白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸能と芸術-031

2012-11-30 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能

 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                                                        その031

 

 

人形特集-025

 

  

 最近は日本、中国、韓国の政治情勢が慌ただしくなって来ました。年末に掛けて選挙や何やらが行われるのでしょうか。筆者の居ります奄美大島の離島はいつでもノンビリ穏やかな空気が流れています。 外の世界とは隔絶された感じ

さて、先回まで長い時間を掛けて、M清子さんのコレクションの中の、市松人形を紹介してきました。素晴らしい人形ばかりでこのブログに載せる順番に困る位の名品ばかりでした。

先ずは M清子 さんへ筆者からご挨拶

長い間資料を提供していただき、厚く御礼申し上げます。コレクションの掲載によって、いろいろ教えられる事が多々有りました。当初、思いつきに近い状態で「人形特集」を組みましたが、だんだん熱を帯びとうとう25回を記録してしまいました。これからはここで得た知識を土台にして、連載中の「答礼人形」を内容をさらに豊かにして行きたいと願って居ります。

日本の長い伝統の中で培ってきた世界に冠たる芸術を、少しでも長く後世に伝えるお手伝いを致して行きたいと心の誓うような気持ちを持つに至りました。長い間本当にありがとうございました

さて、本日はM清子さんのコレクションの中で、筆者が特に好きな市松人形を5体好みで選ばしてもらいました。それを紹介します。

実は選ぶのが大変でした。数多くの中から選ぶというのは・・・・・やっとの思いで落としたのも沢山有るのですが、兎に角5体のみ・・・

先ず第1番目

市松人形(昭和)
丸平 大木平蔵人形店・作者 不明・43cm

 

 

コレクターの亡き祖母からお姉さんに贈られた市松だそうですが、その間の事情を除外しても、この市松が筆者の眼から見て、最高の名品と観ました。作者は不明で、関東の作者か、京都の作者かは正確には分かりませんが、京市松の最高峰だと思います。独特の気品と目鼻口の切り方をしております。

関東市松人形にも平田 郷陽を初め名人が製作した名品が揃っておりますが、この市松を超えることはないと思います。

こんなことを言ってしまうと何ですが、答礼人形の<倭 日出子>がこの市松でなくて良かったと思います。 (^-^)

 

第2番目

 市松人形(昭和)・松龍斎 太田徳久・答禮人形作者・38cm

 

第一番目の人形と偶然藤の地の着物です。顔立ちはまるで違いますが静かな顔立ちの完成度の高い作品です。 

 

市松人形(昭和)・岡本玉水・38cm

 

  

 顔立ちに人形らしい人を引き付ける魅力があります。高価そうな帯止めが付いています。撮影角度も影響しているのでしょうが、眼に魅力があります。

 

 自由人形(昭和)・38cm

 

  顔立ちから見ると京市松だと思いますが、とても可愛らしい。下の市松と同じく庶民性があり、感じの穏やかな人を引き付ける魅力を感じます。

 

市松人形(昭和)・玉翠・答禮人形作者・43cm

 

  比較的大きい人形なんですが、何とも愛らしい。小さな娘でしたら抱いて離さないでしょうね。そんな魅力があります。被服をしている珍しいケースの人形。

人が変わればいろいろな選び方が有りますので、後は好みでしょうか。でも、第1番目の市松人形は満場一致の人形ではないでしょうか。京都の御所人形や雛人形の伝統から生み出された、型だと思います。

人形の頭はこの様に造るのだ>という作者の心意気が感じられます。関東市松人形は「生き人形」の系譜から生まれ出ておりますので、その影響が感じられます。京市松には能面、関東市松には仏像製作の技術が透けて見えてきます。

これでM清子さんのコレクション人形のご紹介を終わります。

  

 

 

次回をまた、お楽しみに!  

 それでは<答礼人形>に移りましょう。    

 

           

 先回は<答礼人形>の現地調査が如何に難しいかを書いてみました。市松人形の頭の木地を同一の型のものから頭を作り出していますので、作者を特定すのに困難なことが有るのです。もう、専門家かしか分からないレベルですね。

 さて今回はMiss 徳島に入る前にお習いになりますが、答礼人形について再度少し書いてみましょう。

第一話

 

 

 1927年(昭和2年)に日本とアメリカの間で、「人形による民間外交」が行われました。日本側の代表者は渋沢 栄一氏、アメリカ側は宣教師シドニー・L・ギューリック氏。この二人を軸として日本の文部省、アメリカ政府が裏で協力し合いこの事業を成功させました。

日本人のアメリカ移民の方々とアメリカの国民の軋轢、当時の両国の政治経済の険悪な関係を民間レベルで、お互いの心を通じ合わせようと試みた、所謂、草の根運動でした。

先ず初めにアメリカから日本の子供たちに12,739体の人形が届けられました。そして、全国の小学校などに数百体づつ配られました。これが所謂<青い眼の人形>です。

 

 

それに対して日本側からはクリスマスに間に合うように、58体の市松人形を国民から募金を集めて、アメリカに答礼として贈られました。これが<答礼人形>と呼ばれるものでした。

市松人形58体の内7体は京都の老舗の人形店<大木平蔵人形店>に製作を依頼し、残る51体は東京の人形師がコンクール後選ばれて、人形本体を製作しました。コンクール第一は二代目平田 郷陽が獲得しました。

人形の頭は京都の職人は木彫り、東京は原型は瀧澤光龍斎が彫り、型抜きは小林岩四郎で桐塑でした。この人形本体から吉徳の山田徳兵衛を中心に11名の東西の人形師が完成させ、三越、白木屋、高島屋、松屋、などのデパートが最後の調整を行い、道具なども揃えてアメリカに贈ったのでした。 

 

 

Miss 徳島 続編)-001

 

 人形特集-006で初めて答礼人形をご紹介したのですが、この時に紹介した市松人形がこのMiss 徳島でした。不思議なことに先回ご紹介した本の著者「人形大使」の高岡 美知子さんが始めてアメリカで出会った人形も、このMiss 徳島でした。偶然とは云いながら、今ブログを書いていて、不思議な感じがします。 

                         Miss 徳島 

 

 高岡さんが校長を務めるワシントン州のスポーケン チニーコールズ博物館(ノースウエスト芸術文化会館)で、初めて出会ったそうです。痛みも少なく状態はその時も良好だったそうです。

下の写真は最近、日本のある人形師さん(東光工房)のところに修理に来た際の写真です。人形師さんの2010/11/13付けのブログで掲載されていた、修理が終わった状態の、Miss 徳島の顔です。可愛いでしょ。

 

            修復後のMiss 徳島 (Renkaさんから提供

 

 

 何度も何度も日本に帰国しているみたいですが?

良いことですね。頭は「瀧澤 光龍斎」作という説と「錦正」という説があります。愛くるしい顔立ちですね。

次回はMiss 徳島-002をお送りします。

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