六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

早く来い来い コウノトリ

2005年04月07日 | 心や命のこと
 谷山浩子の「デザートムーン(私のカラオケの十八番さ!^^)」じゃないけど、言葉の上では「愛」などわかっているつもりでいたし、好きだと思った人もいた。

 けれどダーリンに出会って、初めて湧き上がってきた感情があった。自分の中にこんな想いが存在していたなんて、心底おどろいた。
 ( このひとだ このひとのこどもが うみたい )

 そんなバカな、と最初は思った。なんだコレ?この感情は?
 絶対あたし、何かカンチガイしている。おかしいぞ、冷静になれ、と自分に言い聞かせて、何日間かはパニックだった。

 私は相当な「頭でっかち」である。頭で考え理屈で納得しなければ、行動できない性格(だから反射神経で動かなければならない球技なんかは大の苦手 ^^;)

 私は両親に問題アリの機能不全家族で育ったAC(アダルトチルドレン)だったし、兄が亡くなっているから実家も墓もゆくゆくは私がすべて引き受けなければならない。いずれは地元に帰らなければ・・理屈で考えれば私は、条件悪すぎな女。ダーリンは果たして、これらをクリアできる力量のある人物か?
 いやいやそれよりも先に、もっと大きな問題がある。ダーリンは私が考えていた「好きになるタイプの人」とは全然違っていたのだ・・!
 私が好きになるのは、外見も志向も行動も、こういうタイプの人じゃなかったはず・・頭が、理屈が、私を押しとどめる。
 ちがうだろう?  この人じゃないだろう?

 でも、何と言うか、体中の細胞が、ダーリンと出会ったことを喜んでいっせいに歌い出したみたいなのだ。まるで「白雪姫」の小人がいっぱいいっぱいいるみたいに、朗らかに、暢気に。
 ( わーいわーい このひとだ このひとだ このひとだ・・)

 それは性欲ではない。
 もっと体幹的でニュートラルな快感覚・・そう、ストレッチで全身が気持ちよく伸びた時の感じに似ている。あるいは、温泉に入ってノンビリした時のような。

 こういうのを、松田聖子は「ビビビ」と表現したのか?(笑)

 こんな体験は初めてだった。
 私はそれを信じてみることにした。

 ところで、私は美味しいもの好き。外食しまくるタイプのグルメではなく(貧乏だもん・・涙)スローフードを基本とする”素材グルメ”(^^)
 けれど365日3食つねに美食・健康食なわけではない。
 体調や精神状態によっては、不味いし身体にも良くないと分かっていながらジャンクフードやスナック菓子で腹を満たすことがある。
 そういう、アタマ(理性)とカラダ(感性)が一致しない時は大概、自分にとってはあまり良くない状態の時だ。「回復のためにはまぁしょーがない、たまにはいいサ」と自分で自分を騙し甘やかす、丁度「方便としての嘘」みたいな状態。

 だからダーリンと出会って、カラダの細胞がアタマ(理性)と全く逆のことを喋りだした時も、私は自分が良くない状態なんだと思った。こんなのを信じてはいけない、とアタマがささやく。私は間違っているんだ、きっとカンチガイしてるんだ、好きになるのは、こういうタイプの人じゃなかったはずだもの・・。

 初めてダーリンに出会ったのは、たしか付き合い始めるより2,3年も前だ。
 実は初対面を覚えていない・・(- -;)。ダーリンは私にとって、それほど印象が薄い人だった。
 それには理由がある。一緒の場で同じく初対面だった誰かと混同したのだと思うが、私はダーリンを既婚者だと思い込んだのだ。この人には妻がいて、ひょっとすると娘の一人くらいいて・・だから「つき合う男性として吟味する」対象には最初から入っていなかった。

 ・・女性は大抵そうだと思うけど、男性が独身か既婚者かって結構ワカルよね。男性のまわりに漂う「女の気配」とかも。
 こう、何というのかな、独身男性って「オレどう?オレどう?」みたいな雰囲気がある。既婚者にはそれが無くて「オレはいいや」みたいな、充足感からくる余裕みたいなのが漂っている。
 年齢もさることながら、ダーリンにはそういう「独身男性っぽくない雰囲気」があったので「妻と娘」というイメージが私の中ですんなり結びついてしまったのだ。

