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加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

【映画】「春の雪」を観に行こうか迷ってる。

2005年10月17日 18時50分50秒 | 本のこと。
春の雪 VISUAL BOOK

宝島社

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映画「春の雪」を観に行こうかどうしようか、迷っている。いや、きっとDVD購入なり、レンタルビデオなりでいずれは観るのだろうが、封切りで行こうかどうしようか、と思ってる。

原作は言わずと知れた三島由紀夫の「豊饒の海」四部作の一作目、同名の小説である。そして「豊饒の海」の4冊のなかでもっとも面白い小説である(というか、この4部作は発表順にエネルギーを失っていったような気がする)。

人工的な美しい文体で、禁じられた恋を描いた小説である。とにかく風景・風俗描写が圧巻。もし本好きで未読の方がいればぜひ薦めたい。

ただ今回の映画、キャストと監督がね・・・。ちょっと不安なのである。
出来がよければよいで、映画館でみっともなく泣いてしまいそうだし。
ネットの評判を見てから・・・などと弱気になっている。

【マンガ】身につまされる?「失踪日記」

2005年08月14日 22時47分21秒 | 本のこと。
失踪日記

イースト・プレス

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ずいぶんひさしぶりにマンガの単行本を買った。
吾妻ひでお先生の「失踪日記」である。しばらくまえに話題になっていたので読みたかったが時間がなかったのだ。
感想を一言でいうと、面白い。わたしが思う最高傑作の「不条理日記」の続編といっていいのではないかと思う。もちろん、実際はもっと悲惨でどろどろしていたんだろうが、巻末のとり・みき先生との対談でもあるように、その視線はじつにクールだ。
登場人物のすべてが実在の人物なのだが、独特のコワカワイイ絵柄と、その突き放した語り口から、まるで異星の生物のようだ。
ああ、そうだ。この世界の現実はSFなんだ、他者って異星人みたいなものだ、などと妄想してしまう。

かつてのファンとしては、拘置所の色紙の話や、社内報のマンガの話が哀しく、せつない。

「失踪日記」続編の次の新作を期待しつつ。

【福音の少年】公式ガイドブックは楽しいな、と。

2005年08月08日 00時05分16秒 | 本のこと。
福音の少年 公式ガイドブック

興味の無い人には恐縮だが、上のリンクは、わたしが出した「福音の少年シリーズ」三冊の本に共通する世界設定のガイドブックである。
左のリンクにある「福音の少年 公式サイト」の中の一コーナーである。
イラストはもちろん中臣亮さんなのだが、そもそも公式サイトのデザインからテキストまで、みんなわたしが作っている。プロに頼む金が無いし、みなさんも経験がおありだろうが、HP作りが面白いからだ。

その中でも、ガイドブックは、書くのが異様に楽しい。楽しすぎてネタバレしそうなほど楽しいのだ。本業の小説執筆の片手間にやっているので、舌足らずなうえに読みにくい文章になっているかもしれないが、書いている本人は楽しんでやっている。
100年分の現代史を再構築するのだから、今後小説にまったく出てこないことも含めて、書くことはいくらでもある。しかし、書きすぎると、読者が小説世界に入りやすくするためのものが小説を縛ってしまいそうで、極力抑えている。

ほんとうは「世界史年表」がいちばん好きなのだが、このサイトでダントツで人気の無いコンテンツである(笑)。みんな、年表、きらいなのね。

ダウンロードコーナーにはそろそろ一編追加したいのだが、四冊目の中盤以降のプロットを固めることをやっているため、時間が取れない。

【福音の少年】シリーズ3冊目、「歌う錬金術師」 

2005年08月01日 20時18分29秒 | 本のこと。
歌う錬金術師

ぺんぎん書房

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「福音の少年」シリーズの最新刊「歌う錬金術師」。予定通り7月25日に発売したのですが、今日アマゾンに表紙の画像が載ったので、作者みずからおすすめ投稿をします。

1899年からわれわれの世界とは違った歴史を歩んできたもう一つの世界、魔女や吸血鬼・狼男といったものが存在する世界で、ひとりの少年と彼を取り巻くひとびとがさまざまな事件に巻き込まれるといったお話です。
読者のおかげでさいわいにも三冊目を数えることができました。

