気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

じゅんび かんりょう

2005-07-31 19:22:48 | ゆーき君のこと
あす お泊りでゆーき君が来ることになっている
今回は 彼が幼稚園のお泊り保育で習ってきたカレーライスを我々に振舞ってくれるとの事 これは楽しみです 
昨日の朝スーパーへ行って カレーのルーと お子様用の花火を買ってきました
今日は芝の草取りをして シートを敷いてプールを出し パラソルも用意しました
水を試しに入れましたが 大丈夫です お泊り用の布団も準備OK! 
待ちかねています

ゆーきくんへ
あすまっています
カレーライスたのしみに しています じょうずにつくってください
おにわにプールもだしてあるよ はなびもできるように かってきたよ
じてんしゃもさがしにゆこーね  あすまってるよ たのしみだね
そうそうトーマスランドでなにをしたのか おしえてね
         おおきいパパとおおきいママより
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

模写・模造と日本美術 東京国立博物館

2005-07-29 23:43:03 | 展覧会から
合気道の練習に行く前に 東京国立博物館に寄った 本当は博物館のパスポートの有効期限が来週に迫っていて 今日行かないと無駄にしてしまうと言う非常にせこい考えに捕らわれていたのです しかし普通美術館や博物館は5時までですよね 電車に乗ってからそのことに気がつきましたが まあいいか・・ 駄目なときはそのときや・・・・と思い行ってみたら何と金曜日は8時までやっていました 儲かった~~~ と言うわけで目的の「遣唐使と唐の美術展」へ行きました 確かに最近発見された 井真成 成る人物が中国滞在18年で次の遣唐使が来るか 来ないかの時に亡くなってしまった それはそれで物凄いロマンだし 誇りに思うけれど やはり学生の若造だけを 大きなテーマとするには荷が勝ちすぎた感じであった
むしろ今日の収穫は 同じ平成館で開かれていた「模写・模造と日本美術」なる展覧会であった その序に曰く 「模写」とは平面的な作品をまねて写すことであり
「模造」とは立体的な作品を実物に似せて作ることを意味します 模写・模造こそが創造を生み出す原点であり古典の再生をもたらす原動力となってきたからです
江戸期狩野派においては個展の模写は重要な学習の手段であり 現在ではこの模写を通じてしか見ることの出来ない作品も多くあるそうです さらに明治時代 岡倉天心が中心になって取り組んだ模写・模造事業に焦点が当てられています 明治時代初期 「文明開化」と称して西洋文化を取り入れる中で 伝統的な日本文化が危機に晒されました 廃仏毀釈と海外流失の増大です 天心は新進気鋭の作家に古典美術の模写・模造を指示し 出来上がった作品を博物館に展示することで 人々に日本の伝統美術の素晴らしさを伝え さらにその事業は文化庁や 宮内庁に引き継がれていると言えるそうです 
またこの展示会には 正倉院の復元模造品や消失してしまった法隆寺金堂壁画 劣化が心配され解体保存が決まった高松塚古墳の発見当時の実物大の壁画も展示されていました 
現代に通じる影響の深さを考えると 何故この展示会が遣唐使・・・より軽く扱われているか 何か釈然としないものが有ります 一方が新聞社の主催なので お金の出方が違ったのでしょうか


