片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

1/26 古文書解読Gで現地見学会

2017-01-26 21:24:39 | 古文書

島田市堀本古文書館

  金谷宿大学の古文書グループで、最近まで講読していた大井川筋に関する文書に出てくる当時の河川管理、洪水防止対策に関する勉強で見学会が実施された。
午前中訪ねたのが堀本古文書館。
初倉地区の旧上河原村の元庄屋さんが開設している個人博物館だ。
明治16年に、江戸時代から続いた造り酒屋の屋敷を移築した古民家。
この地区は、大井川の川筋が400年前それまでの焼津方面に流れていたのが大きく牧之原側に遷移した時にその結果多くの村が流されて消滅した地区だ。
それ以降、村を再建するために、田畑の再開墾や川筋管理に多くの労力をつぎ込まざるを得なかった村々だった。
そんな苦労を記録する多くの古文書が堀本家に残されている。
江戸末までの年度ごとの年貢納入額を記録した文書もあり、堀本氏がそれを年度ごとのグラフに並べてみると、年貢額が一定期間ごとの谷がある。
これを大井川の洪水記録と照らし合わせると洪水被害で収穫できなくなって納入が困難になったことが判るという。
現在88歳の氏はこれまでも島田市市史編纂などにもかかわってきたが、彼のところに所蔵されている文書類や資料が散逸するのを恐れている。
また研究結果も纏め切れていないという。
周りの人を巻き込んで何とか継続をしたいと強く願っている。
彼の知識欲、研究熱心さにはとても歳を感じさせるものはない。

  昼食後は、解読した文書に記されていた河川管理の諸設備の実物を見学に向かった。
多くは、丸太や玉石、竹や粗朶を利用して流れを調整するものだ。
これらは川筋の各村々に出役が課せられ、資材代が支給されていた。
しかし、幕末の物価高騰でそれまでの金額ではとても賄えなくなって、値上げを嘆願する文書だった。


家山の聖牛(ひじりうし)のレプリカ。

  大井川筋で採用されていた設備は、急流で悩まされた富士川を抱える甲斐の武田家で考案されたものが多いようだ。
上流には今でも同様なものが現役であるらしいとの情報で更に大井川を上った。
しかし、予想した辺りで見つけることが出来んかった。


途中で大井川鉄道のSL と並走するようになった。


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