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気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

纏まらない06年

2006-12-31 21:43:35 | 生活の中で
今年も後3時間になっている。自分にとって今年一年間は何と総括できるのだろう。時間に追われ、追われた一年であったような気がしている。一つ一つを取り上げると、自慢話が出来そうな気がするのだが、総体として眺めると、追われ追われた一年であったと思わざるを得ない。まづ、自慢話からするね。何本かあるツツジを、全て掘り起こして、後にバラを植えました。本来新年早々にも植える準備をしなければいけないが、準備が整ったのが、3月の末。これでは良い花が咲かないですよね。ところが、本などを読むと5月の新苗は評判が良くありません。ママが伊勢丹前の歩道で売っている素晴らしい苗を見つけてきました。最初本に影響されて植えてもしょうが無いよ・・ などと知ったかぶりをしていたのは、完全な失敗でした。新苗を、7本くらい植えました。大成功でした。5月から11月までずっと咲いてくれました。新苗を植えなかったら、今年は随分寂しい庭になっていたと思います。自慢、その2は、藤 今年も良く咲きました。その後の、手入れも一生懸命やりましたから、見たところ、来年の花芽も沢山付いているようです。5月が楽しみです。さらに、たった一本ですがヤマホロシが今咲いています。それも一輪とか二輪とかではなく、こで毬のように纏まって咲いています。イルミネーションが終わり花がないときに咲いてくれるヤマホロシは貴重です。自慢話その三。今年合気道の練習を、週二回にしました。夏頃までは、稽古に行くとその日は全く動きが取れなかったのですが、近頃は何とか稽古の後でも体が動くようになって来ました。全くタイプの違う稽古を二回出来ることにより、随分自信も付いてくるようです。しかし順調に見える事柄でも、例えば、バラについて言うと、12月に強選定をしました。順調に花をつけるかどうかは知りません。来年も新苗が出たら買いたいと思いますが、どこに植えましょう。ひょっとしたら、今年の苗はお払い箱???? 本当に困ったものです。稽古が週二回になったことにかまけて、ウヲーキングを全くやっていません。これは明らかにまずいです。立て直さねば・・・ 街道歩きも今年一年お休みでした。甲州道中が、何か気に入らないのです。いっそ逆に諏訪から歩きましょうか、それとも東海道を先にするか、究極の選択としては、中山道を、もう一度歩いてみるとの選択もありそうです。この5年間の変化は、それまでの100年・200年よりも変化が大きいのではないかと感じています。それを確認してみることも面白いかなと・・・・
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 「黄金の海へ」 津本陽を読む

2006-12-30 13:14:20 | 生活の中で
図書館が28日から休館になるので、本を3冊ほど借りてきていた。読むかもしれないし、読まないかも知れない。なんとなく手元に本が無いと寂しいので借りてきていたのです。その中に、津本 陽の「黄金の海へ」と題する小説がありました。 28日に取り片付けなどが一段落して、昼寝をしようと思い、睡眠薬代わりにこの本を手に取ったのが失敗の元でした。とにかく面白いのです。紀文 紀伊国屋文左衛門が、のし上がっていく有様が、一点の疑念も無くかかれています。この小説は1988年7月から1989年5月に懸けて週刊文春に連載されたものが初出だそうです。年代を見れば分かるように、バブルの絶頂期に発表され、読まれていた小説のようです。しかし今読んでみて自分には違和感を混じることはありませんでした。勿論、紀伊国屋文左衛門が、引き立てられた数々の人たちとの付き合いが、ここに書かれているような、きれいごとだけだったとはとても想像することは出来ません。しかし、それにも関わらず、紀文が引き立てられたのはなぜか、気に成るところではあります。例えば、二隻しかない持ち舟の一隻が沈み。節季には、家屋敷はもとより、父親の代から受け継いだ残りの1艘の船を取られてしまう苦境の中、妻の実家へ、借財の交渉に行く。そのときの妻の父親の考えが凄い。弐千両の借財申し込みに対して、もし婿の目論見が成功すれば何の問題も無い。もし婿もろとも死んでしまっても、娘と、かわいい孫は手元に、来る。自分にとって損は無いと・・大博打が成功し、参萬五千両と言う、巨額の金を得た文左衛門は、本来敵役の、蜜柑方元取締りの神保市右衛門に松坂城代に引き合わされ、名前も紀伊国屋と変え、河村瑞賢を紹介され、江戸における材木商への端緒を掴んでゆく。文左衛門が関わるを持つ河村瑞賢にせよ、杉山検校にせよ、荻原重秀にせよ、従来評判の良い人物ではない。どちらかと言えば、賄賂を取り、私服を肥やしたと言われている人たちではある。これはその対抗者たる新井白石の著書に影響されることが多いのかも知れない。しかし、見方を買えれば、この小説の最後に出てくる文左衛門が話したと言う、萩原重秀の言葉「萩原様は小判や銭は、その値打ちがどげな物でもええ。御公儀の威光さえあれば、一両小判は一両として立派に通用すると言われた。いま、白石とか言う奴は、小判に値打ちが無けりゃ通用せんと思いくさって、良貨とやらをこしらえたが、そのおかげで金銀相場があがったり下がったりするたびに、小判の値打ちも上がったり下がったりや。ほんまに素人ちゅうもんは、仕方が無いのう」。現代から見ればこの考えに、誤りは無い。この小説で初めて知ったのだが、紀伊国屋文左衛門は、自ら商いをたたみ、隠居して、俳人として過ごしたと言う。この時代、為政者が変わると、前任者に取り入っていた商人は、牢に入ったり、死罪に成ったりすることが多い。その中でこの時代66歳まで生き、老後も全うした紀伊国屋文左衛門は、もう少し見直されて良いのかも知れない。
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イルミネーション 来年の宿題