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震の思い出

2005-07-28 22:17:06 | 生活の中で
珍しく二人で外にいた時 それは起こった 小さく揺れ あれっ!!と思う間もなく 音がしたのかどうか 定かではないが感覚的には どんと音がして ぐらっぐらっと来た 外で立っていてもはっきりと解るほどの揺れを感じた 玄関前の柱を持つと 揺れているのがはっきりとわかった 小さな揺れから 大きな揺れになって1・2秒したとき 下の家から悲鳴が聞え 近くの犬が鳴き始めた 静かな外にいてはっきり解る地震にあったのは 記憶にあるので3度目です この前遭ったのはまだ家族が名古屋に残っていて 自分だけが逆単身で東京にいた時でした 朝名古屋から新幹線で東京駅に着いたとき地震が起こりました ホームの上で思わず捕まるものを探したことを未だに思い出すことが出来ます そのとき勤務先の銀座まで歩いたのかどうか記憶にありません その時も電車や地下鉄が随分長く止まっていたように思います その前は私がまだ学生時代のことでした 1人で北海道を当ても無く旅行していました 確か釧路か根室にいたときだと思います 突然
地面が揺れ始め 電柱が大きく揺らいでいました その時は家が倒れたり 津波が来たわけでは有りませんが ここに自分がいることは誰も知らないんだと思うと 何かしらの感慨が有った様に思います そうそう もう一度有りました 私がまだ小学校に上がる前 父の勤めの関係で四国松山の道後に住んでいたことがあります 寝ていて目が覚めると誰かに抱かれていたように思いますが 家中が がたがたと 随分長い間揺れていたように思います そのとき道後温泉の湯が全く出なくなり 道後の町から人影が全く消えて仕舞いました この事は道後温泉の前に住んでいた事もあり 今でも何か妙にリアルに思い出すことが出来ます 不思議に電気は点いていた様に思います
アルバイトに行っているとき 何か会社に居るとき地震に会うような気がして成りませんでした 6月でバイトが終り結果的に先の地震には遭わずに済みましたが 行っていれば電車の不通にもろに当たる所でした これからも週に一度は都心に出かけるので何か気に成ります もっとも子供や連れあいは毎日通っているのですから 何とか巻き込まれずに済めばよいなと思いますし 巻き込まれても それを克服する準備をしていて欲しいし 強さを持っていて欲しです
しかし私は 災害などで家族の安否を心配しなければならない事態を経験したことはありません これは幸せなことです これからも続くことを願っています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高が最善とは限らない

2005-07-27 22:12:49 | 生活の中で
雨が降る予定で起きてきて窓を開けると 雲一つない台風一過の晴天でした こんな日は何か落ち着かない とりあえず強風が吹いて飛ばされたら困ると避けておいた 植木鉢などを元に戻し さて次は・・・ これ以上部屋をいじり始めると大変なことになるので 何と無くそこまでの気力が湧かない 
昨夜からHDDに溜め込んだ番組をDVDに焼き始めた 何でもスカパーはドラマだ全盛でLALATVでもソネットTVでも沢山放送されていますから録画をし始めると すぐに30話とか40話にに成ってしまい しかも最高画質で録画しているのでもうHDDが一杯に成っているのだそうです しかしそれではDVDが多くなりすぎるのでこのレコーダーの言うLPモードで書き込むことにしました するとするとです 何と1:1で無いと 変換しながら書き込むことが出来ないのです画質に関しては SPモードでなくともLPモードで充分だと解りましたから HDDの方もLPモードで録画するように変更しておきました 昨夜から今日に掛けて15話 つまり15時間以上掛けたことになりますが 一つのシリーズをDVD4枚に焼きました あと2つほどシリーズがあるので30時間以上掛りそうです しかしこれを焼いてしまえば 次からは8倍速が使えるので 楽になるはずです どうしても一度は失敗しなければしょうがない・・・・・・か
 自分はやはりアナログ人間で 新聞の記事を見るのに内容だけ見るのでは無く どんな大きさで扱っているのかが気になる そしてそのときどんな記事が他に出ているのか・・・・ そんなことはある一つの言葉で検索をしていても 出てくるものでは有りません そんな訳で談合関係の記事が6月に読売・毎日・朝日にどんな風に取り上げられているかを 図書館に行って調べてみました なかなか面白いのですが自分の中でまだ整理が出来ていません 明日UPします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道路公団 内田副総裁逮捕

