goo blog サービス終了のお知らせ 

気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

城南宮・墨染寺・松雄退社・伏見桃山城運動公園(4月10日)

2010-05-28 19:31:31 | 二人の旅
奈良から戻ったが、改めて平安神宮へ出かけ、しだれさくらコンサートへ出かける気力なし。先日の、華やかさに欠ける光景が眼に焼きついてしまった。
行っていない所で、城南宮へ行く 始めて行ったがなかなか由緒有り気で感じのよい所であった。
案内板も充実していて、じっくり読んでいても飽きない 秋か冬にもう一度来て見よう
但し、写真に見られるようにここでも枝垂桜の上部に花が着いていない なぜだろう
墨染寺は墨染櫻寺と言うらしい。街中の其れほど広くない境内にゆったりと櫻が咲いている。落ち着いた雰囲気が好ましい
松尾大社ではこの日から山吹祭りが始まっている。参道のあちこちに山吹が枝を伸ばしているので、満開になれば華やかだろうな・・と想像する

運動公園の脇に立つ阿須地桃屋菜上を模したという、天守閣と小天守は、歴史的には何の価値もないとのこと。しかし庭などはよく整備されており、人もいないので、ゆっくり・のんびりするのには最適ですね・・・
日曜日は何処にも寄らず、一路市ヶ尾経由我が家でした。
高速1000円を始めて実感しました


ところで今回の旅行は行きも、帰りは勿論、京都や奈良市内も全て一人でハンドルを握ってくれました。ワタクシ目は一切ハンドルを握りませんでした
早くめがねを調整して運転に復帰しなければ・・・・・・
有難うございましす 今後も宜しく・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐招提寺・なら遷都博 (4月9日)

2010-05-28 18:45:35 | 二人の旅
やっと唐招提寺の修復が終わった。TVなどで繰り返し修復の模様は見ているので暫らくこなかったと言う感じはしない。考えてみると、前回もうでたのは、金堂に素屋根がかけられ、解体が始まっている時だ。もう10年も前の話かな・・・ 
山門を入ると昔のままの端正な金堂が正面に佇んでいる。修復の画像が刷り込まれているためか、
屋根のカーブがすっきりとした感じに思えてくる。
ところで奈良へきて、義姉と夕食の柿の葉寿司を買いに行ったとき、観光案内所でとんでもない話を聞いた。 遷都博は未だ始まっていないと・・・ 1月からあんなに宣伝しているから、当然始まっていると思っていた。
今回は薬師寺さんはパス。東塔は6月からシートで覆われ10年くらい見られないが、ここは一月に詣でているので・・・・ 遷都博予定地ははるか置くに大極殿だけが完成している。後は何もない所にテントがこっちょっと建てられているだけ。本当にここで博覧会を行うのだろうか
とにかく広い。
もう一つ、博覧会が未だ開かれていないと教えてくれた所で、奈良県庁の屋上へ行きなさいとアドバイスを受けた。もう一つ東大寺の三月堂も、今年解体修理に入ると・・・
勿論両方とも行きました。特に県庁は、観光客へのサービス精神にあふれ、気持ちよく景色を堪能しました。なんせ・・ 興福寺の五重の塔の高さと同じ目線で周りを見られるのですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安神宮 紅しだれ桜(4月8日)

2010-05-28 18:15:59 | 二人の旅
この日宿は奈良に用意したが、平安神宮の桜がちょうど見ごろだとの情報があり、平安神宮によってから奈良へ向かう事に決定
殆ど毎年この季節には東名を走り京都へ通っているが、東名の道路脇にこれほど桜があることには気付かなかった。 空は真っ青で、さくらがよく目立った事は有るにしても、桜そのものが大きく育ち、一段と目に触れるようになったのではないかと言うのが、我々4人の意見で遭った。
平安神宮に関してはいささか残念なことが有りました。入り口を入った所、一瞬に眼を奪い、印ぐうの魔力を感じさせる所なのですが、  華やかさにかける
ほぼ満開なのですが、全てが咲いているわけではなく、蕾を持たない枝があるのです 特に紅しだれの上野方に目立ちます。今年の気象の生でしょうか、京都市内のほかの所でも未だ津ようでした
とうくから写真で見ると普通に見えますが・・・・・・
このため、べtの日に予定していたコンサートは、入場を中止してしまいました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三十三間堂

