2年越しの念願が叶って菜の花の羅平へ出発です。
2月19日 6時にタクシーが迎えに来る。
今回はセントレア発。名古屋より24名、昆明で広島の7人と合流。
総勢31人の大所帯。添乗員2名。
セントレア発9時35分⇒上海⇒広州、レストランで夕食⇒昆明⇒ホテルへ。
ホテルへは10時過ぎにチェックイン。
2月20日 6時に起きるが前日の疲労の為か全然食欲が無い。
バイキングのお粥をやっと一杯ゆっくり胃に収める。
リポビタンDと肩こりの為の消炎鎮痛剤を飲み8時出発。
途中、古城が残る町、建水へ立ち寄り元陽へ。
建水の古城
もうバスの車窓から棚田があちらにもこちらにもと棚田だらけ。
夕日に照らされる棚田を観に展望台へ。
びっくりする程の人々が居る。三脚を立てて陣取っている。
霧の元陽だが、霧の間から夕日が射し幻想的な風景。
夕日に輝く棚田
標高が1800mほどなのでゆっくりと行動する。
ホテルに入り夕食。体調も徐々に回復しヤレヤレ。
2月21日 モーニングコールA.M5:00 私の嫌いな早起き。
暗い中、棚田の朝日を見物に出発。
今朝は昨日と別の展望台で日の出を待つ。
一面霧の中。歓声が上がるので目を凝らすと棚田が浮かび上がってくる。
感動的。人をかき分け写真を撮る。その後展望台から見えていたハニ族の村を
散策。そして元陽の町のマーケットへ。街を歩くイ族の民族衣装の刺繍が綺麗。
街頭で蒸し饅頭を買いアツアツを食べる。美味しい。
市場ではびっくり。犬の丸焼きが売られている。かわいい子犬も売られている。市場と町の様子
子犬の行く末は?
ホテルで休憩の後、今度はまた別の展望台へ夕日の鑑賞に。
長い石段を下り夕日を待つが霧の中。残念でした。
2月22日 モーニングコールはA.M6:30のはずが5:30に間違いコール。
貴重な睡眠時間をどおしてくれる。
8:00に霧の元陽を後に羅平に向けて長い移動。途中弥勒の町で昼食。
満開の菜の花が咲く羅平、金鶏峰へ到着。天気もバッチリ。
牛街へ移動して夕日の菜の花を観る。移動中も菜の花畑がいっぱい。
2月23日 8:20霧の中ホテルを出発。滝が素晴らしい九龍瀑布へ。
ロープウェイーで登り瀧に沿って下る。なかなか美しい景色。
瀧も素晴らしい。昼食はブイ族の村で五彩飯などの田舎料理。
昼食の後もう一度金鶏峰へ。今度は高台の展望台にのぼり、もう一度
満開の菜の花を。次は十万山の展望台へ。ここからも素晴らしい菜の花畑。
夕食は菜の花料理と云われても?の品々。
2月24日 8:00石林へ向けて出発。
世界遺産の石林だが広すぎて我々はメインルートを覗いた程度。残念。
昼食の後昆明空港から広州へ。空港へ近ずくと眼下に花火が見える。
花火を見下ろすのは初めて。なんだか得した気分。
今夜は空港前の五つ星ホテル。
部屋に入りビックリ。ベットルームとバスルームの仕切りが大きなガラス。丸見え。
ボタンを探しスクリーンを下ろしホットする。こんな所で2泊ならいいのに。
2月25日 8:30ホテル発。広州市内観光。陳氏書院へ。
茶芸店でショッピングの後空港へ。
広州から上海経由セントレアへ。上海ではスモッグか霧かよくわからないが
視界不良で地上待機。上空での食事のはずがもう出てきた。
どれぐらい遅れるのかと気をもむ。
セントレアへはそれほど遅くはならず10:17の快特で犬山へ。
今回は31人と大所帯だったがスムーズに観光できたし私も快調で帰国。日数も短かったし、
気楽に楽しい旅だった。参加年齢層は似たような人たち。シルバーパワーは元気です。
新年おめでとうございます。
今年もご愛読お願いします。
新年最初は甘ーいイランのお菓子の話題です。
イラン旅行の際に買ったソーハンと云うお菓子。
食べ終わりもう一度食べたいとネットで探したところ品切れで諦めていた。
久しぶりにページを見るとありました。在庫4箱。2箱お買い上げ。
ついでに懐かしいイラン、バムのナツメヤシもウイグルのグリーン干しぶどうもお買い上げ。
これでしばらくお茶の時間は海外気分。なんだかたのしいな~。
蜂蜜の甘みとピスタチオの風味が美味しいです
バムのしっとりナツメヤシとグリーン干しぶどう
購入のお店はhttp://persia.cart.fc2.com/
11月21日自宅を6時50分に出発。
