goo blog サービス終了のお知らせ 

加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

マイルドセブンは「マイルド」ではない?JTの言い分。

2005年09月13日 18時57分41秒 | 公園のつぶやき。
Yahoo!ニュース - NNA - 【香港】「マイルドセブン」はダメ?JTが反論

最初に吸ったタバコは「ハイライト」だった。中学二年生のときだった。もちろんむせた。高校生のころはたまに「ボニータ」という細巻き葉巻を吸っていた。本格的に習慣になったのは、「セブンスター」だった。大学生になってからだった。一日一箱吸った。

就職してから、「マイルドセブン」にした。本数が増えた。平均二箱、多い日で三箱吸った。タバコ仲間では「マイルド」になってから本数増えたよなあ、などと言っていた記憶がある。

ほぼ十年前、きっぱりやめた。具体的には言えないが健康のためではない。
だから、よくあるように、ヘビースモーカーが禁煙し、熱烈な分煙・禁煙主義者になっているのかもしれない。それをまずお断りしておく。

で、このリンクの記事である。JTの言い分もわかるが、香港政府に味方する。当然だと思う。
「セブンスター」と「マイルドセブン」。
仮にどんな風に理屈を付けようが、後者のほうがタールが少ない=健康を害する割合が少ないのではないか、という印象を持たれる名称であると思う。
当然、「マイルドセブン」と「マイルドセブン・ライト」にも同じ事が言える。

「マイルド」だの「ライト」だのは欺瞞である。いや、ちょっときついな。誤解を与えかねない/誤解してくれることを期待した形容であると思う。

ブランドを区別するために必要ならば「セブンスターA」「セブンスターB」でもいいではないか?いや、AだのBだのじゃわかりにくいのなら、「セブンスター大和」「セブンスター武蔵」でもいいじゃないですか? アジアに売るのに必要なら「ドラゴンセブン」でいいじゃないですか。

仮に、「セブンスター・スーパー・マイルド・ライト・1mgスペシャル」という名前であっても、「ゴールデンバット」や「エコー」や「ショートホープ」と同じく「危険」であることに変わりはない。

そうです。タール含有量の話じゃない。タバコは危険なのだ。800度で燃えている小さな松明なのだ。それは、森を燃やし、家を燃やし、小さな子どもの目にやけどを負わせるのだ。

結婚して、子どもが出来て、その子が歩けるようになって、縁日に手を引いて歩いているときに、わかった。小さな子もいる人混みの中でくわえタバコをしながら歩くひとの醜さを。
前を行く車から飛んでくるオレンジ色の火の粉の不快さ。駐車場の真ん中に盛られたシケモクの山。

名称の問題から喫煙マナーの問題にすり替えてしまって申し訳ないが、喫煙しないひとびとにとっては、もっとも重要な問題だと思う。この名称の問題は、はっきり言って、たかだか喫煙者個人の健康に対するイメージの問題だと思う。そしてそれはタバコという存在が社会に及ぼす問題の一部分に過ぎない。
JTはおとなしく従うべきだと思う。

いかにもブログ的な記事を書いてみる。

2005年09月13日 00時20分24秒 | 公園のつぶやき。
選挙から一夜明けて、体調をくずしてしまった。昼のワイドショーを観る。
ワイドショー的に興味をそそりそうな当選者/落選者のインタビューが延々と流れているのを眺めていた。
郵政解散に歴史的な大勝と、非常におもしろい選挙だった。次の選挙まで4年間。この国はどうなっていくだろうか。国民のひとりとして注視してゆきたい。

話はかわるけど、いま構想を練っている小説の資料が届いた。アマゾンのマーケットプレイスで注文していたものだ。書名は秘密。4冊目の執筆の合間にパラパラとめくった。果たして思ったようなものが書けるだろうか? 書き上がったとして、これを出したいなんて考える出版社があるだろうか。そんな心配をする。

