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野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

信濃公堂

2011-08-19 16:47:12 | 原始感覚美術祭

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木崎湖湖畔は始めて訪れた場所だったが7月25日より一週間滞在する間に東京よりやってきた仲間に案内したい場所はたくさんできた。

そのひとつが大正6年より続く信濃夏期大学で有名な信濃公堂だ。

西丸震哉記念館のはす向かいの木崎湖を見下ろす高台にある。

1974年に立て替えられたが昔の面影を残す大きな建物だ。

東京よりやってきたひがんばなさんとかがみぐささんをそこへ案内すると言ったら明治39年生まれの父が毎年来ていたとかがみぐささんがつぶやいたので驚くと同時にとても身近に感じ始めた。

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8月1日より講義が始まる前日だったので受付の準備もできていた。

始まった当時の面影を感じる風景だ。

白樺の丸太を斜めに切った面に”受付”と書かれ花瓶には野の花が生けられていた。

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車道沿いに立てられた看板を見ると現代が抱える問題が講義内容になっている。

100年近くその時代が抱える問題に向き合ってきた人たちが集う場が原始感覚美術祭が始まった土台かもしれないとふと思った。

かがみぐささんは介護しなければいけない家族達がいる上仕事があり一日たりとも家を開けれない状態の人だが原始感覚美術祭のパンフレットを送ると即私のワークショップへ参加とのメールが届いた。

私が金生町暮らしを始めて3年以上会ってない。

とてもうれしいが驚いた。

私が遠い木崎湖湖畔までなぜやってくることになったのか考えていたがなぞが解けた。

かがみぐささんのお父さんの差配だ。

日常生活に息抜きが必要だと考えたお父さんが良い思い出のある木崎湖湖畔へ彼女を連れてくるため私を使ったのだ。

金生町までは遠くて会いにいけないが近くまで来ているので会いに行きたいと身内の方にお願いしたと思う。

来るまでは夏期大学やお父さんのことは念頭になく来たようだが私の話をまんざらでもなく聞いてくれた。

帰ってすぐ”夏期大学のことは早速仏前に報告しました”とのメールが入った。

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8月1日のワークショップ当日に来た東京の仲間達も連れて行ったが講義は始まっていた。

もちろんクーラーはないのだろう。

障子を開け放していた。

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西丸震哉記念館にて

2011-08-18 12:26:34 | 原始感覚美術祭

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西丸震哉記念館をベースにしての原始感覚美術祭参加だったが始めての場所での作品作りと野の花を採集し、ペットボトルを花器に作って生けるワークショップを行うため31日にひがんばなさんやかがみぐささんが来るまでは作品作りと少しでも現地と植物の状態を知りたくて木崎湖湖畔散策に忙しく西丸震哉記念館の見学はしてなかった。

やっと仲間がやってきて見学したが収集時縄文時代の暮らしをしていたパプアニューギニヤの原住民が作ったものがおもに展示されていたがとても美しい。

子安貝と木の繊維や皮で作られているようだ。

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2本の木を木の皮でつないで作った武器だが木に模様を刻んだり木の皮でのつなぎめも工夫している。

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お面だが子安貝が面白く使われているし色付けも自然物だろう。

何のために作られたお面か知らないが迫力満点だけれど怖さはない。

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人形もおしゃれでモダンだ。

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生物の標本は好みでないがここに展示されている蝶の標本を見て驚いた。

とても美しい。

何枚も写真を撮っていた

音楽番組でも選曲者により心打つ番組になったりそうでなかったりする。

収集された西丸さんの感覚と管理されている人の思いが美しく見せるのだろう。

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なまずみち

2011-08-17 13:55:47 | 原始感覚美術祭

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8月1日の私のワークショップのため前日にひがんばなさんとかがみぐささんが偶然同じ電車で来てくれたが東京より大糸線を使ってくるには日に何本もない汽車なので同じになる確率はとても高い。

まずは広々とした緑のたんぼと木崎湖間を散策しながら青島左門さんの作品である”なまずみち”へ案内した。

”なまずみち”はたんぼと水源をつなぐ水道に魚たちが行き来する場所のことで魚道といわれている。

左門さんは木崎湖に流れ込む川より目にかなった少しくぼみがあるやさしげなカーブの平たい石を魚たちがいわかんなく木崎湖よりたんぼへ産卵やえさ探しに登ってこられるように設置してたんぼより水が流れ出る土管とつなげた。

