お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

グーグーだって猫である(4)

2008年06月28日 | 本・雑誌・漫画
グーグーだって猫である(4)
大島 弓子
角川グループパブリッシング

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内容紹介
映画化決定! 2008年9月公開予定!
ビーがいなくなった。もしや猫取りに捕まった!? わたしはこの不安に耐えられるだろうか――。人気シリーズの第4弾も、個性豊かな猫が続々と登場。大島弓子さんと猫たちのハートフルな日々を描いたコミックエッセイ。

著者について
おおしま・ゆみこ 栃木県生まれ。短大在学中に『ポーラの涙』でデビュー。昭和53年より「月刊ララ」に掲載された『綿の国星』は、独特の豊かな豊かな感性で描かれ、大きな反響を呼ぶ。『ミモザ館でつかまえて』『夏のおわりのト短調』『パスカルの群』など多数の傑作を発表。常に少女漫画界でのニューウェイブとして活躍し、他のジャンルにも多大な影響を与える。


やはり「猫の時代」が来たのかもしれない。映画は小泉今日子主演。観たい。
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初めて、自分のお金で買った時計。

2008年06月28日 | エッセイ・日記・意見
僕の中高時代は、時計もカメラも父親のお古を貰って使っていた。今みたいに、安い時計が無かったからだ。写真は大学に入り、アルバイトをして買った「SEIKOシャリオ」。ちょうど30年前、二万円位した。クォーツ時計(水晶時計)だ。とてもとても嬉しかった。捨てられなくて今でも僕の机の上にある。
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渋谷の看板・・・

2008年06月28日 | エッセイ・日記・意見
「囲碁の殿堂」の「殿」の字が後から貼られているのは何故だろう。「殿堂」って言っていいのかなぁ。男女同権と言いつつ、何故女性は半額なのだろう。電車の「女性専用車両」も疑問に思う。
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副都心線は、東急東横線と将来、相互乗り入れするのだ。

2008年06月28日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
その為、副都心線の渋谷駅は4線ホームが既に作られていた。相互乗り入れが始まると、「東武東上線」「西武池袋線」「東京メトロ副都心線」「東急東横線」が相互に乗り入れする事になる。早く見たい、鉄チャンとしては。
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「日本語学校」「東京メトロ副都心線」、映画「JUNO」

2008年06月28日 | エッセイ・日記・意見
今日は、10:30~12:00まで、「日本語学校」の無料説明会に渋谷間で行く。自分の「新しい分野での生き方」を模索しているのだ。もちろん、テレビ局の仕事は一生懸命やるが、オフの時、何かできないものだろうか、定年退職した後に何かやれないだろうか、と前から思っていた。説明会に来ていたのは、これから就職する男子大学生とサラリーマンのおじさん、遅刻して来た女子大生らしい女性と僕。「日本語を喋られなくて、勉強したい外国人に日本語を教える資格」を取る為の学校だ。現職の先生に資料に基づき説明を受ける。いろいろ面白い話を伺った。仕事をしながら、420時間の授業を受けられるものなのか、授業料が家計から払えるか・・・そして、何よりも「自分が本当にしたい事なのか?」・・・気持ちの中では保留。ちょうど、渋谷に来たので、今月開通した「東京メトロ副都心線」で池袋まで。12:55から「シネ・リーブル池袋」で、「JUNO」という映画を観る。16歳の女子高生が妊娠し、どういう行動をとるかという話。温かい気持ちで観られた。映画館はガラガラ。同じビルの中にある「有機食材を使ったバイキング料理」の店で遅い昼食。JRで新宿に戻り、京王線で調布へ。「鍼」の治療。「不整脈」は6回に1度跳んでいた。帰宅後、昨夜深夜に放送されたバレーボールワールドグランプリ「日本×イタリア戦」をHDDで観る。ストレートで負けたが、全日本女子チームにはいろんな収穫があったと思う。長女は今日も午前中、サッカーの部活で、僕が帰宅してから、「ごくせん」の最終回の始まるまで、ソファーで熟睡していた。夕食に赤ワインを飲んで気持ち良くなる。今日は早く寝よう。
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沢田研二 SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years

2008年06月28日 | 歌・CD
沢田研二 SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years
沢田研二
USMジャパン

