鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

憲法記念日ですよ!

2021-05-03 14:45:35 | 思いつくまま

  

今午後2時45分。外は明るいです。今日も変な天気でs、にわか雨が何回も降ったり止んだり。5月ももう3日です。毎日毎日が早く過ぎていきます。そう思いませんか? 何と早い、速いのでしょうか。

  

まさに時は過ぎゆく、過ぎゆくというイメージはやはり早いという気持ちになります。過ぎ行く、過ぎ去る、を比べると「過ぎ去る」の方が時間的には早く感じるかな。沢田研二の歌のように、「時の過ぎ行くままに」となると、スピードは遅くなるかな。

  

沢田研二というと、先月末の全面新聞広告にありましたね、沢田研二のDVD7枚組で33,000円くらいだったかな。同じ曲でも、録画された日時、場所が違う曲がいっぱいありました。そこがCDとDVDの違いですか。いいなあ、とは思ったのですが、買うまでには・・・・。

 

 

きょうは5月3日月曜日・憲法記念日です。国の基本法でありながら、これほど政治家、時の政権党によって軽んじられ、蔑ろにされてきた法律があるでしょうか。憲法、国の基本法ですよ。

 

何が赦せないと言って、権力を握っている政権党を縛る規範なのに、逆に何とかして国民を縛ろう、拘束しよう、権利を縮小しようと、そのことばかりに腐心していることです。

 

  (これはきょうの新聞の全面意見広告です。)

憲法第99条は「天皇・・・国務大臣、国会議員、・・・その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と謳っています。しかしながら、現実は権力の私物化がまかり通り、権力者への忖度が後を絶ちません。

 

毎月買って読むのを楽しみにしている「月刊日本」という真っ当な保守系の月刊誌があるのですが、その中にある「羅針盤」というコーナー、慶大名誉教授の憲法学者小林節さんが担当しています。

  

5月号では、”自民党の改憲論議は前提から間違っている”と題して、自民党の改憲草案原案を批判しています。改めて引用させていただきます。『 憲法は、本来的に不完全な人間が国家権力という大権を一時的に預かる以上、その「公人が権力を乱用しないように”権力者を拘束する規範”」以外の何ものでもない。 』

   

そして、今自民党に必要なものは、改憲論議の前提知識以上に重要な論点として、権力者達の「規範意識」「遵法意識」であると言い切ります。(モリ・カケ・桜・東北新社事件)

          

これらは、『 首相による権力の私物化以外の何ものでもなく、これは、憲法が保障している法治主義と法の下の平等の否定である。』だから、『 今、改憲論議以上に重要な事は、まずは「今ある憲法は守る」という、権力者自身の規範意識を確立することであろう。』

 

きょうの「声」欄のトップにありました。「憲法 高校の教科にすべきだ」という見出しになっていましたが、青森県の宮本さん(71歳)の投書です。

『 前政権で明るみに出た隠蔽や忖度、公文書改ざんー我が国は憲法の精神や民主主義がないがしろにされていないか。それを正そうとしない議員が多数の国会。国民の知る権利などお構いなし。・・・。』

『 私たちは民意を尊重し、憲法を順守し、真摯に活動する議員を国会に送らなければならない。そのため、選挙権が付与される18歳までに憲法を学習し、選挙の大切さを理解できる教育の仕組みを作ってほしい。・・・。』

これを読んで、思ったのがこれです。過去の日本にはこんなに立派な憲法の教科書があったのです。

           

 

 

 

 これは、1947年・昭和22年の8月2日に文部省が発行した中学校1年生用の社会科の教科書です。しかし、使用されたのは、1952年(昭和26年度版)3月まででした。5年弱の短命に終わったようです。

  

昭和22年といえば、われわれ団塊世代の第一陣が生まれた年です。日本国憲法は昭和21年11月3日に制定され、施行が昭和22年5月3日ということです。

  

ということで、私にとっては、憲法をないがしろにするということは、とりもなおさず我々の世代をもないがしろにしている、と受け止めています。それゆえ憲法をめぐる現状は許せません。生きている限りこだわっていきます。

  

 


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