気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

奥州街道 芦野・白坂・白河

2005-09-29 23:40:02 | 狛犬・街道
白河の町を抜け 阿武隈川を渡り会津越後道と仙台松前道との分かれ道にある戌辰戦役碑まで進む これから先は幕府の道中奉行の配下を離れたという 
5街道を歩くという目標は此れで3つ達成したことになる しかし中山道を歩いたときや 日光道中を歩いていたときの充実感が浮かんでこない 
特に宇都宮から先の印象が非常に薄い 決して貧しい地域だとは思わない むしろ農家の夫々にとっては 大きいとさえいえるような気がする 江戸中期 文化9年から15年にかけて全国をを周遊した 九州佐土原の大先達 泉光院もこのあたりを巡っているが 非常にゆったりと農家の人と句会を開いたり 大話をしたりと 楽しく過ごした様が書かれている 今でもこのあたりは豊かなのだろう しかし宿を出て 歩き始めるとほとんど人に出会わない 勿論車は脇を走り抜けてゆくが 歩いていると関係ない 小さな集落を通っても ほとんど人影は無い 
今日 宿を出て初めて人と話したのは 栃木と福島の境に 境の明神が両側に並んでいる その栃木側の境の明神の石垣を解体整備していてその職人と話をした 中々親切な方で写真を撮りましょうと 今回の道中で唯一の写真を撮ってもらった
芦野を出たところにある西行や遊行上人の伝説や芭蕉や蕪村の句に残る遊行柳から2里半 時間にして3時間の行程である此処から白坂までは半道 何も無い所でそのまま進む 山間に入りそこを抜けると吉次八幡なる社があった 何でも義経の後援者 金売り吉次はこのあたりで300人からの盗賊団に襲われ弟2人と共に殺されたという 先に平泉に言っていた義経は兄弟の墓を立て 八幡神社にその霊を祭ったという 休憩をして出発したのが12時30分 戌辰戦役で激戦があったと言う白河松並に着いたのが14時32分 白河の街中をひたすら通り抜け最初に書いた所に到着したのが15時58分 戻って小峰城跡に入ったのが16時30分 白石からの電車が1時間間以上も無く 白石駅を出たのが18時5分・・・・・ 
此れで私の奥州街道歩きは終了しました
今回 白河の関には寄れませんでした 寄り道すると10キロくらい余分に歩くことになりそうだったからです 東北の入り口としての白河の関は一度は見る必要が有るかなと 今にして思います 今度は来るまで訪ねて見ましょう 

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清流の里 大田原・鍋掛・越堀・芦野

2005-09-28 23:41:14 | 狛犬・街道
今日は大田原宿から鍋掛宿・越堀宿を経て芦野宿へ入ります 幕府の管理していた白河までの奥州街道では氏家から白河までの間は現在鉄道と直接接続している所はありません 特に大田原から先はお手上げです ここは一気に歩くしかありませんが 自分には13里近くを一日で歩くことなぞとても出来ない相談です 如何しても中間地点の芦野宿に泊まる必要があるのです
それにしても昨日歩いた氏家・大田原から鍋掛・越堀の間の農家の大きさには驚きました 街道沿いの農家がどの家も最低でも500坪以上の敷地を構え どの家にも大きなトラクターがあるようなのです 大きな長屋門まで構えた屋敷も多く見ました 此処まで大きな農家が多いのはあまり見たことがありません
もう一つ気になったのは スポーツタイプの車が多いこと それもほとんどがホンダかトヨタです そのほかは軽か大型トラクター 何か書いていてアンバランスですね 何か見逃しているのでしょうか 
大田原には面白い神社がありました 大田原神社の一角が 護国神社に取られているのです 普通同じ境内に祭られるときは本殿を中心に回りに置かれるものですが 本殿の前にあるのです こんなのありか!!! です 
此処の狛犬は古くはありませんが 豊かな表情をしており 私好みの狛犬です さらに三峰神社の社殿前には 狛犬と並んで狼がいます 此れがまた何と言うか ちっとも怖くないのです 最初は狐かな?? と思ったくらいです
歩いていて気持ちが良かったのは 横切る用水路や川に流れる水の清らかさ・豊かさでしたどこも水草が流れに舞っていました どんな魚なのかイトイやタナゴの生息地があるとところどころに表示されていました
峠を越えて芦野に入る宿の入り口に地蔵が鎮座している 5時近かったが店屋はほとんど開いていない 人通りもほとんど無い 丁子屋なる料理屋兼旅館が有るとのことで電話をすると1人は泊めないという やむを得ず近くにある芦野温泉まで戻る 此処も満室とのことだったが 何とか一室都合をつけてもらった 危うく野宿になるところであった 
大田原神社境内の三峰神社にいた狛犬と狛狼?
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一番変化したもの 奥州街道氏家宿から太田原宿

