ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

旅立ち ~ シーマン2・北京原人育成キット ~ 育成日記(その9) ※完結

2008年02月28日 | ゲーム
 (育成13日目)

 目標金額の20,000円は、呆気なく達成することができた。
 朝イチで森を探索していたら、3,000円金貨を拾った。昨日の所持金と合わせて、脱出用のスニーカーを買うことができた。少し拍子抜けだ。

 スニーカーをユースケに渡すと、結構喜んで、すぐに履いていた。初めて見るモノなのに、ちゃんと用途が判るのは凄いことだ。改めて彼の知能の高さに驚いた。

 目標を達成したので、あくせく働く必要はなくなったが、何か不測の事態が発生しないとも限らないので、いつも通りに、午前と午後に乳搾りを行なって、1日が終了。

 夜のシーマンとのミィーティングで「目標達成おめでとう」と言われるのを期待していたのだが、何にも触れられなかった。意外とアッサリした奴だな。

 昨日作ったワインがビンテージ物と言うことで、11,000円で売れたのにはビックリ。牛乳とチーズと合わせると、1日の稼ぎは16,000円くらいになった。育成13日目にして最高の売り上げだ。シーマンからは「お前は凄い」と褒められて、いい気分になったところで育成キットの電源を切った。


 (育成14日目)

 目標のスニーカーを買ったので、島の水没が始まるのかと思ったが、なんの変化もなかった。いつも通りの日常だ。

 所持金に余裕があるので、『アロハシャツ』と『パン作りキット』を購入した。

 アロハシャツにスニーカーと言うユースケの外観は、毛皮をまとっただけの服装よりはマシになったが、下半身は葉っぱを付けただけなので、変な感じだ。相変わらずヒゲ面なので、これで街を歩いたりしたら、完全に捕まるな。不審者そのものだ。
 「半ズボンを買えるようになるかな?」と少し期待したが、シーマンは仕入れてくれなかった。もう終わりに近いので、細かいことはどうでもいいのかな?、シーマンの奴は・・。

 何の仕事もしないのもよくないので、小麦の育成&パン作りを行なった。
 小麦ができればパンを作ることができるようだ。小麦粉を作る『石うす』もキットに付いてきたので至れり尽くせりだ。午前中に小麦の種を植えて、午後に刈り取り&石うすによる小麦粉作りを行なって、夕方にパンを作った。ユースケも嫌々だったが、一連の作業をやってくれた。かまどでパンを焼いている時は楽しそうだったが・・。

 結局、何の変化も起きずに1日は終わったが、畑を耕し終わった時に、ユースケがマッサージを要求してきたのにはビックリ。言われるままに肩を揉んでやったが、だんだん偉そうになってなってきたのには複雑な気持ちになった。
 彼の父親のガブルエルは寡黙に働く男だったが、ユースケは嫌そうに働くので、見ていて気分が悪い。やはり働く父親の後姿を見ずに育ったのが影響しているのかもしれない。ニートよりはマシかもしれないが、もう少し労働意識や生活意識を持って欲しいな。

 と思いながら、育成14日目が終了。
 晩飯後の恒例のギター演奏では、ユースケが完璧に1曲を弾き語った。どうやら、彼は歌手で生きて行きたいようだ。それもいいだろう。彼の人生だし・・。

 明日は島が水没する。


 (育成15日目)

 約2週間にわたった『シーマン2・北京原人育成キット』による北京原人&人間の育成も今日で終わりだ。
 バーチャル体験だったが、彼らの日々の営みに、私が一喜一憂したのは紛れもない現実なので、この2週間は本当に楽しかった。前作も面白かったが、本作も面白かった。本当に色々な人、特に子供には遊んで欲しいソフトだ。

 最終日と言うこともあって、ナレーターの宝田明さんも名残惜しそうだ。
 「私に向かって、何か話しかけてくれ」と言う初めてのお願いをされたので、「おはよう」と話しかけたら、いたく感動して頂いた。宝田さん、さようなら。

