加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

【えいが】FPS映画「DOOM」と「湖中の女」

2006年02月03日 05時38分27秒 | 音楽・映画のこと
FPSというゲームのジャンルがある。ファースト・パースン・シューター、つまり一人称視点のシューティングゲームである。古くはキャッスル・ウルフェンシュタイン、新しくはXboxのHalo。

で、今度、このFPSの名作DOOMが映画化されて、4月に日本で公開される。

[ゲーム]映画になっても一人称視点! SFホラー「DOOM/ドゥーム」が4月1日に公開

ひとことで言って、すげー楽しみである。ぜひ劇場で体感したい。
ただちょっと気になったのは記事中の、

(以下引用)
アクションシーンはゲームと同様に一人称視点だ。資料によると、これは「映画史上初」とされており、
(引用終わり)

のくだり。

映画の宣伝文句に万に一つの真実はない(笑)。
「構想○○年!(単に誰も金を出さなかっただけ)」「○○のスタッフが結集!(いや、仕事だし)」「制作費○○億(・・・・・)」

映画における一人称視点表現はめずらしくもなんともない。
というより、全編一人称視点を通した映画がある。
ハードボイルド小説ファンならだれでも知っている。

そう、レイモンド・チャンドラーのマーロウシリーズの一作「湖中の女」の映画化、Lady in the Lake (1947)である。

一人称のハードボイルド小説を、正直(?)に一人称視点で映画にしているのだ。
観客は探偵マーロウの視点となったスクリーンを通して他の登場人物を見る。鏡を覗き込んだ一瞬だけ自分自身(探偵自身)の姿を見られるという凝った作りの映画だったらしい。

「らしい」と書いたのは、この映画を観たことがないからだ。
唯一、映像表現の特番か何かでこの鏡を見るシーンが紹介されていたのをテレビで観ただけである。

で、映画手法として、この一人称は成功したのか?
制作されてから60年ちかくなろうというのに、「DOOM」の宣伝文句で「史上初」と謳われるくらい追従者がいないということは・・・推して知るべし、ということなのだろう。

しかし、今度はFPSというゲーマーならなじみの再現だから、ある程度受け入れられる余地はあるかもしれない(「操作できないからつまんない」という感想を持ちそうではあるが)。