私がいる間に魚が上ってきた話は聞かないがなまずやうなぎなどがたんぼに上ってくると楽しいだろう。

彼は地元の人が喜ぶものを作りたかったと言っていた。

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”なまずみち”とつながれたたんぼのあぜに3人で座った前方は木崎湖湖面がとびきり美しい場所の上湖面を渡ってくる風の爽やかなこと・・・・・。

ゆっくりしすぎてお昼を過ぎてしまい食べる予定のカレーが売り切れていた。

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葦舟

2011-08-16 16:15:59 | 原始感覚美術祭

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原始感覚美術祭オープニングパーティーの次の日は人声とやさしげな葦笛の音で目覚めた。

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宿舎に隣接する広場では冒険家の石川仁さんによる葦舟講習が始まっていた。

素材は木崎湖湖畔で採集した葦だ。

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仁さんの的確でユーモアたっぷりの講習で枯れた棒状の葦がだんだんと葦舟に変わっていく。

ただ見ているだけでも心躍る作業風景だ。

その日は8月1日の私のワークショップのため東京より仲間がやってくる。

葦舟作りにはとても興味はあるが数日の滞在で見せたい場所もたくさんできている。

彼女たちには葦舟講習場所近くを案内して葦舟の出来具合を一緒にチェックした。

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10時より始まりお昼をはさんで2時過ぎには最後の仕上げにかかっていた。

その後木崎湖に浮かべ参加者がかわるがわる乗ったのだろう

冒頭の写真は次の日に写した。

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重文「真鍋家」音楽の夕べ

2011-08-15 17:09:58 | 日記・エッセイ・コラム

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13日土曜日は切山昌平校塾で毎月一日に通っている真鍋家の広場でデュオ三木さんご夫婦によるバイオリンとピアノの演奏会に行った

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真鍋家の裏にある400年以上切ったことがない要塞の森の木々が作る自然のドームには仮設のステージが作られ大きな眼を引く看板も設置されていた。

写っているのは看板の半分だ。

作るのも大変だっただろう。

主催は重文「真鍋家住宅」兄弟会になっていたが駐車場の誘導は切山の人たちがしていた。

いつものようにさまざまの大変な準備は切山の人たち総出でやったことだろう。

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演奏者の足元に蚊取り線香が置かれているきめ細やかさも切山らしい。

バイオリンとピアノの演奏だが東北大震災の鎮魂をこめての東北民謡あり童謡、唱歌、民族音楽に造詣が深いとかでバイオリンでモンゴールの馬頭琴の音楽を奏でたりルーマニアの可愛い聞きなれない音楽やジプシーの音楽、いろんな思いにさせてくれた一時間の演奏会だった。

その間中せみが鳴いていたが違和感はなかった。

鍛え抜かれた演奏も自然に帰へるのか。。

初めての催しにもかかわらず老若男女150人は集まってた。

4時から始まり5時過ぎには終わったがそのまま帰る気にはならず愛宕山へ夕焼けを見に行った。

華やかではなかったが雲間からの夕焼けは不思議な美しさで大きなおまけまでついた。

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久々に畑の植物でブーケを作り演奏者にプレゼントさせていただいた。

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オープニングパーティ

2011-08-15 15:36:15 | 原始感覚美術祭

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原始感覚美術祭オープニングパーティーは7時前より海ノ口公民館で開かれた。

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参加者一品持ち寄りとかで人が来るたびに料理は増えている。

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女性が振っているホース状のものはIWAさんが言には”ファンシードゥ(風の種)だそうな。

パーティーが始まったとき午前中音の出し方を教わった私がIWAさんよりそれをいただいてしまった。(ザックにくくりつけ金生町まで持ち帰った)。

役目はある。

宴たけなわになるとIWAさんより”もう少しだよ”の指令が来る。

合図とともにファンシードゥを振り音を出すとIWAさんが作ったパーワースポットの中を中心に太鼓をたたいたり舞踏家の雪雄子さんが踊り始めたりパワースポットの周りをどんどんと大きな音を出して飛び跳ねる人、スケボーに乗って走る人・・

打ち合わせをして始まったことではない。

ファンシードゥを振る音が流れを呼ぶんだよ・・大事な役目だと友耳打ちもされていた。

帰国されている韓国からの参加作家カン ウーさんよりのメッセージが読まれると”アリラン”の合唱が始まった。

私は歌も踊りもできないのでIWAさんより午前中教わったヤシの根っこやサクラの木をたたいて歌や踊りに合わせた。

気がつくと隣で太鼓をたたいていた人がいたのでリズムはとれていたのだろう。

それにしてもIWAさんの空気を読むというのか原始的感覚はすごい。

本人は楽器をたたくでもなく踊るでもなくお酒を飲んでいたようだ。

原始感覚美術祭の幕開けにはふさわしいムードだった。

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IWAさん

2011-08-14 22:05:19 | 原始感覚美術祭

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私が受付をしていた7月30日は海ノ口公民館ではIWAさんのワークショップが開かれていたがあいにくの雨で人は来ない。