2006-12-28 23:17:04 | 我が家の庭
イルミネーションの取り片付けが、昨日・今日の二日間で終了した。取り片付けだからそれほど時間は掛からないのだが、来年すぐに使えるようにして置く為には、少し気を使って収納しておかねばなりません。我家の近所では神社のある大きな通りに面した4軒が、まだ点燈しています。これはこれでたのしいですよね。我家でイルミネーションを始めた、2000年頃は、特殊電球と呼ばれた小さな電球でした。そして華やかな3色のミックスが全盛でした。値段も安く、シーズンも終わりになると千円以下で色々な電球を手に入れることが出来ました。我家では翌年から色々なモチーフの導入が始まり、トナカイと橇から始まり、大きなベル・機関車・流れ星と続き、さらには人情が導入され始めました。プーサン・スノーマン・伴在任j¥行などがそれです。昨年は3Dの星。ブルーのイルミネーションを使ったクリスマスツリー。そしてライトにも徐々にLEDが入り始めて着ました。昨年あたりから、エッサンやドイト・ゆざわや等でのイルミネーションも取り扱いがガラッと変わりました。各店がシーズンが終わっても30㌫位の値引きはしますが、以前のような60・80㌫と言った投売りをしなくなりました。要するに売れるものしか仕入をしません。バーゲンハンターの楽しみが無くなってしまいました。我々のような素人の家では、毎年機材を買い換えるわけでは有りません。商店街や大きなビル・お役所の町起しのイルミネーションとは訳が違います。しかし素人には素人の楽しみ方があり、少ない手持ちで、どうしたらマンネリにならずに行うか、飾り付けをする当事者にとっては、楽しみでもあり、苦しみでも有るのです。それだけに今年はここが変わったねと言われるのが無常の楽しみなのです。今年は玄関先が変わったと評判が良かったのですが、あのセクションにしても、新たに導入されたのは、玄関に吊るした星ひとつだけで、後は全て従来からのものの転用です。自分としては、庭に広げたイルミネーションに力を入れていただけに、感性に訴える色!!と言う面で宿題を与えられた気分です。来年、庭はもっとメルヘンチックに変身させます。玄関前はもっとクールにしましょう。手持ちの材料だけで出来るかな~~~~ 宿題です・・・・・・
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佐田行革相 軽すぎる辞任

2006-12-27 22:44:05 | メディアから
佐田行政改革担当大臣が辞任すると言う。昨日新聞に架空の事務所経費のことが暴かれてから、僅か一日である。ばれたら言い訳できないことを自分自身が良く知っているとしか思えない。逆に10年間ばれなかったのだから、今更ばれる筈も無いと、高を括っていたのだろう。それにしてもこの軽さは何だろう。辞めれば善いんでしょうと言っているとしか思えない。古来日本には「腹を切る」と言う詞がありましたよね。責任を取ることは政治家に限らず、指導者にとって二度と世の中に顔を晒さない覚悟が必要なのではないですか。今回の場合であれば、検察が捜査に入る前に、政界を引退すると言うべきではないのですか。5時半からの記者会見を見ていてもどんな責任を取ろうとしているのか全く分かりません。佐田代議士は「安部晋三を総理にする会」の会長となり、その論功行賞で閣僚の座を得たと言われています。こんな人物に担がれて総理大臣になった安部の器量と、こんな人物を閣僚に据えた安部の責任はどうなるんでしょうね。パロマの社長がやっと辞めたそうですね後任には縁続きの人物がなったとか・・・・ 民間の会社であればよほどのことの無い限り、気に入らなければその会社の製品を使わないことにより付き合わなくても済みます。パロマがダメならリンナイが有るさ、日興がダメでも、もっと大きな野村があるさと言う具合です。しかし税金のことを決める税調会長となると、気に入らないではすみません。政府税調が嫌いでも自民税調が有るさ・・・・でも・・献金をしてないから何も言うことを聞いて貰えないだろうし・・・。税調会長は73歳のご老人がなったそうですが、行革担当相はどうするんでしょうね。まさか全てをチャラにして、官僚の言いなりになることを決断したなんてことは無いですよね・・・・・ 全くもう・・・・・
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日興證券会長・社長辞任