今日から8月。夏休みを利用して、シリーズ一気読みに挑戦してはいかがでしょうか。

興味のあるかたは左の公式サイトへのリンクをどうぞ。それでは。

【福音の少年】歌う錬金術師、献本の梱包を開けるとき

2005年07月23日 21時12分48秒 | 本のこと。
おととい、ぺんぎん書房さんから宅配便が来た。わたしの新作「歌う錬金術師 ~福音の少年~」の贈呈用の10冊だった。
梱包を解いて、中身を出す。これで三度目だが、いつも新鮮な驚きを感じる。帯の付いた真新しい本が10冊。それも自分が書いたのだ。ちょっと、信じられない。いつのまに書いたんだろう? と思う。

パラパラとページをめくる。中臣さんの挿絵を見る。楽しい。
次の朝、サインをして、あげるべきひとにあげた。

その夜。自分の本を読む。途中で眠ってしまう(笑)。いや、退屈なわけじゃないのよ。この長編小説のために弁解すると。チェックしながらだし疲れていたし、なんといっても、あらすじ知ってるから。しょうがないじゃないですか。

増刷がかかるかどうか(どうかばんばん増刷できますように。パンパン)わからないが、ひたすらチェックをする。土曜日、家事をすませながらチェックしてみる。
すきなシーンを読み返す。なんども読み返す。はぁぁぁぁぁ~。

へたないいまわし。・・・書いたひとの顔が見たい。顔を洗って鏡を見る。

月曜日は発売日。ちょっと所用で出かける事があるので、本屋さんに寄ってみよう。
三冊ならべてポップ書いてくれてる本屋さんがあるといいな~。写真撮ったりして。

以上、ひとりごとでした。ブログらしかったですか?

【福音の少年】「歌う錬金術師」公式サイトを更新。

2005年07月19日 09時07分58秒 | 本のこと。
「福音の少年」シリーズのイラストを担当してくださっている中臣亮さんからファイルをいただいたので、福音の少年 公式サイトを更新した。

「歌う錬金術師」の表紙そのものはまだもらっていないので、題字と著者名はわたしが入れた、いわば暫定版である。装幀のプロが仕上げた完全版まで、これを掲載したい。

クリックして、専用コーナー見ていただきたい。
歌う錬金術師 公式ページである。

どうですか? いいでしょう? この絵。
主人公、御厨恵の表情がいいし、画面の雰囲気も好きである。
個人的にはこちらが表紙でもいいような気がします。

ともあれ、もうすぐ発売です。お楽しみに!

【福音の少年】シリーズ三作目、「歌う錬金術師」新刊案内

2005年07月01日 23時41分14秒 | 本のこと。
ぺんぎん書房の新刊案内に、今度出す本「歌う錬金術師」の紹介が載ったので紹介しておきます。
イラストも載っていますが、書かれているとおり、このまんま実際の表紙になるとはかぎりません。
内容に触れてしまう、つまり出る前からネタばれになってしまうといけないので、コメントはしません。が、なかなかサワヤカな感じのイラストになりましたね。いやあ。
予定通り7月25日発売といけばいいのですが。お楽しみに。



【福音の少年】「歌う錬金術師」校正中。

2005年06月26日 22時35分39秒 | 本のこと。
いま、日曜日の夜。週末はずっと、今度出す本「歌う錬金術師」の校正をしていた。
担当編集さんが非常に丁寧に仕事をしてくれているので、はかどっている。
それにしても悪文だな、と思う。「文体」などと高尚げな言葉を使うのはおこがましいが、わたしの「文体」は上手じゃない。語彙もすくない。まだまだだな、と思う。

だが、この本には売れて欲しい。なんとか職業作家としてやっていけるようになるほど、受け入れられて欲しい。

わたしには、残りの人生のぜんぶをつかって、やりたいことがあるのだ。
書きたい題材、プロット、台詞、シーンが、いくらでもある。なんとか本だけで食えるようになって、仕事を辞めて、書くことに専念したいのである。

この本がそのきっかけになればいいと願っている。
そんなわけで、キャンデー状の無水カフェインをむさぼり食いながら、あとひとふんばりである。

少年は「バットマン ビギンズ」をどう観たか?

2005年06月24日 14時20分52秒 | 本のこと。
前日、キ○タマを連呼したのが悪かったのか、お腹をこわしてしまった。まるでガキである。

お腹を押さえて家に帰る途中、こんな記事のことを考えていた。
両親殺害の15歳、犯行当日に映画観賞

東京都板橋区の両親を殺害した少年が事件当日、映画を観ていたそうな。
その映画は先日このブログでレビューした「バットマン ビギンズ」である。
大ヒット中であるし、ヒーローアクションものなので、15歳の少年が観る映画としてはべつにおかしくはない。

ところが、グルグル鳴るお腹を押さえながら、わたしは奇妙なことを考えた。

少年は、「バットマン ビギンズ」をどう観たか?

