もう一つおまけにエンヤコラ 母ちゃんのためにもエンヤコラ~
紅白に出場する美輪明宏さんの ヨイトマケの唄である
あまり紅白も見なくなった昨今 この唄にだけは共鳴を受ける
6分にも及ぶ歌 一部には短縮を要望されたようだがカット無しに歌う
歌詞に出て来る土方が差別用語とされ 長く放送禁止にもなった
どこに差別と見るのか分らない むしろ情の深い歌である
http://youtu.be/sxHf7xW12xg ヨイトマケの唄
ある炭鉱でいつもはシャンソンを歌う当時の名前 丸山明宏は戸惑った
華やかな衣装で歌う機会ばかりにあり 炭鉱の場所という違和感が強くなった
しかし この労働者が自分のコンサートのチケットを買ってくれて売り切れた
彼は ここで自分の子供時代の厳しい想い出を唄にしたのである
母ちゃんが日雇い労働者 汚い子供といじめられているある日 母の働く姿を見た
ほおかぶりをして男達に混じって エンヤコラと道路工事の現場にいる母だった
懸命に働き 子供たちを育ててくれた
そんな母も苦労ばかりで あの世に旅立った
息子は立派にエンジニアになり この姿を母に見せて上げたいと思う日が続く
ヨイトマケ 昭和20年代の後半 まだ道路工事は機械化が進んでいない
路面を固めるには サンマタと呼ぶ三本の柱を組み 頂点から滑車で錘を落とす
数人で引き揚げるタイミングに 母ちゃんの為ならエンヤコラと掛け声を描けていた
イラストはお借りしました
私には父の姿がここにある
日雇いで道路工事や工場や建設現場に居た
仕事が無いときは 鉄くず拾いをするため どぶ川の中にいた
小学生の私も ドブ川さらいに付いて行ったことがある
ヘドロの川の中を懸命に鉄くずを探す 誰かが捨てて行ったものがある
別に哀しくも無かったし 今でも恥ずかしいとは思わない
家族を守る為に必死に仕事をしていることに貴賎は無い
母は一心不乱に内職をしていた
修学旅行や進学は 私の意志で諦めたし 納豆売りもした
青年になって ある日道を歩いていたら 小さな封筒の半分を見つけた
上が閉じてあって 開けたらお金が入っていた
私には見覚えがある封筒の姿 それは父が日雇いで貰ってくるのと同じだった
名前が無いが 給付した会社の名前がある
さぞ落胆しているだろうし 生活費がここにあり困っているだろう
すぐ交番に届けた 私の名前も一応聞かれる
夜遅く 落とし主が菓子折りを持って御礼に来た
気持ちは嬉しいが 菓子折りは受け取らなかった
ぜひ 家族で食べて欲しいと言って帰ってもらった
現在の私は お金はないが 健康で何も心配することは無い
せめて 私がピアノを弾けるようになったよと 母に聴かせたい
時折 ボランティアで見る高齢者の姿が両親とダブルことがある
最後までお読みくださいまして有難うございました
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