「福音の少年」シリーズ四作目「黄道傾斜の女神(仮題)」、プロローグを書き終え、第1章を書き出した。
わたしは、創作メモというものを書くのが苦手な人間である。Wordのアウトライン機能を使っていくつもの種類のプロットを作ったが、細かく、こうなってああなるというメモを書くことが出来ない。いきなり書き出して、書きながら修正していく。
今まで出した三冊はそのやりかたでやってきた。とくに一冊目は、一章まるまるアドリブ(事前に構想していないという意味で)な部分がある。
いまのところそんなには破綻せずシリーズを続けてこられたのではないかと思っている(売れ行きはともかくとして)。

またまた話は変わるが、久しぶりに「House Of Stories」というサイトになにかを追加したいと思っている。小説じゃない。これはちょっと計画中。趣味と実益をかねて、面白いコンテンツを入れたいな、と思う。

今日のところはこのへんでカンベンしてやらぁ(めだか師匠風に)。

9月になっちまった。

2005年09月05日 00時00分38秒 | 公園のつぶやき。
知らん間に9月になってた感じがする。

8月の終わりからこっち、いろいろあって仕事がはかどらない。
4冊目の本、年内脱稿は無理かもしれない。

土曜日に10枚書いた。書き上がっていたエピソード部を破棄してぜんぜん別のシーンに差し替えたので、全体では進んではいない。

コンビニで買ったノートにメモを取る。実は事前に綿密に決められないタイプ。
メモを取りながら書いているという感じ。

以前恋愛小説を書きたいと書いたが、いまは純然たるファンタジー小説の構想が浮かんで困ってる。「福音の少年」シリーズが一段落したら、本格的に取りかかってみたい、というか、書き出したい。いや、題材的に売れるような気がまったくしないのだが、「書きたい」という強烈な欲求を感じる。
どこかで発表できるといいのだが。

ああ、久しぶりなのにとりとめない事を書いてしまった。
台風が近づいている。みなさま、お気をつけください。では。

われわれは知的に設計されたか?

2005年08月11日 18時27分32秒 | 公園のつぶやき。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <進化論論争>州教委がダーウィン”否定”の指導基準 米国

上のリンク先の記事を読んで欲しい。
日本人の大多数はこれを読んでも、なんとも思わないだろうな、と思いつつ書いてみる。「知的設計説」自身、きもちはわかる。というか、純粋な進化論は「小説的におもしろくない」のでそれを前提には娯楽小説は書けない。
これは、われわれの時間に関する想像力の欠如に由来している、と思う。

しかし、アメリカは、おもしろい国だ。おもしろくて、こわい。

ガリレオ・ガリレイとひからびたチーズ

2005年08月09日 02時00分19秒 | 公園のつぶやき。
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - ガリレオ引き合い…首相、是非を国民に聞きたい

奇妙な人物だと思う。政治家としての功績よりも希代の「面白いキャラ」として、日本の政治史に残る人物だと思う。ガリレオを引き合いにだすのはこの人らしい「天然系パフォーマンス」だと思うが、いちばん面白かったのは森前総理に出した「ひからびたチーズ」である。森さんのあのコメントは最高だった。「このおれに鮨か鰻でも取れねえのか!」という、悔しさと情けなさがにじみ出るインタビューだった。

首相官邸の冷蔵庫の中身を知ることが出来ただけでもこのさわぎは有意義だと思う。
これだけ政治(?)が面白いのである。このささやかなブログを読んでいるひとで選挙権のあるひとは、9月11日、棄権せずにどうか選挙に行っていただきたい。お芝居のチケットを買うつもりで。

【福音の少年】「歌う錬金術師」雑誌広告

2005年07月20日 21時24分29秒 | 公園のつぶやき。
来週出るわたしの本、「福音の少年」シリーズ最新刊「歌う錬金術師」の雑誌広告をはじめて見た。
「世界初の完全無料WEBコミック コミックシード」の8月号の最後のページである。
そうか、題字を右にしたほうが座りがいいなあ、さすがプロと関心してしまった。

