みかん日記

省農薬ミカン園の様子や農薬ゼミの活動内容を伝えます。

自作農から利用農への転換

2007-09-07 10:58:12 | 不定期コラム
農地法:農水省が原則転換「自作農」から「利用農」へ 
 農林水産省は、戦後の農地制度の基本理念だった「自作農主義」を放棄する方針を固めた。耕作者自身が農地を所有することを原則とした農地法の規定を修正する方向で、来年の通常国会に同法改正案を提出する見通し。同省は農業の体質強化のために経営規模拡大を促す改革を進めているが、農地の「所有」よりも賃貸借などによる「利用」を重視した法体系に転換することで、大規模農家や法人に農地が集まりやすいようにする。
(2007年8月24日の毎日新聞より)

ちょっと古い記事ですが、大事だと思った&触れてみたかったので軽く書いてみます。

自作農とは自ら所有する農地を耕作による農業経営、利用農とは他人の所有する農地を耕作による農業経営、と考えると理解が楽です。利用農は小作農とほぼ同じ意味です。ただし、戦前戦中の小作と現代の小作は別々に考える必要があります。戦前戦中の小作は半ばプランテーションともなりかねない大地主制でした。戦後はその逆で、少数の小作が、多数の土地所有者の農地をカバーするという形です。

ここ何年間で農政は経営規模拡大のための施策を次から次へと打っています。品目横断対策もその一つです。ただ、例えば日本の農家の一戸あたりの耕地面積が1.8haなのに対しオーストラリアでは3385haと約2000倍の開きがあります。品目横断対策の面積要件の個別農家4haや集落営農20haも微々たるものです。とすれば、この政策の流れは、とてもでないが貿易自由化の対海外政策とは考えにくいし、もしそうであれば無謀なる挑戦と言っていいでしょう。

しかし、物事は色々な側面から見るもの。
まず、需給調整の「官から民へ」の流れです。
約10年ほど前、政府は膨大な赤字を計上していた食管を廃止しました。食管の存在意義は消費者の保護でした。今でこそ周囲に金に困って餓死したというのはニュースになるくらい珍しい出来事ですが、戦後まもなくは都市部の人が農村に食料を買い求めた時代でした。平成18年度の経済財政白書にも、十分な所得がないために食料が調達できない人の割合は数パーセント程度で先進諸国の中でもきわめて低い水準です。つまり、消費者の利益は確保されました。一方で、生産者の利益は年々と減少しています。特に水稲では地域米価の下落が止まらず、一方で生産費は下がりません。というか原油価格高騰などにより微増傾向すらうかがえます。そこに目を付けて個別補償を選挙公約に掲げる政党も出てきました。その必要性は否めません。しかし、国・地方とも財政状況が厳しい中、大きな財政負担は避けたいところです。経過措置としては有効ですが、本当の目標は経営体質の改善、農業経営の発展です。
そこで今、大規模化が急用とされています。数量を多くすると取引先を確保しやすくなります。また交渉力もアップするでしょう。また、規模の経済化により適正規模に近づき単位あたり生産費の低減になります。食管が廃止されて以降も主に農協による系統出荷が多く、経済事業の赤字を埋めるべく出荷価格は低いですから、本当の意味での民間主体には今のところなっていないといっても仕方ありません。途中小さくない混乱があるでしょうが、民間主体の需給調整が可能になれば事態は改善されるでしょう。

次に、農村部における少子高齢化です。都市部においても本当に高齢な方が多いなと感じますが、農村部ではそれ以上に進んでいます。都市部に比べて生活インフラが整わず、所得も少ないため、人が流出し、それが自治体の財政を悪化させ公共サービス水準が低下し、さらに人が集まらなくなる。経済が疲弊する。このようなスパイラルが繰り返され、地方間格差が大きな社会問題となっています。
農業の担い手の確保は喫緊の問題です。高齢となり、農業を続けられない人が増加しています。一方で、農業に興味を持ち、都市部から新規就農する人がいることも事実です。若い担い手に農地が円滑に集積する必要があります。でないと高齢者と新規就農者の両方が困り、農村が共倒れする恐れがあるからです。

以上のような考察からして大規模化が急がれているわけを理解しています。
しかし、現状では例えば需給が緩む中、とにかく販路を確保しようとする動きで余計に米が余っったり、生産現場が政策についていくのに時間がかかるのに政策が次々と変わっていく、さらに、市町村合併の弊害で(公共サービスの確保には市町村合併は必要不可欠だったと考えますが)営農指導がおろそかになったりと混乱が絶えません。

私は今の農水省の介入度合いが大きすぎると考えます。そこで農政においてもある程度の地方分権が必要です。日本全国生産条件が様々な一方で、ほぼ一律要件で線引きするのには限界があると考えます。どんな政策もそうですが、現場がきちんと動いてこそ一人前です。農政には、大胆かつ現場に対応した精巧な舵取りがいっそう求められています。(ナカオ)

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
定年退職農業 (しの)
2007-09-09 16:21:30
定年退職農業を始める人にとって
(もちろん若い人にとっても)
農地を買うところから始めるよりも
「利用農」の方が簡単ですよね

でも農地を買ったからには後には引けないという事もあったかもしれないけど、
「利用農」だと簡単にやめる人も出てきそうかも・・・

現状はどうなんでしょうか
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Unknown (ナカオ)
2007-09-09 22:24:18
私も当該人ではないので詳しくはないですが、一般的に農家は農地に対する家産意識が強く、なかなか手放しません。そうなると、全く地縁のない人が就農したときに農地の取得自体がものすごく困難になるわけです。新規就農者で全小作の人が多いのです。つまり、法律の趣旨が実態に合っていません。(農地法は自作農主義を小作地の所有制限項目によって達成しているだけなのでちょっと話がずれているかもしれませんが、、、)

それから高齢化が進む農村事情を考えたとき、小作の方が高齢者と若い担い手の両方の利益になると考えられます。つまり、高齢者は年金と小作料で生活し、若い担い手は有形固定資産が少ないことで身軽な経営が可能です。

あと簡単にやめるかやめないかは所有、貸借に関らず難しい問題ですね。もし所有してもその後転用してしたり、荒らして産廃廃棄場なんかになってしまえば話はもっと望ましくないです。

現状では、集落内の大規模農家や法人経営が集落の農地を集積するという体制をとれているところもあればうまくいっていないところもあります。
あと、簡単にやめるような人は、いるはいると思いますけど、なかなか集落の人(貸し手)の理解は得られないのではないのでしょうか?

農業という産業の元来の性質(3Kなど)が受け付けないのであればどうしようもないですが、大事なのはきちんと経済的に魅力ある産業になれるかどうかだと思います。

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Unknown (とみやま)
2007-09-12 18:39:49
つまり、農水省は現場に行くべきということですね。
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Unknown (ナカオ)
2007-09-13 00:20:11
そうですね。ただ役人曰く「我々の仕事は一部の人の利益を守ることではなく国民全体の利害調整をすることです」ので生産現場だけに目を向けては問題です。私もそれは国として当然だと思います。
ただし、環境が複雑化している現状だからこそ地方への権限委譲が必要だと考えるのです。ただし、対外措置などの問題もありますので国の働きも重要です。国・地方の調整機関があればと思います。あと税制や財源の線引きも難しいですね。
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