たまには「作家」らしいことも書こうと思う(笑)。
もう先々週になるけれど、2月15日に観劇に行ったのだ。
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティの蜷川幸雄演出「コリオレイナス」である。
配役などはリンク先を見てもらうとして、この「コリオレイナス」というお芝居について書いてみよう。
作者はウィリアム・シェイクスピア。多くの作品があるが、この芝居は「悲劇」に分類される。彼が生涯に書いた悲劇を、ウィキペディアから引用してみよう。
タイタス・アンドロニカス(Titus Andronicus、1593年)
ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、1595年)
ジュリアス・シーザー(Julius Caesar、1599年)
ハムレット(Hamlet、1600-01年)
トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida、1601-02年)
マクベス(Macbeth、1601-06年)
オセロー(Othello、1602年)
リア王(King Lear、1604-06年)
アントニーとクレオパトラ(Antony and Cleopatra、1606-07年)
コリオレイナス(Coriolanus、1607-08年)
アテネのタイモン(Timon of Athens、1607-08年)
このうち、「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」は「四大悲劇」と呼ばれたりする。
最後の「アテネのタイモン」の執筆年代は異論があって、1599年の「ジュリアス・シーザー」と同時期に書かれたという。作品そのものも、どちからというと台詞も筋も荒っぽい大味な作品なので、個人的には正しいと思う。
となると「コリオレイナス」はシェイクスピアが最後に書いた「悲劇」ということになる。これ以降、シェイクスピアの作品史において10年続いた暗い悲劇の時代は終わり、傑作「テンペスト(あらし)」を代表とする「ロマンス劇」の時代となる。
観るひとを選ぶお芝居だ。
誰が観ても感情移入できるだろう「ロミオとジュリエット」とはちがう。
「リア王」の巨大さ、「ハムレット」の深さ、「マクベス」の怪奇趣味と運命観、「オセロー」の人間描写。「四大悲劇」に比べると、やはり地味。
まず、共和制初期のローマに関する知識、芝居の中で繰り返される「貴族と平民」というものが当時のローマでどんな意味を持っていたのかということ、「執政官」「護民官」、これらは頭の中にあったほうがいい。でないと、コリオレイナス(唐沢寿明)がなんでああいつも機嫌が悪いのか、いまひとつ理解できないだろう。
そして「コリオレイナス」の称号を授けた偉大な将軍を追放してまで護った共和制がその後どうなったかということを知るために、「ジュリアス・シーザー」と「アントニーとクレオパトラ」は読むか観るかしておいたほうがいい。
わたしが上の条件に当てはまっていたのはたまたまだった。
偶然雑誌で目にして、その日に予約を入れた。
新幹線から、大阪駅へ。梅田駅を目印に歩いた。
すっかり変わってしまったけど、「梅田コマ劇場」の界隈を思い出した。
平日12時30分の公演は、中年のおばさまたちでいっぱいである。男は三十人に一人くらいしかいない。
前から六列目。ネット予約はすごい。
幕が開く。
巨大な鏡が現れる。ほぼ満席の観客は自分自身と向かい合う。
「このお芝居の本当の主役は『民衆』であるあんたたちですよ」と言っているかのようである。
これが薄いマジックミラーのようになっていて、後ろから光を当てると透き通って奥が見えるようになっている。
セットは巨大な階段。この階段ですべての芝居が行われる。ローマ史劇に階段というのはひどく合う。階段の先に歌舞伎のような襖があって、場面転換は襖絵を切り替えることによって行われる。
芝居が始まる。
引き込まれる。
気がつくと3時間あまりの芝居は終わっていた。
二度目のカーテンコールのときに周りの人はスタンディング・オベーションを送っている。わたしも立ち上がって拍手したかったんだけど、できなかった。
泣いていたのだ。
いやー、よかった。
まるで、鈍器で頭を殴られたような。そんな気がした。
劇場の外にでる。
もう太陽は西に傾いている。
梅田の古書街に向かって、そぞろ歩いた。風が心地よい。
冷静になって思うと、白石加代子のヴォラムニアや勝村政信のオーフィディアスの熱演に比べると、すこし主演の唐沢が弱いような気がするのだが、それはいい。
個々の役者よりも、群衆(鏡像の観客も)を含めて、全体がひとつの政治劇でもあり、怒りっぽい男の性格悲劇でもある「コリオレイナス」という複雑な演劇空間を形成していたと思う。
困った。
書いているとまたお芝居を見に行きたくなった。
やっぱりシェイクスピアがいい。
「十二夜」か「シンベリン」、「冬の物語」あたりをねらいたい。
もう先々週になるけれど、2月15日に観劇に行ったのだ。
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティの蜷川幸雄演出「コリオレイナス」である。
配役などはリンク先を見てもらうとして、この「コリオレイナス」というお芝居について書いてみよう。
作者はウィリアム・シェイクスピア。多くの作品があるが、この芝居は「悲劇」に分類される。彼が生涯に書いた悲劇を、ウィキペディアから引用してみよう。
