片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

12/31 カッパドキア2日目 レッドツアー(北ルート)

2015-01-01 12:13:36 | 2014/12 トルコ

宿には猫が何匹もいる。どれも人懐こい。


2階の角が我々の部屋。

 今朝予定していた気球は天候でキャンセルされた。
楽しみにしていた妻ががっかりした。

 カッパドキア巡りのツアーは予定通り、9時半に車が回ってきた。
客16人の半分が中国の若い女性だ。

 カッパドキアはトルコアジア部のアナトリアに位置している。
紀元前からヒッタイト系の民族が暮らしていた。
古くから交易の中心地として栄えていた。
その名前は「美しい馬」という意味だそうだ。
この呼称の範囲は時により変動して、現在はギョレメを中心に東西150キロ、南北100キロほどの範囲を指している。
キリスト教は初期段階から普及しており、当時の教会が岩の内部に多く設けられている。
今回のツアーもそんな教会群が残されている、野外博物館からスタートした。


お墓として私用された洞窟内部。

 穿たれた洞窟はチャペル、修行僧の居室や食堂、お墓にもなっている。


僧達の食堂、長いテーブルも岩を削り出してつくられている。

 昼食は陶器の盛んなアボノスの陶器工場の大きなレストランだ。
多くのツアーが集まってくる。
食後は見かけだけの作業場と売店に連れて行かれる。


細かな絵付けが行われている。

 キノコ型の岩はカルスト大地のプレートが浸食された谷の崖に多く存在している。
そんな岩を動物などに見立てて観光スポットにしている。


ラクダだそうだ。


カルストのシラスは鹿児島のそれとよく似ている。

 夕食は宿の前、川を挟んで直ぐのPumpkinという店。
妻がネットで調べ、評判が良いと昨晩訪ねたが予約だけだと断られた。
今夜来てみると、30あまりの椅子の数だけ予約を取るようだ。
1日の皿の数を限っている。
メニューも1つだけのセットメニューで、メインがチキンかビーフの選択になっている。
オーナーシェフが手が空くとこまめに客の席を回って感想を訊いている。
確かに、味はトルコで食した中では最高で他を大きく引き離している。
味だけでなく、盛り付けも心が込められている。
量も充分で、我々には多すぎる程だ。
値段も安い。
カッパドキア産の赤ワイン2杯付で100リラ、1人3千円だ。
しかし、好みだが、東京でなら評判になるほどのものではないかもしれない。


メインの牛肉煮込み。

 トルコにきてから、毎晩寝るのが早い。
8時には寝ている。
朝は3時頃には目が覚める。
夜明け前に前日分のブログを書いている。
6時頃になると、お祈りを促すアザーンの声が聞こえてくる。
ここカッパドキアは観光地のせいで遠慮しているのか音量が絞られているように感じる。
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12/30 イスタンブールからカッパドキアへ

2014-12-31 12:03:09 | 2014/12 トルコ

乾燥して樹木のないトルコ中央部の大地には多くの貯水池がもうけられている。
 
 カッパドキアの町カイセリ行きの機内は日本人の団体と韓国人の団体で半分近くを占めていた。
みぞれ混じりのイスタンブールを飛び立ち、アンカラ上空を過ぎると雲が晴れてきた。
カイセリに降りたときは快晴だ。
迎えの車で宿のあるギョレメに向かう。
少し標高を上げてきたがそれほど気温は下がらない。
カッパドキアを形作る元になった火山エルジェスは雪に覆われている。

 宿はストーンハウスケイブホテル、ガイドブックには中級と記されている。
それでもバスはジャグジー付だ。


ゆったりした広さだ。

機内で10時頃、軽食をとったので昼は持ってきたカップヌードルで済ます。

 食後、町を囲む丘に登ってみた。
町外れに群れていた犬の中から1匹が、我々を先導するように着いてきた。


丘の上から何事かを思うように街を見下ろす犬。

 街中でも本当にキノコ型の岩をくり抜いた家に住んでいるのはごく少ないようだったが、丘のまわりでも、窓や入口の穿かれた岩でも現在は使用されている様子はない。


ギョレメの町。


キノコの岩はあちこちにある。

 数億年前のエルジェスの噴火で火山灰や溶岩が数百mの層で積み重なっている。
それが雨で浸食されている谷に、削り残されてキノコ型の岩がある。


谷に切れ込んでいる以外の丘の上は平らで、耕作されているところもある。

 2時間ほど歩いて宿に戻った。
山歩き中ズット着いてきた犬も街に戻ると、役目を果たしたかのように離れていった。



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12/29 イスタンブール2日目

2014-12-30 11:28:39 | 2014/12 トルコ

下のテラスで結婚式があったようだ。

 夜明け前、窓を打つ風と雨に起こされた。
まるで嵐だ。
慌てて天気予報を見るとここ数日は悪天候が続く。
カッパドキアでの気球も可能性が低い。

 今朝は先ず、トプカピ宮殿を訪れる。
傘も使えない雨と風だ。
オープン直後なので大した列も無く入ることができた。
見学のエリアは3つ、宝物館、王の居住区、それとハレムだ。