この映画には、「少年」が「目の前で両親を殺される」というシーンがあるのだ。
彼はこのシーンをどう観たのだろう?

少年は「父にこき使われて恨みに思っていた」と供述しているらしい。
皮肉なことに、この映画は「父と子」の映画である。全編、「父と子」というテーマが貫かれていると思う。それを象徴するのが、まさにその両親殺害(映画のほう)の後なのだ。

これは80年も続いている原作マンガにもあるし、いままでの映画作品にもあったシーンなのでネタバレにはならないと思うので書くが、後のバットマン、少年ブルース・ウェインは、親子で行った劇場の帰り、辻強盗に遭う。そして母をかばおうとした父親がまず撃たれ、泣き叫んで夫にすがる母親が撃たれる。ブルース少年は、犯人を呆然と見上げている。
その後である。主人公ブルースは、高潔な慈善家で偉大な人物だった父の事をいつも偲ぶ。ところが、母親も同時に殺されたのにもかかわらず、不自然なほどに母のことはあまり描かれないのだ。

おまけに、この映画には父親(役)が三人もいる。
ひとりは、殺された実の父。もう一人はブルースを戦士に育て上げた師匠役(リーアム・ニーソン)、もうひとりは主従関係を越えた愛情をもってブルースを見守るマイケル・ケイン(名演技!)扮する執事アルフレッドである。
こうして書き出してみると、彼らが理想的な父親像の三つの位相を体現していることに気がついた。

つまり、(1)尊敬すべき人格者(2)勇敢な戦士(3)愛情深い親、である。おそらく母の描写も含めて、脚本に関わっている監督クリストファー・ノーラン(「インソムニア」)の意図なのだろう。

では、父親をダンベルで殴った少年は、この映画をどう観たか?

答えはやはり、この「バットマン ビギンズ」そのものにあるような気がしてならない。これは映画を実際に観て確認していただくほかはないが、「父」の持つもう一つの位相、それを少年は殺したのではないだろうか。

映画分析なんて柄にもない。これ以上書くのはやめよう。

話は変わるが、下のリンクはそのクリストファー・ノーラン監督が「バットマン」映画を監督するにあたり影響を受けたとインタビューで語っている、フランク・ミラーの渋いマンガである。確かに、このマンガ(および名作ダークナイト・リターンズ)と、ニール・アダムスの影響を感じさせる映画であった。

Batman: Year One (Batman (DC Comics Paperback))

Dc Comics

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二人称小説の試み~「暗い旅」 倉橋由美子を悼む。

2005年06月14日 12時10分02秒 | 本のこと。
いま日本で出版されている小説は「三人称」か「一人称」のいずれかで書かれている。
例外はもちろんあるけれど、いわゆる「エンターテイメント小説」は三人称が主流で、いわゆる「純文学」には一人称小説が多いようである。前者は、複雑なプロットや多角的な人物描写のために三人称を必要とし、後者は「私小説」という日本独特の小説文化の延長線上にあるから、とくくってしまったら単純過ぎるだろうか?

何度も言うが例外はある。一人称で書かれることの多いエンターテイメントの代表格がハードボイルド小説だろうし、ボルヘスの「百年の孤独」は究極的な三人称小説と言ってもいいのではないだろうか。
(余談だが、ふだん三人称で書いているミステリ作家がめずらしく一人称小説を出したら叙述トリックだった、てのはありがちかもしれない。誤解を恐れずに言えば、エンターテイメントの場合、広義の叙述トリックを仕込むつもりでない限り、一人称にはあまりメリットはないと思う)

一と三。
では、二はないのだろうか? つまり「わたし」「おれ」(一人称)や「○○が~」(三人称)ではない、「二人称」で書かれた小説はないものだろうか。

それがあるのだ。倉橋由美子の「暗い旅」である。
この小説の主人公は「あなた」である。つまり、小説中ずっと「あなた」と呼びかけられる女性の視点をとおして見た東京から京都までの新幹線の旅が、この本の主題なのだ。

読んでもらうのがいちばんなのだが、最初、違和感を感じる。「あなた」と呼びかける者はだれだろう、という思いがつきまとうのである。この呼びかける者は「あなた」の事をすべて知っている。旅の中で、どう行動したか、だれと出会いなにを思ったか、まるで三人称小説における作者のように知り尽くしているのだ。
ところが、三人称小説と違うのは、小説の視線は「あなた」からけっして離れない。それほど起伏のあるストーリー展開があるわけではないが、小説の中で起きる出来事はすべて「あなた」の目を通した描写になっている。
だから、おもしろいことに、この二人称の「あなた」を一人称の「わたし」に置き換えても小説として成立しそうなのだ。