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内容紹介
沢田研二「ポリドール時代」のシングル音源をコンプリートに収録したCDBOXをリリース!!日本音楽史を飾るスーパー・スターのアーカイブ企画決定版です。
★初回生産分のみ"特典CD"未発売音源『晴れのちBLUE BOY (プロモーション用ロングバージョン)』付!!
ディスク22
1. サムライ
2. あなたに今夜はワインをふりかけ
ディスク23
1. ダーリング
2. お嬢さんお手上げだ
ディスク24
1. ヤマトより愛をこめて
2. 酔いどれ関係
ディスク25
1. LOVE(抱きしめたい)
2. 真夜中の喝采
ディスク26
1. カサブランカ・ダンディ
2. バタフライ革命
ディスク27
1. OH!ギャル
2. おまえのハートは札つきだ
ディスク28
1. ロンリー・ウルフ
2. アムネジア
ディスク29
1. TOKIO
2. I am I (俺は俺)
ディスク30
1. 恋のバッド・チューニング
2. 世紀末ブルース
ディスク31
1. 酒場でDABADA
2. 嘘はつけない
ディスク32
1. おまえがパラダイス
2. クライマックス
ディスク33
1. 渚のラブレター
2. バイバイジェラシー
ディスク34
1. ス・ト・リ・ッ・パ・ー
2. ジャンジャンロック
ディスク35
1. 麗人
2. 月曜日までお元気で
ディスク36
1. おまえにチェックイン
2. ZOKKON
ディスク37
1. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
2. ロマンティックはご一緒に
ディスク38
1. 背中まで45分
2. How Many "Good Bye"
ディスク39
1. 晴れのちBLUE BOY
2. 出来心でセンチメンタル
ディスク40
1. きめてやる今夜
2. 枯葉のように囁いて
ディスク41
1. どん底
2. 愛情物語
ディスク42
1. 渡り鳥 はぐれ鳥
2. New York Chic Connection
ディスク43
1. AMAPOLA(アマポーラ)
2. CHI SEI(君は誰)

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二、1948年6月25日 - )は、鳥取県生まれ、京都市出身の歌手、俳優、作曲家。ニックネームはジュリー。妻は田中裕子。1948年6月25日、母親の実家である鳥取県岩美郡津ノ井村(1963年に鳥取市へ編入:現鳥取市津ノ井)で、澤田松雄、智恵子(ちえ)夫妻の次男として誕生。戸籍上の名前では、“研”という文字の右下に点がある。5歳の時に、京都府京都市左京区浄土寺東田町にある(親族の)澤田家に移り、そこで育つ。京都市立第三錦林小学校、同岡崎中学校卒業後、1964年4月、京都府立鴨沂高等学校入学。中学では野球部に、高校では空手部に所属。
京都市下京区四条河原町にあったダンス喫茶「田園」でアルバイトをしている時、出演していたサンダースに声をかけられ、沢田はローディー兼ヴォーカリストとして加入する。その後、同じく田園に出演していたサリーとプレイボーイズのメンバーからリード・ヴォーカルとして誘われた沢田は、1965年12月に鴨沂高等学校を中退し、翌年の元日に正式にメンバーとして加入した。
沢田の参加を機に名前を"ファニーズ"に改めたバンドは早速、大阪府道頓堀にあったジャズ喫茶「ナンバ一番」のオーディションに合格する。そして、その翌月から専属バンドとしてローリング・ストーンズなどの洋楽コピーを演奏するようになった。田邊昭知や内田裕也などに芸能界入りを勧められ、同年の10月にこの喫茶店で行われたオーディションに合格し、翌月に新幹線で上京する。初出演となったCX系列のテレビ番組「ザ・ヒットパレード」の収録の日にすぎやまこういちによってバンド名をザ・タイガースに変更させられたあと、1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューを果たした。この頃メンバーのニックネームが決まり、沢田はジュリー・アンドリュースのファンだったことから「ジュリー」と呼ばれるようになった。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と続く「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」でブレイクしたザ・タイガースは、折りからのグループ・サウンズブームも相まって瞬く間にトップ・アイドルとなる。とりわけ、大きな瞳が特徴的な端正な風貌の沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルになった。急速に音楽シーンが多様化し、爆発的なブームにも退潮の兆しが見え始めた中で、沢田は1969年12月1日に初のソロ作品「JULIE」を発売し、それ以降は他のメンバーのソロ活動も多くなった。そして、1970年12月7日にザ・タイガースは解散を表明。翌年の1月24日に日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」を最後に、その活動に幕を下ろした。
ザ・タイガースの解散後もバンドとしての活動に固執した沢田は、ソロシンガーとしての活動を目論む所属事務所の意に反して、1971年の1月11日に新たなバンド・PYGを結成する。欧米で流行していたスーパーバンドを模した形で、ザ・テンプターズの萩原健一、大口広司、ザ・スパイダースの井上堯之と大野克夫、それにザ・タイガースの岸部おさみと沢田によって構成されたこのバンドは、井上をリーダーとして本格的なロック・バンドとしての活動を目指した。しかし、日本ではまだ反体制のジャンルという見解が根付いていたロックを、当時芸能業界最大手の事務所だった渡辺プロダクション所属のミュージシャンが演奏することに対して非難する向きもあり、従来のファンも新たなバンドの動向に違和感を示した。
1971年11月1日、萩原健一との連名によるPYGのサード・シングル「戻らない日々」と時を同じくして、沢田は初のソロ・シングル「君をのせて - MY BOAT FOR YOU -」を発表。さらに12月には2枚目のソロ・アルバム「JULIE II IN LONDON」を発表し、この頃から沢田と萩原はそれぞれの活動を展開するようになる。しかし、沢田のセカンド・シングル「許されない愛」がヒットし、第14回日本レコード大賞歌唱賞、第5回日本有線大賞優秀賞を受賞すると、その活動も形骸化していく。1972年のシングル「初めての涙」を最後に自然消滅に至ったPYGであるが、その後も70年代の中盤まで沢田はこのバンドの一員であるという意識をにじませる発言をたびたび残した。沢田はインタビュー記事などで時折、井上堯之バンドのことを「PYGの仲間」などと表現していたり、「一人の歌手として、またPYGの一員として…」などと自分の抱負を語っている。活動当時こそ肯定的な評価を受けることはなかったPYGだったが、これらの作品に対しては後年になってから再評価の機運が高まった。

