インターネットでよく読むブログは、茂木健一郎氏の『クオリア日記』と伊藤条太氏の『奇天烈逆もーしょん』、そして東国原英雄氏の『そのまんま日記』である。
伊藤条太氏のブログは何度かこのブログでも紹介したので、それを見ていただくとし、また東国原氏のも次回にまわすとして、今回は尊敬するモギケンの『クオリア日記』である。このブログはすばらしい。
モギケンの文章には想像力を刺激する言葉があちこちに散りばめられている。まるで詩のようだ。いつもこのブログを読むとはっとさせられたり、頭がすっきりすることだ。言葉というのは使いふるされてくると陳腐化し、だんだん疲弊して本来の意味すら表さなくなってくるものだが、モギケンの使う言葉は逆に想像力を刺激し、今まで持っていた以外の意味合いを持ってくるような気がする。
言葉は思考である。つまり、これは使い手の頭が、常に新鮮な活動をして働いているということを意味している。私たち凡人のようなどんよりとした思考ではなく、常に新しい何かを考え続けている頭だ。
SF界で言う、『センス・オブ・ワンダー』が彼の文章にはある。同じ日常を見ても、受け取り手でこれほどの差があるのだということを感じさせてくれ、刺激してくれる。
ありがたや、ありがたや、である。
伊藤条太氏のブログは何度かこのブログでも紹介したので、それを見ていただくとし、また東国原氏のも次回にまわすとして、今回は尊敬するモギケンの『クオリア日記』である。このブログはすばらしい。
モギケンの文章には想像力を刺激する言葉があちこちに散りばめられている。まるで詩のようだ。いつもこのブログを読むとはっとさせられたり、頭がすっきりすることだ。言葉というのは使いふるされてくると陳腐化し、だんだん疲弊して本来の意味すら表さなくなってくるものだが、モギケンの使う言葉は逆に想像力を刺激し、今まで持っていた以外の意味合いを持ってくるような気がする。
言葉は思考である。つまり、これは使い手の頭が、常に新鮮な活動をして働いているということを意味している。私たち凡人のようなどんよりとした思考ではなく、常に新しい何かを考え続けている頭だ。
SF界で言う、『センス・オブ・ワンダー』が彼の文章にはある。同じ日常を見ても、受け取り手でこれほどの差があるのだということを感じさせてくれ、刺激してくれる。
ありがたや、ありがたや、である。