タイタス・アンドロニカス(Titus Andronicus、1593年)
ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、1595年)
ジュリアス・シーザー(Julius Caesar、1599年)
ハムレット(Hamlet、1600-01年)
トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida、1601-02年)
マクベス(Macbeth、1601-06年)
オセロー(Othello、1602年)
リア王(King Lear、1604-06年)
アントニーとクレオパトラ(Antony and Cleopatra、1606-07年)
コリオレイナス(Coriolanus、1607-08年)
アテネのタイモン(Timon of Athens、1607-08年)
このうち、「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」は「四大悲劇」と呼ばれたりする。
最後の「アテネのタイモン」の執筆年代は異論があって、1599年の「ジュリアス・シーザー」と同時期に書かれたという。作品そのものも、どちからというと台詞も筋も荒っぽい大味な作品なので、個人的には正しいと思う。
となると「コリオレイナス」はシェイクスピアが最後に書いた「悲劇」ということになる。これ以降、シェイクスピアの作品史において10年続いた暗い悲劇の時代は終わり、傑作「テンペスト(あらし)」を代表とする「ロマンス劇」の時代となる。
観るひとを選ぶお芝居だ。
誰が観ても感情移入できるだろう「ロミオとジュリエット」とはちがう。
「リア王」の巨大さ、「ハムレット」の深さ、「マクベス」の怪奇趣味と運命観、「オセロー」の人間描写。「四大悲劇」に比べると、やはり地味。
まず、共和制初期のローマに関する知識、芝居の中で繰り返される「貴族と平民」というものが当時のローマでどんな意味を持っていたのかということ、「執政官」「護民官」、これらは頭の中にあったほうがいい。でないと、コリオレイナス(唐沢寿明)がなんでああいつも機嫌が悪いのか、いまひとつ理解できないだろう。
そして「コリオレイナス」の称号を授けた偉大な将軍を追放してまで護った共和制がその後どうなったかということを知るために、「ジュリアス・シーザー」と「アントニーとクレオパトラ」は読むか観るかしておいたほうがいい。
わたしが上の条件に当てはまっていたのはたまたまだった。
偶然雑誌で目にして、その日に予約を入れた。
新幹線から、大阪駅へ。梅田駅を目印に歩いた。
すっかり変わってしまったけど、「梅田コマ劇場」の界隈を思い出した。
平日12時30分の公演は、中年のおばさまたちでいっぱいである。男は三十人に一人くらいしかいない。
前から六列目。ネット予約はすごい。
幕が開く。
巨大な鏡が現れる。ほぼ満席の観客は自分自身と向かい合う。
「このお芝居の本当の主役は『民衆』であるあんたたちですよ」と言っているかのようである。
これが薄いマジックミラーのようになっていて、後ろから光を当てると透き通って奥が見えるようになっている。
セットは巨大な階段。この階段ですべての芝居が行われる。ローマ史劇に階段というのはひどく合う。階段の先に歌舞伎のような襖があって、場面転換は襖絵を切り替えることによって行われる。
芝居が始まる。
引き込まれる。
気がつくと3時間あまりの芝居は終わっていた。
二度目のカーテンコールのときに周りの人はスタンディング・オベーションを送っている。わたしも立ち上がって拍手したかったんだけど、できなかった。
泣いていたのだ。
いやー、よかった。
まるで、鈍器で頭を殴られたような。そんな気がした。
劇場の外にでる。
もう太陽は西に傾いている。
梅田の古書街に向かって、そぞろ歩いた。風が心地よい。
冷静になって思うと、白石加代子のヴォラムニアや勝村政信のオーフィディアスの熱演に比べると、すこし主演の唐沢が弱いような気がするのだが、それはいい。
個々の役者よりも、群衆(鏡像の観客も)を含めて、全体がひとつの政治劇でもあり、怒りっぽい男の性格悲劇でもある「コリオレイナス」という複雑な演劇空間を形成していたと思う。
困った。
書いているとまたお芝居を見に行きたくなった。
やっぱりシェイクスピアがいい。
「十二夜」か「シンベリン」、「冬の物語」あたりをねらいたい。
宮廷秘書官ヨーゼフ・フォン・コリンによる
この戯曲の上演に、ベートーベンが霊感を得て
「コリオラン序曲」を作曲し、コリンに献呈した。
物語を反映したこの曲は、天才作曲者により
悲劇的で美しいものになっている。
観劇の余韻のあるうちに
エッセンスの詰まった楽曲を聴いてみてはいかが。
いや、冗談のけて情報サンクスです。
ぜひ聴いてみます。
おすすめの演奏などありますか?
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そして、わしに貸すのじゃ~!!
なぜなら、ブラームスを聞きたいのじゃ~!!
喇叭吹きめっ!
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テンシュテット ベートーヴェン 序曲集
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主だった序曲集です。
テンシュテットの軽めの演奏。
クレンペラーなんか聴くと、連れて行かれそうに(略