2005-09-27 23:59:26 | 狛犬・街道
昨年12月6日に宇都宮から氏家まで歩いて以来なので10ヶ月ぶりの奥州街道歩きの再開である 風は涼しいくらいで 歩くには絶好の条件である
氏家宿は奥州街道だけでなく原方街道(氏家ー高久ー白河) 会津西街道(氏家ー高徳ー大内ー会津若松) 会津中街道(氏家ー板室ー三斗小屋ー会津若松)などが集中し大いに繁盛していたとのことである 確かに光明寺などかなり立派なものである 歩き始めて30分ほどで八幡神社へつく 創建は室町時代とされるが現在の姿になったのは幕末も近い文政の頃とされている 参道の両脇は広い原っぱになっていて 大きめの狛犬が一対置かれている 台座には明治38年と有った 15分ほど行くと一里塚の矢印が農家の玄関の方を向いている 入ると犬が騒いだので奥さんが出てきて皆さん間違えるんですよねといって 道に沿った塀の内側の一メートルくらい盛り上がった所を教えてくれた ここは関東平野の外れなのだろう 山に入るような感じとなる 途中に河東碧梧桐の句碑が立って居るが 明治39年の作と言うと この道ではなく明治33年から大正5年まで有ったと言う人車鉄道に乗って作ったものではないだろうか 坂を下り橋を渡ると喜連川宿に入る
喜連川神社へ行こうと思いとある路地へ入ると幅60㎝くらいの清流が流れており鯉がたくさん群れていた 用地の境に金網があり鯉は別々になっていた 昭和60年に建てられた看板には昔日の清流今いずこと有ったが ここ20年で何か変わったのだろうか 脇から階段を登り神社に入った 此処の人達は非常に親切であった何か聞けば親切に教えてくれるし 声も掛けてくれる 神社でお参りをしていると ご苦労様ですと声を掛けてくれた80歳を過ぎていると思える女性が何の話からだったか そう 今は境内を掃除する人もいなくてという話から 若い人がいなくてねとか 若い人がいても40・50に成っても結婚しないから子供もいない だから町に有った警察も 社会保険事務所も役場までなくなってしまうと嘆いていた 戦後の一時期は温泉も出て賑ったのだけど と・・・・
喜連川を出て佐久山宿へ向かう 道の脇は田圃が続く 今はどの農家も大きなトラクターを所有しているらしい なぜかトラクターに自走式の脱穀機を積んで田圃に運んでいる様子を良く見かけた 借り入れもある地区が一斉にやるわけではなく 夫々の田圃ごとにやるらしい 稲穂が重く垂れ下がり借り入れまじかになった所を見ていると昔と変わらないと思ってしまいますが 到る所に農地改良の記念碑が建ち 畦は真っ直ぐになっています きっとこの光景は戦後になってからのものでしょう 変わらないと思っているところが 一番変っているのかな・・・そんな光景が続いています
佐久山宿は大きなケヤキを一本見ただけで通り過ぎてしまいました 町外れの箒川を渡っていると 落ち鮎用のやなが見えた ただただ2車線の自動車道路をひたすら歩く 幸いなことにほとんどに歩道が付いているので 車にはあまり気を使わなくて済むが 無い所は怖い 大田原に入るとすぐに薬師堂が有った 随分せせこましくされている 宇都宮から此処までお寺は立派なものが多いが 神社は粗末なものが多い しかし薬師堂は仏様だよな・・・・・
佐久山への途中にあった道祖神 1988年に78歳・77歳・69歳の3人の男性により建てられていた
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奥州街道を氏家から白石まで歩きます