名古屋駅より新幹線で新大阪へ。はるか15号で関西空港へ。
集合時間には余裕があるので小腹も空いたし、お蕎麦を食べ、スーツケースを
受け取り集合場所へ。
13時25分エアインディアで香港へ。ここで機内待機1時間25分。
降りる人が多いので空席ができるかと思いきや、乗る人も多くほぼ満席。残念。
機内食は最初からもうカレー味。
21時35分デリー着。ホテル到着11時。明日の朝は早いのに。
11月22日3時45分のモーニングコールで起こされる。サンドイッチを貰ってバスへ。
デリーより列車でアジメールへ。前回の旅行でもびっくりしたが
デリーの駅ですらゴロゴロと人が寝ている。大勢。
珍しく定刻発車。車内では朝食の紅茶や
オムレツが提供されまずまず美味しい。車窓は砂漠のタマリスクと灌木の景色。
14時アジメール到着。此処も人と排気ガスと砂ぼりとオートリキシャの洪水。
バス乗り場までリキシャに乗るが、私は後ろ向き、おまけに頭がつかえ、バスに
着いた時は真っ青。アー先が思いやられる。が徐々に気分回復。ヤレやれ。
バスでプシュカルへ。ホテルで昼食。食事後小休止。3時から、ラクダ車に乗って
ラクダ祭りへ。このラクダ車。掴るところが無いので慣れるまでが大変。
ラクダ祭りは満月を挟んで一週間近く、牛や馬、羊、ラクダなどの売買が行われる。
それにつれて遊園地やお店やなんでも有り。皆テントを張って寝泊まりしている。
ラクダ車でヒト巡りして、ヒンドゥー教の寺院ブラーフマー寺院へ。手荷物を預け、
靴を脱いで寺院内へ。靴を履きプシュカル湖へ。周りはすべてガートになって居る
聖なる湖。周りの白い建物が水面に映える中夕方のお祈りが始まる。花火も揚がる。
夕闇のプシュカル湖 周りには52のガート(沐浴場)がある。
夕闇の中ラクダ車でホテルへ戻る。
今日から2泊このテントホテルです。
広々とした寝室テントと隣にトイレ洗面シャワーテント。水は出るがお湯無し。
バケツで熱いお湯を運んでくれる。夜は冷えるのでパジャマの上にモヘアの
カーディガン、背中にホッカイロを敷いて寝た。此処がシャワー室です。
11月23日のんびり朝食を済ませ10時出発。ラクダ車に乗って会場へ。バザールを観たり
ラクダのショー、馬のショーを観る。あまり面白くもない。途中で又バザールへ。
ホテルへ戻り昼食。昼寝をして4時15分またラクダ車で会場。今度はラクダの
いっぱい居る処へ。これでもかこれでもかとラクダだらけ。小高い丘の上で、
夕日を見る。ラクダと夕日。ここに泊まる人たちの夕食の支度を観るのも楽しい。
ホテルで夕食。デザートに私の好きなジャレビーが有り嬉しい。(小麦粉の生地を直接
油の中に絞り込み揚ったところを蜂蜜につける。)パリッとしていて甘みがジュワー。
11月24日8時30分出発。ジョドプールへ。230km 2時近くジョドフー゜ルのレストランで昼食。
壮大なメヘランガール要塞へ。イヤホーンガイドを借りて見学。保存状態も良く、
見応え充分。窓からはブルーシティと云われる美しい町並みを展望。
ボーイスカウト、ガールスカウトの子供たちが沢山見学していた。
みんな親しげで手を振ったり一緒に写真を撮ったりフレンドリー。
次は白亜の霊廟、ジャスワン.タダ。
ここも高台なのでブルーシティが見渡せる。
メヘランガール要塞の透かし彫りとブルーシティ
ホテル到着。このホテルで今晩結婚式がある。今週は結婚式に良い時らしい。
あちこちで結婚式に出会った。
花婿の従弟が日本に住んでいる人で式に誘われたので夕食後、式を見学。
披露宴は10時以降との事なので部屋に戻る。結婚の儀式と綺麗な花嫁さん
(ホテル.マルガール2連泊)
11月25日9時出発。ジープに4人づつ分乗して悪路をビシュヌイの集落訪問。
素朴な農村風景を楽しみアヘンをちょっぴり舐めたり。
ホテルで昼食後、バザールへ。
バイクに牛にオートリキシャと人々。喧噪の中。チャイ屋さんを見つけ購入。
11月26日8時30分ジャイサルメールへ。300km
夕刻ジャイサルメールへ。夕日を観にジャイサルメール城の向かいにある
丘へ。韓国の観光さんも大勢来ている。
今夜からパレスホテルで二連泊。結構なお部屋で調度もシック。
(デオキ.ニワス.バレス)
11月27日8時30分出発