小説を書く人間の端くれとして言わせてもらえば、二人称小説は、労多くして益少なしと思える。なぜなら、共感という意味で一人称小説より落ちるわりに、視点が移動できないので三人称小説のように多角的に描写することができないのだ。おまけに、「あなた」と呼びかける、無色透明の何者かの存在が読んでいるあいだじゅう読者に意識させてしまう。つまり邪魔なのだ。

ならば、倉橋由美子のこの小説は失敗作か、ここまで読んだ方はそう思われるかもしれない。
ちがうのだ。すくなくともわたしはこの小説に夢中になったし、なんども読み返した。この作者の最高傑作「聖少女」に比べると落ちるが、出会ったときに高校生だったわたしには、この「暗い旅」が、ヴィアンの「うたかたの日々」やサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」以上の(気恥ずかしい表現を使えば)「青春の名作」に思える。

「あなた」と呼びかけているのは、作者、倉橋由美子なのである。単純な答えだ。「パルタイ」で注目を浴び、新進気鋭の作家になった倉橋が、デビューする前の鬱屈した若い自分に向かって、愛憎をこめて「あなた」と呼びかけた小説なのだ。読み終えたとき、遅まきながらそのことに気がついたわたしは、たまらなくこの小説が好きになっていた。

わたしはいま、二人称小説が書きたくてたまらない。合間に、いくつかのプロットを練っている。
一人称よりもさらにメリットがなさそうに見えるこれに挑戦したくてたまらないのだ。
もちろん作家としての夢なのだが。

けさ、新聞で倉橋由美子の死を知った。
そして、この「暗い旅」が絶版になっていることも。
小説の本を出しているもののひとりとして「死んだから再版せよ」と書くのは複雑な思いがあるのだが、おおくの人にこの小説が読まれるよう願わずにいらなれない。

【福音の少年】シリーズ4作目「黄道傾斜の女神(仮題)」

2005年06月13日 06時27分22秒 | 本のこと。
いちど書き終えて投稿したら、アクセス過多とやらで記事が消えてしまった。日曜の夜、みんな書くことが多いのだなあ、と思う。
エディタか何かで別に書いておけばいいのだが、面倒くさい。

わたしは週末作家である。そんな言葉あるんだかどうだか知らないが。
いま、福音の少年シリーズ三作目「歌う錬金術師」という本の校正待ちなので、土日、四冊目の準備をしていた。いぜんレビューしたOnenote2003や、マック用のWord2004のノートモードでひたすらメモを書いていた。それが効率がいいのかどうかわからない。ほかの方法で長編小説を書いたことがない。

四冊目の長編の題名は「黄道傾斜の女神」としたい。
不思議な題名かもしれないが、頭の中にある奇怪な風景を表すのに、その言葉しか思いつかないのだ。プロットより先に登場人物たちが勝手に台詞をしゃべっている。こっちはまずプロットを固めたいのに、うるさくてかなわない。

準備期間というのはどんなものでも楽しい。とりわけ長編小説の準備はある意味、とても楽しい。ワクワクすると言ってもいい。いま感じている楽しさの半分でも読者に伝えたい、と思う。

もちろん、三冊目が売れないと世に出ないわけだが。
というわけで、7月にでる三冊目の本「歌う錬金術師」、買ってください、と宣伝でしめくくるのでした。

【マンガ】感情をぶっ放せ!「蒼天航路」

2005年05月10日 01時49分59秒 | 本のこと。
書き下ろしの長編小説の最後の原稿を編集さんに送り終えて、ぼーっとしている。
いまから校正作業が待っているし、装幀や挿絵もまだまだだろうから、本が出るのはしばらく先なのだが。

このブログで、マンガを取り上げるのははじめてかもしれない。もう固定ファンには「なにをいまさら」かもしれないが、王 欣太(原案 李 學仁)の「蒼天航路」である。
知らない人のために、解説すると、三世紀初頭中国の「三国鼎立」時代を舞台にした、いわば「三国志もの」である。
このマンガのユニークなところは、「三国志演義」を下敷きにした吉川英治の「三国志」や、横山光輝のその漫画化などとちがって、それら作品の中で悪役とされてきた魏の曹操を主人公としている点である。