2005-09-26 21:51:02 | 狛犬・街道
急遽明日から3日間の予定で 奥州街道を歩くことにした 無理をすれば白河まで行き 幕府道中奉行配下の奥州街道は終ることは出来るが それでは白河をほとんど見ることが出来ない それで一つ手前の白石までで切り上げる予定を立てた 3日間とも5里から6里と言う私にとっては強行軍になります 暑さ 寒さも彼岸までと言いますが 正に朝夕は涼しくなり始めましたから 気候的には絶好の機会だと思えます 先ほどの京都旅行もそうでしたが 当日に携帯でBLOGを書き込むのは 私には無理です 宿に入って食事をしてお酒を頂くと それで私のその日の精力は全て使い果たされてしまいます
また帰ってきてから 今回の道中は報告します ・・・・全く1人だから思い立ったら出かけられます 此れでは中々皆と出かけられないのは 無理も有りませんね

信貴山 朝護孫子寺の境内にある 北村西望作の聖徳太子騎馬像です 物部氏との戦いの前に この神社に祈願し 不動明王から必勝の秘法を授けられ 世を鎮めたという 伝説があるそうです
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小杉小二郎展

2005-09-25 23:25:35 | 展覧会から
HOMENETでファイルを見られなくてもメディアを夫々のPCに直接取り込めれば解決するとのことで 遅れていたBLOGなどの書き込みを始めたが 何とも落ち着かない
ふと 思いついてもう一度DELLにメディアを読み込ませて読めるかどうか試してみた なんと 今度はSONYでもNECでも読むことが出来る 此れは何なんだ!!!!
22日・23日とまるまる2日間に及ぶ苦労はなんだったんだ もっと頭を柔軟にして解決方法を多角的に考える必要がある 近頃少し頭の働きが鈍っているような気がする 反省せねば・・・・・・・・・
23日に練習に行ったとき ギャラリーで小杉小二郎展が開かれていた 私にとって小杉小二郎は全く未知の人であったが何となく入ってみた 単純なのか奥深いのか良く判らないが 好きか嫌いかと問われても 嫌いでは無い では好きかといえば好きでもない 変なモノヲ使ったコラージュは親しみやすく判りやすかったが あの影のない色というか影の中の色というか 何か心引かれる印象を残す展覧会でありました 
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第50回全日本総合演武大会

2005-09-24 23:44:25 | 生活の中で
第50回全日本合気道総合演武大会を見学に出かけた 所属しているクラブが合気道養神会の系統なので 第50回と言うこともあり 見学した方が良いよとの アドバイスもあり出かけたのです 駒沢のオリンピック公園の体育館で開催されていました 自分的には地味な競技なので来場者もパラパラかと思っていたのですが 意外に多くの人達が参加者したり 応援に来ていました プログラムもびっしりと組まれていて 参加団体は85以上 12時から最終は18時20分になっていました 通常此れだけ参加者が多いとえてして時間が延びるものですが 延びた時間は僅か20分 70歳を超える壮年組みから 小学生・園児まで幅広い階層が参加する大会としては本当に凄いと思います
初心者としてはただただ皆さんの精進の結果を見ているだけでしたが 師範の方々の模範演技にはため息が出る思い出ありました 自分にとって心強かったのは壮年組みに出場なさっていた方の中に60歳を超えて始めたと紹介されていた人が3人くらいいたことです 自分も頑張ろうと思ったことでした
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サポートはどこも親切だが・・・

2005-09-22 23:59:07 | 生活の中で
ふ~~~~~ 成果の上がらない苦労は疲れる 旅行中に撮ったデジカメのメディアをPCに取り込んだのだが 取り込んだDELLでは見られるのにLANで繋がった NECやSONYでは全く見られないのです SONYに相談するといろいろ試してくれたが NECでも見られないなら SONYだけの問題ではないのでDELLに相談せよとアドバイスされ DELLからはもう一度NETの設定をやり直せといわれ やってみても駄目で私はどうしたらよいのでしょう
メディアを夫々のPCに直接読ませると何の問題も無く読めますからメディアの問題では無さそうだし NETでも以前に読み込んだファイルは読めるので何なんでしょう 一日かけてどうどうめぐりでした 本当に疲れた
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細見美術館