2006-12-26 20:08:19 | メディアから
日興證券の会長・社長の辞任には驚いた。日本を代表するような巨大企業が、あれほど見え透いたうそを並べ、一週間も経たないうちに、全面降伏してしまう。前回は副社長だかが出てきて、一社員の過失だ!!。役員は一切関与なぞしていないと大見得を切っていたのではないですか。一社員の過失とやらで5億円もの課徴金が課せられる。その事実を否定しないで、一社員 役員ではない!!の過失であると述べる。そして強く出られると組織ぐるみにやりました。辞めます・・・・ こんな事ってありかよ。小学生だってうそをつく時は、もっとましな言い訳を考えるだろう。ふざけるなと言いたい。会社勤めをしていると、色々な上司にめぐり合う。特に自分の勤めていた会社なぞは、大変な社長が2代も続き、300年以上歴史のある企業ががたがたになる様を見せ付けられてきた。何とか立ち直ろうと現役の人たちはもがいているが、トップが腐ると本当に大変です。
最近のニュースには本当にうんざりする。小学校の校長が出入り業者にセクハラを働く、警官が制服姿で泥棒に入る。知事や市長は談合を主導して金を取る。国民の声を聞くと称して、やらせを行い巨額の税金を湯水のごとく浪費する。一方においては、生活保護を求めてきた人たちに、保護の手続きすら拒否をする。本当にさもしい国になってしまいましたね。もともとは小泉がその場限りの言葉で6年間も国のトップにいたことが大きな要因でしょうが、その人に300議席を越す議員数を与えたのは国民ですからね・・・・ 安部にしてもそうでしょう。TMのやらせに官房長官として深く関わりながら、100万円でけじめをつけたと言って、澄ましています。初めて編成した予算案で拉致問題に関しては予算が10倍になるそうです。しかし北京で開かれていた六カ国協議で日本は、得る何かがあったのですか。まさか予算が無いので各国と会食も出来なかった。だから来年は予算を増やそうとでも言うのですか。実質的なことは何もせず、何も出来ないくせに世間受けしそうなことをする。手品師か、大道香具師のやり方ですよね。
アメリカは勿論、英国もオーストラリアも政策が間違えると、その国の指導者は、厳しく責任を問われます。すでにブッシュに従来の政策を実行する力はありません。ブレアも来年には辞めてしまうと決まっています。その中で小泉も、その後を告いだ阿部も、アメリカ一辺倒をどう変えるのか、中国や北朝鮮とどう付きあって行くのか、全く説明しようとしません。すでにアメリカ議会は民主党が天下を取っています。予算は議会が作ります。後二年あると考えているのでしょうか。きっと国民が聞かないからほったらかしにしているのでしょうね。ひょっとしたら総理大臣は、全部アメリカがいけないんだ。ブッシュを負かしたアメリカ国民がいけないんだ。小泉が始末をつけなかったからいけないんだ。自分は何も悪く無いもん・・・・・などと小学生のような言い訳をするんでしょうか
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動画と静止画

2006-12-25 23:25:20 | 生活の中で
今日はクリスマス。我家はきリスト教徒でもないので、とり立てて、行事もありません。むしろ、年末の家の整理に追われています。イルミネーションも今日で終わり。30分くらい懸けてカメラで動画を、来年のために撮って置きました。そのときに感じたことは、記録に残しておかないと、来年になれば忘れてしまいます。もっとも来年になれば状況は変わりその通りにはなりませんが、それでも良いのです。来年のために何か考え、その記録が残っていることが大切なのです。しかし、動画と言うのは、特に音を伴うときその記録性というか、その場の情景を思い出させるのにこれほど優れたものは無いですよね。今年4月に毘沙門堂で聞いたお琴の演奏にしろ、平安神宮のしだれ桜コンサートにしろ、その画面と音を聞いているとその情景が目の前に現れてきます。いまどき幼稚園や小学校ではビデオが全盛なのは良くわかりますよね。しかし動画には致命的な欠陥があります。ずっと撮り続けているのですから、物事を取り逃がすことは少ないとは思いますが、人間の記憶はとある一瞬を特に記憶しています。ところが動画は均一に物事を写して行きますから、現場で見ていたのとは印象が違うことがあるのです。たった一枚の写真が世の中を動かすと言われますが、動画には、その迫力は生まれにくいように思います。その場の雰囲気を伝えるのに動画に勝るものはありません。が・・特に印象を語るときには何か物足りないのです。前回カメラを新しくするときのも随分悩んだものです。動画も撮れるカメラにするか、静止画も撮れるカメラにするか・・・ 結局動画も撮れるカメラにしましたが、今でもどうだったかなと考えることがあります。いつまでたっても解決しない問題なのでしょうねきっと・・・ 今年はママの協力によって年賀状が今日完成した。自分にとっては画期的なことです。調べてみると昨年は31日に中央郵便局まで出しに行っています。その前は確か30日でしたね。自慢にはなりませんね。こんな事・・・
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901回目になりました