2005-07-26 17:26:48 | メディアから
道路公団の橋梁談合に関連して 副総裁の内田某が逮捕されています OBの天下り組織も K会とかA会とか言う談合組織も新聞を見るまで知らないと 文字通り白を切っていたのが ご本人に直接天下りの斡旋を申し込まれていたことが漏れ出したり 嫌がるメーカーに無理やり天下りを押し込んだりと 色々報道されていましたから何かはあるだろうと思ってはおりました しかし逮捕された後で気になる情報も伝えられています それはこの内田某が国土交通省の介入を嫌った民間出身の総裁によって引き上げられた人物であり 政界との繋がりも余り無い人物だと言われている事です 現に5月に決定された10月からの民営化される主要な会社に彼の席は用意されていないようなのです そして今日 日経新聞の6月の切り抜きをしているとき奇妙なことに気が付きました 6月2日から7月1日までの一ヶ月間に この公団談合事件にかかわる記事が全く出なかったのは僅か7日間 15日間は社会面のトップ5段抜きの扱いで連日掲載されています トップでない時も 4段抜きが5回 3段が1回です さらに6月28日には社会面で5段抜きの他に一面にも3段抜きの記事を出す念の入れようです 今は手元に日経の朝刊しか有りませんから 他の新聞との比較は出来ません しかし朝日を読んでいてもこれほどの一つの問題に対する集中振りは無かったような気がします 何か異常な力の入れようです しかも取り扱いは怒りを持ってとか 社会に警鐘を鳴らすといった 使命感を持ってとか言う感じもありません これだけ取り上げているのに 事実のみを淡々と と言う感じなのです何か変です 明日にでも図書館へ行って 朝日・読売・毎日3紙を同じ基準で記事の取り上げ方を調べて見ます
私がこの問題に違和感を持っているのは 本省や政治家との関連が薄いとすると この内田某をいくら叩いてもより上層部への事件の発展はありえない 従ってスケープゴードとしては最適だと狙われたのではないか・・・ と危惧するからです
我々庶民から見ると副総裁まで逮捕して検察は良くやると思わせていても 政治家に及ばないから やられたとなると これはこれで大変な問題でありましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵐の日の予定

2005-07-25 23:01:20 | 我が家の庭
時々急に雨が強くなる 何でも台風が近づいているらしい とにかく広い範囲に強風域のある大きな台風らしい 明日の会合は一週間延期になった その連絡のメールに曰く 誰かさんが雨男なのではないかと・・・・ 
うん それだけの力があれば楽しいな えへへ~~~~~~
今朝は早く目が覚めたので 前々から気に成っていたところを中心に家の周りの追加作業をやった 何かきっかけがないと出来ないことって有りますね 此処2日間で少しすっきりしました 
明日・明後日嵐になりそうです 外の作業をやっておいて良かった・・・ 外に出られないときには 部屋中を整理することにしましょう 机の上も作業台の上も本や新聞や 色々なデジタル機器で溢れています何が増えたのでしょうか 思いきって整理しないと 部屋の中がゴミ部屋になってしまいます 
さ~~~~~~あ 明日から頑張ろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイビスカスは開花できませんでした

2005-07-24 23:32:27 | 我が家の庭
2週間続けて日曜日の庭仕事となった 今まで裏の駐車場になっていた所がいつの間にか売りに出され 建売住宅が建設されています そこに新しく塀を建てるというのです 先方の地所内に建てるとのことですが 今あるフェンスは壊されるので 丁度良い機会と久し振りで整備をしたのです
3ヶ月くらいも手入れをしていないので 一つやり始めると次々に目に付く所が出てきて 作業が終わりません 結局猫よけの網を取り外したり 敷地からはみ出しそうな木を切ったり さらには物置に絡みつき始めた蔦を取り除いたり・・・ 9時から2時まで5時間びっちりと仕事をしました 
あれほど咲き誇っていた紫式部も花は殆ど終り花の数に見合うだけの 小さな小さな実が沢山付き始めています 今年はカリンが沢山なっています きっと20個では聞かないでしょう 台風が来なければ良いがと思っています 今咲いている花は鉢植えのものを除くと殆どありません
蕾が2つ付いて期待していたハイビスカスもいつの間にか蕾が落ちてしまいました ブーゲンビリアは今年はついに咲きませんでした 露地に植わっている花ですから今年はビニールシートでも掛けてあげましょう 咲かないと言えばヤマホロシも咲きませんでした 枯れては居ないのですが 切り詰め方が悪かったのか 大きくなりませんでした ゆりも芽が出ませんでしたね そういえば沢山実がなっているカリンの枝の先端が枯れ始めています ムベも今年は殆ど実がついていません
昨日も大きな地震がありましたが 何か人間だけでなく 草木も浮き足立っているような気がするのは私だけでしょうか・・・・・・
この時には 咲くと思っていたのですが
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無責任の連鎖 JR西・アスベスト・郵政民営化