原始感覚美術祭の仲間ではあるが紹介してくれる人もなくお互い無視し合っていたが興味のある親指ピアノや手作りらしい楽器類、それに不思議な絵。。

遠慮がちにながめていると”宇宙から手紙が来るんだよ”と話しかけられた。

手紙のイメージを絵にしたのが不思議な絵だそうな。

絵には書ききれないので線で表したのがノートに書かれているのを見たがいろんな形を線で表していて面白い。

宇宙ってどこなの? どうしてIWAさんに手紙来るの?などと聞いているうち彼は太鼓やヤシの根やサクラの木で作った棒をたたいてリズミカルな音を奏でる。

私もたたいてみたが音が出るだけでリズムは出ない。

2人で遊んでいたら次の受付係りの人が来た。

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ワークショップに使うパワースポットを組み立てている。

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IWAさんがワークショップ参加者よりうけたインスピレーションで書いた線に参加者が色を塗った絵だ。

こういうワークショップをして暮らしているそうだ。

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こけしあそび

2011-08-13 19:25:12 | 原始感覚美術祭

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7月30日の原始感覚美術祭オープニングの日は朝から大雨だった。

宿舎の台所で夜半に来られたらしいこけし作家の黒田将行さんに初対面。

午前中海ノ口公民館の受付なのでいくと一足早く来て黒田さんが和室にたくさんのこけしを並べていた。

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こういう並べ方もあるんだとひとつひとつながめたらユニークなこけしさんばっかりだ。

彼がこけしの形を作ったようだが絵付けはいろんな人たちがしたらしい。

私は子供のころ美しく書かれた人形やこけしの顔を見ていると急に怖くなったことがあり人形類は苦手だったが黒田さんが並べたこけしは楽しくて見飽きない。

彼のお母さんがこけし好きだったことからこけしって何だろうとの思いがうまれ、こけしとかかわるようになったと言っていた。

”こけしあそび”とはどんな遊びか聞く間もなく黒田さんは並べてすぐ帰られて会うことはなかった。

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原始感覚保持者

2011-08-12 15:01:05 | 原始感覚美術祭

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浅井祐介さんは7月27日の夜来られたが夕食後すぐいなくなった。

制作場所である味噌倉へ行ったようだ。

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味噌倉には以前住んでいた人が残していった古い味噌があり彼はその味噌で壁に絵を描いた。

味噌倉にはマムシやニンニクを漬けたのやしょうゆが一升瓶に入っていたのも飾っていた。

後日行ったら梅干の種をネズミがうまい具合にかんで穴のあいた種数個に花を生けていた。

彼とは数日合宿しただけだが食べたり身の回りのことをしているとき意外は何か作っているか絵を描いていた。

皆と話しをしているときも白いテープに黒いマジックで絵を描いては近くのものに貼り付けていたし、テープがなくなったのか手に絵を描いていた。

書くものも絵の具といわれる類のものでなく彼がいろんな場所より集めた泥類が多いみたいだ。

味噌で書いたのは見せていただいたが書ければなんでもOKのようだ。

味噌で書くと聞いたとき私は”ネズミが来る、ゴキブリが来る”と叫んでしまった。

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西丸震哉記念館に常設されている泥絵だが無理のないとても心地良い絵だ。