 最後のシーマンとの朝のミィーティングの時に、意外な一言があった。
 「今まで稼いだ金は、すべて小切手にして旅立つユースケに渡す」
とのことだ。単なる金儲け主義のオーナーかと思っていたが、私心はまったくなかったようだ。自分のことを「天使と呼ばれたり、悪魔と呼ばれたりする」と言っていたので、彼こそが『神』なのかもしれない。神の手助けをできて、私も光栄だ。

 ミィーティングの後に見た島は、かなり水没していた。
 砂浜は完全に無くなってしまっている。ブドウや小麦を育てた畑も、牛乳やチーズを作らせてもらった乳牛も見当たらない。さびしい限りだ。そんな状況にもかかわらず、平気で寝ているユースケを叩き起こして、最終日が始まった。

 「ユースケに渡す小切手を『非常袋』に入れたので、それを探せ。これが最後のミッションだ」とシーマンに命じられたので、ユースケと二人で島中を探した。
 非常袋は簡単に見つかり、それ以外にも3,000円金貨がたくさん見つかったので、私も50,000円くらいは餞別をユースケに渡せることができたのはよかった。ただ、最終日に、こんなに簡単に多額のお金が入手できるんなら、ここ数日の苦労は何だったんだろう、と思ったのも事実だ。ソフトのバランスが悪いぞ。

 非常袋を見つけた後に、山頂に登る『ハシゴ』をユースケが発見。行く手を阻んでいる大岩を私が雷で破壊すると、ユースケは意気揚々とハシゴを登って山頂に向かった。

 山頂に生えている1本の木にぶら下がっている『シーマンを呼ぶための鐘』に興味を持ったユースケは、躊躇することなく鐘を鳴らした。そして、彼らは出会った。

 ユースケはシーマンに「貴方が携帯くんか?」と聞いたが、ここでシーマンが私の名前と年齢と職業をユースケに伝えた。おそらくユースケには何のことか判らなかったと思うが、バーチャルな彼とリアルな私が遭遇した最初で最後の瞬間だった。これで私も満足だ。2週間、このソフトを遊んだ甲斐があったと思う。

 その後、「この木でイカダを作って島を脱出しろ」とシーマンがユースケにアドバイス。「持っていくものを洞穴から取って来い」と言われたユースケは洞穴に戻った。そして、彼が山頂に戻ってきたと同時に日が暮れて夜になった。シーマンの姿はない・・。

 夜明けとともに、山頂以外が水没した島が出現。ユースケは無事のようだ。

 私の最後のミッションは、ユースケのイカダ作りを手伝うことだ。
 最後の1本の木を雷で破壊して『丸太』を作り、あたりに散らばっている『ロープ』を探し出してユースケに手渡した。もう、私のやることはない・・。

 むき出しのお尻を隠すことなく一心不乱にイカダを作るユースケの後姿を眺めながら最後の時間を過ごした。あの赤ん坊のユースケが、ここまで逞しくなったのは正直嬉しい。そして、イカダが出来上がった。とうとう別れの時が来た・・。

 イカダに愛用のギターとラジカセを乗せたユースケは、「これ以上、貴方に甘えて生きる自分が嫌だから旅立つ」と言う言葉を私に残して大海原に旅立っていった。さようなら、ユースケ、元気でな・・。

 どんどん小さくなっていくユースケの後姿をぼんやり見つめていると、シーマンが私の近くに降り立った。旅立つユースケを見ながら、シーマンにも別れを告げた。さようなら、シーマン、また会いましょう・・。


 「シーマン3が出たら宜しくお願いします。本当にありがとうございました」と言う宝田さんの言葉を最後に育成キットの電源を落とした。本当に勉強になる良いソフトだった。

 ガブリエルとルーシーとユースケに出会えたことは本当に良かった。
 短い期間だったが、彼らと毎日会う事が、私の生きる糧だったのは間違いない。


 (シーマン2・北京原人育成キット 育成日記完結)
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