2005-07-23 21:32:56 | メディアから
参議院での郵政法案の賛成・反対の議員の数当てがかしましい しかしその内容について議論は 殆ど聞かない パックインジャーナルではアメリカ政府は10年以上前から郵便貯金と簡易保険の自由化を求めてきているといっている 今もアメリカ大使館のHPには郵政民営化を早急に実現すべしとの主張が掲載されていると言う そして郵便局にある350兆円をアメリカを支える大きな資産として活用する意向と言う 昨日中国が元の2%の引き上げを行った これに関しては株式相場などには殆ど影響は無いように見えるが 中国の狙いは違う所に有るような気がしてならない
完全にドルとのリンクから ドルを主体にユーロや円を加えた通貨バスケットに変更したことにあるのではないか しかも夫々の通貨の重要度は発表されず 中国の通貨当局に任されている 現在アメリカ国債を保有している国は 一位は日本で6000億ドル 二位は中国で2000億ドルだと言う 中国と日本が一体となってアメリカに対して物を言えばかなりの成果が期待できると思うのだが 現状を見るといつの間にか中国はアメリカ国債を売りぬけ日本のみが郵便貯金と簡易保険の350兆円をアメリカ国債につぎ込み アメリカと共倒れしている気がしてしょうがない
私が郵政民営化ということに そもそも疑問に思うのは 自分が江戸時代の街道を歩いていることにその根があります 昔の街道は殆どが現在地方道になっています 明治のとき街道は殆ど拡張され国道になって居ます しかし戦後になりその道の殆どにバイパスが建設されています 今はそのバイパスにバイパスが建設されている所も多く有ります そして高速道路も作られています そこに見る昔ながらの集落の現状は 道が出来れば出来るだけ 集落は寂れて行きます そしてそのような集落には銀行なぞ全くありません 農協も殆ど見かけません かろうじて郵便局だけが存在しています 私が江戸時代の旧街道を歩いているとき コンビニが営業している所は殆ど有りませんでした もしあったにしても旧街道ではなく 新しいバイパスに立っているのがせいぜいです 皆さんは コンビニが新しいバイパスにあればそれでよいでは無いかという方も多いと思いますが 自分が80才を超えても車を安全に運転できるかどうか考えたことがありますか もし車が運転でき無くなった時 どんな生活が出来るか考えてことがありますか 新しいバイパスは古い集落からは1キロや2キロは離れています 車が無いときコンビニに行くのに30分とか1時間掛ってしまいます 民営化したときこれらの集落の郵便局が残るとはとても思えません 何か基金を作るといっていますが 何故そんなことをする必要が有るのか全く理解できません 余りにも無責任です
無責任といえば 今日の日経の朝刊(14版)にべた記事でこんな記事があった 「制限速度上限前提にダイヤ」福知山・東海道線 なる記事で あの事故を起こしたJR西日本が制限速度の上限で運行しなければ守れないダイヤを編成し 国土交通省に見直しを指示されていたことが22日わかった・・・・ との記事である福知山線の運行が再開されたとき あの事故の起こった区間の速度を95キロにしたが最高速度は120キロを変更しないとしてきたが こんなに早く120キロで走らねば運行できないダイヤを作るなどと想像もしませんでした 6月22日にこのblogで「殺され損 JR西日本反省なし」 と言う記事を書きましたが まさか本当に成るとは思っても居ませんでした やはりこのダイヤは 誰の指示で誰が編成し 誰が承認し 誰が国土交通省に申請したのか 全く事故の反省の無いこの態度には 組織を構成する夫々の個人の責任を追求すべきです
今問題になっているアスベストの問題もそうですよね 30年も前から危険性を指摘されながら誰もハッキリした対策を採らず 事務次官は副大臣の「痛恨事」との発言に対して 「対策に問題は無かった」 10万人以上死者が出るかも知れない事態にこの発言です やはり誰が対策を潰してきたか実名を挙げて追求しべきです
郵政は違います 今なら小泉だけが変人だったですみます 郵便局が無くなって 庶民の虎の子が紙切れになったら 今賛成を言っている人は どんな言い訳をするのでしょう まして選挙が嫌だから法案に賛成するなど 政治家が選挙を恐れていったい誰の代表なのですか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悔しさ100倍