2005-09-21 23:01:56 | 二人の旅
細見美術館はある種憧れの美術館であった なぜ??? 我々が行きたいなと思う日は なぜか休館日に当たるとか 帰りに寄ろうとすると時間切れになってしまうとか・・・ 今回も20日に行こうと思い念のために電話すると 本日は休館日ですという え?? 今日火曜日ですよねと訊ねたら19日が祝日で開館しましたので 振り替え休日とのことでした それでやっと今日になったのです
9月16日からは 「琳派 Ⅷ 俵屋 宗達」を開催しておりました Ⅷと有るからには一貫したテーマが何年も積み重ねられておりこの美術館のメインテーマのようだ 今までのことを知らなくてもこの展示は此れで楽しむことが出来た ここの美術館で感心したのは 写真撮影が許されていたことです 今はほとんどがデジカメで フラッシュなど焚かなくても良いは写真が撮れますから 出来るだけ写真を取らせても良いのではないかと思います もっともこんな事を許すと大きな三脚を据えて他人の迷惑など考えないで始める人が必ず出てきますから此れは此れで問題なのです 人を信じられないのは悲しいことですが・・・・
館内の解説文の中にこんな 一文があった「絵屋を主宰していた宗達は早くから優秀な弟子を抱え 製作に当たっていたとみられる その工房の商標とされるのが 『伊年』・・・・・」 また たらしこみと言う水墨画の技法を解説した所には こんな表現もあった「琳派」というと華やかで明快な作風を思い浮かべるが 水墨のモノトーンの世界にも豊かな作品群が広がっている ・・・・ 宗達やその弟子達は こうした水墨画にも多くの顧客を持っていたらしい」
ここに見られるのは完全に商業化された 今で言えばアニメの制作工房が江戸の昔から存在していたことです
美術館を出て鍵善に行った 実は此処も月曜日がお休みで 昨日は幾ら電話しても繋がらなかったのです 店にあるパンフレットにはちゃんと書いて有りました 月曜日が祝祭日のときはその翌日と・・・
やはりこの店のくずきりは 旨い あの独特の容器に入っていただけで 鍵善だ!と思うものね 
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宇治 平等院へ

2005-09-20 23:58:47 | 二人の旅
前回宇治へ行ったのは何時だったか とにかくブルーシートに包まれた平等院に入った記憶があった おぼろげな記憶で工事が完成したような記事を見た気がしたので 特に予定も無いことであり 平等院へ出かけることとした 
宇治橋西詰から駐車場へ車を入れ ウロウロしていると焼き栗屋のお兄さんが親切に話しかけてきてくれた 宇治イラストマップにしるしを付けながら 今ここにいますよ 此処は裏口の南門が近いけれど どうせなら中ノ島を通って正門から入ったほうがいいよ 出来れば川を渡ってやはり世界遺産の宇治上神社や興聖寺へ言ったほうがいいよ 特に秋は素晴らしいし 東側にも駐車場があるからそれほど歩かなくても済むよ とのことであった 確かにマップを見ると由緒ありげな所が多く紅葉や桜のマークも処々に付けられている う~~~~んまた来たい所が増えた 
平等院に入る 確かにブルーシートは無くなり再生された池の州浜も美しい しかし しかしですよ 御仏の天蓋も光背も外され まるで山奥の荒れ寺を見せられているようなものでした しかも時間の変更は許さないの 写真は撮るななど見せてやるという態度がありありで 可愛い女性がホストを勤めているに係らず 全体の雰囲気に 怒りすら覚えるほどでした 
外に出て 焼き栗屋のお兄さんが推薦した 竹林なる料理屋で昼食を取った 重ねのお弁当であったが味もしっかりしており 中に入っている料理の種類も意外に多かった そして此処で供された天然鮎の塩焼きは 料理人がこの鮎を出しますと 笊に入れて見せに来たときは飛び跳ねていた 焼き具合も絶品で頭から尻尾まで全部食べてしまった 旨かった!!!! 
京都に戻り真如堂へ行く 紅葉や桜のときとは異なる 重量感が感じられる お堂が閉まる寸前だったが お参りすることが出来た その後境内をゆっくり散策してホテルへ戻った
一皿に盛られた塩焼きの鮎 皆で一匹ずつ食べた 
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斑鳩から生駒へ