井上堯之バンド
PYGは萩原が参加できるときだけその名を名乗り、参加できないときには沢田のバックバンドとして活動した。これがのちの井上堯之グループの前身である。その後井上堯之バンドと名乗り、バンド独自の活動もするが、基本的に沢田の専属のバックバンドとなる。これにより、国内の音楽シーンにおいて、歌手が専属バンドを率いた最初の例となった。1972年9月20日発売の沢田のシングル「死んでもいい」から、それまでバッキングを務めたケニー・ウッドオーケストラに代わって井上グループの名がクレジットされるようになった。PYGとしての活動を含め、専属のバンドに拘りを持っていた沢田は、当時「ヒット曲を出せば好きなことがいえる。バックバンドも好きなようにさせてもらえる」と発言しており、この曲のヒットによってその希望を実現した。沢田は初出場となった1972年の「第23回NHK紅白歌合戦」でも井上堯之バンドと共に出演している。当時からのファンの中には、沢田と井上堯之バンドを一つのロック・グループとして捉える者も多い。「沢田研二=井上堯之バンドのリード・ヴォーカル」という見方もできるほど、その結束力は精神面、サウンド面共に強いものであり、1980年に沢田と井上の音楽性の相違からバンドが解散するまでその密接な関係は維持された。

ソロ・キャリア
実質的なソロ活動元年となった1973年には、「危険なふたり」で第4回日本歌謡大賞を受賞した。この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降斬新なファッションが確立された。1975年5月発売のシングル「巴里にひとり」の仏語版「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」がフランスのヒットチャートでトップ10にランクインするなど、海外での活動も評価を得る。沢田が主役を演じたTBS系ドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌として同年の8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は、90万枚を超えるセールスを記録し、沢田にとっての最大級のヒット曲となった。同時期の伊藤エミとの結婚後も沢田は順調にスターダムを駆け上るものと思われたが、その矢先に新幹線暴行事件が起きる。1975年12月、帰京する沢田を待ち受け東京駅のホームに殺到したファンを整理していた国鉄職員の発言からトラブルとなり、相手に頭突きで軽傷を負わせ、さらに翌1976年5月、今度は新幹線車内で男性乗客に「いもジュリー」(「いもにいちゃん」という説もある)とからかわれたことからトラブルとなり、相手の口を殴って怪我を負わせた。一連の騒動によって沢田は6月15日から1カ月間謹慎。同年の「紅白歌合戦」や音楽賞に姿を現すことはなかった。しかし、謹慎から復帰した沢田は謝罪会見を経て精力的に活動を再開。復帰後に発表された2曲のトップ10ヒット「コバルトの季節の中で」と「さよならをいう気もない」を経て、1977年5月21日に発売されたシングル「勝手にしやがれ」は約90万枚を売り上げる大ヒットとなり、同年末の主要な賞レースを独占した。1978年には「LOVE (抱きしめたい)」でその年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。同年の「紅白歌合戦」では、それまで演歌歌手が独占していた大トリを初めてポップスの歌手として務めた。これらの一連のヒット曲の成功によって歌謡界を代表するスターとして頂点を極めた沢田は、歌番組のみならず、バラエティーやドラマ、映画、CMなどでも広く活躍した。代表的なものとしては、当時同じ事務所に所属していたザ・ドリフターズの志村けんとの「ドリフ大爆笑」や「8時だョ!全員集合」での共演コントがある。1979年11月からは日産自動車から発売されたブルーバード910型のCMキャラクターを務めた。歴代ブルーバードの伝統である高い走行性能や先進性と、人気絶頂にあった沢田が登場するCMの相乗効果で、この新型は自動車評論家や自動車ファンからも好評を博し、日本国内のミドルカークラスの販売台数で長期に渡ってNO.1を記録する大ヒット車種となった。その後、1983年10月にフルモデルチェンジされた新型のU11型(前期型まで)のCMキャラクターも引続き沢田が務め好評を博していた。70年代の後半は「テレビでジュリーをみない日はない」と言われるほどの過密スケジュールをこなした。当時高視聴率を得ていたランキング形式の歌番組でも常に上位を賑わし、本人曰く「いつもピカピカ一等賞」を目指した。当時の歌謡界において人気のバロメーター的な存在だったTBS系列の「ザ・ベストテン」では、1978年11月から1982年12月までの4年間に250週中54.4%を占める136週(138回分)に渡ってランクインを果たしている。
スーパースターとしての最前線を走る沢田にとって、ヒットチャートのランキングやレコード・セールスは重要な指標となっていた。1979年9月21日発売の「ロンリー・ウルフ」が、音楽的評価と裏腹にさほどヒットしなかったとき、この年の末の賞レースを早くから諦め、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の大ヒットで年初から突っ走っていた西城秀樹に「今年は西城クンの年や。オレの分まで頑張りや」などと激励したという。今日では一般的なステージを動きまわるアグレッシブなライブ・パフォーマンス、全国を縦断する大規模なコンサート・ツアーなど、当時の日本の音楽業界においてはまだ主流ではなかった活動を次々と取り入れた。また、さまざまなジャンルの著名なアーティストを作曲家に起用しただけでなく、自らクリエイターとしてソングライティングやプロデュースなどの分野にも活動の幅を拡げた。他の歌手にも多くの楽曲を提供し、なかでも1982年にアン・ルイスが歌った三浦百恵との共作曲「ラ・セゾン」はトップ10にランクインするヒットとなった。

