いやあ、お昼にかけて何と暗かったこと。時間の経過とともに外は薄暗く、暗くなっていきました。そして、とうとう降り出しました。梅雨ですから、少しもおかしくはないのですが、・・・。
今朝も歩けたので、河原の散歩に行ってきました。水量はまだ多いですが、その割には濁りの度合いが薄くなっていて、おっこれはいいぞと川辺で思ったのですが、その後の天気の動きはその期待を裏切るものでした。
ということできょう正午の観天望気です。天気:曇り、雲量:隙間無、気温:23.5度、湿度:90%、風速:2m/s、不快指数:73 となっています。
いよいよ、なし崩し的に東京五輪が開幕します。
『いずれにせよいずれにせよで何もせず』・・奈良県 島田さん(朝日川柳・以下同じ)
『はぐらかし いつの間にやら数問答』・・大阪府 鈴木さん
東京五輪を開催するか、再延期するか、中止するか、もうそんなことはどこかに行ってしまいました。観客を入れるか入れないか、何人にするかという話にうまいことはぐらかされました。
うそをつき、ごまかし、たぶらかし、はぐらかすのは前政権からの”偉大な”引継ぎ事項で、しっかりと継承されているようです。
東電の福島原発はアンダーコントロールとうそをついて、””復興五輪””とはよくも言ったものです、快適な7月に五輪を開催してはどうですか、おもてなしで国民あげて歓迎します、とか言いながら裏では数億円のわいろをばらまいていたりして嘘とごまかしで招致した東京五輪。
やはり、神様は仏様はお天道様はちゃんと見ていました。その結果新型コロナ感染症という全世界規模の疫病神を地球上にばらまきました。
予算額も1兆円以下開催できるとか言っておきながら、実際には膨れに膨れ3兆円以上の経費が掛かるのでしたっけ。でも、やる、何が何でも五輪はやるようです、みちのくの恥さらしガースーは。
『まだ夢見てる「東洋の魔女」』・・千葉県 村上さん
もうまさに五輪は金まみれ、世界平和なんてどこ吹く風、利権利権利権、強欲な新自由主義者たちの金もうけの場と化しているようです。
あまつさえ、東京五輪に反対するニンゲンは非国民扱いのようです。「反日」と言っていますが、本当は本心は「非国民」と言いたかったのでしょうねえ。2度も政権を投げ出した無責任男なのに、そんな下劣な最低な長州人を待望する国民もいるというのですから呆れたものです。さぞかし天皇陛下はお嘆きなことでしょう。
『コロナ禍に五輪憂えれば反日か』・・千葉県 長谷川さん
『安倍マリオ ゾンビのごとく首もたげ』・・神奈川県 小森さん
『こんな人に日本預けたこともあり』・・神奈川県 砂山さん
東日本大震災が五輪開催に利用されて10年。新型コロナの再再再々逆襲が始まり、何としても有観客での開催にこだわってきた政権や関係者はとうとうここにきて無観客にすることになりました、1都3県。
それに、北海道も続き、遂には東電の原発がある福島県からも無観客にすると発表がありました。福島では県営あづま球場で野球とソフトボールの試合を有観客で開催することにしていましたが、東京からの人流が避けられないということでむ観客開催となりました。
そこで、次は我が宮城県ということになるのですが、村井知事はあくまでも有観客でサッカーの試合を開催するようです。利府町にある県の総合運動場というのかな、仙台から遠いので馴染みが薄いのです。湧かないのです。
観客数は最大で1万人を入れるのだったかな。東京のコロナ禍がますます拡大していく中で、当然人の流も多くなるだろうと北海道や福島県は苦渋の決断をしたと思われますが、我が宮城県の知事さんはそんな心配はしないのでしょうか。
そうだろうなあ、何しろ水道事業も民間委託にし、それを全国に先駆けたということで自慢しているようなお偉いさんなので、サッカー観戦者が感染したとしても大して気にならないのでしょうね。観戦は感染に通じると思うのですが。
そうそう、復興五輪がいかにまやかしであるかという証拠の投稿がありました。9日の声欄です。宮城県の大学職員の方の投稿です。ちょっと長くなりますが、この際引用させていただきます。反日を承知のうえで。ある聖火ランナーの話しです。
(引用開始)『 津波が小学校を襲ったあの日、娘さんが自宅に置き忘れていたという名札。男性はその名札を胸につけて、娘さんと共に走ろうとしたのですが、主催者側から「走る時は外して下さいと言われました」と語るのをテレビで見たのです。
ユニホームに何かをつけて走ることは大会の着用規定で認められておらず、男性は娘さんの名札をポケットにしのばせて走ったそうです。 男性の願いが、五輪という巨大祭典の陰でかき消されたのだとしたら、何を以って「復興五輪」などと言えるのでしょう。
手のひらにすっぽり納まる、小さな小さな名札。小さくとも全国の、いえ世界中の人々に伝えられたはずのメッセージの重さを思うと、私は残念でなりません。 』(引用終わり)