六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

24日は日比谷公会堂に居ました

2005年04月26日 | 文化・社会
 JR西日本 福知山線での列車事故、たいへんな事態ですね。被害に遭われた方々に心からのお見舞いと、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 24日はダーリンにくっついて、日比谷公会堂で行なわれた拉致問題の早期解決を願う国民集会に参加してきました。
 ダーリンがやたら早く会場に行きたがるので「え~、時間に余裕あるのに、なんで?」と思ったら、ダーリンの読みは正しかった・・会場に入りきらない人出!
 ぎりぎりセーフで私たちは建物内には入れましたが、その後も沢山の人がやってきて、結局、定員2千人の公会堂に6千人が集まったとの事。入りきらない人たちは戸外に設営された第二会場(急ごしらえなのでモニターとかも無しだったとか・・)で、第一会場から入れ替わり来る演者を待って、集会を盛り上げたとの事。皆さんの熱意をひしひしと感じる集会でした。

 その感想は・・日本って今、へんな国になっちゃってるなぁ、ってこと。いろんな事に真剣にならないと、浮かれてばかりいるとマジやばいんじゃないかなぁって思った。

 人権蹂躙の典型である拉致問題。その解決を訴える集会の中で、ある人が「『人権擁護』法案を通してはなりません!」と訴え、参加者は「もちろんだ!」と満場一致の賛同の拍手をおくる。「人権擁護」という美しいタイトルの法に反対する人々が訴えているのは、自国民の救出のみならず、政権の圧制に苦しむ他国の民衆さえも救い出すことにつながる、きわめて人道的なこと。

 もし仮に、半端な知識や関心で現状を見る人がいたら、一見どっちが正しいのか、こんがらかってしまうじゃないか。

 この奇妙なねじれ。
 これは、美辞麗句を隠れ蓑に、ある意図をもって蠢いている暗い「動き」が存在しているから・・としか思えませんね。

 やだよぅ。こわいよぅ。「冥い世界のこと」なんか知りたくない、「無かった事」にしたい・・。

 でも、これが現実なら、一有権者としても、逃避するわけにはいかないんだよねぇ。

 ちゃんと勉強をして、日々社会情勢に目を凝らして、表面的な見栄えの良さや耳に心地いいだけの言葉や目先の利益に惑わされないように、賢くならなきゃいけない。
 「無かった事」にしておけば「無い」ままでいてくれる、そんなうまい話は無い。そう思い込まされて「蚊帳の外」に置かれてほくほくしていることは、実は得でも何でもないんだ。冥い存在のはびこるのを許し、アッと気づいた時には足元をすくわれる、その畑を自ら耕しているようなもの。
 毒草の芽は、小さいうちに、日々丹念に摘み取らなければ。
 しかも、どれが毒草の芽なのか、ちゃんと判断できる目も養わなければと思う。自分の心の中にも、周囲の論調の中にも、日々芽生えてしまう「軽率」「偏見」「独善」「怠慢」「感情的反応」・・これらも同時に摘み取る力量が必要だ。

 改めてそう思い、気持ちを引き締めましたデス。