2005-09-19 23:47:54 | 二人の旅
ここ数年年に何回か奈良に来ているが あまり足の向いていなかった 斑鳩から生駒のほうへ向かうこととした まず法隆寺の近くにある法起寺 数年前の案内書にコスモスの寺として名前が出ていました 聖徳太子が建立にかかわった寺とされるが 今当時の面影を残すものは 最古といわれる3重の塔のみで見る影も無い
しかし世界文化遺産への登録を期に周辺の田や畑を寺の環境面を配慮して耕作を続けているとの事で 稲穂のたれた田圃越しに見る3重の塔はなかなか風情があった
すぐ近くに法隆寺がある 寺の前はゆったりと整備され 真っ直ぐに山門に向かう松を植えた参道も立派であった
西院伽藍の中に入る 今回はあまり立派過ぎて建物に目が行かない 礼拝石や五重塔の屋根を支えている天邪鬼や金堂の4隅にいる狛犬 5重の塔の最上階に見える金剛力士や金堂にいる昇り竜や下り竜 などを一生懸命写真に写していた
その後斑鳩神社の看板につられて 歩いてゆくと 坂の上にため池があり 何か由緒ありげな堤があった そこに登ると五重の塔や法隆寺の建物の屋根が良く見えるのだが たまたま登ってきた写真クラブを引率していたらしい人は 昔は塔が根本から見えていたのにと 残念がっていた しかし10年でそんなに変わるだろうか 回りに立つ建物は相当古そうに思えたが・・・・
門前で食べた柿の葉寿司はまずかった やはり名のある所でなければ駄目・・・・
昼食のあと 生駒の朝護孫子寺へ参った 何でも此処は 全ての願い事をかなえてくれる ありがた~~~~~イ お寺とのこと 此処も聖徳太子が587年に創建したところだそうです ここから信貴生駒スカイラインを通り奈良に戻り京都へ向かい いつも泊まる京都国際ホテルへ・・・ 
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薬師寺 観月会

2005-09-18 23:42:02 | 二人の旅
朝の5時過ぎに 出発した 3連休の中日なのでそれほど混むとは思わなかったが
なるべく早く奈良に着きたかったのでこの時間になりました 何時もの通り市ヶ尾に寄って 義兄夫婦と合流し 一路奈良を目指します 行程は浦和からだと600キロ弱と言う所です 到着予定時刻は13時30分頃とのこと 
そう 今日は中秋の名月の日で 薬師寺で5回目の観月会が開かれることになっているのです もう3年以上前に成りますか 薬師寺に寄り玄奘三蔵院で中秋の名月の日に普段は閉じられている伽藍の扉が開放され 月の光の下で拝観できると聞いたのは・・・・ それから2年今年の正月に来たとき奉賛会の話を聞き 暫らくしてから入会した 目的はこの観月会だったのだから 待ちに待った日と言うことになる 宿泊先の春日野荘には1時前には到着し 昼食をとってから 薬師寺へ向かうこととした 
早めにお寺に到着したので境内をぶらぶらしていると 不動堂があり その前に護摩を焚く結界が設けられていた 正月にも護摩は焚かれていたが修験者の姿は見なかった 此処ではお坊様が護摩を焚くのだろうか 今度いったら聞いてみよう
4時から法話を村上太胤執事長がなさった 中で印象に残ったのは 岐阜で住職を兼務しているお寺が保育園を経営しているが その園児とその子等の親についての悩みをふと話されていたことであった 法話のあと食事が所を変えて供され その後 玄奘三蔵院内の観月会 法要会場へ入った 
観月会 表白に曰く 「その志趣如何となれば 夫れ今日者 闇夜を照らす美しき明月を畏敬の念を以って仰望し 感謝の祈りを捧げる法要を・・・・・と」そしてその最後は「仰願わくば 一切三宝智見照覧し 冥助の掌を伸べ願主の志願を哀愍納受し 所願を成就せしめ給え 乃至法界 平等利益」で結ばれていました
表白を捧げているうちに空は暗くなり 暫らくして玄奘三蔵院の回廊の屋根にチラッと月が顔を出すと驚くような速さで全体を見せました その間2・3分もあったでしょうか 一点の雲も無い闇夜の空に浮かんでおりました 司会を務めていた加藤執事が玄奘三蔵院が出来てから始めた観月会は今年で5回目に成るが こんなに見事な月を見たのは初めてだと 申しておりました その後 長唄の御奉納がありました 唄は吉住小蘭師匠(きっと80歳は超えていると思いますが) 法話の会場でご挨拶をなさった時は上品なお婆さん位の印象でしたが 唄い始めるとその張りのある堂々とした美声に圧倒されました 脇で若い方が合い方を勤めていましたが艶といい 膨らみと言い 圧倒しておりました 此処でもう一つ感心したのは二丁の三味線が入っていましたが その表現力の素晴らしさに改めて驚かされました
長唄の終る頃には月も高く上がり 中秋の名月とは此れか!!!!と言う感じになっていました 司会者の方から余りに月が素晴らしいので お菓子を増やしたので先にお茶を喫した方も 野点券は要らないのでもう一服どうぞと告げられていた
素晴らしい お月見を楽しませて頂き 有難うございました また来年も行きたくなりました 