冒頭の絵は制作途中だった。

もうひとつ木の表面を焼いて絵を描いていたのはトーテンポールになったようだ。

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岩絵

2011-08-11 21:46:51 | 原始感覚美術祭

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古民家Y邸に入って驚いた。

大胆にも床板が取り払われて”岩絵”と称して石で造形されている。

隣にはYさん家族が住まわれている。

数百年はたつ古民家なので馬屋になったりすすで壁が黒くなっているので囲炉裏のある土間でもあったのだろう。

正面の窓も取り払われて四角な空間には外の草の緑がモノトーンの”岩絵”によっていっそうみずみずしく見える。

写真ではうまく写らなかったがが暗くなる寸前の緑がよかった。

刻々と変わる四角の空間の緑を楽しむための石の造形とも思えた。

空間の緑の中にも小さな石は組み込まれていた。

作家の杉原信幸さんとは石が縁で知り合った。

4年ほど前上野の大黒天の境内での彼の作品”苔庵 うつぼ舟”を見てからだ。

会ったのは3年ほど前、私が千石で営んでいた花の店”野草(イエツァオ)を閉める一週間ほど前だ。

それが縁で金生町からは遠い木崎湖湖畔まで来ることになった。

生きていれば面白いことがある。。。

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宿舎では・・

2011-08-11 16:51:43 | 原始感覚美術祭

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原始感覚美術祭のため7月25日に木崎湖湖畔へ行ったが初めての場所でもあり2日間は制作のことは考えないで会場内を散策することにしていた。

27日~29日の3日間で制作と決めていたができない可能性もあり緊張しての制作だったが思わず29日の昼過ぎには出来上がった。

その日は余力もあり木崎湖湖畔を自転車で走りながら楽しんで今夜の食材を採集した。

自転車のかごには左よりフキ、ウドのつぼみ、ノカンゾウの花だがコンフリー、サンショウ、タラノメもよく採った。

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今回のアートディレクター杉原信幸さんの作品竪穴式縄文遺構「墓家」の後ろに写っているのが参加作家の宿舎だ。

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「墓家」の内部だが整然と石が並べられている。

外から見るより広く感じられる空間だ。

宿舎の生活だが専従の世話をしてくれる人がいないのでそれぞれが食事を作ったり掃除をするが皆制作等で忙しいし食材なども乏しい。

2日はのんびりとすごし3日目からは創作に入ったが場所が人気のない古いお堂なので5時前には創作をやめるため帰りには食材を採集して帰り料理することになった。

買い置きの野菜もあったが差し入れの野菜もありそれらと組み合わせて食べる人数が増えたり減ったりの量を採集した食材で加減した。

30代前後の若い人が多かったにもかかわらず野草料理は喜ばれて作り甲斐があった。

ノカンゾウの花は今まで食べた人がいなかったにもかかわらず好評なうえ色もきれいなのでサラダ、和え物、煮物、汁物といろいろと使った。

ノカンゾウの花は一日花なので夕方には思い切って採れるし大勢の食材としては一個の花の量が多いので助かる。

昼顔の花やツルも食材として使いたかったが採るのに時間がかかるので今回は使わなかった。

木崎湖湖畔は標高700~800メートルもあるのでフキはまだ食べごろだしサンショウの芽もやわらかい。

佃煮というのは保存食で作れば数日あると思っていたがサンショウ入りのフキの佃煮は作れば一日でなくなる。

毎日作った。

配膳や片付けはしていただけるので好きな食材(植物)採集と料理(制作)で今は楽しくて良い思い出になっている。

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湖水祭り

2011-08-10 17:00:24 | 日記・エッセイ・コラム

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原始感覚美術祭(8月29日まで)より帰り4日目の6日は湖水祭りだった。

前日ラジオ放送で知った。

場所は富郷ダムの法皇湖あたりで、送迎バスが近くの川之江支所から出るらしく水道局へ電話すると4:10分 4:50分 5:30分と3本も出るそうだ。

6日は幼馴染の大阪の友達がやってくる。

湖水まつりにも興味はあるがダムも含めて近くにある藤原地区を彼女に見せたいと常々考えていた。

やってきた彼女に話すと即OK・・・・。

わたしの遊び計画にはほとんど嬉々としてついてきてくれるのがうれしい。

4:50分のバスに乗り会場であるてらの湖畔広場に着いたのは5:30分。

そこから富郷ダムまでは2㌔近くある。

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夕方のダム湖や施設はいつもの昼間見る雰囲気とは少し違ってしっとりとしていた。

ステンレス制の螺旋階段を登り左へ行くと藤原地区の上方へ出る。

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友達は清清しく点在する藤原地区の建物、庭、茶畑、に感激して写真を写すので進まない。

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少し暗くなりかけたススキヶ原に点在して咲くオレンジ色のオニユリが咲く風景にはドキッとした。

今回は常々歩いて渡りたいと思っていた藤原大橋を歩いて渡れたが暗くなっていて写真には写せなかった。

湖水まつり会場へ帰り着いたのは7:30分。

いろんな催しがあったらしいが歌謡ショーの後対岸よりの花火はじっくりとまじかで見え、花火が上がるたびに湖面が光るのもこの場所でこそと感激した。

戦後の車社会になる前、みんなが貧しかったころ病弱のお父さんと5人の子供たちを支えるため友達のお母さんは背負えるだけの洋品類を背負い金砂や佐々連銅山をはじめ点在する村々を2~3週間かけて売り歩いたのがこのあたりらしい。

