現在進行中の熊本南部豪雨、“暴れ川”と呼ばれる球磨川では11カ所が氾濫、堤防決壊1カ所により多数の被害が出た特別養護老人ホーム「千寿園」のある球磨村や、人吉市など流域で死者51人、行方不明11人、約6100戸が浸水した。人的被害、物的被害は今後大きくなるだろう。球磨川は1963年から1965年まで3年連続大水害が続いた。1965年7月は梅雨前線の停滞で豪雨が降り続いて戦後最大の洪水が発生した。人吉市では市街地が広範囲で浸水し、八代市でも堤防が決壊。流域で家屋1281戸が損壊・流失し、1万戸以上が浸水したと報道された。国は1966年7月、治水を目的とした九州最大級の川辺川ダムを球磨川支流に建設する計画を発表。水没予定地の同県五木村から約500世帯が移転したが、地元組長、住民などにより反対運動の広がり、蒲島郁夫県知事が2008年9月に建設反対を表明したのに続き、2009年9月に民主党鳩山内閣が誕生、国交相になれた前原誠司(副は辻元清美)は嬉しくて、うれしくて、調子づき、声を弾ませて川辺川ダム、八ッ場ダム建設中止を明言しちゃった。その後、国と県、流域12市町村は川辺川ダムに代わる治水策の協議河道掘削や堤防かさ上げ、遊水地の設置などを組み合わせたダム代替案も概算事業費が2800億~1兆2千億円と膨大で工期も45年~200年というから途方もないお話だ。今回の球磨川氾濫による大被害が起こしたにも関わらず7月5日蒲島熊本県知事は川辺川ダム中止の決断は県民の意向だった、反対の方針に変わりがないと強調している。「大被害には大変なショックを受けた」とし「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった」「ダムによらない治水を極限まで検討する」「それをさらに考える機会を与えられた」とまるで他人事、蒲島の前職は東大教授、学者だ、2008年知事に当選、2020年4選を果たし13年目だが“十年一日の如し”何ら進歩がない。学者バカの典型だろう。民主主義は国会、都道府県、市町村の議員、知事、市町村長も国民が選んだ結果だ。良くも悪くも投票した選挙民の責任、ブーメラン結果だ。今回の水害をややもすれば天災で片付けるが、反対するだけで何ら対案もなく対策も取らなかった知事の人災でもある。群馬県の八ッ場ダムも民主党政権前原が工事を中断させたが、その後野田首相が再開を表明、自民政権に代わり完成させた。八ッ場ダムは試験貯水中だった昨年10月の台風19号で治水効果を発揮して、下流の荒川や江戸川、墨田川は氾濫しなかった。