ジャイサルメール城やハーヴェーリー(豪族の屋敷)のある旧市街を見学。
ハーヴェーリーは外壁は細かい彫刻が施されているが空き家が多く保存状態は
今ひとつ。外観を観るだけで中は見せてもらえない。
城郭の中には人がいっぱい住んでいる。もちろん野良牛も野良犬も。落し物を
踏まないように気を付けるのが大変。
ホテルで昼食後3時45分再集合。
寺院を観光してキャメルサファリへ。
サハラ砂漠と違ってラクダだらけ。観光さんだらけ。
少年の引くラクダに乗り緊張しながらもだんだん慣れてくる。
夕日は雲が多くイマイチ。
帰りは少年が一緒に乗ってもいいかと聞くのでOK。
軽快に走りバス停へ一番乗り。
悪路を一時間揺られてホテルへ。サム砂漠へキャメルサファリ
11月28日7時30分。砂漠のオアシス都市ピカネールへ出発。
途中レストランで昼食。ピカネール到着後、細い路地をオートリキシャで
走りハーヴェーリーを見学。ホテルとして使われているハーヴェーリーの中を
見せてもらえる事に。外観の彫刻もさることながら内装も立派。ハーヴェーリーの豪華な内装と中庭
15世紀のバンダサールジャイン寺院を見学。
オートリキシャでバスへ。
本日もパレスホテル。
しかしバスタブにキャップが無い。用意の吸盤が役立つ。
ここでも盛大な結婚式が行われていた。
屋台もいっぱい出ていて大盤振舞。アイスクリームをご馳走になる。
(ラルガール.パレス)ピカネール
11月29日8時30分マンダワへ。
ホテルで昼食の後かつての豪族の邸宅ハーヴェーリーを見学。
ここのハーヴェーリーは透かし彫りではなく漆喰で色々な絵が描かれている。
きれいに残って居る処も有れば薄れたところも。中には住んでいる人も居るので
どこまで覗いていいのやら。
ハーヴェーリーの漆喰の壁画
マンダワ(ウダィウィラス.パレス)
11月30日8時30分 デリーへ向けて270km
成田組は夕食をとらず空港へ。
関空組はデリーのインド門を観光後レストランで夕食。
23時 デリー発香港へ。機内待機の後関空へ。
12月01日11時50分関空着。
飛行機に乗る前からなんだか風邪らしい気分。
新幹線で帰宅後お風呂を沸かし手足を伸ばし一寝入り。
熱を計ると38度4分。主人も37度5分。空港で引っかからなくて良かった。
即刻お医者さんへ。旅行中で無く良かった。
成田より8名関空より5名 夫婦は3組のみ 西遊旅行にお世話になりました。
6月28日 格安 北京4日間の旅に出かける。
例によって5時15分にタクシーが迎えに来る。
空港では手続きが始まっているので搭乗手続きを終え、ラウンジの開場を待ち休憩。
飛行機はほぼ定刻に飛び立つがなにせ格安。青島経由北京行き。
12時30分、北京着。出口で現地ガイドさんと仲間の人達と落ち合う。28人の大所帯。
今日の観光は首都博物館。
建物の中は複雑な迷路のよう。そして格安だからか入ったところで一応の説明があり、
後は個人で見学。よその日本語ガイドにお世話になった。ハハハ
レストランで広東料理の夕食を済ませホテルへ。
四星ホテルで部屋も洗面所も広く清潔。結構結構。疲れているので早々に就寝。
2日目 雨の朝。街は霧なのかガスっているのかドンヨリしている。
それにしても町の人達、車も人も交通規則を守らない。赤信号で車の間を人が
縫うように渡って行く。
オリンピック会場を車窓より眺めて世界遺産の頤和園へ。
頤和園の一廓
雨はほぼ止んでいるが何処も此処も人ばかりでのんびり庭園を鑑賞する雰囲気では無い。
ショッピングの後昼食。
午後は北京の万里の長城、八達嶺へ。
長城を歩く
心配した雨も上がり蒸し暑い中を長城の上を1時間歩く。
河西回廊の崩れかけた長城を見てきたばかりなので感慨深い。
またまたショッピング。その後四川料理の夕食。やはりちょっと辛いかなー。
毎夜オプションのショーが有るが本日もパス。
3日目 晴れ。土曜日。天安門広場は人の波。
蒸し暑い中を迷子にならないように観光。持参のうちわが大活躍。
天安門広場を通り抜け紫禁城へ向かうが土曜日の事もあり、すごい人混み。
とにかく中国は人が多くてその上マナーが悪い。
紫禁城(故宮博物院)は広大な敷地の中の建物の外観を見るだけで、2,3ヶ所建物の中を
観たが展示室になって居て建物の壮麗さは感じられない。
