2010年10月13日(第1日)
朝8時30分に我家を出発。関西空港へ。
スーツケースを受け取り関空組の他の3人と顔を合わせる。
名簿を見ると夫婦は我々1組、母娘組、女友人同士、あと3人は個人。(男、男、女)
2020年10月14日(第2日)
朝ホテルロビーで成田組と添乗員と顔合わせ。
朝食はロビーでお弁当を食べる。
8時15分広州より新疆ウイグル自治区の中心地ウルムチへ。
飛行機の下には真っ白な雪山。
着後新疆ウイグル自治区博物館を見学。
自治区内の色々な民族の生活を展示。そしてミイラ。
ここで発見されたミイラはエジプトとは違い作られたミイラではなく
自然に出来た物で内臓などもそのままにミイラになっている。
夕食前に地元のスーパーへ出かける。
鶏の足の炒め物など、食文化の違いを感ずる。 鶏の足先
2010年10月15日(第3日)
今朝はモーニングコール5時45分
飛行機にて中国最西端の町カシュガル(喀什)へ。
エイティガルモスク、香妃墓を観光後ウイグル族が暮らす旧市街、職人街を歩く。 エイティガルモスク
職人街では刺繍の綺麗なウイグル帽を買う。
ガイドさんが焼きたてのナンを買ってみんなに分けてくれる。美味しい。
昼食はウイグル料理。ラグメンとポロ、羊肉のケバブ。
ラグメンは引っぱりながら本数を増やし細い麺にしていく。
ウイグル味の具と汁がかかっている。
ポロは炊き込みピラフの様。
ケバブは串焼肉。結構大きな1串。
ホテルで一休みの後バザールへ。
カシュガル泊まり。
ラグメン作り。台に打ちつけながら本数を増やしていく。
後ろの窓から焼きたてのナンが飛び出してくる。町で見かけた街頭床屋
2010年10月16日(第4日)
今日はパキスタンやキルギスとの国境に近いカラクリ湖へ。標高3,600m。
2,600m辺りから動きをゆっくりにしないと息切れがする。
カラクリ湖の近くでキルギス族のレストランでキルギス料理の昼食。
(我々の時計は北京時間。現地の人はウイグル時間。2時間の時差がある。
昼食は毎度午後2時過ぎ。)
天気は快晴。エメラルドグリーンの湖の背後にはムスターグ峰が映える。
険しいドライブだったが途中の岩山の風景と湖の景色に疲れも癒される。カラクリ湖とムスターグ峰
カシュガル泊まり
2010年10月17日(第5日)
今日は農民の集う郊外の動物市へ。
トラックやロバ車で羊、ヤギ、牛、ロバ、馬。ドンドン運ばれてくる。 びっしりと繋がれた羊
羊はお尻の脂で値段が決まる
私、トラックから降ろされる牛の下敷きになる処をガイドさんに助けられる。ビックリ。
売る人、買う人の様子を見ていると飽きない。必死でお金が行ったり来たりしている。
その後メルケトへ。世界無形遺産のウイグル族の歌舞演奏『ドラムカム』を観る。
日本にも演奏に来たことがあると嬉しそうに話していた。
夕暮れの村をロバ車で散策。民家訪問で夕食をご馳走になる。
メルケト(麦盖提)で一番よいホテルと云われたが三ツ星ホテル。
2010年10月18日(第6日)
ホテルを出発して西域南道の隊商の町ホータン(和田)へ。
途中ヤルカンドにてガイドのアリムジャンの家を急遽訪問。
ウルムチに住むアリムジャン。久しぶりにお母さんに会えて嬉しそう。
ホータンへは午後9時前に到着。
2010年10月19日(第7日)
ホータン市郊外の古代ウテン国の砦跡、マリクワット古城をロバ車で。
その後白玉河の川原で玉を探す。どれが玉やら石やら?
ホータン博物館を観る。この頃より気分優れず。
ニヤ(民豊)泊。今夜は自室で紅茶とクッキーの夕食。
2010年10月20日(第8日)
今日は12時間かけて700kmのタクラマカン砂漠縦断。
行けども行けども砂の海。そして胡揚の紅葉。
胡楊は生きて1000年枯れて1000年倒れて1000年腐らないといわれる。
3000年の樹。胡楊に会えてよかった。 ひたすら続く砂漠行路
砂漠の風紋
