5年ほど前に山梨県で出会ったしあわせのくまさん(茶)
今年の夏に長野県で出会ったしあわせのくまさん(ベージュ)
2匹はめでたく結ばれました
お小遣いをためて、ぬいぐるみを買う年齢ではないけれど
ときどきどういうわけかフィーリングが合ってしまう奴らがいます。
不思議なものですが、ぬいぐるみに限らず
びびびとくるものってあるものです。
音楽にしろ、本にしろ、雑貨にしろ、人間にしろ・・・
この人が歌う曲は、耳にしっくりくるとか
この人が書く文は、するっと頭にしみこんでいくとか
この人のやる事は、ついつい引き込まれてしまうとか
根底には「人」がいることが多いけど。
なんていうか
しっくりくるもの
が、共通の人とは考えが似ていたりする。
それでいて
一番何考えているか分からなかったりもする。
でもそれは
決して嫌な気分じゃなくて
心の中で、うんうんってうなずき合って
とりあえず一緒に進んでいければ分からなくってもいいや
って気もする。
考えが似ていて
かつ
それを行動に移している人は
さらにあこがれる。
あこがれるっていうか
羨ましい、ずるい、いいな、すごい、が、ごちゃまぜになって
わくわくして
あー、この人に仕えたい、って思う。
変な意味じゃなく・・・
執事になります、とかゆうんじゃなく。
「恋」のつかない「愛」を注ぎたくなるんだよ。
わかるかな、わっかんないよな。
わたしもわからない。
なんか、さっき久しぶりに家のネットがつながったから
いろんなともだち、作家、芸能人、アーティストなどなどのブログをまとめ読みして
・・・それでこんなことを思った。
一方通行の発信なのに
こんな影響を持たせてくれるって
こいつら、すごいや、とか勝手に感心した。
その人たちの考えとか想いとか独白が、
しっくり自分の持つ何かにはまってくれてハッピーになった上で
やっぱりそういう人たちって言うのは
自分にとってどこか、良い意味で超えられない何かを持っているなぁと
おもうのです。
かっこつけの言葉だったら、何も感じないけれど
ふと書き付けた言葉が、たとえ良い事・正しい事じゃなくても
私を飲み込んでくれる力を持ってることが、あるんです。
もちろん、ブログに限らず普段の生活上でも、だけど。
「好き」という言葉を安売りしてはいけないだろうけど
そういう力を持つ人が、好きです。
私にはそれが出来なくても、少なくともココに書いた言葉たちが
誰かを傷つける刃にならないよう・・・思いつきも程々に書くようにします。。
そんな流れで・・・
ついこのまえ、私は大失敗をしでかしました。
関係している人は誰しも「大丈夫大丈夫」と言ってくれて
結局さいごも上手に処理をしてくれました。
だけど、
本当はそこで責任を取る「義務」があるにもかかわらず
その責任を果たす「権利」すら与えてもらえないことに
情けなさを感じて、ずっと悶々したものがどこかに残っていました。
「オトナ」と「オトナになりきれていないもの」の違い。
「まだ学生だから」「もっとオトナに頼りなさい」
優しさから出たはずの言葉が、全部ぐさぐさ刺さる気がする
そんな期間がつづいてました。
考えないようにしよう、と思って書くのをやめていたけれど
考えなければいけない時期ではあるわけで・・・。
フィーリングの合うもの同士で、学生時代は心地よく過ごせていた。
だけど、これからは隠すもの出すものうまく調整してヤリクリする必要がある
・・・ような気がしてる。でも胃が痛い。。。
にっこり笑顔は見えてるけれど、
目の前に透明のドアを閉めてる有名ブランドのイケメン店員さん
むすっと顔をしかめているけど
野っ原でシートをしいて面白そうな本や雑貨を売ってるおにいちゃん
さて、うまくやっていけそうなのはどっちなのか!?
目の前から数十メートル先に立てかかる鋼鉄で出来た頑丈で大きな盾と
自分の身をくるっと纏う薄いけどふわふわの毛布
本当に守ってくれるのはどっちなのか!?