2007-12-11 00:03:29 | 二人の旅
もう帰る日になってしまった。朝から雨が落ちている。そこで、毎年京都へ来ている大きな要因である三十三間堂へ寄って帰ることとする。ここ数年、我が家では、誰かが前厄・本厄・後厄に該当し、お札を頂続けてきたのです。来年は、susumuさんと、marikoさんが前厄に当たる可能性があることが分かりました。厄年など、気にしなければという考えも有りますが、人間長い間生きてくると、ターニングポイントとなる年代はあるようです。そんな年代に差し掛かっていることを自覚することは、決して無駄な話ではないように思います。三十三間堂ではお札は一週間のお払いを受けた後、それぞれの家庭に送ってくれます。いわしの頭も信心からと言います。年が明けてお札が送られてきたら、とにかく、自分たちの体も、若者から変化し始めてきていることを改めて自覚してください。毎年正月に寺を訪ねていましたが、来年は、曜日の組み合わせが悪く行けそうにありません。薬師寺さんのお札も今回来年の分を受けてきました。予定が立てられる状況ではありませんが、行けるようになったら動きはじめたいと思っています。
所で、今回新しくしたBMWは中々良いものですね。運転していて疲れません。4人乗っていても力不足は感じないで済みます。一つ教えて欲しいことがあります。アクセルを踏むと、回転数は4・5千回転まで急速に上がります。しかしその回転にストレートに力が付いてきているように思えないのです。何か一度力が抜けてから、力が出てくるように思うのは気のせいでしょうか・・・ 今のところ燃費は10キロ強といったところでしょうか。もう少し伸びるかも知れません
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金閣寺・嵯峨野・渡月橋

2007-12-10 21:09:41 | 二人の旅
この旅行に出かける前に、TVで金閣寺の紅葉を放映していたと言う。今までの実績からしてそれほど期待せずに、金閣寺へ向かった。相変わらず修学旅行生や、外人さんが多い。特に中国人(台湾人)らしい人も目立つ。しかしなぜか朝鮮系の人はあまり目立たない。参道の紅葉はまだ一部だが残っている。光の加減では、中々のものだ。入り口を入り、金閣が目に飛び込んでくる。池の緑、松の緑、空の緑、、それぞれにニュアンスの違う緑の中に、金閣と、鳳凰が燦然と光輝いている。そう、やはり松の濃い緑と、黄金色は良く似合う。それに雲ひとつ無い空の色と黄金色も良く似合う、さらにそれらを鏡のように映している、池の色も黄金色に映えている。正月には、雪をかぶった色の無い中の黄金を見て、今回はある意味錦秋の中の黄金を見ることが出来た。期待しなかっただけに幸せであった。やはり自然の中の黄金はすばらしい。金色がこんなにすばらしい色だなんて知らなかった。説明する言葉を持たないが、太閤秀吉の黄金の茶室とはまったく質の異なる美がここにはありました。なんといったらよいのでしょう。自分も年を取って澄んだ光を背景にした、金色の美しさを理解できるようになったのでしょうか。能楽が極端に単純化された様式美であるのなら、この光景もある種、様式化された音楽と言ってよいのかも知れません。色を一切拒絶したような雪景色のイメージが残っている中の、錦秋と松の緑に彩られた金閣は、同じ年に両方を見ることが出来た幸せとともに、ものすごく印象的なものでした。その後、嵯峨野へ向かい、清涼寺、二尊院、化野念仏寺のほか、入り口に、カメラ撮影のみは、入場禁止するとの張り紙のある小さな寺を見つけました。宝筐院なる所でした。入場の時に貰った案内に拠ると、宝筐院は平安時代に白河天皇(1053~1129)よって建てられ、善入寺と名づけられていたと言う。室町幕府二代将軍足利義詮がこの寺の伽藍の整備に力をいれ、義詮が没すると(1367)その菩提寺と、なり八代将軍義政の時代に、義詮の院号である宝筐院に改められた。室町時代には、幕府の保護もあり隆盛で有ったが、応仁の乱以降は衰微してゆき、幕末には廃寺となっていた。明治になってからの再興には、南朝・北朝の戦いや、楠木正行と言った人物が関連してくるらしいが、省略。いずれにしても再興がなったのが、大正六年で有ったとの事。庭園についてはこう記載されている。
書院から本堂の周辺は白砂・青苔と、多くの楓や四季折々の花木からなる回遊式の庭園が広がり、晩秋初冬には見事な紅葉を見せると・・・・・ここは来年にも行きたいところであった。二尊院を見た後、あだしの念仏寺へ狭い道をものともせずに行く。なんとここは受付が3時半終了。独特の雰囲気は持つ寺では有るが、もういいや・・・と思わせてしまうものがある。晩秋から初冬の風情を一日嵯峨野で楽しんだ。もっともっと時間をとっても良い場所かも知れない。
8日から嵐山地区一帯でライトアップが行われている。天竜寺や大河内山荘のライトアップにも興味があったが、今回は、渡月橋のライトアップに絞る。渡月橋と、川向こうの山をライトアップしようとする壮大な試みではあったようだが、はっきり言って期待はずれ。たかが橋一つ、岡一つをうまく照明できない。これはプロデューサーの力量の問題だ!! 来年はもっとまともにでいたらよいな・・・と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念な結果