砂漠の胡楊
胡楊の古木
夜になってクチャ(庫車)に到着。
2010年10月21日(第9日)
終日クチャ観光。キジル千仏洞。イスラム教の人達に目をくり抜かれたり
顔を潰されたり探検隊に剥がされたりと痛々しい壁画。
ここクチャはサンスクリット語の経典を漢語に訳した鳩摩羅什の故郷。 キジル千仏洞入口
鳩摩羅什の像
そして新疆最大規模の仏教寺院遺跡スパシ古城へ。
ローマ遺跡の石の文化と違い泥と日干し煉瓦の遺跡。
今にも崩れて無くなりそうで悲しい。
今夜は夜行寝台車でトルファン(吐魯番)へ。
標高の高い所は寝ているうちに通過。朝食は食堂車で。
トルファンへ近ずくと強風で徐行。しばし遅れる。
強風のため寒さもきつい。
2010年10月22日(第10日)
ダウンジャケットを着込みトルファン市内へ向う。
ベゼクリク千仏洞、アスターナ古墳へ。
途中西遊記にも登場する火炎山を見るが曇り空のため
火炎山の趣が無い。残念。
高昌古城へはロバ車に乗って。
トルファン泊まり。
2010年10月23日(第11日)
朝、高台に築かれた城址遺跡、交河古城を見学。
交河古城は河と河に挟まれた広大な城址遺跡。
仏像が祭られていた痕跡が見られる
その後ウルムチに向うが風が強くトラックが何台も横倒しになっている。
昨日は雪も降ったとか。まだ雪が残っている
ウルムチから広州に向う飛行機は遅れ午前2時にベッドに入る。
2010年10月24日(第12日)
10時30分広州発関西空港へ
午後8時過ぎに帰宅。
12日間の厳しい旅だったが美しい景色と厳しい自然とそして人々の暖かい持て成し。
政府間のギクシャクと個人の交流は別のよう。
催行確定との電話連絡があった。10月に12日間。
新疆ウイグル自治区での暴動以来ツアーは出ていなかったが5月に再会された。
シルクロードも中国の道は始めて。
厳しい旅とは聞いているが漢民族の中国とは違う異国を楽しめそう。
ワクワクしてきた。
5月11日名古屋発15時30分関空へ向けて出発。
関空⇒ルクソール⇒カイロ⇒アテネ。名古屋を出発して28時間の旅。
12日13時30分アテネ到着。時差6時間。
市内観光に出発。デモのあった国会議事堂前、アクロポリスの丘、
パルテノン神殿、アテネオリンピックのスタジアム。国会議事堂前の衛兵 デモの有った所
パルテノン神殿
出発前はギリシャ情勢を心配したが至極平穏。
ガイドさんも1日だけのデモを何回も報道され迷惑ですとの事。
街は花の季節でジャカランダの花を見ることが出来たのはとても嬉しい。
気温は思ったより涼しくTシャツに薄手のジャケット。
アテネは連泊なので早々に就寝。
13日本日はピレウス港よりエーゲ海クルーズ。
港には大きな海外航路のクルーズ船がいっぱいで壮観。
エギナ島、ポロス島、イドラ島。エギナ島
ポロス島の足 馬達
ポロス島は小さな島で車は無くロバや馬が活躍している、のんびりした島。
エギナ島は古代にはポリスとして栄えた島。ピスタチオの産地で赤い実の
付いた木がいっぱい。ピスタチオアイスは美味しかった。美味しいピスタチオアイス
14日7時30分出発。毎度同じ人が遅れる。ブー。
オシオス、ルカス修道院を見学後デルフィへ。オシオス、ルカス修道院
デルフィの遺跡は山の斜面にあり気温も上がって来たので汗を拭き拭き観光。
観光後カランバカへ。車窓からはエニシダの黄色が斜面一面に見られ美しい。
ガイドさんいわく。ギリシャではエニシダの事をスパルタと言うそうです。
ほんとに強い花なのでしょう。いたるところに咲いています。抜けるような青空に映えるエニシダ
デルフィでは快晴でしたがカランバカは曇り空。
15日今日はメテオラ観光なのに朝から土砂降り。女性はロングスカートでとの事。
土砂降りの中200段ほどの階段を登り修道院へ。二つを観光。
雨のメテオラも憂いが有って好いが晴れのメテオラも素晴らしいと思う。
機会があればもう一度訪れたい。雨に煙るメテオラ修道院