主人の話によると台湾の故宮博物館のほうが工芸品は立派なものが有るとか。台湾にも行かなければ。
昼食の後、北京の古い町並み胡同(フートン)を観光。取り壊し寸前で観光とは名ばかり。フートンのおじさん
北京ダックの夕食の後レストランより京劇鑑賞に。イヤホンガイドを借りて説明を聞く。
観光客用に障りの部分を三話ほど見る。一度見れば良いかなー。
4日目 最終日。スーツケースを持ってロビーに集合。
天壇公園へ。広い公園の中で思い思いにスポーツ、ゲームを楽しんでいる。
その奥に皇帝が天の神様を祀った御堂や門がある。中は覗くだけ。
そこそこに観光してショッピング。ラテックスのお店へ。
現地ガイドは観光よりショッピングガイドに熱心。バックマージンが大きいのかなー。格安ツアーだから。
昼食の後、空港へ。青島経由セントレア。
最終のミュースカイには間に合わず犬山着23時30分。
月曜日は天気も良いので洗濯、スーツケースの片付けと頑張ったが風邪気味で気分が悪い。
火曜日にはとうとうお医者さんへ。朗読教室は人数減少の折、休むわけにはいかないし。
古都西安から敦煌へ 9日間 (西遊旅行)
4月28日 5時15分 タクシーで犬山駅へ。
8時50分セントレア発上海へ。
上海では自分達で国内線搭乗手続きをすることに。
入国審査、荷物の受け取り、国内搭乗手続き、言葉はできないが何とかすべてを済ませ
のんびりと昼食をとり、国内線ゲートで添乗員さんと合流。やれやれほっとする。
蘭州への飛行機が1時間半遅れホテルへは10時過ぎに到着。
4月29日 8時30分、出発。天気 晴れ
昨夜の道を又走ったのだが自然の厳しさを感じさせる景色。
シルクロード河西回廊はこの季節まだ砂嵐もある。
開館を待って甘粛省博物館を見学。
その後3100mの烏鞘峠を通り武威へ。
3100mの烏鞘峠より万年雪の祈連山脈
市内観光。中国三大孔子廟の文廟、
青銅製の奔馬が出土した雷台と大雲寺へ。雷台には大きな奔馬像があるがコピー。
本物は先の甘粛省博物館にあり34.5×45cmの大きさ。
この写真は博物館の本物です
街(オアシス)を出ればまた土漠と厳しい自然。ちっとも景色が変わらない。
夕食はホテルで。ここで自己紹介。東京から10人関西から5人中部から2人。
ゴールデンウィークなので若い人も居て平均年齢は低い。それに夫婦は3組のみ。
4月30日 8時 出発 天気 晴れ 薄い砂のベール
土漠の中を帳掖へ。大仏寺を見学。大仏殿には巨大な釈迦涅槃像が。
体長34.5m 肩幅7.5m。その後万寿寺木塔へ。外観のみ。酒泉へ向かう。
酒泉では明代の鐘鼓楼の外観を。入場出来ないので東西南北から眺める。
酒泉は夜光杯が有名。大小二組の夜光杯を購入。
夜光杯 さてワインにしようか大吟醸か?
流砂に埋もれた謎の廃城、黒水国城堡遺址とゴビの地下墳墓に残る魏晋壁画墓へ。
広い土漠の中に小さな建物が。地下への入口。中が狭いので2班に分かれて入場。
中には緻密な日常の壁画がいっぱい描かれている。
この土漠の中には、このような墳墓がいっぱいあるとか。
本日は500kmの移動。9時半近くにホテル着。食堂へ直行。お疲れ様。
5月01日 8時 出発 晴れ
嘉峪関の町は鉄鋼と観光の町。町は整然としてきれいな街。町から1時間くらいの所に
史跡嘉峪関がある。嘉峪関は11mの城壁に囲まれた要塞。西の門の向うは長い長い
砂漠の道へ。私たちも沙州(敦煌)へ。途中、楡林窟へ。楡林河の両岸に41ヶ所の窟。
壁画が美しく残されている。 嘉峪関の一廓
楡林窟の外廊下
現在は外廊下で繋がっているが当時は窟から窟へ繋がっている。
すごい風と砂の中をバスに戻る。瓜州に戻り敦煌へ。
ふと気が付くと車窓が霧のよう。砂嵐です。
今日は1番前の席。前が良く見える。砂のベールの中から車のライトが見えてくる。
サイドの白線を見ながらゆっくりと進む。運転もしていないのに手に汗を握る。
しばらくすると少し薄くなりやれやれほっとする。
本日は600kmの移動。敦煌泊、敦煌山荘 鳴沙山が目の前に広がるロケーション
5月02日 8時30分 出発。 晴れ
いよいよ莫高窟へ。本やテレビで見てもこの壮大さや美しさは分からない。とにかく自分の目で
見なければ。シンボル的な大大仏。洞窟の中にどのようにしてこんな大仏を穿ったのか?