過渡期
沢田がアーティストとしてとりわけ強く拘りを見せたのが、ヴィジュアル面であった。ザ・タイガースが、まだファッションに対して保守的だった1960年代の日本における初の長髪のアイドルとして物議を醸したように、ソロ活動を始めてからも沢田は「ヴィジュアル系の元祖」とも形容すべき奇抜なファッションや派手な振付で聴衆を驚かせた。「カサブランカ・ダンディ」でのウィスキーの霧吹き、「OH! ギャル」での女性用のメイク、「TOKIO」における電飾衣装にパラシュートを背負った姿や「恋のバッド・チューニング」で着用したカラー・コンタクトなど、シングルを発表するごとに沢田が披露した衣装や装飾は大きな話題を呼び、それは次第に過激なものになっていった。ただし、サウンド面よりもセールスやランキング、話題性を過度に意識したパフォーマンスを重視する沢田のスタンスに対して、長年活動を共にしたバックバンドのリーダーである井上堯之は違和感を覚え、「もう、これ以上ついていけない」としてバンドを解散させてしまう。井上バンドとの訣別は少なからぬ衝撃を沢田に与えたが、その後も吉田建を中心に"ALWAYS"、"渚のラブレターバンド"、"EXOTICS"といったバックバンドを相次いで編成し、あくまで専属のバンドに固執した。1981年9月21日発売のシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」でも派手な衣装で注目を集め、これは自身が作曲したオリジナル曲としては最高のセールスを記録した。1982年には「同窓会」と銘打った企画でザ・タイガースが11年ぶりに再結成する。瞳みのるを除くラインナップで復活し、シングル「色つきの女でいてくれよ」をヒットチャート上位にランクインさせ、武道館を含む全国ツアーも成功させた。しかし、のちに夫人となる女優の田中裕子との不倫が週刊誌で報道され、大きく非難された1983年ごろからレコード・セールスも下降線を辿り、デビュー以来常にヒット・チャートの上位に名を連ね、歌謡界の最前線で活躍してきた沢田にとって大きな転換期が訪れる。

独立
1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はザ・タイガースの一員としてのデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立し、傘下に"株式会社ココロ"を設立。さらにレコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍した。また、自叙伝「我が名はジュリー」(玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。音楽面では、チト河内を中心に新バンドCO-CoLOを結成して活動を再開し、これまでと異なるアプローチで臨むなど、この年は沢田自身が語るようにターニング・ポイントとなった。
1987年には離婚や恩師である渡辺晋の死、3月の京都公演中のステージからの転落事故とそれに伴う左肘骨折による1カ月の入院など、多くのアクシデントに見舞われた。この年の9月には、ファンクラブも解散している。その翌年には3年間活動を共にしたCO-CoLOを解散し、新たにKris Kringlを結成。また、同年の5月20日には、酒気帯び運転でタクシーに追突する交通事故を起こして書類送検され、1カ月の謹慎処分を受けた。1989年10月11日発売のアルバム「彼は眠れない」では、サウンド面における方向性を再転換し、村上'ポンタ'秀一を迎えて結成した新バンドJAZZ MASTERと共に精力的にライブ活動を展開した。この年から、10年間に渡って継続する音楽劇 ACTシリーズもスタートした。年末の「紅白歌合戦」ではソロでの他、ザ・タイガースとしても出場し、同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場したことで話題になった。1992年頃からは、変貌する芸能界を嫌って沢田のメディアへの露出は極端に減少し、往年のヒット曲や過去の栄光、メディアを通じて作られた自身の虚像に拘束されることを拒否するスタンスを示す。その一方で、1991年の25周年記念武道館公演や1996年の30周年記念アルバム「愛まで待てない」など、長いキャリアをふりかえる記念行事もたびたび行った。「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」として、1995年以降のアルバムではすべて沢田がセルフ・プロデュースを手がけている。いわゆる団塊の世代に属する沢田は、「同年代の人たちが元気になるような音楽を作っていきたい」と述べている。

