鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

仕事納め

2023-12-28 15:40:00 | 思いつくまま

 

今日は12月28日木曜日です。師走もまもなく大晦日を迎えます。なんか全国的に天気は雨模様でパッとしないようです。今年は西暦2023年・令和5年です。まもなく2024年・令和6年を迎えます。

     

よく生きてきたなあと改めて思いますね。みなさんはそう思いませんか?まあお若い人はそんな気持ちには分からないかもしれませんが。何を隠そう、隠しませんが拙者は1947年・昭和22年生まれです。最初のベビーブームの走りです。1946年・昭和21年生まれの人たちより何もかも圧倒的に多かったといっていいのかな。小学校は前年のほぼ2倍の児童数ですから。

     

 

競争社会と言ってしまえばそうですが、どこにでも子どもはいました。放っておいても同年代のガキはいっぱい至る所にいましたから、遊ぶのには困らなかったですね。しかも、横のつながりだけではなく、縦のつながりでの遊び(いけない遊びもありましたが)もありました。

    

貧しいながらも野球もやりましたね。いちばん多かったのはゴムボールを使っての三角ベースの野球でした。ホームと一塁と三塁ベースしかなかった。バットがあればもう最高で、基本は竹バットでしたし、なければ自分の腕がバット替わりでした。それでも楽しかったですねえ。いたるところで遊べました。

    

われわれは小学生ですが、付近の公立の女子高や男子校の高校のグランドや空いているスペースを使って遊ぶことができました。東北大学のグランドもつかったことがあります。当時の高校では文句を言われたことはなかったなあ。みんなほったらかしというか、自由に遊んでよかった。うるさいことは言われなかったですね。

 

そうそう忘れていました。町内には戦前からの立派なグランド「澱野球場」なるものがありました。空いていれば誰でも使えたと思いますが、そういえばここは敗戦後はアメリカ占領軍、その後はアメリカ進駐軍の演習場となったこともあったなあ。我々が使い始めたのは米軍関係者が引き上げていってからの話ですね。

 

その後軟式野球にも手を出したなあ。町内でチームを作って、他の町内の子どもたちと試合をやったこともあります。私は最初はキャッチャーをしました。マスクなんかありません。それでも怖くはなかった。でも、しばらくしてファールチップを取り損ねて左目か右目にぶつけてしまってから怖くなり、キャッチャーはやめて三塁手となりました。

 

野球の試合で悔しい思いをしたことが一回だけあります。野球といってもソフトボールのしあいですが。小学校の5年生の時、どういう次第かは忘れましたが、6年生と5年生の試合があったんだな。6年生を送る会の一環としてのソフト大会かもしれません。その試合に5年生の代表の一人として途中から出てセンターを守りました。

最後の回、5回かなチャンスが回ってきました。2アウトで塁上には二人くらいランナーがいて私に打順が回ってきました。内心焦ったと思いますよ。どうしよう、何としても打ちたい、ここで打てば逆手勝ちになる場面だったかなあ。何しろ場面としては最高に盛り上がっていた場面でした。

 

カウントは覚えてはいません。思い切って振ったバットがボールをとらえました。ボールはライナーでセンターへ飛びました。しかしながらこれがセンター正面の当たりでした。キャッチされてジ・エンド。この時は悔しかったなあ~。泣き出しそうなくらい悔しかったです。真正面の当たりでなかったら、ヒットになり5年生が勝ったのに・・・。その時の悔しさが今でも忘れられません。

 

アメリカンリーグでは大谷選手や山本投手のことが大々的に報じられています。まことにもってどこぞの世界の話か!?と信じられないくらいの桁違いの凄い契約金額となっています。東北楽天から渡米した松井祐樹投手のことにももっと触れてほしいですね。パドレスですか、意地を見せて粘りの投球を見せてほしいものです。ダルビッシュ投手もいますし、活躍が楽しみです。

     

3月の声が聞こえてくると、またしてもプロ野球のシーズンですか。あっという間ですね、たぶん。

 

そして、あっという間に夏が来て、6月が来て7月が来て鮎釣りの季節がやってきます。あと半年の辛抱ですよ、ご同輩!!!

          


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