2007-12-09 23:17:33 | 二人の旅
浄瑠璃寺を検索すると、ホテルから6キロくらいしかありません。そこで、まだ行ったことの無かった、若草山と、春日山を巡るドライブウエイをめぐることにしました。細い道を抜け有料のドライブウエイに入りました。本来もっとゆとりを持って途中のいろいろな石仏や景色を楽しむべきだったと後で反省しましたが、何か真直ぐに山頂駐車場まで上がったしまいました。さすがに奈良盆地一帯が眼下に広がっており、もう少し良い地図や双眼鏡を持ってゆくべきでした。鹿せんべいを売る人がいるためか、鹿も10頭以上が群れており、せんべいをねだっておりました。このドライブウエーは若草山までの往復なら、580円ですが、春日山の原生林を通り、山を下ると1750円(?)します。原生林の中は一度は通って見るべきだとは思いますが、本来 この道は、車の通行は禁止して、歩行者のみのための道であるべきだろうとの気がしていました。確かに都会地の近くにこれだけの森が残っていることは貴重だとは思いますが、自分にはこの森だけが世界遺産として評価されているということに、今ひとつ納得が出来ませんでした。それを言うなら、今に残る平地林や、鎮守の森をもっと大切にする運動を繰り広げるべきだと、考えてしまいます。
浄瑠璃寺へ行きました。以前訪れた時と変わらぬ風情では有りましたが、ただ一つ、本堂に障子が嵌っていて、本堂前の庭先から、仏様方のお姿が見えなくなっていました。以前は入り口の所で拝観料を支払っていたと記憶していますが、本堂に障子などは嵌っていませんでした。今回はお寺のお庭への立ち入りは自由になっていますが、本堂の仏様を拝観するのに、拝観料がかかり、そのために障子が閉められているようなのです。このお寺は古い様式を残したお寺で、寺自らが解説しているように、本堂そのものが、お厨子になっていて、仏も本堂前のお庭から拝観するように作られている。とすると、近くで拝観できるにしても、本来の見るべきところから見えなくしているのは、やはり残念だと言わざるを得ません。ぜひもう一度考え直していただきたいとおもっています。
引き続き光明寺へ足を伸ばしました。ここの「紅葉の参道」をもう一度見たかったからです。なんともはや・・・・・・・・ 参りました・・・・ 紅葉が紅葉で無いのです。紅葉が散らずに縮れて枝にそのまま付いているのです。今年の紅葉の有様をもっとも良くあらわした光景でした。しかし落ち葉も沢山落ちていましたから、最盛期にはそれなりの美しさであったのだろうとは、想像できます。しかし、その期間は、一日か二日。きっと桜よりも短かったのではないかとの気がします。見に来ている人の話を聞いても、落ち葉掻きのご奉仕の方の話を聞いても最盛期がほとんど無かったと言っています。今年は何か異常で有ったことは間違いないのでしょう。ここの状況を見て今回の旅行は、紅葉にこだわらない方が良いと、思い知らされました。来年こそもっとも良い時期に来れるように心がけましょう。自分たちの旅行は季節を相手にしているのです。思うようにならなくて当然です。まして今年は自分の都合で一週間遅らせてのですから・・・ みなに悪いことをしました・・・ 今日が最終の清水寺のライトアップへ行く。車で行くより、タクシーで行く方が近くまで行けると勘違いしてタクシーに乗ったが、大失敗だった。考えてみると市営の駐車場までしかタクシーだって入れない。おまけに行きの運転手も、帰りの運転手も挨拶一つ出来ない、駄目運転手。京都でタクシーには何度も乗っているが、こんなに不愉快な運転手に出会ったのは初めて。運転手の質がこの2・3年で決定的に落ちたのであろうか。それはともかく、ライトアップの紅葉も決して綺麗ではない。しかし面白い事に気が付いた。昼間、あれほどどこにでもいる爺・婆がほとんど見えないのだ。周りにいるのは、若いカップルばかり。ライトアップの時ってこんなだったっけ・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅い京都

