ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、選挙というのは難しいが

2008年09月08日 | 日々(ふつうに)
 今日は少し堅いお話である。政治というものに付き物の選挙についてである。地方自治であれ、国政であれ、首長や議員を国民市民は選挙で選びなさいということになっている。ところが、この選挙というものが、まことに難しいものだと最近つくづく感ずるものである。
 例えば、首長を選ぶ場合、(地方自治でもいい、国政でもいい)いったい何を基準にして投票する人を決めるのだろうか? 政治観? 政策? 人柄? 公約? 所属政党? 利害? たくさんの項目のどれを基準にして入れる人を選定すればいいのだ?
 おまけにこれだけの項目があれば、相反する項目が出てくるのは当然だ。人柄はいいが、政策がまずい、とか、政策通であり、公約していることもいいが、あの政党では…とか、考えれば、よくもまあ、一人に決めて投票できるなあと思う。
 結局はやはり、総合力で安定しており、政策なり、公約なり、または政党で自分の考えに似た感じの人に票を入れるようになるのだろうが、それはしかたがないのだろう。一〇〇パーセントいい人というのはいないからである。
 しかし、最近気になるのは、上にあげた、真面目な項目以外で投票をする人が増えてきたようであるということだ。つまり、何となくマスコミに露出の多い人、とか、面白い人、とか、若い人、とか、女性、とか、の項目で票を入れてしまう人たちである。
 選挙はテレビタレントの人気投票ではない。軽い気持ちや、雰囲気に流されての投票行動は間違いだ。いろいろと考えて、悩み、決断して投票するべきだ。
よく「誰に入れても変わらないよ。」という人がいるが、それは違うと思う。もちろん目に見えての違いがすぐに表れるということは稀だ。しかし、ほんのわずかな違いが、全く違う結果を生み出すということがある。スポーツを見ていればわかる。勝つものと、負けるものの差は、レベルが上がるほど、ほんとうに紙一重なのだ。その紙一重のために、彼らがどれだけの努力と代償を払うことか。おっと話が例によって脱線した。
 とにかく、誰に入れても同じ、という人は、人生の選択についてかなり悲観的かつ後ろ向きの考え方をしているのではないかと私は思う。何をやっても無駄だ、と言っているに等しいではないか。いや、これは選挙のことだけでなく、何事についても言えると私は考える。
 社会も人生も難しい。なかなかうまくは行かないことが多い。しかし、うまく行かないからといって、努力をしないとか、最初からあきらめるとか、それはもったいない話ではないか。生きているからには、じたばたしたい。思うようにならなくても。
 それが生きているということではないか?

 わあ、今日は放言失礼である。お許し願いたい。

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