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片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

8/8 時差ボケ

2024-08-08 06:20:14 | 2024パリオリンピック

 数年前まで老婦人が不自由そうな足で車に乗って買い物をして生活する様子が見られたが、ここ一二年その姿見かけなくなった。そのうち不在が分かるような佇まいになった。今朝散歩で通ると、ガラス戸が少し開いていた。中には食器類が山積みになっている。ガラス戸をよく見ると、汚れたガラスに、「ご自由に」と記されている。多くの家族との暮らしが営まれていたころの様子に記憶はないが、その家族が使ったと思われる、何客もの数がそろった食器もみられる。生々しい家族の存在が忍ばれるようなものを、”ご自由に”持ち帰る人がいるとも思えない。

 6日夕方羽田に着き、夜帰宅したが、昨日も今朝も5時前に目が覚めてしまう。24時前に寝てもだめだ。昨日は朝早くにエリーを迎えに愛知と三重の境の木曽岬まで行った。道路が良くなって2時間で行けた。エリーはさすがにうれしそうで、すぐ飛びついてきた。顔をなめようと背伸びしてくる。

それで疲れたはずで、午後は日本の湿ったムッとする暑さに慣れられず、ぼおっと大谷君の野球を眺めて過ごした。それでも夜は眠りにつくことが難しかった。7時間を超える時差は暫く経験していなかったからだと思う。

 朝5時からの徒然、デスクトップでグーグルフォトを開いて眺めていた。大画面で見ると、スマホの画面では気付かなかった写真の細部までよく見える。スマホのカメラなので、映像としてはピントも画質もイマイチだが、大画面の迫力がそれを補ってくれる。黒田が言うように4Kで見たらどんなだろうと欲が出てくる。そうなると今のスマホではなくもっとカメラ性能の向上したスマホが欲しくなるだろう。今更カメラを持ち歩くことまではできないから。

 写真を眺めていると、今までに撮りためた新聞の切り抜きだとか、目についた本のスクリーンショットなどがあらわれてくる。もう忘れたものが多かった。そこで表題を図書館の蔵書検索にかけてみるといくつか在庫が見つかった。今日はこれを借りて来よう。そうすれば眠れぬ夜も何とか過ごすことができそうだ。

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8/5パリ第9日

2024-08-07 05:42:48 | 2024パリオリンピック

 午前中、買い物に出かけた妻や娘の留守の間モンタロウ、アサトの子守で宿に残った。子守といっても、二人ともタブレットばかりで何も手はかからない。時々水や菓子を出してやればいいだけだ。

同じ姿勢ばかりだと疲れるのか、時々奇抜な格好でタブレットを見ている。

 昼過ぎ外出していた娘たちが帰ってきたので、空港へ向かう時間までの隙間で一人街に出た。

右岸のポンピドゥーセンター辺りまで歩いた。センターの外面もオリンピック協賛だろうか。

センター前の広場でにぎやかにアフリカン音楽らしきものを演奏しているグループがあった。金儲けなのか自分たちの楽しみなのかよく分からない。この後、楽器を抱えて歌い演奏しながら歩き始めた。カフェが並んだ街を行き少し広いところがあるとまた止まって歌っていた。

ポンピドゥーセンターからオペラガルニエ辺りまでの路地はカフェやレストランが一杯だ。パリの街全体では、オリンピックによるインバウンド需要は期待外れらしいが、素人目には多くの観光客がいるように見える。

 依然来たときは目にしなかった、現代的な建物にぶつかった。フォーロム・デ・アールと言って昔の市場跡を再開発したらしい。ショッピングセンター映画館が入っているというが時間がないので外から眺めただけだ。

ビルの修理現場。どこをどう修理しているのかは分からないが、部分的な足場が屋根まで届いている。パリの街ではこうした部分修理は町のあちらこちらで行われている。東京のように広い面積全体でビルが更新されているようなところは街中では見られなかった。

帰国便には柔道やバレーボールなどオリンピックに出場した選手たちと一緒だった。斎藤選手の席も近くで私にとってゆったりのビジネスのシートが彼の寝姿はソファーで足を曲げ小さく丸まっているようで苦しげだった。娘のプレミアムエコノミーの席の隣は、柔道の兄妹選手が座っていたそうだ。なぜシートのランクが違うのかわからない。

 上はシャルル・ドゴール空港離陸後の写真。40数年前来た時初めて使ったが、できて間がないころで、日本ではまだ成田が揉めていたころだったと思う。この空港を作るとき7人の地権者と交渉すればよかったと聞いた記憶がある。

帰路は北極経由ではなく、中東から中国へ続くユーラシア大陸上空の旅だった。ヒマラヤの北方と思われるところ、雪がまだらに残っているが地形はよく分からない。

 羽田空港には多くのカメラが選手たちを待ち構えていた。

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8/4パリ第8日

2024-08-05 19:02:14 | 2024パリオリンピック

 夜は陸上競技の参観があるのでそれまで妻と2人だけで散策。モンタロウ達はエッフェル塔見学。

セーヌ沿いに歩いて修復中のノートルダムをみながら自然史博物館へ向う。途中ノミの市、骨董ガラクタの市が開かれていた。確かに殆どガラクタとしか見えない物も並べられていた。記念に何かと思って探すと、小さな刃が3つ組み込まれたナイフが目についた。値段を聞くと20 ユーロ4千円弱、値切れば3千円位にはなるかも知れないがしばし時間を置くことにした。