そしてその窟の多さにびっくり。残念なことに写真撮影禁止。午前も午後も見学。この中に大きな大仏様が。左右にはアパートのように幾つもの窟が穿たれて壁画や像が色鮮やかに残っている。
その後、鳴沙山へ。美しい砂の山。けばけばしいブーツを借りて砂山に挑戦。
上りは縄梯子が敷かれているので梯子の上を登る。頂上からの眺めは最高。
下りは砂の中を滑り降りる。苦労して登ったのにあっけなく下りてしまう。
ホテルで小休止の後、夜の市場で沙州名物、砂鍋(鍋が砂で出来た鍋物)の夕食。食後は夜市を
散策。
5月03日 8時30分 出発。 晴れ 今日も風が強い
敦煌などの映画の撮影に使われた施設が博物館として保存されているのを見学。
映画の舞台裏がよく分かり中々面白い。楽しめた。
次は漢詩にも詠われた関所跡、陽関へ。鉄柵に囲まれた大きな煉瓦と泥の山。
砂の谷にはかつてのシルクロードが通っていた。昼食の後。漢の西端に位置した
玉門関故城址。ここも煉瓦と泥の山。
陽関 玉門関
今回は行けども行けども長城を目にする。と云っても泥と煉瓦、藁と泥との遺跡。
北京の長城とは大違い。頂上の長さを思い知った。
鳩摩羅什ゆかりの白馬塔を見学の後レストランでの夕食。鳩摩羅什の経典を担がせていた馬が死んだのでその馬の墓
5月04日 8時30分 出発 晴れ
9時32分発 敦煌駅より西安へ
24時間の列車の旅。二段ベッドの四人部屋。
食堂車では添乗員さんのはからいで寿司太郎のご飯が美味しかった。
5月05日 9時23分 西安駅着、
20世紀最大の発見と云われた兵馬俑坑博物館へ。 兵馬俑坑博物館
大雁塔、陜西歴史博物館へ。
少々お疲れで 陜西歴史博物館はあまり興味がわかなかった。
夕食は18種類の名物餃子宴。
5月06日 5時20分 ロビーでボックスランチを食べ空港へ
8時 西安発。上海での乗り継ぎは飛行機で隣席の現地ガイドさんに案内してもらい
スムーズに搭乗口へ。
15時05分 中部空港着。
10月6日 セントレア11時15分発ハノイへ。
(4,116歩) 予定より5分ほど早く動き出す。まずは順調に出発。
ほぼ満席。ベトナムへは毎日飛んでいるのに結構な利用状況。
14時25分(時差2時間)到着。のんびりと荷物が出てくる。
出口でガイドさんと対面。8日間のお付合い。
38歳の男性、タインさん。笑顔が可愛い。
市内のホテルに向う。ロビーでは日本語が飛び交っている。
夕食のレストランでも日本人だらけ。
10月7日 のんびりと朝食を済ませて空港へ。
(6,673歩)ハノイからディエンビエンフーへ。ここから先は日本人には2人会っただけ。
到着後昼食を済ませてムオンライへドライブの始まり。
今回の旅での道路の悪さは覚悟していたが覚悟以上に悪い道。
土砂崩れのところもあり、待機させられることも。
予定のホテルは橋が水に浸かり通れ無いので70km先の第二ホテルまで
行くとの連絡。時速30~40kしか走れないのに。
8時近くにホテル到着。
今日の観光はトイレ休憩がてら村を眺めただけかな?