2007-12-08 23:24:29 | 二人の旅
何時ものとおり 6時に市ヶ尾に向けて出発する。今日の目的地は 奈良 薬師寺
首都高は混雑しており 市ヶ尾からの出発は8時になってしまう。運転はママがしていたが、途中で交代する 新しく取り付けたレーダーは、オービスの手前に来ると 現在の速度を知らせてくれる。ママが運転している時は130キロ 自分がしている時は 110キロ。普段の運転回数の差がはっきりと現れます。そんなこんなで 意外に時間がかかり、薬師寺に到着したのは、2時半になっていました。
今回薬師寺に来たのは、薬師寺からの案内で、大講堂の回廊が9月に完成したとの、ご案内を受けてのことでしたが、もう一つの大きな理由は、この日のホテルが、京都では手配がつかず、やっと奈良日航ホテルが取れたこともありました。薬師寺には今まで何度も 訪れています。きっと10回位はは来ているでしょう。新年に訪れるときは5日。桜の時には10日前後。お月見の時も、15・6日ですから、今回のように8日に訪れることは有りませんでした。今回は なんと東塔と西塔の扉が開けられており、中の三尊が拝観できたのです。毎月8日には扉が開かれ、8時半から3時半の間だけ拝観できるとの事でした。何年も薬師寺に通っているにも係らず、まったく知らないとは、まことに不信心なことではありました。新しい西塔の仏はともかく、東塔の痩せこけて、肋骨の浮き出た仏さまを拝観していると、1300年以上もこの塔におわす事が思われ、感慨一入なものがありました。この塔も、唐招提寺の改修が終る来年から基礎調査に入り、大規模な補修が予定されているとの事。唐招提寺の大改修のビデオは何度も見ているが、あるいは 思いもかけない新たな発見があるのか、楽しみでもあり、何かこのままにしていて欲しい気も、どこかにあります。お写経の功徳により、これだけ大発展を遂げてきた薬師寺も、金堂や、大講堂は基より、西塔も徐々に落ち着いた色になってきています。あの息を呑むような色合いをもう一度見たいと思うと同時に、何か安心している自分もいます。勝手なものですね・・・・ 奈良も遠くで見る山々は、色ずいています。しかし、近くで見る木々は決して美しいとはいえないようです。薬師寺でも美しく紅葉した木々を目にすることはほとんどありませんでした。
今日泊まった「日航ホテル奈良」はあまり聞いた事が無いホテルでしたが、なんと、昔 三井ガーデンホテル(?)であり以前泊まったことのあるホテルでした。当時は何か雑然としていましたが、今回は、雰囲気などは大幅に改善されており、特に食事が良くなって降りました。次回も是非と言う声が多かったです。来年季節の良い頃に3・4日 奈良だけのためにこのホテルを足場に見て回るのも、選択肢の一つとしてありうるのではないかと話をしていた・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

07京都 その4 淡雪の東福寺

2007-01-08 20:25:36 | 二人の旅
1月7日
朝起きると、時々雪の舞う天候だった。天気が悪い時は東福寺!!!
路面には積もっている様子は無い。しかし時に吹雪のように激しく降ってくる、
こうなると、昨日は入れなかったことを感謝したくなる。そういえば、最初醍醐寺の護摩焚きを知ったのも、直接横浜から醍醐寺に4時過ぎに着いたとき、駐車場の伯父さんに冷たく時間だからと断られたが、もしその気が有るなら、明日9時頃から、「護摩焚きはじめ」が有るよと教えてもらったのが初めでした。東福寺に関しては、何年か前に、雨の降る夕方、紅葉の東福寺を訪れ、通天橋から見る、霧にかすんだ谷と、紅葉の風情が、あまりに素晴らしく、全員が感激してしまいました。あまりの素晴らしさに翌日晴れた日に行ってみたら、たいしたことが無くてがっかりしたこともあります。それ以来東福寺に足を向けることは無かったのですが、昨日は時間切れ。すると今日の雪模様ではないですか。合いも変わらず狭い道を走ってゆきます。この道を運転できるのは、我がグループではママしかいません。雪はどんどん激しくなります。方丈に入ると廊下に雪が吹き込んでいます。拭いても拭ききれないので、気を付けて歩いて下さいといっている。枯山水の砂にはも、雪が積もろうかと言う風情である。裏の通天橋を見るところへ向かう。芝生の上などにはうっすらと雪が積もり始めるが、紅葉の細い枝には積もらない。屋根がどんどん白くなっている。静止画だけでは中々表現できないので動画で撮っておく。通天橋を渡って常歩庵へ上がってゆく
雪は一段と激しくなり、山門を入ると一瞬に視界が開け、刈り込みに積もった雪と雪を冠った鳳凰を乗せた庵の屋根が見えてくる。左側に回ると目の前に白い大きな市松模様が広がる。筋をつけた所と、無地の所。雪に覆われてはっきり見えている。座ってみていると、激しく雪が降っているときは、望遠を使っていても殆んど対象が見えなくなってしまう。ふと気が付くと雪は止み、庭の情景がはっきりと見えている。意外に気温は下がらない。刈り込みや、市松の砂に積もった雪が、解け始めるのが分かる。2・3㌢積もっていたはずなのにもううっすらと、下の地肌が浮かんでくる。さっきまでの激しい雪は何だったのだろう。一瞬の夢を見ていたような不思議な気持ちです。昨年も返る1月7日に雪が降り、朝起きたら積もっていました。早速金閣寺へ行き、雪降る中の金閣寺と、雪の積もった青空の金閣寺を撮りましたが、今年の東福寺は、雪の降っていた一瞬だけの雪景色でした。その場に居合わせなければ決して見ることの出来ない光景を見ることが出来たのは幸せでした。
今回は薬師寺にしろ醍醐寺にしろ、はたまた、リーガロイヤルホテルにしろ、何か
箍が緩み始めているような気がする場面に数多く遭遇する羽目になりました。ひとつの場所の一人の人間のと言うようなことではない、全体としての箍が緩んでいるような空恐ろしい感じを受けました。東福寺で見た雪のように、見る間に消えてしまう、淡い思いであればよいなと願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

