鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

題名のない音楽会

2014-10-19 14:47:36 | 思いつくまま

 きょうはどういうわけか、風に乗って軍歌が聞こえてきます。 例によって黒塗りの大型バスに乗って、大音量で軍歌を流しつつ市内を走り回っているのでしょうか。 自民党の支持があるから大手を振って騒音をまき散らし、市民を威圧して悦に入っているのでしょう。 靖国神社の何とかいう行事のせいか。高市や有村が国会議員として、大臣として公式参拝したようですが、その関連かな。

 きょうも絶好の芋煮会日和。きのう以上に最適の日ですね。風はそよ風、強くない陽射しを浴び、せせらぎを聞きながら料理をして”芋煮”を食べる、ある意味贅沢なことです。

  

   

 きょうも午前中から澱橋上流でもたくさんの若者たちが芋煮会をしていました。 きょうははっきりといい匂いがしてきましたね。とってもうまそうな匂いでした。

 

 

 河原を汚さないで、きれいにしてお帰りください。

       

            (サケの姿はまだ見えません。)

 

 

 日曜日の午前の番組というと、私は聴ける・見られるときはいつも9時からの”題名のない音楽会”を見て・聴いています。 いろんなジャンルの音楽が楽しみながら聴けるのがとってもいいです。

 きょうの題名は”教科書から消えた名曲”と題して、山田和樹先生が指揮をし、東京混声合唱団が歌っていました。

 山田和樹先生というと、ついこの前先生の指揮で”せんくら”のグランドフィナーレ”第九合唱”を歌ったばかりなので親しみを感じてしまいますし、ついこの前なのですが、懐かしさも感じてしまいます。

 ”せんくら”のために5日の本番前に先生の指揮で2回合唱の指導を受けましたし、その時の指導の仕方、話し方、体全体で話しをするというか、表現するというか、それらが強烈なので否が応でも鮮烈に記憶してしまいます。

 話し方はストレートで、言いにくいことでもズバッと言いますし、それでも後腐れがなく納得してしまいます。また若いのに例えがとっても上手いなと感心したことを覚えています。そして何よりも驚いたのは、ピアノが上手だということ、2回目の指導の時ベートーベンの一見ふざけているような題名の曲を演奏してみせたのですが、それがものすごく速い曲でよくもまあ弾けるものだと心底から感心して、圧倒されて聴いていたこともありました。

 その先生の指揮で、東京混声合唱団がたくさんの名曲を歌いました。 「翼をください」 「埴生の宿」 「ローレライ」 「峠の我が家」 「金髪のジェニー」 「草競馬」 「ケンタッキーの我が家」 「おおスザンナ」 「夢見る人」 いずれの曲も私は小中学校で歌った記憶があります。そしていまでも覚えています。

 番組では、昭和35年の音楽の教科書と今年の教科書の比較をしていました。昭和35年の教科書では外国の曲の方が多かったのに正直驚きましたが、全体で比較すると約50年で曲数は三分の一にへっているのです。 とくに外国の曲が大幅に減少していました。

 この背景には”ゆとり教育”が大きく影響しているようなことを言っていました。

 総合司会の佐渡裕先生 (先生との思い出もついこの前のことのように思い出されます。3年前のことですが、先生と直接右肩を組んで一緒に第九合唱の第4楽章のマーチの部分を歌ったのです。Laufet Brüder,eure Bahn,freudig,wie ein Held zum Siegen, (兄弟よ、君たちの道を走れ、勝利に向かう勇士のように)) がこう言っていました。

 『両方の教科書に共通する曲がない。学校で教わるからこそ年代を超えて誰もが口ずさめる曲が、これから先失われてしまうのではないか。』

 荻久保和明東邦音楽大学特任教授は、『昭和35年版のように、外国の曲がこれだけたくさん載ってる教科書は他国にはないこと。 明治になって教科書に載せる曲が国内に少なかったために、外国の曲に訳詩をつけて掲載した。』 というようなことを言っていました。

 そう考えれば今の状況の方がよくなったのかとも言えますが、老若男女が一堂に会して歌える曲がないというのも淋しいですね。

 

 日本にもこういう文庫本がありました。今も手に入るのでしょうか? 数年前に大量に過去の本を処分したときでもこの本は残しておきました。

    

 懐かしさを感じませんか?岩波文庫で定価は星の数であらわしていたものです。私の頃は星1個50円でした。 だから上記の本はどちらも150円になります。

 日本童謡集(与田準一編)は、昭和32年12月20日第一刷発行で、この文庫本は昭和46年7月10日の第十五刷発行のものです。 日本唱歌集(堀内敬三・井上武士編)は、昭和33年12月20日第一刷発行、昭和42年7月30日第十四刷発行のものです。

 日本唱歌集は歌詞と曲の両方が掲載されていて歌いやすいようにできています。日本の学校・家庭で広く歌われてきたものを、その発表年代順に配列し、発表誌と発表年月を明記しています。

 中には、「戦友」(明治38年)も入っています。これは一番から十四番までもあるのですね。一番は「ここは御国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下」で、十四番は「筆の運びはつたないが 行燈(あんど)のかげで親達の 読まるる心おもいやり 思わずおとす一雫」です。

 また、「電車唱歌」(明治38年)もあります。これは五十二番まであります。 「玉の宮井は丸の内 近き日比谷に集まれる 電車の道は十文字 まず上野へと遊ばんか」 ではじまり、「靖国神社に詣ずれば 大君のため国のため 身をつくしたるもののふの 御霊ぞ代代を護るなる」 で終わっています。

 どうでもいいことですが、両者の帯の後ろはこうなっています。全く同じです。 

               

 


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