三連休、書いて書いて書きまくってみる。

2005年07月17日 21時10分44秒 | 公園のつぶやき。
といっても、400字詰め原稿用紙でたかだか10枚あまり。たいしたことはない。

問題は、平日に5枚づつ書けないか、ということである。
そうできれば、三ヶ月~四ヶ月でそこそこの長さの長編小説が書けるわけだ。

自分を過信してはいけない。だが、信じてやらないと先に進めない。

あと三時間ほど書いて、酒でも買いに行こう。

金曜日の朝、くもり。

2005年07月08日 04時55分39秒 | 公園のつぶやき。
いま、朝の4時40分。
風邪気味だったので葛根湯を飲み、昨日の夕方から眠り続けた。
ロジャース/ハマースタインの「マイ・フェイバリット・シングス」のサビ、「When a dog bites,When a bee stings」のところを鼻歌で歌いながら、朝風呂に入った。

雀が鳴いている。
耳を澄ませる。
ふしぎだ。チュンチュンという鳴き声の向こうに、ゴオオオオという微かな地鳴りのような音が聞こえる。
地球の自転の音だろうか、などと考える。
自転の音というのはある、しかし、地球上の生物はその音を意識しないようにできている、という言葉を思い出した。

【IT】たまにはキ○タマを連呼しよう!

2005年06月23日 22時40分02秒 | 公園のつぶやき。
ITmediaニュース:「仁義なきキンタマ」が原発情報流出
笑い事じゃないんだけど笑っちゃう。思わずリンク先の記事を、たとえばNHKのアナウンサーが読み上げる光景を思い浮かべてしまう。
 「このウイルスは仁義なきキンタマと呼ばれておりー」
 「その仁義なきキンタマとはどのような働きをするんですか?」
「政府はこの事態を重く見て、今後、仁義なキンタマをー」
仁義なきトロイのキンタマ木馬

 まじな話、原発に関わる仕事をしていながら、外付けHD、持ち出し可能ってのも、どうかと思う。悪用された場合の危険性はないという発表なのを信じたい。
ウィニーで晒されるのは恥ずかしい幼女イラストを貼り付けたデスクトップぐらいにしていただきたいものだ。

とりあえず2005年は「春」を7月下旬までとしてほしい。

2005年05月26日 04時58分29秒 | 公園のつぶやき。
タイトルの通りです。
編集さんからメールが来て7月25日発売を目指しているとのこと。
このブログを訪れてくれている「福音の少年」シリーズの読者のみなさん。
2005年春予定から夏になりそうだけど、あと2ヶ月、「歌う錬金術師」待ってくださいませ。
待たされた甲斐のある…ていうのは読んでみないとわかりませんが、そんなことでよろしく。

まだ紹介できる部分は少ないけど、週明けには公式サイト、更新します。
ではでは。

今日はもう寝ます。

2005年05月25日 01時25分31秒 | 公園のつぶやき。
ベッドの中で結構長文の記事を書き終えて投稿しようと思った瞬間、手が滑って消してしまった。
もう同じ事を書く気がしない。

書かなければならない原稿があるのだが、今日はもう寝よう。
断片的なシーンやセリフは幾らでも浮かぶのだが、うまくそれが物語に、小説に繋がっていかない。
調子のいいときだと、塩の結晶ができるように、断片から作品ができるのだが。

公式サイトの更新はできたら週末にしようと思う。

【第八の地獄】作家として生きる。

2005年05月18日 22時33分12秒 | 公園のつぶやき。
いまちょっと、宙ぶらりんというか、小説家としては間の空いた状態になった。
焦燥感というか、イライラがとまらないので、小説じゃないほうの仕事を休んで、ファミレスで細々としたものを書いたり、いまのところ出版するあてのない企画を練ったりした。そうでもしないと誰彼かまわず怒鳴り散らしそうだった。

