっけ^^) (答え:楠)
 

こちらは 貴族院副議長を長く務めた黒田長成侯爵(最後の福岡藩藩主の長男)の別邸だったところ。「公」の部分を極力廃し「私」の生活の場にするつもりで建てられたのが 例えばこの玄関からも伺えます_ と まちあるき検定の時教えて頂きました。
 
↑玄関までくると 中から学芸員さんが
 「今ちょうど館内の説明を始めたところです もしよかったら・・・」と
 声をかけてくれましたので
 お言葉に甘えて館内めぐりのグループに混ぜて頂きました。

明るく 風通しのよい ・・・
 
そして高台にあるので
(実はここは北条時代の土塁の上、ですって)
眺めのよいお家です。
 
↑松林の向こうは海が広がっています。

↓板襖には豪奢な孔雀の絵が!
 (この縁側はカフェなので まち歩き検定の時は拝見できなかったんです)
 
_板襖 学芸員さんに言われて一枚板であることに気づきました。
複雑な木目(モアレ柄)を見ながら 「元の木材は一体どんなサイズだったのだろう?」と思ったことです。

↓隣の座敷には 天板に桜の一枚板を使った大きな机がありました。
 
↑見学者一同 「おおーーーー」

二階に上がってみました。
真鶴半島の三ツ石がうっすら見えます。
 
(お天気のよい日は その向こうに 初島も見えるそうです)

黒田さんはここ小田原で 漢詩を作ったり 書を書いたり と
趣味に生きられたようです。
↓二階にあった黒田長成の書(雅号は桜谷)
 
↑「床板」を置かない「地板」張り、 節の多い床柱・・・ お殿様は意外に田舎屋風の書院がお好きだった?

当時の小田原には 同じように 喧騒を離れ
鄙びた地で赴きある暮らしをしようとする政財界の人々が多く暮らしており、
そうした人同士の交流も盛んだったようですね。
(そうそ、黒田家では 隣の閑院宮家からお嫁さんをもらわれています)

一階には ご近所さん(?)の一人_
↓山県有朋の書(雅号は含雪)もありました。
 


静閑亭は 戦後持ち主が浅野家(広島のお殿様ですね)に変わっています。
時代が変わり 持ち主が変わり・・・(一時生命保険会社の所有にもなっていたそうです)
内装も変わったようですが、 いつ誰がどの部分に手を入れたか、
は よくわからないのですって。
 
↓この裏庭も 最初からこういうお庭がついていたのかどうか・・・
 
↓でも蔵を建てたのは 浅野さんであることがわかっています。
 
浅野家は戦後東京のお屋敷を引き払って小田原に住まわれたので 沢山の家財道具を入れるのに蔵が必要だったのだ、とか。
↓蔵は家とつながっています。
 
↓廊下と結ばれた蔵の入り口。
 

庭から母屋を眺めたところ_
 
 
 
さて、清閑亭には_お台所がありません。
実は向かって右の一段低い場所に別棟の台所があり、
使用人もそっちに住んでいたのだとか。
台所のある棟の二階が 清閑亭二階家の一階部分と 渡り廊下でつながっていて、お料理は二階家一階部分で奥女中に渡されたそうですー。
(奥女中は母屋の続きの棟の一階に寝起きしていたようですよ)
いやいや
鄙びた別荘に住んでも お殿様はやはりお殿様だったんですね~。



↓東大社会学研究室の平井太郎さん(まちあるき検定でいつも解説をして下さる方です)の作られた清閑亭についての資料がご覧いただけます(PDF)
http://www.machien.net/about/seikan-tei-p.pdf

↓まちえん のブログ/先日の震災時の清閑亭の被害等を知ることができます。
http://machien5.exblog.jp/
私はこちらを読ませて頂いて・・・
「あ!『おだわら街歩き指南帳4』が出てる! 買わなきゃ!」でした。

星が山でケーキ・セットを頂きました

2011-03-22 08:45:13 | 小田原-食
オカメ桜を堪能したあとは~
レストランで美味しいお菓子とコーヒーを頂きましょう。

明るく眺めのよいレストランです。

丸木の柱や梁、天上には布、ライトのシェードは陶器・・・
あたたかみのある室内で・・・

まず桜湯がふるまわれます。

(これは 「オカメ桜祭り」期間中のサービスかな?)

折角なので 期間限定という
桜のシフォン・ケーキを注文してみました。

塩漬けの桜が使われた 春味のシフォン・ケーキでした^^)v

部屋の隅には お雛様が飾られていました。
 七段飾りに吊るし雛_

そして干支にちなんでか 兎のお人形も並んでいました。

ちょいとしどけないポーズの兎の姐さん達がお召しの衣、
大胆な色と柄の使い方が大正っぽいですねー。
そしてnumabe的には 姐さんの足の指が 日本人に多い「エジプト型」ではなく 第二指が長い「ギリシャ型」だ、 みたいなどうでもよいところが気になったりするのでしたー。

おしまい。