07年京都 その3  宇治上神社

2007-01-08 17:14:04 | 二人の旅
1月6日
出発前からこの日から天候は悪化すると予告されていた。まあ2日間無事だったのだから良しとせねばなるまい。今朝の朝刊には京都国立博物館の京都御所障壁画展が本日から始まると大きく出ている。昨日の招待会は盛会だったようだ。京都新聞社の主催だから、東京には来ないかも知れないと思い皆さんに諮るとOKが出た。東京ならば新聞の一面を飾り、各TV局も取り上げているので大変かなとも思ったが、予想に反して10時半頃 駐車場にはまだ、空きがあった。内容はどうだろう。幕末に立て替えられたとき、当時の絵師を集めて描かせたとの事だが、自分には良く分からない。確かに綺麗では有るが、凄みが無いと言うか・・・・
今日は自分のわがままで、続いて宇治の源氏物語ミュージアムへ向かう。落ち着いた雰囲気の中、お洒落としか表現しようの無い建物がある。午前中の障壁画展もそうだったが、いかにも作り物と言う感じが鼻に付く。絵巻物風に表現をしているのだが、本物がどこにも無い。例えば、ミュージアムにおいてあるパンフレットには、宇治十帖の古跡として地図上に10箇所、印が付けられている。何とかそれらを館内に取り込む方法は無いんだろうか。新しいCGの絵だけではむなしさが募る。大きな収穫もあった。宇治上神社が、ミュージアムのすぐ近くにあったのです。もっと遠いような気がしていただけに、嬉しかったですね。世界遺産にも指定されている為か外人さんの姿も見えます。拝殿前の空間は決して広くありません。
お正月の祝いの為か、結界を張った中に1㍍くらいの砂を盛った円錐形のオブジェが飾られ、その後ろに、国宝の拝殿が、何とも伸びやかに建てられています。一直線に横に伸びた線が美しく、神社の縁起によれば、屋根の形は特に美しく、直線的で横長の建物の緊張を和らげる手法として、妻に庇をつけて、軒隅を結ぶ手法に縋破風(すがるはふう)をもちいており・・・・とある。拝殿の後ろ一段高いところに、これも国宝の本殿があり、内殿が三社収まっている。神社の解説に拠ると、覆屋(本殿)とその中に並立して収まる内殿三社が神社建築として日本最古の遺構であるとあると。もう一つ境内に、重文 摂社 春日神社がある。平等院の鎮守社である、この寺院に、藤原一族の反映を願い勧請したのであろうとされる。平安の洋式を残す本殿、拝殿と比べると、木割の太い、どっしりとした鎌倉風の構成だとある。 摂社まで重文であるのは珍しい。(?)あまり期待しなかったが、行ってよかった・・・・・ もう一箇所 東福寺なら近いからと3時前に宇治を出発したが、途中またまた渋滞に巻き込まれ、果たさなかった。これで3日連続で、最終の目的地がだめだったことになりました。春日大社・知恩院・東福寺 何年も同じ時京都や奈良を歩きますが、こんな事って初めてです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