パリ大学横を通って自然史博物館に入る。

 自然史博物館は13世紀ルイ13世の時代に設けられた薬草園が起源だそうだ。

上の写真は進化大陳列館。ここの展示はユニークだ。

哺乳類の展示では多くの動物の剥製が展示されている。

鉱物陳列館では宝石になる鉱物中心に展示されている。モンタロウは入口近くに展示されている3トンの水晶に驚き喜んだという。

その後、セーヌ右岸に渡り、かつての高架鉄道の跡地が再開発されたというアトリエ街ヴィアデユック・デザールに回る。

日曜日なのでショップは全部閉まっている。高架鉄道の線路敷は数キロに渡って遊歩道になっている。

エッフェル塔やショッピングに行った娘から早く帰ってこいとの連絡が入ったので帰ることにした。

サン・ルイ島を抜けた。以前来た時はショップがいっぱいあった印象だが、日曜日の為か閑散としている。

夕方陸上競技のスタジアムへ。日本人選手は振るわず、決勝には残れなかった。

最後に行われた男の100メートル決勝ではほとんど横一線でゴールした。ほぼ9秒台のゴールだった。

その後のイルミネーション。入場時観客全員に渡された発光器が一斉に光りだす。大音響の音楽に合わせ様々なカラーが点滅する。スタジアム全体が一体化する面白い演出だ。

帰り、疲れて眠くなった二人を連れて電車に乗るのは無理なのでウーバーで全員乗れるタクシーを呼び帰ってきた。今回、スマホを利用する各種機能の発展に助けられた。観光施設の予約、入場チケットの入手、道案内、タクシーなど本当に便利で効率的になった。

 

 

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8/3パリ第7日

2024-08-04 03:49:10 | 2024パリオリンピック

 今日のオリンピック観戦はない。前から予約して合ったカタコンブ見学に全員で向かった。人間の骨や骸骨が沢山あるよと聞いても孫たちは少しも怖がらない。並べられた頭蓋骨には穴の空いたものもある。「鉄砲でうたれてしんだの?」等と質問してくる。

 娘がこのすぐ近くに住んでいたので来る度に参観しようとしたが、休日だったり長蛇の列だったりで一度も実現できなかった。二十数年振りにかなった。

カタコンブは古くからの採石場跡に十八世紀末から百年程掛けて市内のあちこちの共同墓地から遺骨を集めたそうだ。一部は教会としても利用されていたという。

 帰りに娘の旧居に回ってみた。多分上の写真のトラックのある辺りだ。一階で何時も窓を閉めていなければならなかった。本人も定かな記憶がもうない。

そこからはそれぞれ別行動になった。アサトがオリンピック開会式でマリアントワネットの首が斬り落とされた出し物の印象が強く、入れられた牢屋や斬り落とされた場所があると聞くとそこへ行きたいとなった。母親と3人で行くことになった。

 その場所コンセルジュリーに入場すると、タブレットを渡され、それが案内説明をしてくれるという。各箇所の印にかざすとバーチャルで当時の姿を再現して見せてくれる。例えば写真の大広間ではかつて王宮だったときの、各国大使を接待する宴会の模様。アサトはこれが気に入ってしまった。途中で飽きることなく見学できた。

 セーヌに出るとホテルの前の道が封鎖されて沿道に多くの人が集まっている。自転車のロードレースのコースになっていた。これが終わらないと道の反対側のホテルに戻ることができない。自転車は凄いスピードで目の前を過ぎてゆく。とても国名など認識できない。

 夜は孫と我ら夫婦だけでホテル自室で夕食、娘や娘夫婦は何処かの高級レストランへ出かけた。

 

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8/2 パリ第6日

2024-08-03 05:05:06 | 2024パリオリンピック

 

 今日は朝からのモンタロウが疲れがたまっていたため私が一緒にホテルに残った。

夕方ホテルを同じ系列の少し高級なセーヌ沿いのホテルに移る。

移る前のアパートメントホテルの部屋。別にダブルベッドの寝室がある。しかし、エアコンはない。暑い時は扇風機を回しっぱなしにする。出発前に高級な方が予約できたので後半をそちらに移った。しかし、前のホテルは全期間前払いしてあるとのこと。私の貧乏旅行とは全く違う。

今回のモンタロウの目的、ルーブルでモナリザを見ること。まだ少し疲れがあったが予約通り参観した。モナリザのみ見て出た。私は独りで観て回ったらと言われたが殆ど興味関心がなくなっていた。過去5回は訪れていると思うがこんな無感動は初めてだ。老人になったのだな。

出た後は、ホテルに帰るモンタロウ達と別れて、40年以上前初めてパリに来たとき泊まったホテルドウルーブルに回ってみた。

オペラガルニエに続く道沿いにある。古くは福沢諭吉も泊まったことのあるホテルだ。

ルーブルに面したこちら側の何処かの窓の部屋だ。

チュイルリー公園にはエッフェル塔のライトアップを待ってるのか芝には大勢の人が座っている。まだ9時だがライトアップまではまだ30分以上あるだろう。

 

帰り道ポンデザールを渡っているとき見た超ロングな遊覧船。

橋からの夕日。

ホテルの窓からの夕焼け、エッフェル塔がライトアップされているが写真には写らない。カルチェラタンを越してモンパルナスタワーも見える。

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