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つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

たらふく食べたマツタケの思い出・・・

2006-09-28 | Weblog
 先日、岡山市内のデパートにマツタケの初物が入荷したと、テレビのローカルニュースで放送していた。たった5本だったが、値段は1本が万のつく代物で、すぐ予約・完売となったそうである。購入したのはおそらく高級料亭だろうが、それを食する客の目算がなければ買わないだろうし、何万円もする料理を食するセレブがいるという、我々には縁のない世界だ。それに「香りマツタケ、味シメジ」というように、香りを楽しむだけで、それほど飛びつきたい物ではない(負け惜しみ?)。 

 マツタケは、秋にアカマツやコメツガ、ツガなどの林の地上に生えるが、現在のところ栽培することができない。過去には日本でも多く取れたが、マツクイムシにより松林が被害にあったこと、乱獲と山林の開発、そして松の葉や枝を燃料として利用しなくなり松林が荒れたことなどが原因で、収穫量が少なくなったそうである。最近では韓国や北朝鮮、中国、チベットからの安い輸入物が多いが、日本産に比べると風味が落ちるという。

 私が子どもの頃、多分昭和25年頃だったか、マツタケは山にたくさん生えており、八百屋の店先には山盛り一皿いくらで売られていて、簡単に食べることができた。広島県の山間部は特にマツタケが多かったらしい。バカなって思うかもしれないが、マツタケをスライスして塩・コショウで炒めて、それだけをお弁当のおかずにしたというほど豊富で、安価であったということだ。みんな貧しかった時代だが、山に自生するマツタケだけは、だれもが豊富に食べることができる、唯一の自然の恵みであったのかもしれない。

 ある日、町内でマツタケ狩りに行こうということで、その頃、車といえばトラックかオート三輪くらいで、何人だったか大勢の人がトラックに乗って行ったことがある。父と姉弟が一緒だったと思うが、山を歩き回りマツタケを見つけるのが楽しかったことを思い出す。赤松の根元の、落ちている松葉がふんわり膨らんでいる下に生えていると教えられ、子どもでも意外と簡単に見つけられるほど豊富にあったということだ。そして、収穫したマツタケですき焼き、焼きマツタケなど、マツタケづくしで宴会が始まる。ゴザを敷いて持参した七輪に炭をおこして、車座になってすき焼き鍋を囲んだあの思い出は、どこの山だったか、他に誰がいたのかも定かでないが、お腹一杯に食べたマツタケづくしの宴の記憶は今でもはっきり覚えている。
 それにしてもあのマツタケ狩りは、無料で山に入れたのだろうか。現在は商売人などが、マツタケの時期になると、山での収穫の権利を買うそうである。それも何十万円とかいう高額で、収穫が少なければ損をするし、たくさんとれれば大儲けになる。雨の加減、日照の具合など、自然環境に左右されるだけに、これはもう賭けである。
 もう何年マツタケを買わないだろうか、貰った記憶も数年前だし、格安ツアーではマツタケは食べさせてくれないし、今度はいつ口に入るだろうか…。 
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