07年京都 その2 醍醐寺護摩焚き・三十三間堂

2007-01-08 17:00:09 | 二人の旅
1月5日
今日は今回の旅行のメインイベント
醍醐寺の護摩焚きと三十三間堂での厄除け祈願です
ナビに案内させると、狭い旧道を案内していました。ホテル出発は9時
到着は9時半頃でしたが、のんびりしていると、すぐに時間が経ってしまいます
とにかく三宝院に入り、護摩焚きを願う護摩木を書く。何か妙に時間が掛り、いつの間にか山伏たちが玄関に集合している。若い坊さん達も飛び跳ねるように、走り回っている。
すこしたつとほら貝の音が浪々と轟き、行列が出発する。
昨年もこの日は、動画を主体にとっているが、今年は全て動画で撮影することとしてメディアも2Gをさしている。ところが何かカメラの調子が良くない。出発前にカレンダーを調べてみると、来年の1月4日は金曜日になってしまう。だとすれば、来年から3・4年は醍醐寺には来られないなどと話していたのが、不動明王の気に障ったか、カメラが順調に働かない。どうも電池が無くなっているらしい。文句を言っていても仕方が無いので、電池を取り替える。本当はカメラに入っていた電池は夕べ、充電しておく筈でしたが、昨夜のホテル騒動で時間が無くなり、充電出来ていなかったのです。不動明王に一生懸命お願いをした甲斐がありその後は何とか順調に撮影できた。ほら貝を先頭に歩き始めるが、昨年と何か違う。山伏や導師の数は同じなのだろうが、付き従う紫のおそろいを着た、女性方が、歩き方が軽い。昨年までは、女性の先頭を歩く人は、水引を巻いた松の枝を捧げ持っていたのですが今年は全員手ぶらです。護摩焚きの時も昨年とは違っているところがありました。前半の法要が終わりいよいよ奉納された護摩木が火に投じられるとき、何と大先達が、座をを離れたのです。山伏たちの先頭で、護摩木はそこにいる山伏と一緒に貰い、火に投じていました。自分にとってはいかにも、違和感がありました。大先達に焚き上げてもらうことが、年に一度の護摩始めの意味ではないでしょうか。何とも釈然としない中、一時間弱で、不動明王の御前での法要は終了し、金堂(???)での法要に移ってゆきました。心配していた天候は青空が見え、風も無い穏やかな気候でしたが、今年は信者さんがたの参加も非常に少ない気がしました
醍醐寺に何か変わったことが起こっているのでしょうか。自分たちが言うのも変な話ですが、心配なことです。護摩焚き終了後 随心院へ寄った。何年か前にこの駐車場へ車を止めた記憶があり、ここを上がっていったと言う記憶はあるのだが、小野の小町に関する記憶が全く無い。何か別の場所と混同しているようだ。しかし松と、白壁のコントラストは印象的で、3月とか11月、庭の目立つ季節にはもう一度来てみたいなと、思わせる何かがある随心院であった。その後は予定どうり、三十三間堂に向かった。我が家と市ヶ尾の二人に昨年お札を貰っていたのです。市ヶ尾はお礼参り。我が家は、二人の後厄払いのお札を求める為です。よく解らないところが有りますが、厄には本厄と厄が有るようなのです。通常我々が厄年と言うときには殆どの場合、本厄を指すようです。自分達が特に信じているわけでは有りませんが、厄の時には色々な災いが起こっているのも事実です。要するに人間が有る期間生きてきて、何か変化が起こる可能性が高い時は、必ずある。それを厄年と言う表現をしていると考えれば、厄年も合理性があります。我が家では、厄をそのように捉え、お札を納めることにしています。対象の本人たちがどんな風に考えているかは、ひとまず、関係ありません。
醍醐寺・随心院・三十三間堂と周り時間も2時半を過ぎて仕舞ったが、躊躇区の場所が無い。斜め前に有った 「七条 甘春堂」なる古い京菓子の店があった。覗いてみると、喫茶も出来るようになっていて、その中に、釜揚げうどんとぜんざいのセットがあった。これにしようと言うことで中に入ると、8畳くらいの部屋に4組くらいの人達が畳に直接座っている。テーブルとか座卓も無い。お茶は直接畳に置かれて、供される。要するにお茶席の雰囲気なのでしょう。注文品は、黒塗りの、一人用の高足膳に乗せて供された。素の雰囲気に呑まれたため派、いずれもおいしくいただくことがでsきました。大収穫でした。そこで一時間弱過ごし、八坂神社へ行こうとしましたが、間違えて知恩院の駐車場に車を止めることが出来たのは、4じに2・3分前のことでした。壮大な山門を眺め、拝観しようとしたら、何と本日は閉門。まだ4時だよ!! 泣く子と坊主には勝てないなんて詞あったっけ・・
よく見るとここは円山公園に隣接している。八坂神社もすぐ近くだ・・・ 自分たちの京都旅行が基本的に歩かない旅行だったことに改めて気付かされました。ホテルに着くと部屋は12月と同じ部屋に変更されていました。そこへサブマネージャーが管物かごを持ち部屋に現れましたが、口の利き方とは本当に難しいものですね
かえって不振を募らせるようなことを行っておりました。その上、夕食に行った、トップオブ京都では、3時間立っても食事が終わりませんでしたし、社員のやる気の無さが目に余りました。 リーがロイヤル京都 少しおかしいよ・・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