次はテサロニキから寝台特急でイスタンブールへの予定でしたが
線路に土砂崩れのため不通。アテネに戻り一泊。明日早朝空路にて
イスタンブールへと変更。
イスタンブールへの国際列車。一名安眠妨害列車。パスポート検査の為に
何度も起こされるとか。ちょっと乗ってみたかった。残念。
16日6時朝食ボックスをもらって空港へ。
イスタンブール到着後市内観光。ブルーモスク
ブルーモスク、トプカプ宮殿と観光後一区間だけの地下鉄に乗り市内散策。
路上で焼き栗を売っているので食べながら歩く。しかし美味しいのはあまり無く
『観光さんしか買わないよねー』と云った感じ。
その後エジプシャン゛ザールで観光。ここで2人迷子。しばし捜すが見つからず。
2人は自力でホテルへ到着。
17日8時出発。トイレ休憩以外はひた走る。トロイへ。
私はトルコは2度目。遺跡の説明はよく理解できた。木馬は新しくなっていた。
観光さんは17年前より多い。郊外の発展振りも目を見張る。
また150Km走りアイワルクの街で宿泊。
18日エフェソスへ。
アルテミス神殿、エフェソス遺跡を観光。
ローマ時代の遺跡が広大な規模で残っている。
古代ローマ人の生活が偲ばれる。
19日今日はパムッパレ観光。綿の城といわれる石灰棚。綿の城 空の色を映しとても美しい
前回に比べお湯の量も規制され歩ける所も少なく観光さんだけが多く
がっかり。その後コンヤへ。メヴラーナ博物館。ここも前回は土間だったのに
板張りに改装されていて靴カバーをつけて見学。
今夜のホテルには立派なスポーツジムがある。夕食後2人で泳ぐ。快適。
20日8時出発。途中キャラバンサライの前でカメラタイム。
一路カッパドキアへ。カイマクル地下都市を見学。迷子にならないように
腰をかがめて進むのは大変。地上にはきのこ岩がいっぱい。
不思議な岩の景観がすごい。
今夜は洞窟ホテル。元富豪の屋敷とかで部屋ごとに様子が違うので
お部屋探検ツアーをする。
21日朝外を見ると大きなバルーンが見える。バルコニーへ出ると十個ほどの
バールーンが浮んでいる?綺麗な青空で気持いいだろうなー。早朝カッパドキアの景色を空より愉しむバルーン
朝一はギョレメ博物館。洞窟教会を見る。数々の奇岩を見た後アンカラへ。
アタチュルク霊廟、アンカラ城を車窓より見る。
22日アンカラを出発して450Kmイスタンブールへ。
イスタンブールは大渋滞。デモで道路が一部閉鎖されているとかで。
昼食も2時ごろに摂れた。予定していたグランドバザールはただ通り抜けただけ。
飛行機も遅れてホテル(エジプト)に着いたのは23日1時少し前。
移動に費やした一日。疲れたー
広いトルコに点在する観光地を巡るので毎日300~450kmを走るので体力が要る。
23日エジプト観光スタート。ギザの三大ピラミッド観光。クフ王のピラミッドに入場。
中腰で40m.ほど進むのはしんどいし蒸し暑い。
午後からは皆さんはオプショナルツアーにお出掛け。
私たちは2度目なのでパス。青空の下、ホテルのプールでのんびり泳ぎ昼寝。プールで出合った兄妹
24日エジプト考古学博物館。メインの説明を聞き後は時間を潰す。
前回のエジプトのガイドさんはとても日本語が上手だったが今回の人は皆が
分り難いとぶつぶつ云っていた。しかし3、4年したら大学の日本語の先生になると
と云っていた。この人に教えられた人はどんな日本語を話すのだろう?
観光後空港へ。
25日カイロ発00:01 約11時間29分のフライト 関空着17:30
23:00犬山 自宅到着 楽しかった15日間。元気で帰宅できてよかった。
12月03日上海の空港で現地ガイドさんに「よろしくお願いします。」
上海の空はスモッグに覆われている。一路蘇州へと向う。
世界遺産の庭園『留園』を観る。
夕食後東洋のベニスと云われる蘇州の運河ナイトクルーズ。
なかなか情緒があって愉しい。


