前日、キ○タマを連呼したのが悪かったのか、お腹をこわしてしまった。まるでガキである。
お腹を押さえて家に帰る途中、こんな記事のことを考えていた。
両親殺害の15歳、犯行当日に映画観賞
東京都板橋区の両親を殺害した少年が事件当日、映画を観ていたそうな。
その映画は先日このブログでレビューした「バットマン ビギンズ」である。
大ヒット中であるし、ヒーローアクションものなので、15歳の少年が観る映画としてはべつにおかしくはない。
ところが、グルグル鳴るお腹を押さえながら、わたしは奇妙なことを考えた。
少年は、「バットマン ビギンズ」をどう観たか?
この映画には、「少年」が「目の前で両親を殺される」というシーンがあるのだ。
彼はこのシーンをどう観たのだろう?
少年は「父にこき使われて恨みに思っていた」と供述しているらしい。
皮肉なことに、この映画は「父と子」の映画である。全編、「父と子」というテーマが貫かれていると思う。それを象徴するのが、まさにその両親殺害(映画のほう)の後なのだ。
これは80年も続いている原作マンガにもあるし、いままでの映画作品にもあったシーンなのでネタバレにはならないと思うので書くが、後のバットマン、少年ブルース・ウェインは、親子で行った劇場の帰り、辻強盗に遭う。そして母をかばおうとした父親がまず撃たれ、泣き叫んで夫にすがる母親が撃たれる。ブルース少年は、犯人を呆然と見上げている。
その後である。主人公ブルースは、高潔な慈善家で偉大な人物だった父の事をいつも偲ぶ。ところが、母親も同時に殺されたのにもかかわらず、不自然なほどに母のことはあまり描かれないのだ。
おまけに、この映画には父親(役)が三人もいる。
ひとりは、殺された実の父。もう一人はブルースを戦士に育て上げた師匠役(リーアム・ニーソン)、もうひとりは主従関係を越えた愛情をもってブルースを見守るマイケル・ケイン(名演技!)扮する執事アルフレッドである。
こうして書き出してみると、彼らが理想的な父親像の三つの位相を体現していることに気がついた。
つまり、(1)尊敬すべき人格者(2)勇敢な戦士(3)愛情深い親、である。おそらく母の描写も含めて、脚本に関わっている監督クリストファー・ノーラン(「インソムニア」)の意図なのだろう。
では、父親をダンベルで殴った少年は、この映画をどう観たか?
答えはやはり、この「バットマン ビギンズ」そのものにあるような気がしてならない。これは映画を実際に観て確認していただくほかはないが、「父」の持つもう一つの位相、それを少年は殺したのではないだろうか。
映画分析なんて柄にもない。これ以上書くのはやめよう。
話は変わるが、下のリンクはそのクリストファー・ノーラン監督が「バットマン」映画を監督するにあたり影響を受けたとインタビューで語っている、フランク・ミラーの渋いマンガである。確かに、このマンガ(および名作ダークナイト・リターンズ)と、ニール・アダムスの影響を感じさせる映画であった。
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