 後日、独身でフリーと知り、付き合い始めても、数ヶ月は「私の他に女性がいない」事が信じ難かった。
 ダーリンのふるまいが不誠実だったという意味ではない。
 彼は「オレどう?オレどう?」と私に寄りかかってこないのだ。余裕で「ひとりでそこに」立っている。

 そして過去に私が知る限り、《「オレどう?オレどう?」と寄りかかって来ない人》=《私を「女として」は見ていない人》であり、《私を必要としていない人》《私に関心が無い人》だった。
 だからこれはカンチガイだよ、とアタマ(理性)が警告を繰り返す。私が一人で勝手にのぼせているだけだ・・。

 でもダーリンは、ずっとそこに立っている。
 関心が無いなら「じゃあね」と去っていくはずなのに、いつまでも立ち去る気配がない。

 ・・どゆこと? 

 不思議でしょうがなかった。
 この人はどういう人なんだろう?何を考えているんだろう?

 初めて出会うタイプの人。友人知人にも、サークル活動やパーティやお見合いで出会った中にも、こういうタイプの男性はいなかった。

 ちょうどその頃、槇村さとるの「イマジン」や「二人歩きの設計図」を読んでいた。あと岩月謙司とか。

 よし。
 相手が「今まで出会ったことのないタイプ」なのだから、私も今までとは違う人間関係に、いっちょチャレンジしてみるか。・・と、持ち前の好奇心に火がついた(笑)

 ダーリンを相手に、パワーゲームはしない。
 私はまず真っ先に、この課題を自分の前に置いた。
 ACは「好きという気持ち」を支配や隷従の手段・口実に用いてしまいがち。「私を好き?好きならコレコレをやって。」「要求を聞いてくれないのは、私を好きじゃないのね?」「好きだから、不本意だけど従うわ」・・
 こういうのは、厳禁。

 また「安易に自分で傷つく」のも止めることにした。
 たとえば気持ちが伝わらなかった時「やっぱり私はダメなのね」とか「ダーリンは私を見ていない」とは解釈しない。そこにはただ「伝わらなかったという事実」が在るだけだ、挫けずにまた伝えればそれでオッケーなのだ、と自分に言いきかせた。
 身体が別で、育ち方も性別も違う、別な人格なのだもの、伝わらないのが当然・・。
 
 「ふつう」の人ならこんなこと、アタリマエだと思うだろう。でもAC育ちの身には、わくわくするような「新しい体験」だった。

 「そんなコトしてたら、ダーリンが私を見捨てて去ってしまうのではないか」と辛い時期もあった。でも「それなら所詮、それだけの関係だったと思うしかない」と開き直った。
 手を抜かずに、全力で大真面目に「レンアイ」する。それで破れても、ダーリンに出会う前に戻るだけだもの、何もコワイ事はない。私からは何も失われない。

 当のダーリンは、そんなふうに肩肘張って「レンアイ」している私の気持ちを知ってか知らずか、いつもマイペースで飄々としていた。

 そうして紡いできた日々。思うさま全力で「レンアイ」ができて、余は満足ぢゃ(笑)
 だから、思い残した感情を託す「分身としての娘」は、欲しいと思わなくなっていた。
 
 「思い残し」が無いから、もう「わが子に侵入」することは無い。根拠は無いけど(汗)そう確信できた。
 だから逆に、もう安心して子どもが持てるゾ(^^)
 はやく来い来い、コウノトリ!

 ・・そしてダーリンは「謎の人」のまま・・(笑)
 「オレはいいや」的余裕の理由や、妻と娘をイメージさせるほど濃厚に漂っていた女性の気配は何だったのか・・今も私は知らない。

 何度かダーリンに、過去を訊ねたこともある。
 でも決して口を割ろうと(^^;)しない。

 ものの本によれば、女性よりも男性の方が繊細で、「過去」や「過去の恋愛」を大切にし続けるそうだし、言いたがらない事を無理に訊いても良い事はない。もう訊くのはやめた。

 これでもし仮に私が、いわゆる「騙されて」いた状態だとしても、「いま、ここ」で私が感じるダーリン由来の幸福感は、ゆるがない。過ごしてきた日々の体験は、消えて無くならないもの。それだけをとってみても、ダーリンには感謝してもし尽くせないほどだ。

 第一、もうこの歳だもの、もし「まんまと騙されて」いたとしたら、それは自己責任っしょ(笑)