12月04日8時出発で無錫へ向う。
琵琶湖の3倍の広さの太湖の畔にある三国志のロケ地三国城
「テーマパーク」へ。
太湖クルーズの後の馬に乗っての合戦のショーは圧巻。

蘇州へ戻り漢詩で有名な寒山寺を見学。夕食前に足壷マッサージへ。
1時間40分のリラックスタイム
12月05日車窓より蘇州の斜塔(2500年前の呉王の父の霊廟)を眺める。
一路杭州へ。風光明媚な西湖遊覧と湖畔散策。太湖より小さい
湖だが景色は中国らしく趣のある湖。

その後銭塘江の大逆流を見るために作られた六和塔へ。

高さ60mの木造の塔。最上階まで上り景色を愉しむ。杭州泊。
12月06日8時出発上海へ戻る。
上海博物館と南京路散策。博物館は説明文が読めないので
何だか物足りない。

夜は期待の上海ヒルズからの夜景見物。

3月に香港の夜景を見たが上海ヒルズからの夜景見物の方が
素晴らしい。ガイドさんの話によるとパリが1番。2番は上海
3番が香港とか。塔の高さは世界で2番目。隣のテレビ等が
低く足の下に見える。建設は日本の森ビル。
12月07日魯迅公園へ。太極拳をするグループ。社交ダンスをするグループ。
歌を歌うグループ。 道に水で字(漢詩)を書いている人。
いく組もの人達があちこちで愉しんでいる。

その後魯迅館を見学。
2010上海万博展示センター見学。大した物では無い。
新天地散策とショッピングの後空港へ。
21時35分中部国際空港着。それなりに愉しくのんびりとした旅でした。
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2009年 10月15日~10月22日
10月15日 13:50 セントレアより上海へ(2時間25分)国内線に乗り継ぎ昆明へ
23:30 ホテル到着。キツイ一日 (昆明泊)
16日 05:00 モーニングコール。朝食弁当を持って空港へ。
国内線で麗江へ(50分)
到着後玉龍雪山を眺められる玉泉公園へ。
泉と山。そしてナシ族の老人達の歌う姿。憩う姿。


昼食後はいよいよ氷河見物。3時間のドライブの後、標高3,100mの
登山センターよりクリーンバスそしてゴンドラにて4,506mの展望台へ。
心配した高山病の症状も無く予備に酸素ボンベを時々吸う程度。
天気は快晴。景色は絶景。


下山後虎跳峡ハイキング。金沙江の激流。断崖絶壁を見ながらの
ハイキング。そして麗江へ。
夕食のマツタケ料理にはガッカリ。()(麗江泊)
10月17日 今日はチョットゆっくり8時出発。麗江市内観光へ。
世界遺産の古い町並みと石畳の道。
しかし、どこへ行っても中国の観光さんの多い事。
トイレでもバイキングでもガンバッテいないとすぐ割り込まれる。


麗江も標高が高く朝晩はとても冷え込むが日中は日本と同じぐらい。
でも町の中にはブーゲンビリアの花が咲き野原にはサボテンが
生えている。
午後は長江の流れを見ながら香格里拉(シャングリラ)へ。
(シャングリラ泊)
10月18日 8時30分 ホテル出発。ナパ海のハイキングへ。富士山ほどの
高地に広がる草原地帯だがこの季節花は無くしらけた気分で
草原を眺める。ドライブの後金沙江(長江)が大きく湾曲している
金沙江月亮湾を眺望する。その後400年前に建造されたチベット寺院を
見学。修行僧は大勢居るのに掃除も行き届かずチベット特有の汚さ。
ラサへ通じる茶馬古道を走り途中白茫雪山を眺望。
本日131kmを走り徳欽着。(徳欽泊)



10月19日 7時20分ホテルの窓より朝日に輝く梅里雪山を眺める。
本日は馬に乗って氷河見物へ。
メコン河大峡谷を見ながら明永村へ。そこから原生林の中を1時間
馬に乗りさらに徒歩で登り3,000mの展望台へ。