入城門。

 トプカピといえば宝石となる。
4つの部屋が展示に使われている。
漁師が網に掛けて拾った原石をスプーン3本と交換したとされるダイアモンドは大きな卵ほどもある。
100キロ以上の金でできた人の背丈ばかりの燭台、ゴルフボール大のエメラルドが中心を飾る帽子など、金と宝石ばかりだ。
陶磁器の展示場が工事で入ることができなかったが、宝は金と宝石だけではないだろう。
確かに、偶像崇拝が禁止されているので、絵画や彫像は少なくなる。
ここが古代中国とは異なる。
しかし、アラビア文字のコーラン(正しくてはクアルーン?)の章句を書道のように表現したものもある。


ハレムの女性たちの居室。

 宮殿全体は、あれだけの財宝をかき集めることのできた大オスマン帝国の支配者の居城としては質素だ。
一般的な城のように防御のことを考える必要がなかったのかも知れない。


内部の壁はほとんどが、緻密なタイルのモザイクで彩られている。

 宮殿はボスポラス海峡に金角湾が切り込む場所の高台に、見下ろすように建っている。
前日のブログで、ガラタ橋はボスポラス海峡に架かっていると書いたが勘違いだった。
すでにヨーロッパ側に入った金角湾に架かっている。

 宮殿を出て、大雨にずぶ濡れになりながら昼食のレストランを探す。
流石の妻も文句を言う隙もなく、手近の店に飛び込む。
インド・スリランカのカレーのように、ここではケバブだ。
皿を注文すると必ずナンがついてくる。

 食後は地下宮殿を観る。
4世紀頃から造られた地下の大貯水池だ。
コリント様式の支えの列柱が並ぶ様は正に宮殿のようだ。
しかし、入口の英語表示はバジリカになっている。


幻想的にライトアップされた縦140m、横70mの空間。

 まだ3時前だが、雨に濡れて冷たいので一度宿に戻る。
部屋の暖房を強にして、服も身体も乾かす。
 
 夕方近くなって、まだ行ったことのない新市街へ向かった。
トラムで金角湾を渡り、洒落た通りだというイスティクラール通りを覗きにゆく。
トラムを降りて、信じられないほどの急坂を上ってゆくと、ガラタ塔の横にでた。
古代に灯台として造られたものだとか。



現在は改造されていてエレベーターがついている。
高さ60mあまりだが丘の上に建っているので見晴らしがいい。


旧市街方向の夜景が見える。

 イスティクラール通りは丘の天辺にある。
車が通らない歩行路になっている。
ただし、長さが1キロ以上あるので、アンティークなトラムが走っている。



 私は朱色のレインウェアの上下をまとっているので、黒ばかりが多いトルコの人達の中で、ひときは目を引くようで、奇異な目で注目を浴びた。

 夕食は、最近日本でもよく売られているケバブのサンドイッチを買って帰った。



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12/28 イスタンブール 1日目

2014-12-29 12:12:32 | 2014/12 トルコ

部屋から見るボスポラス海峡の日の出。

 昨夜は21時近くに宿に着いた。
スルタンアフメッドパレスホテルと予約書には記載されている。
しかし、「歩き方」にその名前がない。
住所を頼りに歩き出した。
ブルーモスクの東側にトランソックとその通りを見つけた。
繁華な雰囲気がなくなって薄暗くなる辺りに、スルタンアフメッドサライと表札の掲げられたら門があった。
「歩き方」にある名前だ。
違うと思い、更に路地を奥へむかおうとするが、もう奥には明かりも見えない。
駐車場があったので、門番に聞いてみるとさっきのサライがそうだという。
玄関を入って行くと、カウンターの男が先に私の名を呼んだ。
予約にある日本人の名前から推測したのだろう。
 部屋は三階の海峡に面したテラスに張り出した最上の部屋だった。
ベッドだけで日本のビジネスホテルの部屋が埋まるほどだ。


この2つの窓が部屋。

 今朝はゆっくり起きて、朝食を摂りながら、今後の予定を考えた。
大凡の目論見は持っていたが、こちらに来て、実際の移動を体験してみると、ガイドブックの案内通りには行きそうもなく想えてきた。まず、イスタンブールの滞在を1日延長した。
幸いというか不幸にもというか、同じ最上の部屋で延長できた。
大きな出費だ。