2006-12-24 23:29:00 | 生活の中で
我々の学生時代、同じクラブの同期は17人であった。卒業後40数年の時を経て、すでに4人の同期生を亡くしている。もっとも近しくしていたAの三回忌が来月の5日なので、墓参りだけは年内に済ませておこうと、いつもの4人組で墓のある鎌倉霊園に出かけた。下の駐車場の所から川向こうの階段を真直ぐに上がり、墓に近づくと、7・8人の人が目的の墓の近くにいる。我々の目的の墓とごく近い所だ。邪魔にならないように足を止めていると、女性が近づいてきて、アラ!! ワンゲルの・・・・と。何と奥様だった。法事を終えて墓に来た処だと言っていた。誠二さんのお導きで皆さんに会えたと感激していたが、我々も本当にそんなことがあるのかと驚きであった。妹さんの戻ってきて、いつも兄を含め5人組でしたよねと・・・ 我々も、もし来るときの高速道路で渋滞に巻き込まれていなければおそらくはお会いすることも無かったと思うと、その偶然には大変驚いた。帰りに階段を下りながら、誰かが、7回忌の時には、この4人とも揃っているかね~~~ と寂しいことを言っていたが、明日のことは誰もわからないにしても、もっと楽しい事を、どんどん企画しようよと言うことになった。
05年1月11日のBLOGに彼の死に関して記事を書いた。今読んでも気持ちは全く変わらない。哀悼を込めて再掲する
「5日の日に薬師寺へ行ったとき 大講堂で写経の勧進をしているお坊様と何かの拍子に話が弾んだ 。説法を聞いているときから何か高田好胤さんの話し振りに良く似ていたので昔三越で日光・月光菩薩を出開帳した話や 毎月1階の中央ホールで説法をしているとき 弟子達が何処かへ行ってしまって全くどうしようもない弟子達だと笑いながら話していたことなど思い出話をしていると そのお坊さんゆわく 私は好胤さんにとっては孫くらいの一番若い弟子だったんですよ きっとその時も自分もお供をしていて どこかへ行っていたんでしょうね どの位怒られたか判りませんよ と そして玄蔵三蔵院が出来たときには好胤さんはいらっしゃら無かったんですよねといったら ご自分でもまだ死ぬとは思っていなかったと あと4・5年は生きているつもりだったと だから葬式のとき自分は棺の中の好胤さんに向かって 何度うそつき!!うそつき!!うそつき!!といったか解らないですよ と 何もこんなに早く死ぬことは無いじゃないか と

翌朝 金閣寺へ向かっていると携帯電話が鳴った 友人のSからで 学生時代の仲間のAが亡くなったと言う知らせだった 私とは生まれた日が1週間しか違わない一番近い奴だった
俺だって言いたいよ 何でこんなに早く死ぬんだ 大馬鹿やろうーーーーーーーーー
通夜が9日との事なので 7日一人でお別れに行ってきた 奥様と枕元でお話をしていると今にも起き出して来て よー何してるんだよ と声を掛けてきそうであった 
何を言っても詮無い       ご冥福を祈る 」

この記事を書いたのが623回目。今日の記事で901回目になるそうです。こんなに長く続けられたのは、第一の読者兼一番の批評家女房や、子供たち夫婦、友人の方々や、沢山の知らない方々に このブログを読んで戴けているという思いです。有難うございます。此れからも宜しくお願い致します。