近年
1997年には岸部一徳、森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成。2001年からは頑ななまでのメディアに対する姿勢を緩め、頻繁にテレビ番組などにも登場するようになったことで、久々に話題を提供した。その翌年には自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。以降、このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムは独特のパッケージ・デザインを施されているものが多い。2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤「Royal Straight Flush」がオリコンの邦楽アルバムTOP50にランクインして話題となった。また、同年には、地方公演ドタキャン事件も起きている。原因は、主催者側との契約にある、規定動員数に達しない場合、コンサートを行わないということから起きている。2006年には加瀬邦彦とワイルドワンズの40周年記念公演に参加し、ゲスト出演ながら久々に日本武道館で熱唱した。歌手活動以外では、パチンコ台として沢田本人をモチーフにした「CRフィーバー ジュリー・ザ・ピンボール」(SANKYO)(発表記者会見もなく本人もあまり話題にすることはなかった)が3月から登場した。
現在も、毎年新曲とアルバムをリリースしてコンサート・ツアーを展開。年齢を感じさせないステージングでファンを魅了している。ここ数年はシングルとアルバムの制作、正月とアルバムリリース後のコンサート・ツアー、それに年1-2回の舞台出演がワーキング・パターンとなっている。2007年8月4日、東京・渋谷のC.C.Lemonホールで全国ツアーをスタート。同年8月1日に亡くなった阿久悠に対し、沢田は喪章を付けてステージに登場し、往年の代表曲を観客とともに熱唱して捧げたという。偉大であった作詞家阿久悠の死後、多くの追悼番組がテレビで組まれ、往年の映像と歌唱を目にした人々の間で再び人気が再燃している。その傾向を示すように2008年の正月公演は、最終日の東京C.C.Lemonホールのチケットが発売早々に完売した。また同年には恒例のアルバムをリリース。また自身の60歳の誕生日でもある6月25日にC.C.Lemonホールで開催されたコンサート内で、11月29日に京セラドーム大阪と12月3日に東京ドームで人間60年・ジュリー祭りと銘打った初のドームコンサートを開催すると発表した。尚、開催されると日本人アーチストで最年長のドームコンサート開催となる。

功績
ザ・タイガースは日本で初めての長髪の男性アイドルである。当時は「長髪=不良」の偏見が根強く残っており、保護者らによってタイガースの公演会場から中高生が締め出されたり、人気のピーク時にもロッテ歌のアルバム・NHK紅白歌合戦への出場が叶わないという事態が発生した状況であった。1968年8月12日にザ・タイガースが後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は日本で初めてのスタジアムライブである。1971年1月24日のザ・タイガース「ビューティフル・コンサート」(解散コンサート)は日本人として初めての日本武道館単独公演であった。
PYG時代、初めてロンドンブーツを衣装に取り入れた。
1974年には「Rock'n Julie」と題された公演が行われているが、これは日本で初めての全国ツアーである(16都市34公演)。さらに沢田はソロ活動初期において、PYGから派生した井上堯之バンドと活動を共にしていたが、これは一歌手専属としては日本で初めての、ロックコンボスタイルのバックバンドである。
「MON AMOUR JE VIENS DUBOUT DU MONDE」(邦題:「巴里にひとり」)は日本人として初めてフランスのヒットチャートにBEST10入りした楽曲である。
1978年の第29回NHK紅白歌合戦で紅白史上初めて演歌歌手以外で大トリを勤めた。
1989年の第40回NHK紅白歌合戦で紅白史上初めて1回の紅白で2度出演を果たした(ソロとザ・タイガースとして)。
2008年11月29日の京セラドーム大阪と12月3日の東京ドームでの還暦記念ライブは、日本人アーティストのドーム公演史上最年長記録である。
デビュー以来約40年間、毎年必ず新作アルバムを発表し、1974年以降毎年全国ツアーを開催している。 これは他に例を見ない連続記録という記事がある。

こだわり
懐メロ番組、のど自慢番組の類には出演しない。「食事をしたお客の前で歌いたくない」とのことからディナーショーは行わない(トークショーは行っている)。
コンサートでは毎年発表するアルバムの曲を中心に構成される。ステージではレディメイドでなくオリジナル衣装(早川タケジデザイン)に身を包む。2001年からCDジャケットに自身の写真を載せていない。2001年から過去曲のみでのテレビ番組出演を拒んではいないが、紅白歌合戦への出演オファーは断っている。

凄い歌手
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結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日

2008年06月28日 | 本・雑誌・漫画
結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日
益田 ミリ
幻冬舎

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内容(「MARC」データベースより)
ときどき不安になる。このまま歳とっていくと、どうなるんだろうって-。夫なし男なし35歳。嫌いなことば「自分探し」。貯金、200万円。大逆転はなくても「あした」がある! 異色4コマ漫画。


この著者の「ものの見方」は「楽天的で、ユーモアに満ちている」ので大好きだ。
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新版 スワンの怒り

2008年06月28日 | 本・雑誌・漫画
新版 スワンの怒り(二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション) (二見文庫 ジ 3-24 ザ・ミステリ・コレクション)
アイリス・ジョハンセン
二見書房

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内容紹介
'97年初版以来、大ロングセラーを記録している人気作品が
装いを新たに再登場!

――エリート銀行家の妻、ネル・コールダーの平穏な人生は、ある夜を境にすべてが一変する。
幼い愛娘と夫は、なぜ殺されなければならなかったのか?
みずからも瀕死の重傷を負い、整形手術をへて一命をとりとめた彼女は、復讐を誓う。
優雅な白鳥のごとき絶世の美女に生まれ変わったネルは、謎めいた魅力的な男ニコラスの協力を得て、闇の深部へと挑んでゆくが……?

全米を魅了し、国内でも20万部近くを売り上げた
華麗なるロマンティック・サスペンス!!