今日のホテルはすごくクラッシック。天蓋付きのダブルベッド。
すべて設備もクラッシック。シャワーは諦め。
10月8日 昨日たくさん走ったので8時出発。
(12,968歩)もっとも悪路には変わりない。
途中バタンの土曜市場に寄る。
少数民族の人達がそれぞれの衣装で買い物をしている。
ザオカウ族 ハニ族 白モン族
私も、もち米の粉に芋餡を包んだ揚げ菓子を買う。
もちもちと甘く美味しい。
サパ到着後、ザオ族の村を訪問。
途中棚田が美しい
車から降りると民族衣装の小母ちゃんに囲まれる。
小母ちゃん達の頭がナンか気になる。
赤いスカーフをしているが結婚した人は剃髪しているとの事。
今は剃髪しない人も居るらしいが。納得。
サパの街は霧の街。日本の温泉街のように少数民族の人達と
海外からの観光さんでにぎわっている。
夜霧の街を散策する。サパの街をもう少しゆっくり観光したかった。
10月9日 8時バックハーに向う。
(14,479歩)本日の道は良好。
とは云え道路には水牛、犬、鶏、アヒル、そしてバイクが走行、横断している。
水牛の朝一の糞は巨大。それも積み上がっている。
バックハーに到着後、サンデーマーケットを見学。
色々な少数民族の人々が様々な衣装で出会いと買い物と憩いを
愉しんでいる。丘の上では水牛市場が開かれていた。
水牛を売りに来た人々
午後はフラ族の村を歩く。村の入り口で珍しく日本人2人に出会う。
村の中は民族衣装の人もいるがTシャツにズボンの人もいる。
歩いてホテルに到着。
10月10日8時15分ハジャンへ向けて出発。
(5,280歩)パテン族の村を訪問。民族衣装を着けたガイドさんが案内してくれる。
ちょうど水牛を解体した所へ出会う。村の人々が集まり買っている。
自宅で使う分は取り置きし、残りを村の人達に買ってもらう。
何処の村にも子供が多い。この村では子供達がわいわいがやがや後を付い
て来る。農作業に出かける人達にも会うが菅笠にTシャツ、パンツ姿。
写真集に載っているような民族衣装での農作業はお祭りか特別なときとの事。
家の中も見せてもらうが民族的な違いはあまり無い。
高床式の家もあるが減りつつあるとか。
高床式の民家
何処の村も出稼ぎに出た家は都会風な物に建て変わっている。
10月11日このホテルは食堂が無いので朝食は街の大衆食堂。
ホーに野菜や肉炒めがのり甘酸っぱいたれがかかっている。
なかなか美味しい。朝食後バックアンへ向けて出発。
途中、村に寄る。田んぼでは稲刈り。民家に寄るが留守。
農作業に出ているのだろう。
稲を刈る人々
昼食も道中で大衆食堂へ。今度はチャーハン。
店の前で思いっきり炒めてくれる。安心して食べられる。これも美味しい。
午後の道はもう覚悟以上の悪路。骨がバラバラになりそう。
夜道になり一時雨は降り出すし車が止まったらとドキドキした。
8時ごろホテルへ到着。外の食堂へ。
10月12日今朝も町の人達の食堂へ。
皆も食べているバィンウォン。
自分で作ってみるがなかなか上手くはできない
米粉の汁を布の上で蒸す。私も体験するがうまくいかない。
ツルンとした舌触りが美味しい。
午前中は自由行動。町を散策。
出発後道中で昼食。今度はホーの焼そば風。備え付けの醤油風味をかけると
これまた美味しい。
日本人には気を使ってレストランふうの処へ案内してくれるが
町の食堂の方が楽しくて美味しい。
村を1つ見学してハノイへ向う。
道中面白いものを売っている。もち米を竹筒に入れて蒸し焼きにしたお弁当。
帰宅後蒸し直して美味しく食べた。
途中事故車のため大渋滞にはまるが深夜便のため支障なし。
空港で夕食後零時5分離陸。
4時間20分のフライト。
10月13日予定より早く6時15分セントレア着。
8時30分帰宅。
厳しい旅とは覚悟していたのでそれなりに楽しむ事ができた。
個人旅行なのでバケージダウンも無く、食事などもそれなりに
楽しむ事ができ地元の人達とのふれ合いもあり楽しかった。
旅行社の題名はペルシャ歴史紀行。
故にガイドのレザさんはペルシャの歴史について事細かにしっかりと説明してくれた。
しかしその説明を書いていると歴史の教科書のようになるのでここでは、
歴史は抜かしてペルシャ紀行としよう。
4月2日(第1日)
名古屋駅15時発エミレーツ航空のバスにて関西空港へ。
関空より13人と添乗員。トランジットのドバイで成田よりの4人と合流。
震災の為かブラジルへ帰る人達が多くほぼ満席。エミレーツ航空の制服ちょっと可愛いかな
4月3日(第2日)
テヘラン着10:25。女性は機内よりスカーフと腰の隠れるコートを着用。
ホテルの部屋でのみ自由。
日本人には指紋審査をする事になっているが係官により異なるが
あいにくツアーの4人が指紋審査をされ、空港を12時出発。
昼食の後、宝石博物館と絨毯博物館へ。
王冠や宝飾品の宝石の多さに圧倒される。
カーテンの飾り房まで芥子粒の真珠で作られている。
トルコのトプカプ宮殿の宝飾、モスクワの武器庫の宝飾より素晴らしく感じた。
私が女性だからかしら?