2005-07-22 16:47:29 | 生活の中で
昨日大山へ行ってきた ケーブルを使わずに歩くと いろいろ面白いものが見えてくる 歩き始めるとすぐに 男坂と女坂を選ぶ所がある 男坂は一直線に階段を登るイメージだ女坂の方は大山寺を経て下社にいたるとある 時間はと見ると 男坂が35分 女坂は40分とある 同じ高さのところへ行くのがから あるいは最初にきついか 後できついかの差だったのだろう 私は勿論女坂へ行きましたよ この道は谷筋の沿って高度を上げてゆくようで 途中女坂の7不思議を巡りながら登ってゆく まず最初が弘法水 夏でも枯れることの無い水が斜面から湧き出している ひしゃくが置いてあるので飲んでみるとまろやかな美味しい水であった 通常山に入っても余程奥に入らないと怖くて飲めないが ここならと言う感じであった すぐ上に子育て地蔵 普通のお地蔵様のお顔だったが いつの間にかわらべの顔に変わっていたと言う この地蔵に願うと子供が丈夫に育つと言う 勿論ゆーき君のために拝んでおきました 次が 爪切り地蔵です これは弘法大師が 道具を使わず 一夜にして爪で彫り上げたと言う大きなお地蔵さまです 何でも集中すれば何事も成し遂げられるとの教えを表しているのだそうです でもね~~~~ すこし大きすぎるって・・4番目は逆さ菩提樹です 今は若い二代目(?)に成っています その上に寶珠山来迎院なる僧院があり大きな無人の僧坊も付属していた 大山寺に関しては別項を立てる 先へ進むと無明橋という橋で沢を渡る 何でも此処をお喋りしながら渡ると橋から落ちたり 忘れ物をすることが有ると言う恐ろしい橋です 私見たいに 独り言を言っていたらどうなるんでしょうね 6番目は潮音祠 祠に耳を近づけると遠い潮騒が聞えるという そういえば 小学校に上がる前 松山にいた頃 51番札所の石手寺に一つの壷が置いてあり ふたを開けて一杯ならば満ち潮で 少ないと引き潮だと言われていたことを思い出します 7番目は眼形石 急な坂の途中にあるので気が付かず通り過ぎ 振り返ったとき見つけました この石に触れて祈れば眼の病気が治るそうです
無明橋を渡った所から道は物凄く急になります 斜面を真っ直ぐに上って行きます まあ下社までの最後の上がりと思えば我慢も出来ますが疲れた~~~ 今日の予定は大山の山頂ですから 先が思いやられます 案内板には男坂との分岐から所要時間40分と成っていましたが お寺の見学や写真に時間を使い下社へ付いたのは12時40分になっていた 丁度二時間(食事もいれて)かかりました そのまま山頂へ向かいました さすがに足が重くなっています 全体で28町ありますが12町の所に閉鎖されている小屋が有ります そこで小休止 休んだ後の調子がよくありません まるで蟻の這うような登りです 19町まで来たときには2時30分下社から1時間半経っていました 前回23町目で足に痙攣を起こしたこともあり 引き返すことにして大休止を取りました 30分ほど休憩して出発しようとしたら きました 足に痙攣が・・・・ 良かった・・ 進んでいたら前回の二の舞でした
引き返すことを決めていたので とにかくゆっくりとゆっくりと降りてきました それでも上りに1時間半の所を下りは1時間で降りることが出来ました やれやれ・・・・・・
前回は下社から上り始めて23町目でダウン 今回はケーブルと使わずに上がって19町目でダウン 痙攣が今回も起こったのはショックですが 出来るだけ早く再々挑戦します
女坂7不思議の2番目 子育て地蔵です なるほど可愛いお顔をしています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫のふりから 我がふり見ると・・・・・・・