著者について
アイリス・ジョハンセン

全世界で2500万部以上の売り上げを記録するベストセラー作家。主な作品に 『スワンの怒り』 『風のペガサス』 『いま炎のように』
『氷の宮殿』 『星に永遠の願いを』『青き騎士との誓い』 (いずれも二見文庫) 『そして、さよならを告げよう』 (ヴィレッジブックス) ほか。
現在、ジョージア州アトランタ郊外に在住。


昼ドラの原作向きな話。
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蟹工船

2008年06月28日 | 本・雑誌・漫画
蟹工船

北星

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蟹工船 (まんがで読破)
小林 多喜二
イースト・プレス

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マンガ蟹工船―30分で読める…大学生のための
藤生 ゴオ,白樺文学館多喜二ライブラリー,小林 多喜二
東銀座出版社

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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小林 多喜二
1903(明治36)年10月13日、秋田・大館生まれ。4歳の時、一家は小樽に移住。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。在学当時から志賀直哉と文通し、北海道拓殖銀行に勤務するかたわら志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤らの作にも学びながら文学修行した。『戦旗』に発表の「一九二八年三月十五日」(28年)、「蟹工船」(29年)でプロレタリア文学の金字塔を築き、「不在地主」(『中央公論』)発表を機に拓銀を解雇されて上京。以後は作家として一意専心し、31年日本プロレタリア作家同盟書記長として、満州事変後の日本の侵略戦争の拡大に先頭に立って反対し、当時非合法におかれていた日本共産党に入党。32年春のプロレタリア文化運動に対する大弾圧で地下活動に入り、33年2月20日、特高に検挙・拷問死させられた

藤生 ゴオ
群馬生まれ。商業デザインの仕事を経て、漫画・イラストなどを描く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


先日も書いたが、「格差社会」のせいなのか、「蟹工船」が売れている。大型書店では山積みになっていた。小説は去年の70倍の売れ行きだとか。びっくりだ。
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兵庫のおじさん語録

2008年06月28日 | 本・雑誌・漫画
兵庫のおじさん語録
兵庫のおじさん
講談社

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内容紹介
目先の役立ち本探してる奴はアホ!
黙ってこれショッピングカートに入れなアカン(黒笑)。

「住宅ローン」「ダイエット」「痴漢冤罪」「ひきこもり」「インフレ」「KY」
「年齢詐称」などなど、現代社会のあらゆる問題に根本的な解決法を与える”救
いの書”が登場します!
ズバリ答えるのは、著者である兵庫のおじさん。過去、様々な大業を成し遂げた
偉人の陰に必ずといっていいほど存在したと言われる伝説の人物です。今回、つ
いに重い腰を上げて表舞台に現れ、この本の出版に至りました。
偉そうな上から目線ではなく、愛に満ちた「真上から目線」。とぼけた(笑)で
はなく、現代社会を鋭く風刺した「(黒笑)」というユーモア。目先だけの応急
措置的な解決策ではなく、「コペルニクス的なシフトチェンジ」を駆使した抜本
的な解決策の提示。おじさんが今までに培ったノウハウを惜しげもなく公開し、
我々に救いの一手を差し出してくれています。
21世紀最大の奇跡ともいえるこの一冊、ぜひお手に取って、「心の常備薬」とし
てお読みいただけることを切に願ってなりません。

著者について
兵庫県生まれ。
テポドンで竹を割ったような性格。
長年にわたり、ロシア周辺、中南米、中近東、ユーラシア奥地、アフリカなどの
独裁的政治家とビジネスを通じて独自の交遊を深める。
たった1人での、その類い稀なる経験を通じ、CIA、旧KGBを足して2で割ったよ
うなノウハウを蓄積。
現在、「日本お暴力振興会」をはじめ、79のNPO法人で理事長を務め、世界中を愛
で尽くす活動に邁進中。
愛の伝道者としての活動は歴史に深く名を残しており、古今東西の芸術家、政治
家、宗教家、企業家、軍人、発明家、学者などから心の師と崇められ、請われる
ままに、様々なコンセプトやアイデアを惜しげもなく無償で提供し続けてきた。
近年は、新宿界隈に居を定め、芸能活動も開始。日本中の迷える子羊に愛と勇気
を与えている。
好きな食べ物は、グラム2万の和牛肉、レバ刺し。


メッチャおもろい。必読。
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新宿ゴールデン街・花園街案内

2008年06月28日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
新宿ゴールデン街・花園街案内
小川 美千子; 川口 有紀
ダイヤモンド社

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新宿ゴールデン街に通って13年。この本には僕の行きつけの店は載っていなかったが、他の店にも行ってみたいと思っていたので、こういう本は助かる。今どき、ボトルキープさえしていれば、どれだけ飲んでも食べても一人2000円という店はそうそう無い。ゴールデン街という街の雰囲気も好きだ。「吉本興業」の東京本社がすぐ北に移転して来たので、ちょっと、「吉本の話」はしずらくなったが・・・
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情熱大陸×小栗 旬 プレミアム・エディション

2008年06月28日 | 映画・DVD・ビデオ
情熱大陸×小栗 旬 プレミアム・エディション

ジェネオン エンタテインメント

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内容紹介
200日にわたって小栗旬に密着した“情熱大陸”。
仕事に突っ走り、恋愛を語り、友情を大切にする24歳。そこから見えてきた小栗の「今」を伝える。
遂に待望のDVD化!!