最近、ひとりロダンです。
考える人ってことね。
空と君とのあいだで
答えのない問いを考える哲学は
心に害がない限りは必要だと思いますが。
「悩む力」と、なんとかさんも言ってるしね。
23歳11ヶ月、今日も私はヒトミシリン。
毛布にも、盾にもなれずに
低反発ポリウレタンな状態です・・・
今年の夏に長野県で出会ったしあわせのくまさん(ベージュ)
2匹はめでたく結ばれました
お小遣いをためて、ぬいぐるみを買う年齢ではないけれど
ときどきどういうわけかフィーリングが合ってしまう奴らがいます。
不思議なものですが、ぬいぐるみに限らず
びびびとくるものってあるものです。
音楽にしろ、本にしろ、雑貨にしろ、人間にしろ・・・
この人が歌う曲は、耳にしっくりくるとか
この人が書く文は、するっと頭にしみこんでいくとか
この人のやる事は、ついつい引き込まれてしまうとか
根底には「人」がいることが多いけど。
なんていうか
しっくりくるもの
が、共通の人とは考えが似ていたりする。
それでいて
一番何考えているか分からなかったりもする。
でもそれは
決して嫌な気分じゃなくて
心の中で、うんうんってうなずき合って
とりあえず一緒に進んでいければ分からなくってもいいや
って気もする。
考えが似ていて
かつ
それを行動に移している人は
さらにあこがれる。
あこがれるっていうか
羨ましい、ずるい、いいな、すごい、が、ごちゃまぜになって
わくわくして
あー、この人に仕えたい、って思う。
変な意味じゃなく・・・
執事になります、とかゆうんじゃなく。
「恋」のつかない「愛」を注ぎたくなるんだよ。
わかるかな、わっかんないよな。
わたしもわからない。
なんか、さっき久しぶりに家のネットがつながったから
いろんなともだち、作家、芸能人、アーティストなどなどのブログをまとめ読みして
・・・それでこんなことを思った。
一方通行の発信なのに
こんな影響を持たせてくれるって
こいつら、すごいや、とか勝手に感心した。
その人たちの考えとか想いとか独白が、
しっくり自分の持つ何かにはまってくれてハッピーになった上で
やっぱりそういう人たちって言うのは
自分にとってどこか、良い意味で超えられない何かを持っているなぁと
おもうのです。
かっこつけの言葉だったら、何も感じないけれど
ふと書き付けた言葉が、たとえ良い事・正しい事じゃなくても
私を飲み込んでくれる力を持ってることが、あるんです。
もちろん、ブログに限らず普段の生活上でも、だけど。
「好き」という言葉を安売りしてはいけないだろうけど
そういう力を持つ人が、好きです。
私にはそれが出来なくても、少なくともココに書いた言葉たちが
誰かを傷つける刃にならないよう・・・思いつきも程々に書くようにします。。
そんな流れで・・・
ついこのまえ、私は大失敗をしでかしました。
関係している人は誰しも「大丈夫大丈夫」と言ってくれて
結局さいごも上手に処理をしてくれました。
だけど、
本当はそこで責任を取る「義務」があるにもかかわらず
その責任を果たす「権利」すら与えてもらえないことに
情けなさを感じて、ずっと悶々したものがどこかに残っていました。
「オトナ」と「オトナになりきれていないもの」の違い。
「まだ学生だから」「もっとオトナに頼りなさい」
優しさから出たはずの言葉が、全部ぐさぐさ刺さる気がする
そんな期間がつづいてました。
考えないようにしよう、と思って書くのをやめていたけれど
考えなければいけない時期ではあるわけで・・・。
フィーリングの合うもの同士で、学生時代は心地よく過ごせていた。
だけど、これからは隠すもの出すものうまく調整してヤリクリする必要がある
・・・ような気がしてる。でも胃が痛い。。。
にっこり笑顔は見えてるけれど、
目の前に透明のドアを閉めてる有名ブランドのイケメン店員さん
むすっと顔をしかめているけど
野っ原でシートをしいて面白そうな本や雑貨を売ってるおにいちゃん
さて、うまくやっていけそうなのはどっちなのか!?
目の前から数十メートル先に立てかかる鋼鉄で出来た頑丈で大きな盾と
自分の身をくるっと纏う薄いけどふわふわの毛布
本当に守ってくれるのはどっちなのか!?
最近、ひとりロダンです。
考える人ってことね。
空と君とのあいだで
答えのない問いを考える哲学は
心に害がない限りは必要だと思いますが。
「悩む力」と、なんとかさんも言ってるしね。
23歳11ヶ月、今日も私はヒトミシリン。
毛布にも、盾にもなれずに
低反発ポリウレタンな状態です・・・
その責任を果たす「権利」すら与えてもらえないことに
情けなさを感じて、ずっと悶々したものがどこかに残っていました。
私の今の悩みと、まるっきり同じ・・・
同じすぎてびっくりしたよ
絶対私の失敗なのに、他の人たちが一生懸命何とかしようとしてる。
私が処理するより、たしかに早く処理できると思うけど、何も言わないのよ?
間違ってるよ、も。
ホントはこうするべきだったんだよ、も。
だったらまだ、ガツンと注意されたほうがまし。
まだまだ私、信頼されてないんだなーって、
ホントに最近へこんでおります・・・
そうなんだよね。
信頼の築き方って、難しいよね。
今までの関係が自然に作られてきたものだったから
すごく居心地良いけれど
オトナの人たちとうまくやる必要のある社会では
色々勉強しなきゃいけないなーって思った。
あべちゃんといっしょにどっか行きたい。。
湯治にいこうよー。。
相変わらず忙しい感じ??