2005-07-20 19:05:39 | ゆーき君のこと
3日間もPCの前に座り しかも成果が出ないと成ると如何に楽天的な私でも めげてくる 結局動画ファイルをコンバートすることは出来なかった 要するに私のデジカメの動画はMOV形式で保存されており これをこのソフトでは扱うことが出来なかったのです このことがわかるまで3日間掛けた と言うことです 馬鹿みたい・・・・・ しかもしかもですよ 適用されているAVI形式のファイルにしても デジカメの場合は 特殊な操作をしてあることが多いので AVIで見ることは出来るが ファイルの変換などは特殊な操作を外さなければ変換できない ・・・・・要するにデジカメで撮った動画はコンバート出来ない こんな事って有り?????? 冗談ではないよね 
ついに 頭にきて予定していなかったのですが 大山へお参りに行き お払いを受けてきます
  しかしこの3日間の成果はデジカメの写真は自由に携帯メールで取り扱えるようになったこと これに尽きます 今迄できなかったのですから これはこれで良しとしましょう
さっき ゆーき君のママから電話があり 幼稚園での始めてのお泊り保育に 張り切って出かけたとの連絡があった 体は大きいがママのそばを離れたことが無いだけに少しだけ心配していましたが
やはり子供の成長するのは早い そして急激です 昨日はゆーき君から電話が掛かってきて 今日お泊り保育に行くんだといっていました 大丈夫かい? と訊ねたら 大丈夫だよと答えていましたので すごいな・・ とは思っていましたが いつの間にか受け答えがすごくスムースに出来るのです 確か3ヶ月くらいはあっていませんが その成長振りは目を見張ります
私も こんな事にめげずに 街道歩きや 大山参り さらには合気道も少しでも上に行けるように頑張りましょう
PS
ゆーき君のママからの電話でびっくりする様な事が伝えられていた 何とゆーき君がパパにお手紙を書いていたと言うのです 今日は一人で寝るんだけれど寂しくないよ とパパを慰める内容だったようです ゆーき君のママは なぜ私には書いてくれないのとむくれていたそうです
そしてもう一つ ゆーき君はお手紙を書き慣れているらしいのです 転入してきたかわいい女の子がいて ゆーき君はその子にお手紙を出し 彼女からもお手紙の返事があるとの事なのです
う~~~~~~ 羨ましい 此れなら字を覚えるのは早いだろうな 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画をUPできれば楽しいな

2005-07-19 21:23:57 | パソコン
昨日今日と 携帯電話と格闘している 携帯電話とPCを一体的に活用できれば 便利だなと思ったのがきっかけで さくらやへ行って新しいソフトを買ってきました 携帯マスター15と言うソフトです バックアップを取って データーをPCで編集できて 動画を携帯の読める形式に変換できると言うソフトです ところがそれがうまく行かない ちゃんとマニュアルの指示に従ってインストールしているはずなのだが どうもうまく行かない 昨日から格闘してどうにもならないので ユーザーサポートに電話しても これが繋がらない 繋がってもこちらの言っていることを 理解しようとしない 何か他の理由を見つけようとする 止むを得ず携帯電話のサポートに電話して そこの専用ソフトをダウンロードしてとりあえずPCの写真を携帯に取り込むことは出来た これに関しては全く買ったソフトは無駄だったわけだ 
明日もう一日格闘して 動画の変換にトライして 何とかBLOGで動画をUPしたいと思っています 以前にもフリーソフトで試みましたが出来なかったのでこのソフトを大枚はたいてかったのですから 出来ないと泣けてきますよ 全く・・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高のボケ防止とは