機中泊に続く観光でクタクタの夜。
バスタブで長々と疲れを取る。(バスタブの栓が無いのでプリペートカードと灰皿で工夫)
(テヘラン泊)
4月4日(第3日)
8:30.ホテルを出発。
コム⇒カシャーン⇒イスファハンへ。350kmの走行。
途中のドライブインでアイスクリームを食べる。イランのアイスクリームは美味しい。
コムのハズテラ・マースーメ廟を見る。
ここは本来異教徒は入れないのだが私たちも借りた布ですっぽりと頭から身を包み見学。
モスクへは何組もの葬儀の人達が訪れていた。
霊廟は金色の屋根と尖塔が均整の取れた美しい姿。モスクには入れないが廟は中も見学
この街は宗教者も多く見かけ街の女性もチャドル姿が多い。
テヘランなどではコートにスカーフ姿の人も多い。
オアシス都市、カシャーンでは19世紀前半に建てられた商人の屋敷、
ボルージェルディーハーを見学。
門扉のチェッカーは左右で大きさが違い大きいほうは男性、小さい方は女性が
叩く。音によって訪問者を聞き分ける。これは他の門扉でも見かけた。
その後イスファハンへ向いハージュ橋を見る。
雨が降り出したのでホテルへ。ホテルはすぐ近く。
部屋に入ると雨が窓を叩いている。
(イスファハン泊)
4月5日(第4日)
本日は連泊。そして9時出発と朝はのんびり。
今日はイスファハン市内観光。
ホテル近くの33アーチ橋へ。
昨日のハージュ橋と33アーチ橋、ザーヤンデ川に架かる趣のある石造りの橋。
夜にはライトアップされ恋人達の憩いの場。現在のイラン。カップルで愉しんでいる人は
結構居る。
ライトアップされたハージュ橋
金曜モスク、40柱宮、アルメニア教会を見学して昼食。
ここで食事について。
スープにサラダそしてマトンとかチキン魚。
結構大きなお皿にご飯がいっぱい。上にサフランライスが飾られている。
お肉は何処か?とご飯を崩すと中に埋まっている。ナンを食べたからご飯は
要らないと断るとお肉もバイバイとなる。1度は主人のお肉を半分貰った。
ヨーロッパでもだがお米は野菜扱い。
次はイランのお菓子、ソウハンを買う。蜂蜜とナッツで出来たとても甘いお菓子(私好み)
帰国してからも楽しめそう。
午後はイマーム広場のイマームモスク、宮殿、王様のモスクなどを見学。
イマーム広場のアルカプ宮殿テラスより王様のモスクを眺める。
その後夕食まで自由行動。広場の周りはバザール。
宝石箱に細密画を描いてるおじさんの店で宝石箱を1つ、
更紗の店でテーブルセンターを買う。上手に更紗の型を合わせていくおじさん
細密画を丁寧に描く
細密画を描いてるおじさん、何処から来たのと訊くので、
日本と言うと地震の揺れるまねをして胸に手を当て心配してくれる。
みんな日本の震災をよく知っている。
今日の歩行数14500歩(仲間の計測)
(イスファハン泊)
4月6日(第5日)
8:30 ホテル出発。
ゾロアスター教聖地ヤズドへ。
途中ナイーンの街で金曜モスク(紀元800年頃、八角形のミナレット)、 金曜モスクの八角形のミナレット
ナリーン城砦(4千年前)、
中世の隊商宿キャラバンサライを見る。
ヤズド到着後、イランの古式体操ズール・ハーネを見る。
これはショーでは無く鍛錬の場を見せているよう。
汗臭くあまり楽しいものではない。
(ヤズド泊)
4月7日(第6日)
8:30 ホテル出発。
ゾロアスター教(拝火教)の鳥葬の場、沈黙の塔へ。
小高い丘が2山、男性用と女性用。
麓には小さな家屋跡が数戸。遺体を鳥葬の場に置いて1週間後に
鳥葬されているのを確認する。1週間滞在する為の家屋。
そして1500年以上燃え続けている聖火が安置されている拝火神殿へ。1500年以上燃え続ける聖火
ここで今はもう行われていない鳥葬を経験した老人に会う。
午後は砂漠の中をひたすら走りケルマーンの街へ。
(ケルマン泊)
4月8日(第7日)
ケルマーン郊外のバム城砦へ。
非常に古い遺跡で日干し煉瓦。そして2003年の大地震とで
痛々しい姿の遺跡。
広大な遺跡のあちこちに補強の為の支柱が痛々しいアルゲ・バム
次の遺跡はイスラムの要塞、アルゲ・ライアン。
ここも大きな都市遺跡。塔の上から一部分を見る。
(ケルマン泊)
4月9日(第8日)
本日は7:30 出発。シラーズまで600km。
ひたすら走る。湖が見える。塩湖だ。
二つ目の塩湖でバスストップ。マハルル湖。
集められた塩が山のよう。
ビニール袋を持って岸へ。なめて見ると美味しい。地元の人も袋に詰めている。
治療の為、腰まで水に浸かっている人も居る。
トマトにかけるにはチョット。野菜とかスパを茹でるのに使おう。
(後日談 アサリの砂出しに使ったが口を開かなかった。海の塩と違う?)
