病院の義母に新年の挨拶をしに行った。今年6月には99歳になる義母は、血色もよく、肌もつやつやしている。残念なことに我々に語りかけることは無くなって久しい。もし話すことが出来れば、何を話すだろう。きっと自分の若いときの話でも話し始めるだろう。きっと自分がいくつに成っているなどと言うことは忘れているだろう。自分が若く張り切って夫の源吉さんと活躍していた町会のことでも話し始めるかもしれないし、仲間といった旅行の話かもしれないし、よく通っていた生まれ故郷の富山の話かも知れない。いずれにしても楽しい話が次々聞けたと思うと残念です。
今年も元気に過ごして欲しいと願っています。
ところで、病院に向かう途中に、多聞院があります。この多聞院には多くの話が絡み何から書いてよいかわからないほどです。登場人物は、柳澤吉保・武田信玄・青木昆陽この三題話は中々難しいですよ。このあたりの土地は元禄7年から9年(1694~1696)川越藩主柳沢吉保の命を受けた重臣曽根権太夫の指揮により開拓が実施された。三村ガ拓かれ上富・中富・下富三村1400町歩に及んでいる。一区画が20間×100間で一軒分として配分された。この事業は野火止用水の関連で実施されたのですが、考えて見てください1400町歩に及ぶ事業が、たった二年で完成し配分されていること、さらには一軒あたりの配分地が2000坪にも及んでいることです。今手元に資料が無いのですが、確か水田ではなく畑として開拓され、敷地の一部は薪をとるための雑木林とされていました。さらに其れから50年後にはこの土地で青木昆陽が江戸で栽培に成功したサツマイモが栽培されるようになり、しかもそれは当時江戸で流行り始めた焼き芋屋用の商品として作られるようになったとの事です。話が飛び飛びでまとまりがつかなくなりましたが、三村が開設されたとき、村民の祈願所として多聞院が設けられ、吉保の所持していた信玄の守り本尊・毘沙門天がまつられることと成った。だからこの三題話には、上杉謙信も割り込んでくるのです。信玄は自分の守り本尊として金の毘沙門天を持ち、兜の市側に付けて出陣していたと言います。謙信にも刀で切り付けられたろ言うエピソードもあるそうです。謙信は毘沙門天の生まれ変わりだと信じていたとの事ですが、毘沙門天と寅との関係で言えば毘沙門天が奇跡を起すのはどうも、寅年・寅の日・寅の刻にあらわされることが多いらしい。鞍馬寺で上人を助けたときも、信貴山で聖徳太子に必勝の秘法を授けたときも、寅・寅・寅であった。そうか・・・・ハワイ空襲の成功の暗号、トラ・トラ・トラはこれから来ていたのか・・・
今年も元気に過ごして欲しいと願っています。
ところで、病院に向かう途中に、多聞院があります。この多聞院には多くの話が絡み何から書いてよいかわからないほどです。登場人物は、柳澤吉保・武田信玄・青木昆陽この三題話は中々難しいですよ。このあたりの土地は元禄7年から9年(1694~1696)川越藩主柳沢吉保の命を受けた重臣曽根権太夫の指揮により開拓が実施された。三村ガ拓かれ上富・中富・下富三村1400町歩に及んでいる。一区画が20間×100間で一軒分として配分された。この事業は野火止用水の関連で実施されたのですが、考えて見てください1400町歩に及ぶ事業が、たった二年で完成し配分されていること、さらには一軒あたりの配分地が2000坪にも及んでいることです。今手元に資料が無いのですが、確か水田ではなく畑として開拓され、敷地の一部は薪をとるための雑木林とされていました。さらに其れから50年後にはこの土地で青木昆陽が江戸で栽培に成功したサツマイモが栽培されるようになり、しかもそれは当時江戸で流行り始めた焼き芋屋用の商品として作られるようになったとの事です。話が飛び飛びでまとまりがつかなくなりましたが、三村が開設されたとき、村民の祈願所として多聞院が設けられ、吉保の所持していた信玄の守り本尊・毘沙門天がまつられることと成った。だからこの三題話には、上杉謙信も割り込んでくるのです。信玄は自分の守り本尊として金の毘沙門天を持ち、兜の市側に付けて出陣していたと言います。謙信にも刀で切り付けられたろ言うエピソードもあるそうです。謙信は毘沙門天の生まれ変わりだと信じていたとの事ですが、毘沙門天と寅との関係で言えば毘沙門天が奇跡を起すのはどうも、寅年・寅の日・寅の刻にあらわされることが多いらしい。鞍馬寺で上人を助けたときも、信貴山で聖徳太子に必勝の秘法を授けたときも、寅・寅・寅であった。そうか・・・・ハワイ空襲の成功の暗号、トラ・トラ・トラはこれから来ていたのか・・・