2005-07-18 21:45:16 | 生活の中で
連休の時は 外には出ないことが多い 16日からの3連休も何処にも出かけることは無かった すると今日になり 梅雨明けが突然宣言されたと言う ただそう言われても何かこれから梅雨末期の大雨が降るような気がするのは 私だけだろうか 梅雨明け10日と言うが真夏の入道雲の出た夏空は見えない 今日もやたらに蒸し暑かった 絞れば水が出そうな空気でしたね
梅雨が明けたとなると まず大山に登ろう そして高尾山にも足慣らしに行こう それで順調に行けば 奥州街道を歩こう そして その結果を携帯からこのblogにupして行こう 最近やっと携帯からメールが打てるようになってきた 勿論 携帯にはカメラが付いているわけだから 其れも利用しよう さらには pcに保管している写真をメールに積極的に利用できるようにしよう やりたいことはいくらでもあるのですが 新しいことを始めようとすると これが思うように行かないのです 今日もデジカメの動画を携帯で見られる形式にコンバートできるソフトを見つけて買ってきたが 其れが順調に動くかどうかは 全く解りません 出来る人に言わせれば インターネットで検索すれば フリーソフトがあるはずといわれるのは眼に見えています しかし一応はフリーソフトをトライはして見たのです これが駄目なんですね 何が悪いのか見当が付かないのです お金を掛ければ 電話のサービスが受けられる 我々にはそれが頼りなのです それでも出来るとは 限らないけれど・・・・・ まあいいさ 新しいメカを欲しがる事も 新しいソフトを試してみるのも 新しい組み合わせを考える事も 合気道に手を出すのも これか最高のボケ防止だと言っておきましょう
出来る 出来ないは関係なく・・・・・
今日の写真は 御茶ノ水の湯島聖堂の屋根にいる 狛犬です 銅葺きの屋根ですからきっと青銅製だと思います この屋根には 別の角には見たこともない 鯱(だと思う)が載っています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫式部が 元気です

2005-07-17 22:57:24 | 我が家の庭
昨夜TVの天気予報で 爽やかな天気になると予報されていた そこで明日は前回遣り残した 柘植の木の周りを中心として 草取りをやると決めた 近頃は以前と違いそのときになって突然草取りなどを始めることが出来ないのです これも加齢の影響だとは思うのですが 突然言われても体が動かず ぐだぐだしているうちにやめてしまうのです だから寝る前の予定が必要なのです
日曜の朝はいつも日曜朝市へ出かけるのですが 草取りと決心している時は 付き合いません もっとも ママは心配して ヨーグルトなどと飲み物を用意して出かけていました
玄関前の植え込みにハイビスカスとブーゲンビリアが元気に枝を伸ばしています 昨年はブーゲンビリアは越冬して6月に花を咲かせていましたが 今年は雪の影響で枯れてしまい 枝は伸びましたがどうも 花は咲きそうも有りません 一方ハイビスカスは同じく枯れましたが 蕾が付きました 少し膨らんできましたから 何とか咲いて欲しいと思っています 庭のほうの芝生は前回3時間くらい掛けて草取りをしましたが もう取り残しの雑草が伸びてきています 今日も目立つ所をこり除きました ゆーき君が来るとき雑草だらけの芝生にプールを置くわけには行きませんものね
庭のクリーム色のアジサイはいまや薄いグリーンに変わり葉のグリーンとの素晴らしいグラデーションが楽しい 何処から来るのは朱色が花びらに入っているのも気に入っています しかしこれを
デジカメで撮っても 言葉の雰囲気が出ないのです 自分の目に思い込みがあるのでしょうか
いま 一番元気なのは紫式部です 紫式部は秋になるとその紫色に実が眼を奪うのですが 今は小さな小さな花が集まり その存在感をひたむきに主張しています 誰にも見られることなく だだ実を為すためにだけ人知れず咲かせている花 私は好きですね 
芝生の所は前回取り残した草を中心に大きくはびこっている 大変だが此処でもう一度手を入れておけば 先々かなり楽になるはずなので もう一度草取りに取り組む その後柘植の木の回りに取り掛かる このあたりは4月から手を入れていないのでこれは大変だ 二坪くらいの所に時間がかかる 問題は柘植が全く元気をなくし 枯れかかっていることです だから柘植の木の下に植えた竜のひげの元気も無い 伐らなければ成らないのだろうか もし庭をバラ主体に変えるとするならば 柘植も伐らなければ成らないのだが・・・・ 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9級の允可を受けた やったーーーー