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クリスマスプレゼント

2006-12-23 23:54:00 | 生活の中で
今日はyu-ki君が、イルミネーションを見にやってきた。susumuさんも会社へ出社後来ることになり、nana・mithugu夫婦も時を合せてやってくることと成った。yu-君は、手書きのクリスマスカードを2枚用意して、会うとすぐに渡してくれた。
yu-ki君のクリスマスプレゼントが決まったのは、4・5日前のことだった。子供には高価なものなので、クリスマスプレゼントとお年玉、来年の誕生祝いを、合わせたものとして、我家で買ってあげる事にしたらしい。たまたま入っていたチラシを手に買いに行くと、お母さんらしい人達がいずれもチラシを手に並んでおり、希望のものが変えるかどうか不安だったと言っていた。小学校一年生には贅沢だとは思いますが、本人はすでに今年の誕生日にソフトを買ってもらっており、クリスマスプレゼントでサンタに買ってもらうつもりだったのです。半年も前にソフトを買って、毎日、枕元において寝ていたと言いますから、プレゼントすることに異論はありませんが、親の立場として2万円もする物が、何の抵抗も無く手に入ることに、釈然としないものがあったようなのです。だからサンタさんからのプレゼントではなく、大きいパパと大きいママからの、3回のプレゼントを合せて買ってもらったということにしたのです。小学校に入ってから定額の小遣いで欲しいものを買うようにしているとのことですが、希望した品物の金額を、もっと理解させたいようでした。そして今日、サンタに頼んだプレゼントを探すのに大変な騒ぎになりました。もうどこにも売っていないのです。ネットで調べ、きっと何十箇所に電話をしていたようです。諦めかけたとき、玩具売場なぞ、殆んど無いところに電話をしたら、やっと一つ残っていたそうです。電話連絡のsusumuさんはもとより、yukaさんも、nana夫婦も大騒ぎで探していましたから、yu-君には、サンタが誰かわかったと思いますが、きっとそれでもサンタさんの存在は信じているでしょうね。子供たちの流行って、どこから広がるのでしょう。同じ頃同じものがなくなってしまいます。やはり上級生から情報が入ってくるのでしょうか・・・ しかし今の玩具って本当に凄いですよね。mithuguさん夫婦からプレゼントされていたものは室内用のラジコン飛行機でしたが、僅か3.5グラムの飛行機がかなり複雑に飛びます。子供用というより、大人が遊んでも嵌りそうでありました。 しかし自分たちはもとより、自分の子供たちも、祖父や、伯父・伯母からなぞ、殆んどプレゼントなぞ貰ったことが無いだけに今の子供たちは幸せなのかなとも思いますし、子供を持つ親にすれば大変なのかなとも思う一日でした。我家では、恒例のケーキ作りです。生クリームを作りスポンジに塗って、イチゴをケーキの上においてゆきます。中々手際が良いですよ・・・
コメント (2)
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本間辞任 罠をかけたのは誰か??

2006-12-22 14:55:40 | メディアから
本間政府税調会長が辞任したと言う。勿論税金とは国の最高の権力の行使であり、国民の支持なくしては、政府は持たない。その意味から言えば、企業減税ばかりに目配りして。一般サラリーマンや高齢者に全く目を向けないこの本間会長が惜しいわけではない。まして本妻と8年間も別居して、離婚できたら結婚しようとする女性がいることなぞ何の問題にもならない。しかし今回財務省の主導で進められたという個人情報のリークから、気に入らないものを辞めさせようとする手口には、非常に陰険で、悪意あるものを感じざるを得ない。そもそも財務省は大衆に消費税の大増税や、年金・社会保険負担のの大幅アップげげにより、財政健全化と称するものを目標に掲げ、石氏はその財務省の言うがままにその政策を実行した人物で、消費税の増税で財政の健全化さえ出来ればそれで良しとする、大増税派であった。小泉の後継である安部はその石会長を切り捨て、本間を会長に据えた。彼はまず成長有りきで、企業減税推進派であり、財務省の政策とは、全く異なる方向を目指してた。本間が今の官舎に住んでいるのは03年からだと言われています。そして最上階の部屋に移ったのが、会長になってからだと・・・ そして同居人として届けられているのは、本妻の名前であると。 ここに大きな疑問があります。03年から住んでいたとき、同居人はいなかったのですか。高級官僚の官舎は単身でも利用できるところなのですか。となると今までも同じ人と住んでいたのではないのですか。なぜそのときには問題にならないのですか。そして同居人の名前までどうしてわかるのですか。あまりにも不自然ではないですか。まるで罠をかけて足蹴にしたようなものではないですか。プーチンがその政敵を我々が知ることも無い物質で、殺す。まさに同じですよね。しかももっと大きな問題があります。プーチンは独裁者だとは言え、ロシア国民から選挙で選ばれています。役人とは違います。役人が恣意的に個人情報を使って自分と意見の違うものを倒す。誰がやったか判らない。当然責任も取らない。こんなことが日常に行われているのでしょうか。今回はたまたま不明朗な官舎に入ると言う問題でした。国税庁や警察・検察は本当に公正に職務を執行しているのでしょうか。もし恣意的に法律を執行するようなことが起こっていればと思うと、背筋が寒くなります。勿論足を引っ張られるような甘さを持っているからダメなんだと言う議論はあります。しかし議員宿舎や、官舎が完全にその目的のためだけに、使われているのでしょうか。いつだか、マンションのポストに意見チラシを配布したら、軽犯罪法で2ヶ月も留置された人がいましたよね。本当に公平に法は執行されているのですか。
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駅までの道で・・ヤマホロシ

2006-12-21 22:50:22 | 我が家の庭
一輪だけ咲いていたブーゲンビリアがかなり草臥れて来ているようだ。もう一月くらい一輪だけで咲いているのだから無理も無い。我家の庭は今イルミネーションに彩られていますが、その華やかさには及びもしませんが、ヤマホロシが花盛りになっています。と言っても小さな白い花の塊が、あちらこちらに散在しているだけですが・・・ 我家で今までに咲いたヤマホロシに比べると、明らかに花の数は多く、咲いている日数も長くなっています。駅へ行く途中の家でも、我家ほど大きくはなっていませんが、花を沢山着けたヤマホロシを見かけます。そういえば昨年まで、自分をうらやましがらせていた、変な八百屋さんのヤマホロシは、今年見えなくなりました。箱に植わっていましたから、掘り起こされてしまったのかも知れません。駅までの10分足らずの道にも色々な花が育てられています。一番派手なのは、カサブランカの真っ白な花が道端に置かれています。あの花って前から外に置かれていたっけ。とにかくこの寒さの中、元気に花を咲かせています。確かこの家にはハマユウが鉢植えであったんだっけ。今日鉢は見ませんでしたね。その3軒ほど先の家には同じハマユウが地植えになっているはずですがどうなっているのでしょうか。山吹の咲いていた家の生垣は刈り込まれて、山吹の陰もありません。山吹って、葉が落ちると目立たなくなるんでしょうかね。図書館の脇にある椿には一杯蕾が付いています。あそこにはどんな花が付いていたのか全く記憶がありません。今は山茶花が何箇所も見られます。白とピンクが殆んどです。同じ八重でも色々な形はありますが、自分の見る所あまり凝った山茶花は植えられてなさそうです。我家は白と赤ですが、もう少し変化のあるものを探して見ましょうか。自分としては、庭のバラが成功しそうなので、和室の前の山茶花ももう少し変化を求めたいところです。
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経団連御手洗会長は誰の利益を代表するか

2006-12-20 22:28:40 | メディアから
政府税調の会長が、ますますおかしくなってきている。自民党はもとより、公明党からも、政府部内からも、自分で決めろみやことの意見が、うるさいほどだ。そもそもこの人事は最初からおかしかった。財務省の押す、政府税調の石氏を首にして、本間氏を、会長に押し込めたのは、官房長官であり、それに乗ったのが、総理大臣だったとの、ことである。自分の考えでは前会長の石氏も庶民に対して思いをめぐらすタイプでないことは充分に認識していたが、現会長の本間氏はそれに輪をかけた、大企業寄りの人物であった。前会長がオブラートに包もうとしていた、色々な企業向けの減税を、あからさまに、あれもこれも戸取り入れ、企業減税のオンパレードとなっている。しかも経団連の御手洗会長は、さらに法人税の実効税率の引き下げを求めその総額は4兆円にあがると言う。さらにそのための財源不足の対策としては、消費税の2%引き上げを求め、その4兆円を穴埋めするように求めていると言う。そしてその理由付けとして、企業は世界のどこにでも本社を移転できる。もし企業の税率が、高いのであれば、本社を海外に移すこともやぶさかでないと言う。そして御手洗は経団連の提言として、国を愛することを盛り込んだ教育基本法の改正を支持するという。考えてみて欲しい。自分の言うことを聞かなければ、本社を海外に移すといっている人間が、愛国心を誰に向かって説いているのか本来社会とともに企業があるのではないか。アメリカに社会に根付いた企業はあるのか。GEと言えば、我々の年代の人間にとって、憧れの企業ではなかったか。それが今はどうだ・・・ 単なる高利貸しではないか。昔USスチールと言う会社もありましたよね。八幡とか富士とか仰ぎ見ていましたよね。今はどうなっているのですか。GMやフォードも風前のともし火ではないのですか。御手洗が志向する将来の姿をアメリカは現しているのっでは無いですか。御手洗はキャノンを金貸しにすることが希望なのですか。今日の「にっかんげんだい」の記事の中に、100年を越える歴史を持つ企業が全国にお10万社あるとの新書本の紹介記事が出ておりました。一番古いのは6世紀から続く、金剛組。自分が勤めていた企業も3百数十年の歴史を持っていました。そしてその周りには3百年から4百年の歴史を持つ企業が、沢山集まっておりました。我々が考えねば成らないのは、目先今の経営者がいる間だけのことではないでしょう。企業は何のためにあるのですか。そのときだけの利益を求める株主と称する、はげたかの物なのですか。社会にとって有用なのは、永続的に雇用を確保し、一定の利益を上げて社会に貢献することガ必要なのではないですか。アメリカのファンドの要求のみが正義なのですか。そこに働く人や、社会的な安定は必要ないのですか。アメリカの要求を唯々諾々と受け入れている御手洗に恥の意識は無いのですか。今の経営者は自分の任期中だけ業績が上がればそれで良しとするのでしょうか。考えてみると教育基本法が捻じ曲げられましたよね。今の経営者は殆んど今までの教育基本法によって教育されてきたわけですよね。阿部氏晋三だってそうですよね。戦後60年政権を握り教育を牛耳ってきたのは、自民党と、文部科学省、それに連なる教育委員会ですよね。よく日教組が・・・といいますが日教組にどれだけの力があるのですか。力を持って教育行政とやらを進めたのは誰ですか・・・自分の責任を認めようとしない責任者に、正義はありません。経団連だとて同じではないですか・・・・
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歴史を読み直す

2006-12-18 22:46:54 | メディアから
日本が、対外的に日本と名乗ってから1300年だと言う。唐に対して日本と名乗ったのが最初だと言う。そして天皇と対外的に名乗ったのも、日本を日本と名乗ってからだと言う。我々は、日本と言う国の始めに付いて厳密には考えない。例えば石器時代の日本とか、縄文時代の日本は・・・などと疑いも無く使っている。しかし日本と名乗ってもいない時代に、縄文時代の日本などと言うことがありうるか・・・というのが、この本の最初のテーマになっている。なぜ日本と言う国にそれほど拘泥するかと言えば、日本と言う国が無いのに天皇が存在するのか・・・・という点が大きい。中国に対してそれまでは大王の称号をを使っていたが、唐に対して日本の国号を使い始めると同時に天皇の名称を使っているからだと言う。唐に対して日本の国号を使い始めて1300年。天皇もそれと同じであるから1300年となる。文部省は日本の建国記念日を神武天皇が即位したと言う2600年前においている。しかし日本が無い時代に天皇がいたのかどうかという点については全く問題とされていない。戦後の歴史学者なども平気で縄文時代の日本とか、旧石器時代の日本はなどと記載する。日本と言う国が無いのになぜそんな表示をすることが出来るのだろう。何か我々の中に日本と言う国は太古の以前から存在していると言うことが刷り込まれているのであろうか・・・ 太古の昔に限らず大和朝廷は、国の統一に苦心していた。北緯40度以北には朝廷の武力を持ってしても従わない地域が残り、九州・・当時は九州とも呼ばなかったと言うが、隼人の民が反抗を続け、ましてや奄美や屋久の島々は・・・という状況にあったらしい。鎌倉幕府にしても、その権力の及ぶ所は関東でしかなく、関西・・と言うのも微妙な表現であるが・・は朝廷が支配する、二王朝の並立だと捉えることが出来る。九州と言う呼び名にしても、蒙古来襲において朝廷が全く機能せず、鎌倉政権が、九州に力を始めて及ぼしてからと成っている。その後、織田信長の業績を引き継いだ秀吉の時代になり初めて一つの国として統一された言える。実に太古の昔どころか15世紀になってから・・僅か5・600年位前の話に過ぎない。さらに我々は百姓と言えば、米を作る農民を意識しているが、百姓とは、魚を取る民も、木を切る民も、鉄を打つ民も、機を織る民も要するにありとあらゆる人々が含まれていた。所が徳川幕府の政策により、農民以外は百姓ではなくなり、物凄く偏った値観が我々の中に刷り込まれてしまっている。もう一度原点に戻り日本が日本と称し始める前から考え直すべきだ・・・・ 例えば日本とは日の本と書くが、国内のどこにも日が出てくるところは無い!!! 当たり前ですよね・・ しかし唐から見ると明らかに日の昇る方角にこの国はありますよね。あくまでも唐を主体に考えてわが国がどこにあるかを表現したのがわが国の、名前になっているとのことです。これらのことは、網野学説の1/100・1/1000の受け売りです。しかし面白いですよね。徳川幕府による、・と呼ばれていた人々の、評価の逆転には小説を読むより面白い興奮があります。暫く嵌りそうです・・・ 20年遅れですが面白いものは面白い

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勝鬨橋と富岡八幡

2006-12-17 14:07:42 | 狛犬・街道
ウヲーキングで、街中を歩いていると、様々な案内が目に入ってくる。勿論商店や企業の看板もそうだが、石碑や、案内板でその思いを伝えていることも多い。汐留地区は巨大な高層ビルが立ち並び、昔のことなぞ知る由も無いが、その一画に鉄道が始めて開業した、新橋停車場が復元されている。少し先に進むと勝鬨橋のたもとに着く。そこに一本の石碑が建っている。2メートル以上はある黒い石柱にひらがなで白く「かちときのわたし」とある。脇に立つ中央区教育委員会の案内板に拠ると、明治38年に京橋区民の有志が、船着場を設置し、渡し舟を開設して、東京市に寄付した記念に立てたものだとある。関東大震災後架橋運動が起こり、船の通行を妨げない可動式の橋が建設されることになったとある。そして橋の完成と同時に渡し舟が廃止されたと・・・ 驚くのは廃止された日付は昭和15年6月。関東大震災って大正15年。つい最近まで渡し舟だけが交通の手段であり、それで間に合っていたことに、驚くばかりです。一方水天宮を越えて富岡八幡宮へ行くと、新しく、伊能忠敬の像も設置されていましたが、参道の階段脇にいる狛犬は享保12年(1728年頃)、幕府公認の勧進相撲が行われたのが、貞享元年(1684年),など江戸も初期からの年代か残されています。さらに今、八幡橋と呼ばれている旧弾正橋は、関東大震災の復興事業により、廃橋に成ったものの、その日本最古の鉄製橋の由来が惜しまれ、この地に移設されています。さらに近くにある深川公園は、明治6年の政府による最初に開設された公園とのことである。案内に拠るとこのとき制定された公園は深川のほか、芝・上野・浅草・飛鳥山だったそうである。ここから先、隅田川の近くには、昨日も書いたがセメント工場の前に、「本邦セメント工場発症の地」なる大きなセメントに埋め込まれた銅版や、平賀源内電気実験の石柱が立っている。このあたり江戸と明治を結ぶ何かがありそうな気がするが・・・