「書くことは地獄のようなものだ」とグレアム・グリーンはエッセイに書いている。

地獄、か。

わたしはまだまだ地獄を見ていないと思う。気楽なもんだ、と我ながら思う。三島由紀夫だったか、「作家はいつも上機嫌でなければならない」ということを書いていた。すると、壮絶な死を遂げたあのひとは、上機嫌で「美徳のよろめき」や「金閣寺」を書いていたのだろうか。

対称的だが、どちらもわかるような気がする。ふたりの大作家をまえにして、おこがましいのだが。

いま夜の10時半。いまからもうひとふんばり、作家として生きるために、ご機嫌で「白くまくんアイス」を食べながら長編小説の構想という地獄へ逝こう。

坂道の街に住む。わたしの町のこと。

2005年04月29日 02時35分46秒 | 公園のつぶやき。
わたしの住んでいるところは、四国の田舎である。法皇山脈という御大層な名前の山々と、おだやかな瀬戸内海に挟まれた土地である。

坂道が多い。ほとんどどこからでも海が見える。すこし山に向かってのぼり、振り返ると、宙に船が浮かんでいるように見える。

夕暮れの少し前。坂道から街を見おろす。
ごくわずかな町並みの向こうに、凪いだ海が広がっている。

なんでもない光景なのだが、美しい、と思う。ここに生まれてよかった、と思う。



天界の音楽、あるいは衛星軌道について

2005年04月19日 12時39分22秒 | 公園のつぶやき。
あなたは地平線にむかって石ころを投げる。
そんなもん投げたくないなんて言わずに、投げてみたと想像してみてほしいのだ。話がはじまらない。

地上で物を投げると文字どおり「放物線」を描いて落ちていく。投げた速度と角度によってその線の頂点と落下位置は変わってくるだろう。
あなたの投げた石ころは地面に向かって落ちていく。ところが地球は丸いのだ。じゅうぶんな速度と角度によって投げられた石ころは、落ちるべき地面が世界の果てにむかって湾曲しているので、地面に届かない。
すると、どうなるか。石ころは丸い地球にそって永遠に落ち続ける。これが人工衛星の原理である。
人工衛星は飛んでいるのではない。落ち続けているのだ。

今日みたいな、晴れた春の宵のことだった。
わたしは中学生だった。
その日、いちばん仲のいい友達と近所の製材所で遊んでいた。山の迫った四国の田舎のことである。わたしが中学生だったころは林業がまだまだ盛んで、近くに製材所がいくつもあったのだ。
わたしと親友はふたりで組まれた丸太の上に座って、空を見上げていた。

そのとき、見たのだ。
暗くなっていく宵の空の星々の間を、動いている星があった。またたきではない。その小さな星は、すーっと空を横切っているのだ。
田舎の中学生には、それこそ天地がひっくり返るような驚きだった。わたしは、その親友と大騒ぎをした。暗くなり家に帰っても興奮していた。その夜はどきどきしてなかなか寝付かれなかったほどである。

いまでも、そのとき感じた驚きと高揚感を、こうやって思い出すことができる。
あれは人工衛星だったのだ。
そう結論づけたのは、笑わないでほしい、高校生のころだった。それまで、あの小さな動く星の正体を考えたことがなかったのだ。不思議な体験を不思議な体験のままにしておきかったのかもしれない。

もし、わたしが「福音の少年」シリーズ以外の本を出せるとしたら、その本に、天文用語にちなんだ言葉をつけたいと思っている。予定もなにもない。わたしの夢である。
「皆既日食」、「近日点」、「太陽面通過」、「衛星軌道」、「公転周期」、「自由落下」といったぐあいに。
SFではない。恋愛小説が書きたいのだ。天空をかける儚い星が落ちてくることを地上でずっと待ち続ける男の想い。太陽のような女性のまわりをまわり続ける惑星のような男たちの話。そんな、いろんな恋愛模様を天体現象になぞらえた小説である。

繰り返すが、夢である。それにまだ「構想」と呼べるところまで行っていない。だけど、いつか書き上げて出版社に売り込んででも世に出したいと願っている。