2005-07-16 22:12:02 | 合気道
今日合気道部の練習が終った後 先に実施された月例審査の結果が発表された 自分は9級の允可(いんか)を受けることが出来た 十項目のうち膝行法と何と終末動作(二)が出来ていなかったので如何と思っていましたが 要するに9級にふさわしい努力を為せとの励ましと言うか お尻をひっぱたいて 努力をさせると言うか 巧妙な罠に掛った感じですが 自分の今までの人生の中で人に何かを認めてもらうことなど無い人生でしたので これはこれで嬉しく 何とかもっと先に進みたい思いに突き動かされています 前にも書きましたが何かをして 其れが確実に進化していると感じられることが こんなに嬉しいことだとは思いもしませんでした
合気道部の長老 AR氏には感謝しても感謝しきれない感じです もしあの時体操の積りでやってみたらと 誘って貰わなかったら こんなたのしみは味わうことが出来なかったのですから そして 合気道部の皆様方が63歳11ヶ月の全くの新人を受け入れて下さらなかったら・・・ 本当に幸せだと思います これからも皆様の邪魔にならないように 自分なりに続けて行きたいと思っています 今現在の目標は手をつかずに立ち上がることです これってなかなか難しいんですよ疑う人は 床に寝て手をつかずに起き上がれるかやって見てください 私にとっては 何ヶ月かかるか分らないほどの難問です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが町 浦和

2005-07-15 17:34:37 | 生活の中で
須原屋で郷土関係の本を立ち読みしていたら 浦和というのは江戸の昔から大宮と争うことが多い町だと書かれていました そして口先で人を誑かすと・・・ 文教都市浦和のキャッチフレーズにしても市内にある大学は埼玉大学だけで 他には浦高と一女しかないと そして現在ある浦和県庁にしても 明治時代埼玉県が設置されたとき 大宮と川越(?)が争い調整がつかず暫定的に浦和に決まったと その暫定がずっと続いているのだが その間交通の便や商工業の発展は大宮に圧倒的に差を付けられ いまや県庁所在地としてのみ存在感を保っていると 従って浦和ほど政治的な都市は無く さいたま市の成立の時市庁を何処に置くか大宮と浦和が争ったときにも 浦和が絶対に市庁を(市長も)大宮に渡さなかったのは当然だと そして浦和の付くJRの駅が東西南北・武蔵に中と浦和を含めて7つも有るのは浦和は浦和以外のアイデンティティはありえない証拠と書いていた 最もその本を買い求めたわけでは無く 立ち読みしただけなので一冊だけだったのか 二冊くらいの内容がない交ぜになってしまったか自信は無い ただ 立ち読みしながら我が意を得たりと何かにやついていました
昨日青木医院へ行くのに普段通らない路地に入ったら 古いアパートの2階部分に看板が出ていた
何気なく見ると 加持・祈祷とあります 占いの看板ならビルの中でも見ますが加持・祈祷の看板を見たのは初めてでした よっぽど中を覗いてみようかと思いましたが 悪霊退散などと御祈祷を受けては堪らないのでそっとその前を通り過ぎました 何時もの通りレーザー治療を受けて 何時もの通り調神社へ寄りました 此処の池を越えたところに小さな社があり 稲荷神社になっていますが 立て札に拠ると一間四方にも満たないこの社が安政年間に現在の本殿が建てられるまで調神社の本殿であったとのことです 此処には勝手に狐を持ってきて置いてはいけないと制札が出ていました 
調神社を出て旧中山道を行くと一軒の古本屋があります 普段は90歳を越えているようなご婦人が店番をしています 店内は通路にまで本が積み上げられ 整理も何も値段すら付けられていません しかも積み上げられて本が胸の高さより高いのですから その奥に棚があるのですが其れすら見ることは出来ません 店番のご婦人の所だけ低くなっていて 店内を見ることができるようになっています ふっと視線を感じて振り向くと 本の奥に顔だけ四角に出ているのが見えますこれはこれで 結構不気味なものがあります もっと不思議なのは売れている様子もないのに 積み上げられている本は増えているようなのです 通路に有る本をじっくり分類してゆけば何か面白い本が出てきそうな気もしますが とても とても手に負えそうもありません・・・ この町で私が行っていた古本屋さんは此処を含めて3軒でしたが いずれも80才以上のご夫婦のやっている店で、すでに一軒はつぶれ あとはブティックに成ってしまいました 残りもどうなることら・・・・・
写真は調神社の旧社殿です 彫刻は見ごたえがあります
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする