カン政権成立に片棒担いでいた朝日が空きカンを公然と批判しだした。「最早限界を超えた(流行りのシーベルトみたいだ)。俺の顔見たくないなら再生エネ法を早く通せなどと最高権力者がこんな脅かしを言い放つ国に住む不幸を甘受せよというのか。出処進退をここまで軽く扱う首相もかってない。協調を損ねる乱雑な政治手法と自己の責任に無頓着な言葉の軽さ。それが菅政治の本質だ。最後に一日も早く首相退陣で政治の局面を転換しろ」と書いた。また別のコラムでは「近く辞めるはめとなった菅首相が再生エネを成立させろと粘りを見せている。これで有終の美を飾りたいのだろう」などと述べて「上海の研究者が震災後の日本を評して『国民は一流、官僚は二流、政治家は三流だ』と新聞の書いたのが話題になった。外国からこんな風にばかり見られて恥ずかしくないか。日本の政治家たちにはそろそろ国の信用をかけた行動を望みたい」などと今頃要望している。大体民主主義でない共産党独裁国家中国の人間がよく言うよ、独裁国家で言論の自由もない政治家はいない国だ。日本の一部マスコミや昔よく言った『進歩的文化人』や社民などの左翼政党にとっては憧れてはいるがいざ中国に移住したらと進めても嫌がって移住などしない。国歌、国旗を否定しても政府批判しても捕まる国だ。日本は御託を並べて知識人振ってコメンテーターで稼いでいられる天国だ、好き好んで言論の不自由な国に住む筈はない。自民時代は与党は悪玉、野党は善玉だった。民主政権になった途端与党善玉、野党悪玉に変わった。マスコミがなく機関紙と国家権力の宣伝放送の国だから批判していないが日本の新聞、テレビの連中も胸に手を当てて考えたらどうだ。政治家と五十歩百歩だろう、いやもっと政治屋より悪だ。それと判らぬように手を替え品を替え世論誘導をして念願のカン政権の誕生に一肌も二肌も脱ぎ、笛や太鼓で応援したではないか。ハトッポといいカンカラといいこんな程度の粗悪品と見抜けなかったのか、知ってはいたが己の信条を実行させるのに好都合ゆえ担いだまでか。大災害で被災地の復興どころか瓦礫の山はそのまま、原発から避難している住民の手当ても儘ならぬ、被災地、被災者からの要望は届かず、再生エネ法など急ぐ必要もないのに異常に執着しているアッケラカンを一日も早く引き摺り降ろすのが、人心を誘導して担ぎ上げたマスコミの責任だろう。戦前、戦中、戦後と巧みに己に責任など微塵もないように口を拭って社会の木鐸ぶっているが反省はないか。そうなると猿公(エテコウ)以下ということになる。写真は花菖蒲今年は開花が遅れた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます