ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、カップヌードルの特許を取り損なう

2008年04月04日 | 日々(ふつうに)
 時々間食のおやつを食べる。今日ベビースターラーメンを食べていて、たいへんなことを思い出した。
 私の幼い頃は、子供はみんな外で集団でよく遊んでいた。ゲームなどない時代である。その頃は自然もまだいっぱい残っていて野山や、川、海などは汚染されておらず、いろいろなことをして遊んだものである。
 そんな遊びの中に「基地」作りというのがあった。私ぐらいの年代の男性なら記憶があるのではないか。山や野などの屋外に、自分たちだけの隠れ家を作るあれである。私の場合、近所の中のいい子たちと、川原に「基地」を作っていた。一度、隣の兄弟に誘われて、川原に本格的な小屋の「基地」を作ったことがある。木材とベニヤ板製の完成したそれは、一メートル五〇センチの立方体のようなもので、子供でも三人入れるか入れないかぐらいの狭さであった。しかし、少年たちが「基地」として遊ぶには満足するもので、そこを根城にして、魚釣りをしたり、さまざまなことをして遊んでいた。
 隣の兄弟は都会がえりでいろんなことを知っていた。基地の中で、ある日、我々は料理を作って食べたのである。ベビースターラーメンを。
 しかも、ベビースターラーメンをお椀に移し、熱湯を沸かしてそれにかけて、「ラーメンだ」と言いながら食べたのである。今考えると、それはインスタントカップラーメン(カップヌードル等)ではないか!
 その時特許を申請していれば…今頃大富豪に…。
 いや待て、その頃、確かチキンラーメンがあったぞ。チキンラーメンは、鍋に入れて沸かして食べる方法もあったが、お湯を麺にかけて調理する方法もあったのではないか。―うーん、駄目だ、チキンラーメンに先を越されている。でもまだその頃、カップヌードルは出ていないし、もしかしたらチャンスがあったかもしれない。
 実に惜しいことをしたものである。
 それにしても、「基地」の中で食べた、即席「ベビースターラーメン」ラーメンうまかったなあ。確かお湯は隣の兄弟のお兄ちゃんが理科室から失敬して来たアルコールランプで沸かしたんだよなあ。いや、失敬したのは隣のお兄ちゃんの友達だったかな。どっちでもいいか。(ここからさらに脱線…)
 そう言えば、隣の兄ちゃんたち、ビール瓶に灯油を入れて新聞紙を口に突っ込み火をつけて、「火炎瓶だ!」なんてやっていたなあ。さては、彼ら、全共闘世代のひとつ下の年代であったか。思えばすごいことしてたんだなあ。
 火遊び(「火悪さ」と呼んでいたが)もずいぶんしたぞ。竹を山からきってきて、割って弓を作り、ススキの茎で矢を作って、その先に布切れを巻いて、それにまた灯油を浸して火をつけて、放ったり(ランボー怒りのアフガンの炎の弓だ。無茶苦茶だなあ。今考えると)。今の子供がやったら怒られるだろう。まあ、その頃でも見つかれば怒られていたか…。でも面白かったなあ。
 というわけで、今日は古き良き思い出に浸っておしまい。

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