キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

『おぼしきこと言はぬは げにぞ腹ふくるる・・』

2011-05-25 16:41:23 | Weblog

「カメラでスケッチ」の題名で写真を気が向けば月に一、二枚ブログ投稿していたが鳩ポッポから汚沢と余りにお粗末だったので昨年1月13日から政治寸評を書き出したが短いものだった。それから1年4ヶ月過ぎた。日記さえ書いた経験ない『キツツキ』が毎日投稿しているのだから本人が驚く、時間が掛るだろうと言われるが資料を調べるのは手間が掛るが書き出せば一気呵成だスラスラと終わる。一寸休むと知人は旅行かな体調かな、などと気になるようだ。気にして貰えるのは有難い限りだ。書いても無駄だろうなんていう輩がいる。こういう手合いに掛れば日記など無駄の典型だろう。恥は掻けても書く能力がないのが余り人様の文筆に関わらぬことだ、はっきり言えば大きなお世話。恥の上塗りになる。新聞、ラジオ、テレビなどのマスコミだけだったのが今や 、ブログ、ツイッターなど個人の力は小さくても集まれば凄い威力になるから政府を脅かす武器にもなる、世界では政権が倒れている。各人が新聞社、放送局を開設したようなものだ。世界中で見聞きできるからある意味では既存のマスコミ以上だ。故に独裁国家は目を光らせて都合の悪い情報を消すのに躍起のようだ正に『ねずみ叩き』。中国などその典型だろう。約1000年前の『大鏡』の序文に「おぼしきこと言はぬは げにぞ腹ふくるる心地しける かかればこそ 昔の人はもの言はまほしくなれば 穴を掘りては言ひ入れはべりけめとおぼえはべり・・」とある。それから220年後兼好法師が『徒然草』に「おぼしき事言わぬは、腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ・・」と書いている。幸いに現代は誰でも個人の新聞、テレビを持っているようなものだ。書いていれば腹を膨らませなくても済むが『雨垂れ石を穿つ』だの気分。地味でも根気良く書いていれば賛同者も出てくる。写真は芍薬”立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花”昔から美人の形容に使うが最近は一見見目麗しくも言動が最低なのが多い、これも教育、躾が原因だろう。


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