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プライスコレクション 「わたしの心遠館」

2006-07-22 21:45:48 | 展覧会から
昨日 稽古の前に、博物館に寄る 本当は、もう一度プライスコレクションを見るつもりで行ったのだけど、持っている友の会の券では特別展は一回しか入れないとの事なので、会場外で開催されている、 あなたならどう見る? ジャパニーズアートをじっくり見ることにする。このコーナーにはかなり厳選された3枚の屏風を始とする8点のコレクションが展示され、それぞれに作品解説と、プライス自身の言葉が添えられている。例えば最初に展示されている「松竹梅群鳥八十八寿之図」には明治末期に米寿を祝って書かれたという解説のほか、プライスによる、鳥が木に止まっているときには枝をしっかりとつかみ、飛んでいる鳥はその躍動感を見てほしいと書かれている。さらにイヤホンを付けると様々な鳥の声が流れてくる。ありきたりの祝い図のように、鳳凰とか孔雀ではなく、様々な小鳥を画面いっぱいに書き上げ、しかもその鳥が全てつがいで書かれていることにも気づかされる。暫く鳥の声を聞きながら絵の前にたたずんでいました。次の「虎図」においては、目や、手足が大きく表現されていることに関して、江戸時代国内に虎は居なかった。だから画家は想像で書く以外に無かった。ただ かろうじて虎の敷物はあった。それを見て書く場合、平らになめされた手足は大きく見え、さらに眼の部分も皮が縮むことにより、実際より大きくなる傾向にあるとプライスにより解説されていた。さらに「唐獅子図」においてはじゃれあう母子の獅子にせりふの吹き出しを用意して、絵から受ける印象を考えさせるような工夫もなされていた。「仏涅槃図」においては、博物館の持つ色々な涅槃図を示しながら、必ず書かれなければならない約束事を、示していた。次にくる「松に鶴図屏風」は六曲一双の屏風絵であるが、未完の作品である。図録の解説に寄ると、本図は現実の風景を再現しようとしたのではなく、遠方から飛来する鶴は画面に溶け込み、穏やかな波打ち際に、彩色されずに残った白描のままの松の大樹が・・・・・ それがここではこの絵を完成させたらどんな絵に成るだろうとの想像力を掻き立てている。様々な彩色を施したミニ絵を用意して見せているだけでなく、自分で色鉛筆を使って彩色させる試みも行っている。屏風と言えば六曲一双の酒呑童子図屏風も展示されている。ここでは源 頼光が酒呑童子の討伐を命じられたところから始まり、討伐して都に凱旋するまでを書いているが、その物語の見方や、見る場所の違いとか、高さの違いによる、画面の変化について、判りやすく解説しているだけでなく、屏風の左右に足型を書き実際に立たせたり、薄縁を敷いた縁台を用意し、立ったり座ったりして見る事を勧めている。
いずれにしても、単に作品を展示するのではなく、コレクターの想いまで伝えようとする姿勢には、感じるものがあった。 ましてその部分が、特別展とは別に特別料金の掛からないコーナーに置かれ、中学や高校の生徒を対象とした「夢の展示プランコンクール『私の心遠館』成るものを募集しているのに強く共感するものがあった。
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