 
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ハイビスカスが咲いた

2005-09-17 18:59:43 | 我が家の庭
玄関の脇のハイビスカスが今朝起きてみると咲いていた ゆっくりと蕾が大きくなっていたので あと2・3日かなと思っていただけに 5cm以上もある大きな花を見たときは 非常に嬉しかったです 7月にも蕾をつけましたが 落ちてしまい今度が2番花でした もっと赤い花の色かと思っていましたが薄いピンク色だったのは意外な感じがしました 露地植えですので無理かなとは思いましたがよかったです しかしポインセチアは今年とうとう花が咲きませんでした 草丈は3倍くらいになったのですが 
去年の写真ファイルを見ると 今年消えてしまっている花が随分あります
ユリが3種類全滅しています 桔梗も今年は芽も出しませんでした 昨年は10本近く突然咲いた 彼岸花も今年は芽を出しませんでした 去年だけあの花はなぜあんなに 元気良く咲いたのでしょう
今年はカリンが細い枝がたわむほど実をつけています 葡萄も小さな房を2房つけています ブルーベリーはまだ実が熟し続けています 今年は庭に出る度に熟した実を食べることが出来ました 此れは嬉しいことでしたが 本当は我が家の周りの環境が激変してきて いつも庭に来ていた鳥達が 我が家の庭に立ち寄らなくなったのです 家の前の電柱に止まり煩く鳴いていたヒヨドリも いつも巣作りを失敗する山鳩のカップルも今年はほとんど見ませんでした 春先にはいつも来ているウグイスもきませんでした 少し離れた所の雑木林がマンションに変わってしまったことが 悪化していた環境に 決定的なダメージを与え 鳥たちの生息域を分断してしまったのでしょう
我が家のデジカメの導入はほんの3年前でした でも本格的な運用が始まったのは 昨年 このBLOGを立ち上げてからでした メモ代わりに何でも写真に撮ることにしたのです 此れは正解でしたね 我が家の狭い庭を撮り続けていると その変化が手に取るようにわかります 今有るものを描写することは出来ますが そこに無いもの 消えてしまったことは中々思い出せるものでは有りません その点記録が手軽に取り出せるのは PCが有って自分的には始めて使いこなせたと感じています
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アジサイ???

2005-09-15 22:48:50 | 生活の中で
ウオーキングへ行くにしても 同じ道を歩いてばかりいると マンネリ感に襲われることがある 競馬場を抜けて川沿いに歩くのではなく 別の道を探してみることにした ところが川に並行する道が見つかりません どんどん上に上がり谷田小学校の脇から産業道路に出てしまいました 何時もより30分ほど早く出たので 例の風船唐綿を見る積りでは有ったので 産業通りをそのまま歩くことにしました
ふと 反対側の奥に何か白い花のようなものが畑に広がっているのが見えました 歩道橋を渡り戻ってみると奥に大きな農家が有り その前の畑にその花は植わっていました 丁度ご主人らしき人がいたので アジサイですかと伺うとそうだというのです 此れは問い方を間違えました 此れは何ですか と訊ねるべきでした 今時アジサイが咲いているわけ無いですものね・・・・ でも花の形はアジサイでしたものね 見えるだけでも5反は有りそうです 生産緑地の標識が立てられていました ビニールハウスもたくさんあり1棟の中にはドライフラワーのようにした 花の付いた枯れ枝がたくさんおいてありました(勿論花も枯れています)
その先の苗を売っている花やさんの隣にある風船唐綿はますます花が多くなり ほうずきのような形をした実も 大きくなっていました 写真を撮ってから花やさんに寄って見ました う~~~~~ん植えたい苗が沢山あります でも・・・・旅行から帰ってからにしましょう 可哀想だから・・・
そんなことをしていたら ウオーキングの場所に着いたら昨日と同じ5時15分も過ぎてしまいました 今日も3周です 帰りにいつもタヌキのいる所を覗いたら 暗くなっているためでしょうか 今日は一匹も見えませんでした 昨日は3匹もいたのに・・・・・ この場所での勤務時間が終ったのでしょうか 
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新しい出会い