(シラーズ泊)
4月10日(第9日)
8:15 シラーズ郊外の観光。
ペルセポリスへ。
ペルセポリスのレリーフ
これで中東の3Pを見たことになる。
シリアのパルミラ、ヨルダンのペトラ、イランのペルセポリス。
ここは石の遺跡なので巨大な門、柱、建物などレリーフがいっぱい残っている。
そして王墓の残るナクシェ・ロスタム、ササン朝初期のレリーフが残るナクシェ・ラジャブ、
アケメネス朝発祥の地パサルガダエを見学。
ナクシェ・ロスタム 岩山に穿たれた墓 十字の面にもレリーフが。
バス移動の少ない日で歩数10400歩ほど歩いているとの事。
本日は連泊。しかし明日の朝は・・・・・
(シラーズ泊)
4月11日(第10日)
本日も又7:30出発。アフワーズまで650km。
ザグロス山脈の荒々しい岩山の景色を愉しみながらのドライブ。
里にはイチジクとアーモンドの畑が何処までも続いている。
小休止。イチジクジャムと殻付きアーモンドを買う。
途中、ササン朝の都ビシャプール遺跡や断崖に穿たれたレリーフを見学。
旅も残り少なくなってきた。体は慣れてきたのに。
(アフワズ泊)
4月12日(第11日)
今朝は10:30 出発。
アケメネス朝の行政の中心だったスーサ遺跡、
古代メソポタミアを代表するチョガザンビル、
紀元前2000年の遺丘ハフト・テペ、ダニエル廟を見学。
夕食後アフワズ発23:30 国内線でテテヘランへ。
飛行機の遅れもありベッドに入ったのはA・M2:00過ぎ。
明日は朝寝をするぞ・・・・・・・
(テヘラン泊)
4月13日(第12日)
2回目のテヘランの朝。
のんびりと朝食を済ませ近くの公園を散歩。
設備の整った広い公園で道路にバレーボールやサッカーのコートが書かれている。
ジムの用具もある。バトミントンやバレーボールを眺めていると一緒にやろうと誘われる。
イランの人達はみんなフレンドリー。すれ違っても目が会うとニコッとしてくれる。
一緒に写真を撮ろうとも云われる。
散歩の後はスーパーで買い物。イランリラを使い切る。
12:30 ホテルを出発。今日の昼食はイランの名物料理アブ・グーシュト。
石の臺の中にマトン、人参、たまねぎ、ジャガイモ等が煮込んである。
まずスープだけをスープカップに移し付属の棒で具を潰す。
しっかり潰した方が美味しい。ナンの上にその具と香草を乗せて食べる。
スープは飲んでもナンを浸しても。美味しかった。
名物料理アブ・グーシュトを愉しむ
その後考古学博物館、バザールを見学。
空港へ向いファストフードの夕食。
22:45 ドバイへ向けて出発。
(機中泊)
4月14日(第13日)
ドバイ発 03:00 関空へ向けて。
空席が多く殆ど横になって寝ている。もちろん私も。
関空では日本蕎麦を食べてエミレーツのバスで名古屋へ。
このバスも行きとは違って10人ほどの人。
10時前に名古屋着。
長い旅も無事終わった。
日本ではイラン人のイメージは偽テレホンカードとか麻薬の密売とか好くないが、
ほんとうのイランの人々は親日家が多い。日本のみんなにもっともっとイランの
そしてイラン人の良さを知ってもらわなければ。
完