この年齢になって、やっと学んだ事があります。
先日来、皆様にご心配頂いていた母ですが、20日の夜静かに逝きました。
眠る様な、うっすらと笑みを浮かべる様な、静かな顔でしたので、私もホッとしています。
満88歳、昨年次姉とささやかな米寿のお祝をしたことを思い出します。
日本中が戦争の傷跡で、貧しく食べるだけに精一杯だった時代に結婚生活でした。
私の実家は、直系の息子2人が戦死して絶えてしまう為、母が母親(私の祖母)の生家に
養女として入り、婿養子を迎えるという「両貰い」でした。
加えて、そこの義母は街中から若くて後妻に入った人でしたので、まるで他人の寄せ集め・・・
そんな小百姓の家で、母は嫁と言うより働き手としての生活でした。
昔は皆そんな生活です。
義母は34才で孫が出来たことになり、実子がなかったことから、家事育児は全部引き受けました。
当然、母は朝から晩まで田んぼや畑で働く生活でした。
だから私には、いつも真っ黒な顔で野良着の母しか思い出せません・・・・
いつも、父の後ろで言われた事をこなし、自分の考えなどない人って感じでしたが
入院中(介護施設や老人病院)、何度が訪ねて行ってゆっくり話をしているうちに
あの時代、ああやって自分を出さず気を使って過ごす事が、一番うまく行く事だったと分かりました。
兄が結婚し、世間並みに私たちの足は実家から遠のき、父が亡くなってからは母の居場所も無くなり
10年近くの施設生活は、娘たちが気兼ねなく尋ねられる場所となりました。
母は、勉強が出来るとかの頭の良さではなく、口に出してもどうにもならない事は腹に収める。
口に出して揉めることは回避、気を使って生きる事での平穏・・・・
私は、こういった生き方も又1つの生き方・・・と、今回母から教えてもらった気がします。
最期は、娘3人の内私だけが間に合いませんでしたが、看護師さんや介護師さんにお礼を言い
眠るように逝ったと、姉たちから聞きました。
残念と思う事があると言えば、予定通り病院に車を走らせていましたから、
もう少し待っていて欲しかったな~と・・・・
まあ、その位の急変だったようですが・・・・
色々思うことはありますが、「終わり良ければすべて良し」
私達の願いで、納棺師さんに角隠しがあれば花嫁さんかと思う程綺麗な着物と死化粧をして頂き
親戚一同に「おばさんこんなに綺麗だったんだ~」と言わしめた母は、得意気に旅立ちました。
最期の最期まで「あなた達には気の毒だったけど、兄弟は仲よくしてね」と自分の辛さ以上に、私たち娘を気に掛けていた母を思うと
母を悲しませる事無く、これから後始末をすることが最後の親孝行と思って居ます。
友人から、「両親2人共がいなくなると寂しいよ~」と言われましたが、なんとなく喪失感はあります。
しかし、さあ今度は自分自身の身の管理です。
体力を付け、自力でいつまでも頑張れるように、食べて動いて・・・・・
只これが、最近は食べて食べて・・・・になってきてるんだな~~