泊まる宿とてなく売り歩く家々に泊めてもらっての商売で重い米を現金代わりに背負って帰ったこともあったそうだ。

102歳で一昨年なくなったそのお母さんを彼女はとても尊敬している。

”お母さんがここをあなたに見せたくて呼んでくれたのよ”といったら友達は納得。

清清しい藤原地区や湖畔のまつりにお母さんの思い出も重なってとても良い時間だったと友達に喜ばれたし私も楽しかった。

原始感覚美術祭が開かれている木崎湖湖畔も藤原地区と同じく一昔前の面影を残している地域だった。

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これから

2011-08-09 15:54:36 | 原始感覚美術祭

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結局作品は海口庵の床下を使った。

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3.11から3月いっぱいの新聞記事には”亡くなる”とか”津波”とか”放射線”の字がちりばめられていた。

新聞紙を巻き竹の皮で包んだ木にはところどころに被災を連想させる字を出した。

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竹の皮を包る木はカーブしたのや二股を選んだ。

新聞紙で包んで植物の繊維でしばっただけのものは床下の奥の部分へ置いた。

遺体やガレキをイメージした。

100年以上雨風にほとんど触れていない床下の土は雨続きでしっとりしていたがフカフカだった。

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軒下の少し日が当たる部分では植物が芽吹いていた。

3.11から3月いっぱいの新聞記事では再生を意味する言葉も書かれている。

芽吹いた植物を囲む石の一個に”立ち上がろう”の字が出るように新聞紙で包んでアカソの繊維でしばった。

題は”これから”にした。

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木崎湖湖畔で採集した素材

2011-08-08 17:30:41 | 原始感覚美術祭

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海口庵より別の建物へと続く渡り廊下の壁には珍しい形の大木の一部が塗りこめられている。

作品の一部ととして使いたかったので東北大震災の記事が書かれた3月30日までの新聞を木に巻きつけて竹のを再度巻きアカメガシワやコウゾの皮でしばったものを立てかけた。

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隣に写っているのは木崎湖湖畔で採集したアカソの皮だ。

しばるための素材としてアカメガシワやコウゾの皮を持ってきたが現地の素材も使いたかったので採集した。

金生町では草並みに生えているアカメガシワは木崎湖湖畔では見かけることはなくコウゾも同じクワ科のクワはたくさん生えていたが見かけなかった。

金生町と木崎湖湖畔では植生がかなり違う。

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湖畔にたくさん生えているヨシも使いたくて採集したもののほとんど使うことはなく掃除用のほうきにして用立てた。

左側の茎を使ったのは大きなごみ用で葉を使ったのは小さなごみ用だ。

用済みになったほうきははい茂るクズの中へ土に帰れと廃棄した。

自然たっぷりの木崎湖湖畔ではまだ原始感覚が使える。

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海口庵では。。

2011-08-08 12:10:18 | 原始感覚美術祭

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今回私が制作する場となった海口庵は木崎湖を見下ろす高台にある。

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道路を隔てて公民館があり立派な庚申塚が4基もあるので昔から人の寄り合う場所だったようだ。

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海口庵の境内にはお地蔵様やいろんな仏様たちが鎮座されていて初めて行ったときは「3日ほどここで作業させていただきますのでよろしく」と彼らに挨拶しておいた。

原始感覚美術祭のアートデレクターである杉原信幸さんより海口庵が創作場所だとメールをいたき戸惑った。

18年ほど野外教室と称して自然を借景にした作品つくりを仲間たちと開いてきたがなぜか人の思いがこめられた場所は避けてきた。

毎回自分が企画する催しだったが今回は違う。

他人の企画にのってみるつもりになり海口庵の写真を見ながらお堂のイメージを作っていくとお堂は庶民のシエルターだと思えてきた。

歩くだけが交通機関だったころは旅の途中病をえた人の休む場所になり雨宿りの場でもあったと思う。

お堂は権力者が作ったのでなく庶民の思いが作った場所だ。

3・11東北大震災の3月分の新聞をいっきに読んだのが捨てられなくて保管してある。

戦争にしろ災害にしろ被害にあうのは庶民だ。

お堂である海口庵 保管してある新聞 再生の勢いをイメージする竹の皮まで金生町で考えやってきた。

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