非常に人気のある作品で、単行本にして三十冊を優に越えている。
その中で、最近、気に入った台詞がある。それは主人公曹操の言葉。

「感情をぶっ放さずしてなんの命だ!」

歴史上の曹操が言ったわけではない(その意にちかいことを詩の中で詠っているかもしれない)だろうが、この台詞がじつにいい。この作品は、古代中国を舞台にしているにもかかわらず、こうしたくだけた台詞がじつにいきいきと聞こえる、キャラクターが立ったいいマンガである。
(わたしは鬼の首をとったような中国の故事成語は大嫌いだ。むろん原典はべつ)
もちろん、暴走族のあんちゃんが言った台詞だとサマにならない。突出した軍略家であり、政治家であり、詩才もあり、天下の逸材を集めた、「千年にひとり」と称される曹操が言い放つのだから、しびれるのだ。
史実とちがう、演義とちがう。従来の人物像とちがう。どうだっていいではないか。千八百年前のことなのだ。もうSFと同じだ。そんな些末なことが気になるひとは、曹操や劉備や関羽や張飛といったなじみのあるキャラを使った別世界の物語だと思えばいい。

もしもマンガが好きで、この作品を見逃しているなどという人は幸運である。それこそ、十年二十年(いやそれ以上か)もののすぐれたマンガを、いまから味わえるのだから。

蒼天航路 (1)

講談社

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【本】作家志望でなくても必読の書「レトリック認識」

2005年04月16日 07時59分12秒 | 本のこと。
「いい本を書きたいといつも思っている」
切り出してみるとなんでもない言葉なのだが、敬愛するグレアム・グリーンのこの言葉をエッセイ集で目にしたとき、わたしは胸を突かれた。
なにをいまさら、と言われそうだが、これほどの作家でも「いい本を書きたい」と自分に言い聞かせるように書くことがあるのだ、と認識を新たにしたのだ。
「情事の終わり」や「ブライトンロック」を読んだとき、これほどの小説が書けたら死んでもいいと思った。いや、死んだら元も子もないのだが、このイギリスの作家はわたしにとってそれほどまでに大きな存在なのだ。

いい本が書きたい。

いわゆる「文章読本」は、ほとんど読んだ。谷崎のもの、三島のもの、里見や井上ひさし、丸谷才一のもの。どれがためになったなどというおこがましいことは書けないが、丸谷才一のものがもっとも肌にあった。身に付いたという意味ではない。引用されている文章がいちいち適切で名文ぞろいなのだ。

今日おすすめするのは、丸谷の「文章読本」に匹敵するほど「引用」と「分析」に優れた本である。そして丸谷才一の多くの著作と同じく、達意の文章で書かれた本である。
記号論の佐藤信夫の「レトリック認識」である。

この本は、レトリック感覚のいわば続編にあたるのだが、「修辞学」という言葉につきまとう退屈さが全くないという点で、「レトリック認識」の方がおもしろかった。

そう、おもしろいのだ。書かれていることじたいは、ひとことで言って難しい。「レトリック」という言葉に惑わされてはいけない。この本に書かれていることは記号論であり、哲学である。言葉(ロゴス)というものが人間の新たな認識を創出するというエキサイティングな理論を提示した本である。
心配することはない。文章のうまさ、明快さ、ときおり織り交ぜられるユーモアなどによって、すらすらと読めてしまう。

実用本のように「効用」があるかどうかはわからないが、濃密で楽しい時間を過ごせるであろうことはかなりの自信をもって保証できる。

いい本が書きたい、などとブログに改行して書いてしまう素朴な駆け出しのマイナー作家あるいは作家志望者だけではなく、知的な冒険に飢えているすべての本好きにすすめたい。

レトリック認識

講談社

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【墓場に持って行く本】「自省録」マルクス・アウレリウス

2005年03月22日 00時17分03秒 | 本のこと。
 皇帝の書いた本である。
 隠者や坊主がつれづれに書いた本ではない。
 生涯外敵と戦い続けた皇帝が激務の合間に書いた本なのだ。
 だから、行動するものの潔さを感じる。

 わたしの背骨みたいな本である。
 学生のころから、どれだけの勇気をこの本からもらったことか。

 わたしは、弱い人間である。弱くて、臆病で、気が小さくて、泣き虫である。

 だから、この本が手放せない。ライナスの毛布のような存在なのかもしれない。
 皇帝の執筆意図とはちがうだろうが、いつも、この本に頼ってしまう。

自省録

岩波書店

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「春」は五月下旬まで。

2005年03月16日 07時48分21秒 | 本のこと。
 とりあえず、「春」を五月下旬まで、としたい。いえ、させてください。
「福音の少年」の三冊目、「歌う錬金術師」。「2005年春発売」のことです。
 もうしわけない。

「福音の少年」公式サイト 「歌う錬金術師」予告。