 宿は旧市街の真ん中、ブルーモスクなどのあるスルタンアフメッド広場のすぐ近くなので、観光客も多い。
ガイドブックには日本語で話しかけてくるのは気をつけろと書かれているのでそのつもりで歩いていると、確かに多い。
明らかに客引きらしいのもいるが、本当に親切からの人も多そうだ。
朝は先ず、トプカピ宮殿を訪れようと、夕べのトラムで通った同名の駅に向かおうとした。
その時話しかけてきた男がそこは同じ名前が使われているが、テオドシウスの城壁があるところで、宮殿はこの広場の反対側にあると教えられた。
まだ地図を充分読んでいない。
彼の、この時間は欧米の団体でいっぱいだから避けた方が良いとのアドバイスで、そのままトラムに乗り、テオドシウスの城壁に向かった。


城壁内部はホームレスの住処になっていて、観光客は誰もいない。

 この城壁はテオドシウスⅡ世が5世紀初めに築いた。
マルマラ海から金角湾まで7キロ程の大きさだ。
15世紀オスマン帝国に破られるまで、コンスタンティノープルを数々の侵略から防いできた。

 次は今回の旅の隠れた主目的の「サバサンド」を食べるためにガラタ橋へ向かった。


塩気の少ない焼きサバが野菜と挟まれている。

ボスポラス海峡に架かるこの橋のたもとでコッペパンに焼いたサバを挟んだサンドイッチを売っているのはもう50年近い昔誰かの旅行記で知った。
自分もいつの日かアジアを横断して、この海峡を越えヨーロッパに第一歩を着け、これを食すのだと心に決めていた。
この実現に50年近くも掛かろうとは思わなかった。
貪るように食べることを想像していたが、6リラ(3百円)のサンドイッチ一個を妻と半分こで充分昼食代わりになった。


川船で売っている。


路地をさ迷っているときに見た変わった色のトマト、野菜や果物は新鮮で種類も多い。


アヤソフィアに並ぶ人の列。

 明日、月曜日はアヤソフィアが休館なので先に観ることにする。
朝と違って多くの人が並んでいる。
朝の彼のアドバイスは何だったのだろうか。


壁の中に塗り込められていた、キリスト教の聖画。

 アヤソフィアは4世紀にキリスト教の教会として建設が始まり、6世紀にビザンツ様式の大聖堂として完成した。
15世紀オスマン帝国によりイスラム教のモスクに改造された。
20世紀に漆喰の下の聖像が発見された。
初代大統領アタチュルクが博物館として公開した。


ブルーモスクのドーム天井。
猛禽類の顔に見える。

ブルーモスクの見学を終え、裏に回って宿に戻ろうとしたときに、小さな旅行社が目に入った。
今後の予定を考える中で、あちこち多くを歩き回らずにゆっくりしたいという妻の要求で、次はカッパドキアに滞在する事にきめていた。
ただ、カッパドキアは広いし宿をどの町に取るのか、空港からの移動はなど調べることが多い。
私独りなら行き当たりバッタリでどんなホテルにも車でも構わないが、ホテルはバスタブのあるところにしろだとか注文の多い妻の要求に応えるにはネットだけの情報では不可能だ。
情報収集だけの積もりで入ったオフィスの男性担当者が意外にも誠実そうな男だった。
話を聞くうちに、飛行機、宿、気球やトレッキングなど全て含めて彼にアレンジしてもらうことにした。
1人5百ユーロをほぼ妥当と判断した。
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12/27 トルコへ出発

2014-12-28 05:07:14 | 2014/12 トルコ

ホテルのベランダからのブルーモスク。

 イスタンブール行きの直行便はウラジオストックの北からロシア大陸に入った。
バイカル湖、エカテリンブルクとロシア中央部を真西に横断。
モスクワ手前のカザン上空で南西に方向を変えた。
成田を13時に飛び立ってからずうっと、午後の太陽を、沈む方向へ追いかけることになる。
西の空の端がいつもうっすら茜色に染まっている。
氷雪に覆われたシベリアの大地は薄い雲に隠されることが多かった。
それでも雲が切れると、人間の気配を感じさせない寒々とした平原が見渡すことができる。
僅かに林や森の上だけが黒々と見える。


平らな大地を流れる川は至る所で蛇行を繰り返している。


西に行くに従って、道筋が見られるようになる。
しかし、集落や町らしきものはなかなか認められない。
中央アジアを過ぎて、薄暮が進んでくると、大雪原に小さな灯りの塊がポツンと見えてくる。
まるで電灯を消した部屋のストーブの中で、白い灰の中の埋もれ火が赤く幽かに輝くように見える。
長い時間薄暮の中を跳び続けたが、クリミア辺りで暗くなった。
12時間以上飛んで、イスタンブールアタチュルク空港に到着した。
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