“情熱大陸” 初の2週に渡っての放送となった本篇と、
小栗 旬の新たな追加インタビューを特典ディスクに収録したプレミアム・エディション(初回限定生産)


【映像特典】
●小栗 旬 情熱大陸 再延長戦(最新インタビュー 撮り下ろし)


【商品仕様】
商品構成:
◇デジパック仕様/クリアケース付き
◇DVD2枚組(本篇ディスク約45分+特典ディスク約30分 予定)
◇特典ディスク:小栗 旬 情熱大陸 再延長戦(撮り下ろし)
◇ブックレット(34P予定)
・活字で振り返る、情熱大陸×小栗 旬
・小栗 旬へ プロデューサーからの手紙
・重松清氏による寄稿
・小栗 旬200日を取材メモなどで構成する番組メイキング 他(予定)


【スタッフ】
演出:茂原雄二 ナレーター:窪田等 撮影:松永朋広、三好保彦、市川元樹 音効:井田栄司
制作協力:SLOWHAND プロデューサー:中野伸二、井口岳洋、伊豆田知子 (C)2008 毎日放送・スローハンド


【キャスト】
小栗旬


【本編収録内容】
「情熱大陸」史上初めて、2週にわたって伝える小栗旬の”今”。
平均視聴率が20%を超えたドラマ「花より男子」で、大富豪で容姿端麗な”花沢類”を演じたかと思えば、
映画「クローズZERO」では札付きの不良を見事に演じきった。まさに今もっとも”旬”な男が、小栗旬だ。
「自分に依頼が来た仕事は断らない」という姿勢から、ラジオ、CM、アニメの声優など小栗を見ない日はないくらいの活躍ぶりだ。中でも舞台は一番好きだとか。
蜷川幸雄演出作品にはこの4年間で5本も出演し、最新作はアルベール・カミュ原作の『カリギュラ』だ。
情熱大陸では、2007年5月から半年にわたって小栗に密着。
仕事に突っ走り、恋愛を語り、友情を大切にする24歳。
そこから見えてきた小栗の「今」を伝える。


【テレビ オンエア情報】
2007年 11月11日・11月18日 放送
MBS・TBS系全国ネット
毎週日曜日23:00~オンエア


※この本編映像には著作権上の理由により、放送時とは一部音楽、映像の差し替えがございます。あらかじめご了承下さい。

同時発売(予定)
●情熱大陸×小栗 旬 通常版 GNBW-7551 税込¥3,990
●情熱大陸×村 公一×矢澤知枝×福島 智GNBW-7553 税込¥3,990

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2007年11月11日・18日。2週にわたりTBS系で放映された小栗旬の密着ドキュメント。間口をせばめず、さまざまな可能性を伸ばしてきた小栗の200日を追った作品で、短期間にも大きく成長してゆく彼の姿が鮮やかに記録されている。“情熱大陸”としては異例のテーマではあるが、人物の“生き様”もひとつの興味深い事象だとすれば、そこにフォーカスした本作のような切り口もまた楽しい。いくら姿が美しくとも、内面からあふれ出す魅力がなければ人の心を動かすことはできないし、ましてや蜷川幸雄、重松清といった大物たちに愛されるべくもない。たとえば、ドラマでしか彼を知らなかった人は、本作を観ることで彼の舞台にも足を運びたくなるかもしれない。“表現”という仕事にほとばしるような情熱を抱いた彼の“今”をかいま見れる貴重なDVD。(みきーる)



小栗旬とは、かつて宣伝の手伝いで接する機会があったが、本当に「普通の感覚」「自分の世界」を持った素晴らしい男優さんだった。
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シネマ・クラシック・ベスト101

2008年06月28日 | 歌・CD
シネマ・クラシック・ベスト101
オムニバス(クラシック),ウィンチェスター大聖堂聖歌隊
ユニバーサル ミュージック クラシック

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結構、映画の中で、「クラシック音楽」は使われている。映画のシーンを思い出しながら、音楽を聴くのもいいかも。
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懐かしの「平凡ソング」ヒット・パレード

2008年06月28日 | 歌・CD
懐かしの「平凡ソング」ヒット・パレード Vol.1 昭和40年代1号
オムニバス,ピンキーとキラーズ,内山田洋とクールファイブ,森山良子,和田アキ子,奥村チヨ,藤圭子,皆川おさむ,辺見マリ,渚ゆう子,野村真樹
BMG JAPAN

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懐かしの「平凡ソング」ヒット・パレード Vol.2 昭和40年代2号
オムニバス,ガロ,牧村三枝子,アグネス・チャン,西城秀樹,麻丘めぐみ,フィンガー5,森進一,梓みちよ,浅野ゆう子,小坂明子
BMG JAPAN

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懐かしの「平凡ソング」ヒット・パレード Vol.3 昭和50年代号
オムニバス,小柳ルミ子,LAZY,ピンク・レディー,石野真子,堀内孝雄,八神純子,アリス,桑江知子,西城秀樹,ジュディ・オング
BMG JAPAN

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懐かしの「平凡ソング」ヒット・パレード Vol.4 昭和50年代・60年代合併号
オムニバス,柏原芳恵,山下久美子,岩崎宏美,石川秀美,ヒロシ&キーボー,EPO,吉川晃司,アン・ルイス,C-C-B,小林明子
BMG JAPAN