2005-09-14 21:52:23 | 生活の中で
今年5月に武蔵WVOB会総会で 始めて出合ったI氏から 10月9日・10日に開催される「秋のウオーク」の丁重な案内が届いた 初日玉川上水から昭和記念公園を経てふれあいの里で泊まり 翌日は陣馬山を経て姫谷鉱泉で入浴食事 解散というコースです OB会の当日 何の話からかI氏が 高松ワンダーフォーゲル協会東京支部なる組織を持ち秋に ウオーキングの予定があると言う話になったのです どんな協会なのか どんなメンバーなのか私は全く知りません しかし何のかかわりなのか全国から 私以上の年配の方々も参加されると聞き 思わず自分も参加させてとお願いしてしまったのです I氏はその約束を忘れず連絡をしてくれたと言うわけです 参加者の名簿を見ると香川県在住の方が33名中5名いますが
あとは京都・大阪・兵庫・宮城・岡山・埼玉と全く何の繋がりか予想もつきません本当に楽しみです Iさん宜しくお願いします

今日の夕方7日振りにウオーキングへ行くことが出来た 8日仲間と会って 9日は練習に参加 10日にTVが故障して買い物に出かけ 11日にTVが来たので設定やら何やらでつぶれ 12日には市ヶ尾と鎌倉に出かけPCの宿題を持ち帰り 13日は 一日PCとの格闘でつぶれ 14日は朝からBSアンテナの設置に取り掛かり4時間ほどでやっと見ることが出来るようになりました 設置しても全く反応が無いので やはり購入した店の親切な店員にアドバイスを受けました マニュアルだけでは如何しても駄目です それが終ってからやっと出かけたわけです かなり中身の濃い一週間でした ハイビジョン綺麗ですね 此れならNHKに受信料を支払ってもいいかな・・・・・
 
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変化の中で

2005-09-13 22:57:55 | 生活の中で
昨日昼食に桜通りの サンマルクへ寄った 1時を少し過ぎた程よい時間ではあったが 数十台入る駐車場はほぼ満車で 席に案内されると 意外なくらいうるさい
幼児の泣き声もあるが グループの御婦人同士の声が反響している 以前 別の店に寄ったときの雰囲気とは随分違っていた まあ1時間も経つうちには随分静かになってはきたけれど・・・・ 
私はめったに外食をしないので味を云々することは出来ないが はじめに気になったのは 自由にセレクトできるパンが随分小さくなっていることでした もっとも多くの種類があるのでママと2人で一つのパンを半分にして食べて丁度良かったので 文句を言っているわけではなおのですが・・・ もう一つ気になったのは 以前入った時 次々に持ってくるパンは 焼きたてのものでしたが 新しい料理が出る度に持ってくるパンの殆どが 冷めていたことです 焼き立てと呼べるものも ありましたから造り置きを出しているのではないとは 思いますが・・・
味に関して一つだけ 私には少し塩辛かったです しかも何か塩の味がそのまま出ているような・・・ 今風の味とは此れなんでしょうか やはり私はママが作ってくれるものを 食べているのが一番です
市ヶ尾に寄って VAIOをいじってみましたが 如何してもブランクのディスクを認識しないという 症状は治りません 暫らくサポートセンターと色々やり取りしましたが 駄目で私が預かって行くことにしました 持ち帰って症状を再度確認しましたが変わりませんでした 確認できたのは音楽も静止画も再生は出来ることでした 今朝もう一度サポートセンターに電話をしてディバイスにUPデート版があることを知りました 此れにも文字抜けや 大文字・小文字の区別をしないなど一悶着ありましたが UPデートが出来ると ブランクディスクを認識するようになり 書き込みも出来るようになりました ふう~~~~~~
ここで感心したのは 2日間で10回近く電話をしましたが 殆ど話中が無かったことです 此れは助かりました そして今までの問い合わせの内容が記録されているようで 時間も節約になるし オペレーターも次のことを考えてくれます 本当に助かりました やはりマニュアルだけでは駄目です 新しい物を導入するときには サポートの有無が値段より重視すべき時が来ているのかも知れません
鎌倉で見つけたトケイソウです てっきりクレマチスと思っていましたが・・・・


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