07年京都 その1 何か変 薬師寺もRRホテルも

2007-01-08 16:06:10 | 二人の旅
1月4日
恒例の正月旅行の出発である。5時半に浦和を出て横浜に向かう。
さすがに首都高は空いているが、料金所に近づくに連れて、車が増えてゆく。
何処から入って来るのか不思議だ
目的地を奈良・薬師寺に設定しようとするが、基本的には四日市を周れ、
そうで無ければ、中央道を通って、京滋バイパスに入れと言う。
其のまま東名を使って京滋バイパスに入ることにする。12月に時は厚木までは事故で大変時間が
掛ったが今日は順調だ。栗東を11時半ごろ通過。食事は奈良に着いてから
する事にして、前に進める。食事は奈良ロイヤルホテル。そこで食べた中華のおこげは美味しかった。
その場で、夕食もここで摂ることにする。昼食を済ませ薬師寺には1時前に着いた。
しかしここから何か歯車が狂い始める。先ず、薬師寺の様子が少しおかしい。
何が如何・・・・・ はっきりとは判らないが、薬師寺のお坊さん方の一般参詣者に対する
対応が、ぎこちない。はっきり言えば商売のために説教している感じなのです。
勿論そんなことは十分に承知していますが、ここまで感じさせるなぞ、今までではありえません。
そして3年ほど前に我々に親しく話してくれていた若いお坊様は、きっともっと若いお坊さんを
指導しなければ為らない立場に立っているのでしょう。以前とは比較にならない厳しい
表情を浮かべておりました。ママとも話をしていたのですが、高田好胤さんは、自分が高校生の時
薬師寺で説教を受けたときも、10年前名古屋で説教を聞いたときも、我々に対しては同じ態度で
接してくれました。立場が違ってきたのはよくわかりますが、縁無き衆生にとっては、あまりに偉くなり過ぎるのも辛い物があります。
薬師寺から春日大社に行こうとしましたが、何と。大渋滞に巻き込まれ、途中からUターンして退散しました
残念ながらおこげの店の夕食は思ったほどではありませんでした
奈良から京都へ行き、京都リーガロイヤルホテルへ着いたのは9時少し前でした
12月にもこのホテルへとまり、これで3回目の宿泊です。驚きました。これが同じホテルかと・・・
壁紙は剥がれている。しみが4・5箇所もある。風呂にはごみが付着して入ることも出来ない。
こんな所で3日間も過ごせない!!!! さすがに怒りました。この部屋を見よ!!!!
これが金を取って客に提供する部屋か!!!!と。
一言もありませんでした。直ぐに部屋を変えますと・・・・。とりあえず今晩はこの部屋でと、10階の部屋を示され、明日出掛けている時に、先月泊ったお部屋に変えておきますからと・・・・・・
しかし、部屋を変えられる。となると本当に落ち着きません。持ってきた荷物も荷解き出来ません
旅行するとき連泊しないのは20年ぶりくらいですか。とんでもない目に会いました
きっとホテルでは、いい部屋に泊めてやったのだから感謝しろ!! とでも思っているのだろうな・・・・・・・
疲れたよ!! 怒るにはエネルギーが要るんだ!!!!ふざけるな!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06 12月京都 6日1

2006-12-06 23:41:36 | 二人の旅
朝食事をしているとき、突然思いついて光悦寺と金閣寺へ寄る事にした。旅も今日で終わるので見物は午前中くらいに終わらせ、なるべく早く帰路に着くことが暗黙の了解になっている。昨晩から何処にするかあれこれ相談していたのだが、何か決定的なものが出てこない。当日の朝食の席で地図を見ている時、西の山の麓に金閣寺があるのに気がついた。今年の正月の京都旅行が素晴らしい雪の金閣寺で終わったので、今年の京都旅行の詰めも、金閣寺で終わらせようと言うことになり、ついでと言っては申し訳ないが、その近くに光悦寺が有るので、そちらも拝観することにしました。これは今回の最大の収穫、午前中は西の山懐にある寺を、午後は東の山裾にある寺を訪ねるのが一番綺麗との発見から皆が直ぐに賛成しました。ちなみに雨の日は・・・ 東福寺や池のある寺が候補となります。
いや~~~~ 正解でした昨日の花の寺もそうでしたが、どんな光景でも明るい光に照らされるとその表情が生き生きしてきます。あまり期待せずに行った光悦寺では、その借景に都会の真ん中にいることを忘れさせる程の感銘を受けましたし、庭木の手入れについても、無理を感じさせない自然の手入れは見事の一語です。自然にあるように見せて、全てに人の手が入っている。金閣寺は・・・・・・金閣寺 またにしましょう。
何時もと同じ日程3泊4日も今回は凄く早く終わってしまいました。何かもう一日日程が欲しいところでした。来月も行くのだからまあいいか・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06 12月京都 5日1