本日も徳欽泊り
10月20日 徳欽より香格里拉へのドライブ。
往路もそうだがガードレールの無い
断崖の道。ドライバーさんの腕頼み。景色は唐松とポプラの紅葉。
そして何度ものカーブ。海外旅行で初めて気分が悪くなる。
香格里拉で雲南省最大のチベット仏教寺院、松賛林寺を見学。
ミニポタラ宮のようなたたずまい。
夜は旅仲間の案内で巨大マニ車と大仏寺のライトアップを見学。
(香格里拉(シャングリラ)泊)



10月21日 本日はゆっくり9時出発。碧塔海自然保護区へ。クリーンバスに
乗り換え碧塔海、属都湖のハイキングへ。手付かずの原生林。
リンドウがいっぱい咲いている。あちこちの木にリスが遊んでいる。
昼食後香格里拉に戻り旧市街観光。屋台の串焼きは美味しかった。
夕食後空路昆明へ。飛行機は遅れホテルへは12時前に到着。(昆明泊)


10月22日 予定の飛行機はキャンセルとのことで5時モーニングコール。
6時10分出発。上海での長いトランジットと遅れのせいで
P.M10時前にセントレア着。
P.M12時前に我家へ無事到着。
雲南省も徳欽まで行くとほんとうに秘境ムード。
昆明ですでに標高が高いがダイアモックスが効いたのか頭痛も無く無事に
観光することが出来た。出かける前は秘境は今回限りと思ったが今又秘境も
悪くないと思い始めた。
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南国の果物ジャックフルーツの木 | |||||
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ベトナム紀行
2009年5月4日 セントレア⇒香港⇒ホーチミンへ
空港でガイドのユイさんの出迎え。同行者は無く私たち
2人だけ。ホテルへチェックイン。休憩の後夕食はレス
トランでベトナム料理。
5日 8:30 ベトナム戦争の戦跡、クチトンネルへ。
○ホーチミン市内観光へ○統一会堂は地上階はフラン
ス風の会堂。地下には軍の施設が網の目のように広がって
いる。○サイゴン大教会○中央郵便局 現在も郵便局と
して使われているがお土産やも在る。
郵便局前から市場までシクロ体験乗車○ベンタイン市場
ひしめく様に店が並んでいる。
カシューナッツ1キロ4百円.―お買い上げ。
お目当てのマンゴスチンも買いホテルで食べた。美味美味。
6日 4:30 出発。国際線にてダナンへ。ガイドのファンさんの
お出迎え。 地元の人達に混じってベトナムのうどんフォー
の朝食。朝食の後はのんびりとした農村風景を愉しみながら
世界遺産ミーソン遺跡へ。田圃の中にはベトナム戦争の時の
爆弾のあとが池となってあちこちに残っている。
午後はホテルで休憩の後、世界遺産ホイアンの旧市街散策。
趣のある古い町並み。
昔は日本人街も在った所。日本橋などが残っている。
7日 今日はダナン経由で古都フエへ。
:阮朝王宮、ミンマン帝廟などを巡る。日差しも強くなり少々
お疲れ気味となる。ガイドさん気を利かせてスーパーマーケ
ットへ案内してくれる。出来たばかりのスーパーだが何もか
も安いので色々買い込む。
敏彦さんは呑み助のお土産にベトナムの焼酎を買う。
(瓶入りだから重量が?)夕食はフエ宮廷料理。
8日 今日は150km程のドライブで世界遺産フォンニャ・ケバン洞
窟へ。河を遡り手漕ぎで洞窟に入る。神秘的。
フエに戻り国内線にてハノイへ。
息子のようなガイドのHoangさんとの3日間家族旅行のよう
で楽しかった。
9日 バッチャン焼きの村を見学の後世界遺産ハロン湾へ。
結構大きなクルーズ船に4人だけ。
昨日までは大雨だったとの事で揺れるのではないと心配した
が快適なクルーズ。大小の島々を見ながら鍾乳洞の島に上陸
夕食はフランス風ベトナム料理?このレストランは日本人の
観光さんがいっぱい。関西弁が飛び交っていた。
10日 ハノイ空港へ。香港経由で帰国
P.M11:00前に帰宅。主人は明日から仕事。