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自分の貰った「お小遣い」で中学時代、「月刊平凡」か「月刊明星」、どちらを買うのか、迷ったものだ。映画雑誌も「ロードショー」か「スクリーン」か、迷っていた。そうそう、友達が本屋で「万引き」してたなあ。K君、元気にしてるかなあ。彼は「バレンタインデー」に、見知らぬ女子学生からチョコレートを複数貰っていた。ちょっと、不良的な匂いのする方がモテるのか・・・ちなみに、僕は6年中高と通学して、一枚もチョコレートを貰った事が無かった。
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映画『クライマーズ・ハイ』を早く観たい。監督が原田眞人なのも期待大。

2008年06月28日 | 映画・DVD・ビデオ
クライマーズ・ハイ (文春文庫)
横山 秀夫
文藝春秋

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硬派の警察小説や社会派ミステリーの分野で当代一の横山秀夫が、上毛新聞記者時代に遭遇した御巣鷹山日航機墜落事故取材の体験を、本格長編小説にまとめ上げた。常に新しい手法を模索し手抜きを知らない著者の、会心の力作だ。
組織と個人の軋轢、追う者と追われる者の駆け引きなどを緻密な筆でつづり、水際立った展開で読み手を引きこむのが横山の持ち味である。しかし本作では、あえてその筆の巧みさに自ら縛りをかけ、実体験をベースに抑制の効いた渋い群像小説となった。トリッキーな仕掛けや、えっ、と声が出そうなスリリングな結末、といったものはない。練りに練ってこれ以上は足し引き不可能な研ぎ澄まされた文章で、未曾有(みぞう)の大事故に決然と立ち向かい、あるいは奔流を前に立ちすくむ人間を描いている。

地方新聞の一筋縄ではゆかない、面妖と言っても過言でない人間関係、ひりひりした緊張感。おそらく横山自身が体験したのであろう新聞社の内幕はリアルで、読み止めを許さない。過去に部下の新人がなかば自殺の事故死を遂げた負い目をもつ主人公は40歳の遊軍記者だ。大惨事の現場にいち早く到着し、人間性のどこかが壊れてしまった26歳の若手記者や、現場雑感の署名記事をつまらぬ社内の覇権争いでつぶされる33歳の中堅記者、「下りるために登るんさ」と謎の言葉を残して植物状態になった登山家の同僚――どの登場人物も、著者の一部であり、また思い通りにゆかない人生を懸命に生きる、すべての人間の一部でもある。

本作は、普通に捉えれば著者の新境地だろう。しかし、これはむしろ横山が元々、奥深くに抱いていたものではないか。著者は本書を上梓することで、自身も過去に決着をつけようとしている印象を強く受ける。やや明る過ぎて物足りない感のある結末も、聖と俗を併せ持つ人間にもっと光を当てたい、救いたいという願いであり、そしてなにより著者自身が本作を支えに新たな一歩を踏み出すためのものだろう。また、そうであってほしい(坂本成子)

出版社/著者からの内容紹介
85年、御巣鷹山の日航機事故で運命を翻弄された地元新聞記者たちの悲喜こもごも。上司と部下、親子など人間関係を鋭く描く。

北関東新聞の記者・悠木は、同僚の安西と谷川岳衝立岩に登る予定だったが、御巣鷹山の日航機墜落事故発生で約束を果たせなくなる。一方、1人で山に向かったはずの安西は、なぜか歓楽街でクモ膜下出血で倒れ、病院でも意識は戻らぬままであった。地方新聞を直撃した未曾有の大事故の中、全権デスクとなった悠木は上司と後輩記者の間で翻弄されながら、安西が何をしていたのかを知る――。 実際に事故を取材した記者時代の体験を生かし、濃密な数日間を描き切った、著者の新境地とも言うべき力作。

若き日、著者は上毛新聞の記者として御巣鷹山の日航機事故の 現場を取材しました。18年という長い時を経て初めて、その壮絶な体験は、 感動にあふれた壮大な長編小説として結実しました。それが本作品です。

――記録でも記憶でもないものを書くために、18年の歳月が必要だった。
横山秀夫

クライマーズ・ハイ

アスミック

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
20年前に起こった日航ジャンボ機墜落事故を元にした横山秀夫原作小説をTVドラマ化。未曽有の大事故を報道する地元新聞記者たちの興奮と混乱に満ちた1週間を描いたサスペンスドラマ。佐藤浩市が全責任を委ねられ苦悩するデスクを好演している。

内容(「Oricon」データベースより)
ミステリー作家・横山秀夫原作、同名小説のドラマ化。1985年8月12日に起こった日航機事故。未曾有の大事故を報道する地元新聞記者たちの興奮と混乱に満ちた1週間を描く。その報道に関わった男たちの葛藤をリアルに表現した傑作。前編・後編を収録した2枚組。出演は佐藤浩市、大森南朋ほか。


映画では「JAL」の実名を出すのか、とても興味がある。NHKのドラマの時もほとんど、「JAL」の名前は出ていなかった様に思う。小説は読んだ。とてもよく書けている。横山秀夫が「新聞記者時代」に実際に経験した事件だからなのだろう。
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