鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

夏日です!

2021-05-08 15:18:19 | 提案・要望

    

 (ポーズをとっているように見えませんか?)

 

今日は9時以降の気温の上昇が半端ないです。風もなく、朝方からモヤモヤするような天気で、9時で23.0度、お昼には25.2度を記録しました。その後もっと上がっているのじゃないかと思いますが、分かりません。

  

まあ、考えてみれば5月というのは一番晴れも多く気温も高い月だと過去の例からもいえるように感じます。いつもですと、暑い夏が好きなのですが、加齢とともに寒さはもちろん暑さの方も肌に合わないというか、堪え難きものになりつつあります。

  

ということは、加齢ということは生きる幅が徐々に狭くなっていく、病気もしないでそれなりに健康に生きていく幅がいやおうなく狭められていく、ということなのかなあとしみじみ思います。思ったところでしょうがないのですが・・・。つまりは生きづらくなっていくということです。

  

心頭滅却すれば火もまた涼し、何ていう心境からはますます離れて行っています。いやあ、マジにこのごろの体調はよろしくないですし、頭の方も記憶力がひどくなっています。人の名前なんか、何回も忘れ、忘れては何とか思い出し、何とか思い出したのに長続きしないでまた忘れ去っていく、これの繰り返しで、それとともに空しさが重く広がっていきます。

  

まあ、ボケたらボケたで、ボケた状態を、ボケている、ボケつつある本人がこのブログで書き続けていくということが可能であれば、それなりにやった甲斐があろうものと言えなくもないでしょう。

  

何しろ、自慢じゃないですが、私はふたりのぼけ老人の面倒を見てきました。その間の出来事をかなり事細かに文章化してきました。まあ、それほど自慢できるものでもないのですが、はっきりと言えることは、間違いなく私の血の中にはボケる要因が伝わっているということです。

  

そのことを否が応でも自覚せざるを得ないので、自分でも何とかしようと、ボケに対して抵抗はしてきたつもりですし、今も現にしているつもりなのですが、それでも、ああボケの症状は進んでいるなあと思わざるを得ない状況に追い込まれています。(少しオーバーに書いています)

  

だから、まだ意識がほぼしっかりしている間に、身の回りのことをきれいにすっきりしておきたいなと思うのですが、過去のことを清算するというか、軽くしていくのは難しいのですね。

  

何しろ70余年の積み重ねがありますから、もうすでに岩盤底になっている部分もあるでしょうし、まだやわらかい部分もあるでしょうが、何にしても一人で清算していくというと難しくて進まないけど、誰かの力を借りてやっていくとあきらめもつきやすいし、減らしていくことはかなり進むのかもしれないなあなんて思ったりもしています。

 

つまりは、私の場合は妻さんの協力ということになるのかなあ。そうすればお互いのためでもありますし、それは夫婦のため、子どものためということにつながっていくのかなあなんて思ったりして。

  

分流のわきにある大木ですが、蔦に覆われています。これは木のためにいいことなのか悪いことなのか、よくはないと思いますが。

 

 

 きょうは玉石の搬出作業をやっていました。工期は6月30日までだったと思いますが、このままいけば早めに終わるような気がします。

 

 

 

 また、大相撲が始まるようですね。年に6回の本場所というのは、多いのかもしれません。この前やったばかりなのにまたか!?とついつい思ってしまいます。

  

それにしても、またしても横綱白鵬は休場ですか。なんでも6場所連続休場とか。ということは一年間丸々出場せずということじゃないですか。いいもんですね、横綱という職は。政治家と同じでしょうか。

                 

たしか横綱の月給は300万円とか。しかし、すごい高級も高給取りですねえ。こんなに高い月給が必要なのでしょうか。日々毎日働いている若い人たちの年収に匹敵するのじゃないですか。

 

しかも、横綱はみずから引退すると言わなければ居続けることができるのでしたっけ?それだからこそ横綱の威厳というか、高い品格、人格が求められているのでしょうが、このごろはそんなものはどこかに行ってしまったかのようです。

                 

とにかく金もうけのために、収入を増やしていくために誰が何と言おうとも横綱という地位にしがみつくという醜い横綱となってしまいました。過去の横綱の名誉を汚してしまっているとしか思えません。

 

これももとをただせば、倭人の横綱が長いこと不在だったり、横綱になっても短命だったりしたことが、相撲界を変質させてきたのではないでしょうか。それと親方衆の存在かな。本当に相撲界のことを考えているのかどうか?

               

気楽安楽な横綱に比べたら、大関の地位は厳しすぎますね。すぐに関脇以下に降格してしまいます。

 


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