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NIKKEI産業遺産ウヲーキング 東京

2006-12-16 23:49:53 | 生活の中で
産業遺産ウヲーキング大会に初めて参加した。驚いたことに、千名を越える参加者があり、表示では14キロと成っていたが、実際は17キロくらい有ったらしい。コースは 日比谷公園→汐留遺跡(旧新橋停留場)→勝鬨橋→月島→佃島→相生橋→明治丸(東京海洋大学・昼食)→旧弾正橋(富岡八幡宮)→清澄公園→清洲橋→新大橋→江戸橋→日本橋→常盤橋→二重橋(皇居外延)のコースであった。最初の予定とは出発地が桜田公園から日比谷公園に変更されている。おそらくこれが距離が伸びた原因であろう。途中勝鬨橋・明治丸・旧弾正橋・常盤橋においては簡単な解説があったが、途中はただひたすら歩くのみであった。勝鬨橋の解説にしても、外側をなぜるだけで、橋の博物館の見学はもとより、現在使われていない橋を上げ下げする機構を見せるわけでもない。道を歩いてゆけば、色々な遺構が展示されている。単にウヲーキングであれば、わざわざ産業遺産などとなずけるべきではない。日経がやるのだから、普段一般の人では入れない所や、気が付かない物をを見せて欲しかった。例えば隅田川のところには、セメント工場の発祥の地なるモニュメントが設けられていたが、普段聞くことも無いセメントの専門家から何か新しいことが聞けたかも知れないと思うと残念であった。さらに平賀源内の電機を実験した所。などという柱も立っていたが、もう少し知りたいものだ。確か芭蕉庵もこの近くだったのではないかな・・・ これは産業とは関係ないか。しかし千人の参加者の仲で何人これに気が付いたろう。こんなウヲーキング大会なら、何も産業遺産などと麗々しく名付けるべきではなかろう。驚いたのは休憩を全く取らないことです一班100名と言う団体を街中の交差点が沢山有るところで、一時間に4キロ以上のスピードで歩かせることを計画するなど非常に無茶だ。よくあれで事故がおきないものだ。それにしても今回のウヲーキングには失望した。二度と日経のウヲーキングには参加しない。外側を歩くだけならば個人でも出来る。せめて20人くらいのグループで、親切に解説しながら案内するようなウヲーキングツアーは無いものだろうか・・・・
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奥様の個展

2006-12-15 11:35:06 | 展覧会から
友人の奥様が、銀座の画廊で個展を開いているとのご案内を受け、いつもの仲間と見学にうかがった。こじんまりした画廊だが、親しい方々とゆっくり話が出来る落ち着いた雰囲気の会場であった。作品は30号だと言うお嬢さんの肖像を中心に置き、花とピエロの10号を中心にした絵が30点弱。伺ったところに拠ると、殆んどはこの個展のために製作したものだとの事。中心となっている肖像画は、フラメンコを踊るスタジオの一瞬を捉えたものであろうか、白っぽい壁面を前に若い女性が踊る一瞬を、押さえた色調の中、顔が明るく輝いている。娘に注ぐ母の愛情が溢れる作品となっていた。ちょっと奥様のお話を伺っただけだが、普段は殆んど10号の縦型でバラを書くことが多いとの事だが、個展ではやはり変化も必要との事で、横型も、小さなものも、さらにはバラだけではなく、アイリスや、菊なども加えたとの事。これらの作品は全て、習いに行っているアトリエで製作し、ご自宅では殆んど描かないとの聞いた。アトリエにいる僅か2時間で一枚の絵を仕上げてしまうとの事で、その集中力には驚くばかりです。
個展開催以来毎日30人以上の方が来場され、中々の盛会のようです、奥様は昨日、高校時代の同級生が尋ねてこられ、久し振りに仲間と食事が出来たと、喜んでおりました。個展を開くエネルギーは大変なものがあるのでしょうが、その見返りも大きいと、奥様の張り切ったお顔が物語っておりました。
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