六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

私も、産みたい

2005年04月01日 | 心や命のこと
 寝起きのボーっとした頭で読んだので、見事ヤラレまひた・・↓
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050401/mng_____tokuho__000.shtml

 さて、昨日のつづき。
 こどもが欲しい、ということについて。

 私は萩尾望都の愛読者。「トーマの心臓」は私の「バイブル」・・あの日あの時あの場所でこの作品に出会わなかったら、きっと私の人生は変わっていただろう、そんな作品だ。

 その中に、私が衝撃を受けたシーンがある。
 《死ぬ前日。トーマは、それまでつけていた日記を全て燃やした》・・

 なぜ? 信じられない、自分で自分の軌跡を、過去を、全部燃やして消してしまうなんて・・
 でも心のどこかで、おぼろげに理解してもいた。トーマは、自身が「そこにもここにも」在りたいとは思わなかったのだ。ただひとつ、ユーリの心の中に像を結ぶ姿だけが自分なのだと、言いたかったのだろう。

 それほど深く愛する人が、私にはあるだろうか。将来、現れるだろうか。

 十代の私には気の遠くなるような、大きな「人生の課題」をもらった気分だった。

 私はその時すでに、毎日ではないけれど日記を書いていた。
 今はまだ燃やせない、と思った。

 では、もし私なら、書き残した日記は誰に読んで欲しい?
 すぐに思い浮かんだのは「自分の娘に読んでほしい」ということ。
 でもそう考えるといつも、頭の片隅で赤信号が明滅するのも感じていた。
 それは違うぞ。私は間違っている。何かが違う、何かがおかしい・・

 大人になって子どもに関わる仕事をし、周囲から「先生」と呼ばれた。きちんと仕事をしたので評判は良かった。「え?先生はお子さんをお持ちじゃないんですか!子どもの扱いがうまいから2,3人は育ててらっしゃると思ってました」とよく言われた。
 ニッコリ笑って謙遜しながら、私はいつも心の中にヒンヤリ流れるものを感じていた(・・そう見えるでしょうけれど私、子どもができたらきっと殴ってしまう気がする・・)

 そう。私は間違っていた。知らず知らずのうちに、まだ生まれてもいないわが子に「侵入」をやらかしていたのだ。
 「私をわかって欲しい」
 そんなエゴ押し付けの対象として、私は漠然と「息子よりは娘を」と考え、「旦那はいらない、シングルマザーでいい」とさえ思っていたのだ。

 まぁ、空想止まりでしたけどね。危うかった~