2006-12-05 21:55:16 | 二人の旅
見事な紅葉 花の寺
インターネットの紅葉情報では11月27日に写真が掲載され、発色が非常に良く散りもみじが始まっているとの情報があった。今日は12月5日とてもではないが紅葉も散り果てているだろうと覚悟をして寺へ向かった。誤算と言えばこれほどの誤算は無かった。塀の向こうには紅葉の林が見えた。散ってはいるが朝の明るい光を受けて、朱や黄色の紅葉が輝いている。寺の庫裏は茅葺だ。落ち着いた枯れた萱の色は不思議なことに朱の紅葉とよく似合う。瑠璃光殿には薬師如来とそこに入っていたと言う胎内仏が安置されている。残念ながら薬師如来が左手の薬壷から右手で薬を取っている姿は見逃した。次回行ったときには、忘れずに確認しよう。そして本来山門に安置されるのが普通だと思っていた金剛力士像が同じお堂の中に安置されているのです。非常に力強く鎌倉時代の湛康・慶秀の作だとのこと。しかし不思議なことに本堂である阿弥陀堂におわす仏様についての解説が全く無いのです。外から自分の撮った写真に依ると、阿弥陀様に向かって右側に菩薩と不動明王が配され左側には武将のお姿をした仏が配され、少し離れて観音様と思われる仏が配されています。勝持寺の絵葉書を買っても阿弥陀様の写真は有りません。何故なんでしょう?
紅葉については自分の表現できる範囲を超えています。沢山沢山写真を撮りましたが、自分の目で見た状況に及ぶすべもありません。文字通り百聞は一見にしかずです。ここ勝持寺は桜は前々から一度は来たいと思っていましたが、紅葉がこれほどとは思いもしませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06 12月京都 4日1

2006-12-04 21:50:42 | 二人の旅
天龍寺塔頭 宝厳院
獅子吼の庭に入ったのは、3時過ぎていた。西にある嵐山に日が沈み、影が大きく広がっていた。拝観受付を入ると大きめの玉石を一面に敷き詰めた苦海と称する、枯山水の石庭ではあるが、今まで見たことのある枯山水とは全く異なる感じである。そして回遊路の左側には、どうだんつつじ(満天星)が数多く植えられ、あまり見た事の無い大きな木も目に付く。どうだんの紅葉もここまで立派だと本当にみばえがする。最初自分は右側には余り目が行かなかった。しかし大きな岩や松が出てくると、自然に目が右側に向かってくる、そこには紅葉の林がひろがっている。効果的に配置されている巨岩と松。豊丸垣なる独特の雰囲気を持つ垣・それを全て包み込む紅葉。これは凄い!!! ただ 一つ足りない!!! それは・・・太陽の光。西に山がそびえるので恐らく2時過ぎでは日が差さないのだろう。この庭は何と言っても晴れた日の午前中に拝観すべき所だ。聞くとも無くガイドさんの話を聞いていると、このお庭は荒れ果てていたのをここ5・6年でここまで再考してきたとのこと。さらには受付に向かう紅葉の参道は、日曜日までは、紅葉のじゅーたんで真っ赤になっていたとの事。さらにお庭を拝観しながら感じたことは、3日まで実施されていたライトアップのための照明計画がライトの配置を見ただけで感じられる木目細やかな配慮が為されていました。今回は一週間遅かった。来年はもっと時刻を見定めここへは、極端なことを言えば日の出と共に訪れたいところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06 12月京都 3日1

2006-12-03 22:41:42 | 二人の旅
安楽寺・法然院
市営駐車場が満車なので、当ても無く路地へ入る。と そこに2箇所の私営の駐車場が並んでおり、一台まさに出ようとしていた。全く待ち時間無く駐車できたのは幸いであった。銀閣寺前からゆっくりと歩いて、15分もあったろうか。突き当たりに人が群れているのが見える。そこが安楽寺であった。素人のカメラマンが10人以上階段下に陣取り、階段と山門から人の姿がなくなるときを待っている。石段への散紅葉を狙っているのは解る。しかし今は12月3日日曜日の午後2時である。既に何千人もの人がこの階段を歩いているだろう。もし本当に散紅葉の石段を撮るつもりなら、人が誰も歩いていない、寺が掃除すらしていないときに来て、撮影をすべきであろう。日曜日の午後2時過ぎに来て、人のいない石段の散紅葉を写して、どんな意味があるのだろう。あるいは一般公開は今日まで出あるのだから、明日来ればあるいはもっと散り落ち葉の積もった石段を心置きなく撮影できるのではないかと、感じました。話が変な方向に向かってしまいましたが、この安楽寺の自分の寺に対する誇りということです。この寺は念に何日も公開しません。そして公開しているときは、本尊の前で住職が30分ごとに説教をしているとの事です。お隣の法然院もここは本堂を一般公開していない代わりに、境内への立ち入りは自由にしています。初めて行った所ですから例年の紅葉と比較してなどと言う大それたことは出来ませんがまだまだキレイな色合いを保ち、まるで野生を思わせる木々の高さが印象的でした。宗教的なことは良く解りませんが、ひたすら念仏を唱えれば、救われると言う仏教の教えは、死ねば何にも無いよと嘯く、自分のような無信心者にも、何か有るのかなと思わせる何かがありました。寺の坊主が自分の寺をひたすら愛せるように感じられたのは今回の大きな収穫になるような気がします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする