気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

ウグイスは何を食べるの??

2005-01-31 22:09:25 | 我が家の庭
1月も末になると 随分日が長くなりなりました ゆっくりと暮れてゆく庭で作業をしていると 色々な鳥があるいはけたたましく あるいはひそやかに飛んできます 何か今年は影が薄いヒヨドリ 山鳩もいます 何時もはカップルなのに3羽で来ています そろそろ巣作りを始めなければいけないのに 三角関係に成っているのでしょうか それともどちらかが浮気をしているのでしょうか 目白も5羽くらい居ます ムベの実をつつきに来ているのでしょうかしきりにムベの枝の中に入って行きます あ!! もう一種類居ます 目白より一回り小さく 暗くてよく見えませんが やや茶がかって居ます すごく気の強い奴です 目白も追い立てています ケキョケキョと鳴いているように聞えます これってひょっとしてウグイスでしょうか 今年もこないとあきらめていたのですが来るのでしょうか 確実にウグイスに来てもらうにはどうしたら良いのでしょう ウグイスって何を食べているのでしょう 
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腰痛のレーザー治療受けていました

2005-01-30 21:57:19 | 生活の中で
前回UPした時 何を考えていたのか 文章が支離滅裂のままUPしてしまいました 昨日やっと気がついて訂正を入れましたが お恥ずかしいしだいです 
ところでここ5日間ほど青木医院で腰痛のレーザー治療を受けている もう何回目になるだろう 名古屋へ行く前にも通院した記憶があるから 15年以上にはなるのだろう といっても通院したのは10回くらいかな よくわからない治療方で1000ミリワットのレーザー光を痛いところを中心に30秒づつ10分間くらい当てるだけです 基本的には痛くも痒くも有りません 今の機械は光を当てているときに音が出ていますが 以前は全く音も出していなかったので 何をしているのか全然分かりませんでした しかしーーー3日位もたつと痛みが消えてくるのです 不思議ですよ 今までは3日間で十分でした 今回はーーー今日で殆ど良くなってきました もう一日治療を受ければOKでしょう まあ 外科的な痛みにはだめだと思うけれど ひょっとして40肩とかになったら試してみる価値はあるよ

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江戸時代の経費節約術

2005-01-27 23:36:29 | 生活の中で
一週間ほど前 友人達と唐招提寺展へ行ったとき 私は電車の中などで読むように「伊予小松藩会所日記」なる本を持っていた 友人の一人は江戸の300藩の領主の紹介書を持っていた 今持っている本はこれだとお互いに見せ合いながら お互い似たもの同士だな と笑ったものだった
私の持っていた「伊予小松藩会所日記」は享保元年から慶応二年(1716~1866)間での150年間も書き継がれた記録です 小松藩とは石高一万石で領民の総数は約一万人 街と呼べるような所はなく
藩の設立当初から明治維新まで際立った増減はなかったとされています 
私たちは江戸時代の武士は俸給を保証された支配者と捉えているが それほど安泰であったものでもないらしい 全ての元は生産される米にあり 米の収量は新田の開発でもなければ増えはしない小松藩といった小藩にとっても江戸屋敷の維持や参勤交代による出費といった幕藩体制という仕組みだけでなく 天候不順に寄る凶作も深刻な問題であった 米の収穫が少ないと年貢収入が少なくなり藩財政を直撃する それゆえ藩士に対してもお引米と言う減俸処置が取られた 天明7年の例で見ると「三ツ成」と言う方法が適用された
「三ツ成」とは「30%」と言う意味である 俸給が一挙に30%になるという決定である 勿論この決定は主君のもとで決定されたので誰も反対するものはいなかったし 藩を見限るものも居なかった 寛政4年には「半知」と呼ばれる処置を取り一般には50%と思われるが小松判の場合は20パーセント 100石取りの武士の場合「三ツ成」で30石になったものがさらに10石減らされ20石になった これってすごいですよね 執行部が俸給を2割に引き下げたら下のものは文句言えないよね 役人の給料を3割減するだけでも消費税は要らないといわれるくらいですから 給料を3割にすれば 今の閉塞的な状況は劇的に変わるし どんな公共事業だって沢山沢山できるのではないのかな 自民党さん考えてみようよーーーーーー
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慌しいスケジュール

2005-01-23 23:18:45 | 生活の中で
何か慌しい日々が続いています 同じ事をしていても変に変わった事が入り込んできます 札幌からnanaさんが旦那さまと一緒に前地に来ましたので 取り込むのを延期していたイルミネーションを点灯して歓迎しました すると試験点灯したときには間違いなく点いていた所が 2箇所も消えていました バイトへ行っても皆が何か落ち着きません 何か浮き足立っています そんな中に巻き込まれたわけでもないのですが 此方も変に落ち着かないのです 最もこれは12月の末から何か行事が集中しているのです 12月の22日に軽井沢へ行き 27・28日とまた軽井沢へ行き
1月に入っては元旦に新年会を行い 3日から6日まで京都へ行き お葬式が2つもあり 友人達との定例の見学会があり 北国分のyukaさん一家も参加して再度の新年会と 先方のご両親との会食が入り 息子の猫の世話をしにふじみ野まで行き・・・・ そして このBLOGを書くために別のPCに入っている写真を見ようとすると前に入れたソフトのせいで接続を拒否され それが分るまでに3時間くらい掛り 次にUSBメモリーにデータを移そうとしたら32メガでは足りず CDに焼いてやっとデータの移行を完了し ついでに自分の取った写真をCDに追記してゆーき君に渡せるようにし それからやっとこれを書き始めたのでもう2時近くになっています ふうう~~~~~~~~ 疲れた
明日は?? そう病院にいって 羽田への予定 まだまだハードスケジュールは続きます ほんと!!!! ママって凄いや・・・・・・
ゆーき君は元旦に来たときより大きくなった感じです 盛んに学研の授業を説明していました それに全くPCに違和感はありません 自分で遊びたいものを探しています ひらがななら自分で読んでいます タッチパネルでもOKなんだ・・・ 
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唐招提寺展へ行ってきました

2005-01-21 20:23:57 | 仲間と
東京国立博物館で開かれている「唐招提寺展」へ何時もの仲間4人と行ってきた 
主催者のあいさつ文に拠ると この特別展は金堂と御影堂の堂内再現を二大コンセプトとして実施したそうです 金堂再現ではこれまで門外不出の本尊盧舎那仏を中心に梵天・帝釈天像と四天王像による天平の壮大な造形空間を演出し 一方御影堂再現では肖像彫刻の名作鑑真和上像とともに、東山魁夷画伯が十年の歳月をかけ丹精を込めて完成させ、和上に捧げた障壁画及び厨子絵の全点を展示しているそうです
博物館の天井の高い空間の中にる盧舎那仏坐像を中心に四方に持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王を配し盧舎那仏の前方に梵天立像と帝釈天立像を配しています 四天王像を見て驚いたのは彩色が処々に残っており 8世紀の華やかさをうかがい知れるような状態で立っていたことです
不勉強で知りませんでしたが 唐招提寺の金堂は一度も火災に有っていないのだそうです 何気なく聞いていましたが 火災に会わないという意味を思い知らされました 
一昨年奈良へ行ったとき 唐招提寺へ行きましたが金堂は解体中で 御影堂も閉鎖され中を拝観することは出来ませんでした この寺は何だ!と思い 今年行った時は足も向けませんでしたが 今回の唐招提寺展の解説に拠ると金堂の再建が今年から始まるそうです 金堂が全くなくなっている地面を見ることなぞこれから1200年は無いのでしょうから残念なことをしました
もう一つ残念だったのは盧舎那仏が台座も光背も外されぽつんとお座りになっていた事です 矢張り千体の化仏をつける光背と台座があって初めてご本尊盧舎那仏であると思います

御影堂の障壁画の再現に関しては テーマごとに襖が一覧できるように配されているが 何かウソっぽい感じがしてなりませんでした 何十年か前襖絵が唐招提寺に収められる時に 確か三越のギャラリーで一般に展示されたことがあるが そのときの感動に及ばなかった それは襖が畳と共にあり ぐるりと囲まれるという雰囲気が全く省みられていなかったからのように思われます 芸術品としての展示ではなく 博物館での展示なのですから一考をして欲しかった所です  
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ピラカンの実が1日で食べられました

2005-01-20 23:06:39 | 我が家の庭
夜帰ってくると ホースがリールから外され とぐろを巻いていた 気が付くと今朝あれほど汚れていたピラカンの下の道路が綺麗になっていました そ~~~~~~昨日ピラカンの実が一遍に全部 一つ残らず 全て食べられてしまっていたのです どのくらいの鳥がお詰まってきたのか分りませんが 家の前の道から 我が家の坂道まで一面にピラカンの葉っぱと 落とした実で一杯になっていました 其れだけなら何の問題も無いのですが フンが そうフンも一面に落ちているのです ママの話では道を通る人がつま先歩きになっていたと・・・ 一昨日にはツグミが10羽位いてヒヨドリは一羽しかいませんでしたが 昨日の狼藉振りを見るとヒヨドリが集まってきたのでしょうか フンの数からするときっと30羽以上はいたと思います
そこでママが道路を洗ったというわけです いやーーーー申し訳なし

一昨日のピラカンです
  
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思い込みとウソ

2005-01-19 21:59:22 | メディアから
些かショックです 何が????? 醍醐寺の1月5日に行われる大護摩焚きに最初に参列したのは 02年だと信じていてそのデジカメのデーターが無いと CDを一生懸命探していたのです
所が・・・・ フイルムはまだ見つかっていませんが写真屋さんで現像したアルバムがあったのです あるいは市ヶ尾から貰った物かも知れません とにかく有ったのです 何とそこにプリントされている日付は97年1月5日だったのです 近頃何度も同じ時期に 同じ所へ言っているとは言え 余りに酷すぎます 自分の記憶など全く当てに出来ません 私が始めてデジカメを買ったのは01年ですからデジカメのデーターなどあるわけが無かったのです そしてもし02年にやっていた写真のスキャナでの取り込みを全部やっていれば 当然に気が付いた筈なのです 悔しい・・・
デジカメにしても最初のうちは 一回ごとにフォーマットをしていたため自動的に降られる番号がでたらめになったり 電池を充電するのに長く抜いていたため 日付などの設定が出荷時の日付に戻っていたりと散々な状態です まだ記憶が定かなうちにきちんとせねば・・・・と思い知らされました
最近の番組に政治的圧力を掛けたの掛けないのと言う4年前の問題もそうですね 覚えていないのならともかく 物凄くうそ臭いと思いませんか ウソも100回言えば本当になるのでしょうか 自分達権力を持つものが口裏を合わせればウソも本当になると思っているのでしょうか 9時のNHKニュースは酷いものでした 松尾なる総局長だった人がとうとうと朝日新聞の非を鳴らしていました しかしもしコンプライアンス委員会に提訴されたときその答えを言っていたのならともかく 内部告発されてから答えたところで何の意味も有りません 100回ウソを言えばと思っているのは安倍・中川両氏も同じで これほどみっともないことはありません 教科書問題に関連して言うべきことを言ったというのは夢だったのですか 自分が言ったことも覚えていない記憶障害なのですか 政治家が発言に責任を持たないのなら政治屋ですね
それに関連して言えば NHKは放送に全てスクランブルを掛けるべきですね 金を払ってもNHKを見るという人にだけ見てもらえばよいのではないですか チャンネルを回していると見たくも無いものを見せられるのは迷惑だと思いませんか


  
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龍のひげに実が成っていました

2005-01-18 22:59:57 | 我が家の庭
晴れていたせいか ピラカンの実にコマドリが集まり始めた 見ていると上の方に有る実だけをついばんでいるようだ しかし昨年まで多く着ていたムクドリは殆ど見かけない 何と言っても家の裏側が庭木を全て切られて駐車場になってから我が家に来る鳥が激減してしまっている 昨年はとうとう鶯も姿を現さなかった 今年は今の所良く見かけるのは オナガとコマドリだけのようです
あのはっしっこいメジロも余り見かけません ホオジロもまだ見ていません 裏の駐車場はちかじか建売住宅が建つそうです マンションでなくて助かりましたが北側の見通しが悪くなるのではないか心配ですし 鳥もますます来なくなりそうです 面白いことに気がつきました それは猫です
1月に入り駐車していた車が全て移動した所 今迄いた猫もいなくなったのです 普通に考えると車も人もいなくなった広場は猫の遊び場になりそうなものですが 違うのですね 近頃我が家の周りを徘徊する猫も世代交代があり油断をしていると庭に侵入されてしまいます 最近も今迄進入されたことの無い西側の生垣部分(ここには数年前にネットを張っている)に飛び越えられる所が数箇所出来てしまい 追われて逃げる所を目撃したのでやっと昨日補修をすることが出来ました

久し振りに庭に出て あちこち見ていると実が全く付いていないと思っていた龍のひげに実が付いていました もっともっと紫紺のはずですが 無いと思っていたものが有ったのですから幸せです 
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世の流れには逆らわない

2005-01-17 22:44:01 | 狛犬・街道
寂光院の帰り少し時間が有るようでしたので 八坂神社へ寄りました 何回かここへは来ている筈ですが 今日の目的は狛犬さんです あの山門の前に立つ角を生やしたライオンのような狛犬を近くで見たことは無かったからです 八坂神社には狛犬が6対置かれています 一番目立つのが西楼門前に置かれている青銅製の狛犬で大正15年に奉納されています 西楼門の後ろにも大きな石造りの狛犬がいてこの台座に彫られている龍・虎・亀といった吉祥紋様の浮き彫りは見事なものです(明治15年奉納) 拝殿の少し手前にもう一つ大きな石造りの狛犬がいます 参道脇の北向き蛭子社にも小ぶりの福福しい狛犬が奉納されています(不明) また南楼門の外には2対の狛犬がいて一つは大きい石造りです もう一つは陶製で何故だかわかりませんが厳重な金網の中に入っています(いづれも奉納年は読めませんでした)
八坂神社には重要文化財になっている狛犬が神殿内にいるそうですが 見たことはありません 小寺慶昭著 「京都狛犬巡り」なる本に拠ると狛犬が最も多くいる神社は上京区の北野天満宮の12対で次いで峰山町の金刀比羅神社8対 八坂神社は6対で4番目にランクされています
処で拝殿に一番近い所にある狛犬は昭和33年の奉納ですが 以前はここに青銅製の狛犬が奉納されていたものが昭和17年に供出されてしまったそうです 西楼門前の分は作者がハッキリしているので供出を免れたのでしょうか そういえば清水寺の階段下にいる狛犬も戦前は別の青銅製のものが置かれていたそうですが なぜ変わったのかは寺では一切明らかにしていないと聞いたことがあります ・・・・坊さんや神主は世の動きには敏感なんだ 大変だな~~~~
写真は金網に入った陶製の狛犬です

写真はここに有ります
http://komainu.exblog.jp/
  
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ランチ客はゴミ? 瓢亭のランチ

2005-01-16 22:33:33 | 二人の旅
昨日の続き
丁度時間になったので 瓢亭に向かった 夜食事することなど出来ないがランチならと言うことで出かけたのです しかしこれは大失敗でした 要するに瓢亭ではランチの客など客と思っていないのです 裏口に近い所から狭い部屋に何組も押し込み 冷たい弁当と称する物をドンと机の上に載せて えさのように食べさせるのです こんなことなら街の定食やさんかホテルで食べる方がよっぽどましです 何を勘違いしているのでしょうか ランチを出すと決めたときランチの客も瓢亭の客だと決断しているはずです どうせ二度と来ないのだからと思っているとすれば 全くその通りで 二度とどんなときも行くつもりはありません
さっさと座を立ち(追い出され) 隣の無隣庵の見学ををしてから寂光院へ出かけた 季節外れであるので途中快適に進む 川沿いを登ってゆくと所々に雪が見え始めてくる寂光院に入る道の入り口で車を止め 1キロほど歩く 畑には雪が残り白いカーペットが畑と畦にかかっている 川向こうの森にやや傾いてきた日が当たり キラキラ輝いている 林の縁にある家の屋根にも白く雪が映える 空は真っ青にどこまでも青い 時々車が追い越してゆくが 歩かなければこの風情はわからない 残念ながら寂光院はまだ工事中だった 勘違いをしていた もう工事が終っていると思っていたのです 心配なのは本堂の前にある松の古木が枯れているように見えることです 春には元気になればよいのですが・・・

画像は何時ものこちらです
http://komainu.exblog.jp/  
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御札のききめ

2005-01-15 23:16:25 | 二人の旅
今日の予定は瓢亭での昼食だけであったが ふと思いついて豊国神社に行った 境内に駐車場があり 料金も出ていたがご参拝の方は頂戴しませんとのことで そのまま止めた 秀吉の遺構にしては何か小さいような感じがしたが 立て札を読むと案の定豊臣氏滅亡後徳川により取り壊され 明治13年に再興したものであった 矢張り皇室には豊臣家を好ましいと思う気持ちは強かったのだろう 何か護国神社の原型を見ているようで 私には違和感のある神社であった 
その後三十三間堂へ向かい昨年も来た国立博物館の駐車場へ車を入れた ここは無料だから入れたのですが 三十三間堂へ言ってみるとここの駐車場も無料でした まあいいか・・・・
去年もここまで来たが寄らなかったし 昨日はホテルへ入る前に寄ろうとしたが 市内へ入る渋滞に巻き込まれ時間切れになったし 予定を立ててないから良いようなものの やっと拝観することが出来ました 4人とも何度京都へ来ているか知りませんがここへ足を延ばしたのは本当に何十年ぶりの人たちばかりで とにかくスゲーヤの一言でした 千躰の千手観音像も中尊千手観音坐像も
二十八部衆と風神・雷神像も・・・・ そしてここにあったのです お札に厄払いをする人の名前を書いて一週間経を唱え その人の所へ送ってくれるという御札が 薬師寺へ行ったときもそうでしたが 御札の効き目は一年間です また来年も新しく受けて送ります
でも・・・良く解らない事もあります 神社のお札は伊勢神宮で新しい年のお札を発行すると全国の神社の前年の御札の効き目が無くなるそうです お寺さんの御札は誰が効き目を決めるのでしょう????
写真は大弁功徳天像 繁栄や幸運を司る女神像です

何時もの通り他の写真をここにUPします
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大護摩焚き その2

2005-01-14 23:21:31 | 二人の旅
祝詞の奏上が終ると 導師が不動妙王から20mくらい離れた所にある地面に直接置かれた座布団に座ります 一人だけ違う装束をしている山伏が 祭壇の前に立ち燃えやすいようにほだぎを附けた竹を祭壇のろうそくにかざし 火を移します それを大きく左回り右回りに何度も回し 杉の葉をかぶせた護摩をたく火床に火を入れます 待つまもなく杉の葉からもくもくと白い煙が立ち昇りはじめます 導師は刀の鞘を払い手元にある 50cmくらいの長さで2センチくらいの丸い棒が10本くらい紅白の水引を掛けられたものを取り その水引を切り払いながら 火床に向かって放り投げます 幾つも 幾つも・・・火床の火は炎を上げて燃え始め 異装束の山伏はそれらを導師の前を塞がぬように集めて火に投じます また山伏や結界内にいる人達にも護摩木を渡し火に投じさせます 市ヶ尾も我が家も家内安全・無病息災の願いと共に 厄年の息子や娘の厄払いを願い
山伏に護摩木を渡し焚きあげてもらいました その間山伏は絶え間なく経文を唱えておりました

今迄3回もこの行事を見ているにも関わらず こうして書いていると断片的にしか覚えていないものですね 例えばほら貝が鳴らされていたのですが 祝詞奏上の時はどうだったか それに式次第が少し静かになったときに ほら貝を吹くのではなく口の所を直接叩き ぽっ ぽっ ぽっというような音をさせていて何か神秘的な雰囲気をかもし出しているのですが それがどんなときに行っていたか全く思い出さないのです それに肝心の導師が左右両側の斜め前にある20cmくらいの丸い石をずっと叩いているのですが刀と水引を掛けた木と 石を叩くものの一連の動作が思い浮かばないのです 来年こそはムービーで全部を撮るか
写真は市ヶ尾からきました

写真を何時ものここにUPしました
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醍醐寺大護摩焚き その1

2005-01-13 23:45:45 | 二人の旅
今年も醍醐寺へ大護摩供養に参列してきました(正確に言うと見に行ってきました)始めて行った年は1月4日に横浜から直接醍醐寺へ行ったら4時5分くらい前で駐車場のおじさんに冷たく門前払いを食わされました 確かそのとき翌朝何かあると聞いたのか 単に天邪鬼だったのか記憶は定かでは無くなっていますが翌日早くもう一度醍醐寺へ行き 三宝院を見学していると人がわさわさしていました 一般の人は基より山伏らしき装束の人がだんだん集まってくるのです 玄関前にいた 小柄なご老人にお尋ねするとこれから護摩焚きがあるというのです 私たちでも拝見できますか とお尋ねした所 大丈夫だよと それがそもそものきっかけでした そのご老人は何か分りませんが大変権威のある方のようでした
今年 矢張り三宝院の玄関前の広場で見ていると どうも偉い人から玄関前に集まってくるようなのです まず導師(というのだと思います)護摩焚きを主催する人が傘を挿しかける人と共に現れ 次に紫の法衣をまとった3人の山伏が出てきて それからえらそうな顔をしたオレンジがかった法衣をまとった山伏が5・6人ゆったりと紫の人の脇につきそれからはほら貝を持つ4人ほど、火をつける人 その他大勢とも見える若い山伏達が足早に位置につきます 遅れそうになってかけてくる山伏もいます 全部で20人を超えるでしょう
全員が揃うとほら貝を吹く4人の山伏が先導して歩き始めます 山伏の最後は傘を挿しかけられた
導師です その後から松の枝をささげ持った妙齢の女性が二人と同じ紫の着物を着こなした女性が
10人くらい それから称名の着いたはっぴのようなものを着た一般の信者が続きます 三宝院から仁王門を通って 祭壇のある不動明王像まで200メートルくらいあるでしょうかゆっくりと行列が進みます 皆が結界の中に入ると紫の法衣を着た山伏が導師に会釈をして祝詞の奏上を行います 五穀豊穣・家内安全・国家安泰それに参列している善男善女(私たちのことです)へのとりわけの思し召しを願います 未完
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流氷の夢

2005-01-12 23:32:43 | 二人の旅
去年 3月に流氷ツアーに行った 見られるはず無いよと皆に言われてが 本当に根室で青々した海を見てきた しかし始めての雪原を行くバスに感激して帰ってきた そういえばその旅行がこのBLOGを始めるきっかけになったんだ 今年は絶対接岸をしている流氷を見たいと思っているがしかし考えてみると 陸からずっと氷が続いていたら何処が陸で何処から海だとわかるのだろか???

突然こんな事を書き始めて頭がおかしくなったのではないかと心配する人も出ると思うが 実は後輩・といっても実行力においてもスキルにおいてもかなうものではないが・・・O氏が山野跋渉・森からの便り なるすばらしいHPを運営しておりそこにあるBBSに投稿している人のHPへ行った所流氷の話しが出ており そこからまた流氷センターのHPへ行くことになりました 何でも昨年に比べ200キロも流氷が南にあるそうです 計画を早めに立てるようにしよう

実は市ヶ尾にも一緒に流氷を実に行きませんかと誘ったら 寒すぎるからヤダと断られました
でも今年は厳寒の北海道を旅してみたい・・・ 今から楽しみです 本当はこれママに内緒なんだけれど自分の車で雪原を走るのが夢なんだけれど・・・ 
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つらい  ご冥福を祈る

2005-01-11 23:55:18 | 生活の中で
5日の日に薬師寺へ行ったとき 大講堂で写経の勧進をしているお坊様と何かの拍子に話が弾んだ
説法を聞いているときから何か高田好胤さんの話し振りに良く似ていたので昔三越で日光・月光菩薩を出開帳した話や 毎月1階の中央ホールで説法をしているとき 弟子達が何処かへ行ってしまって全くどうしようもない弟子達だと笑いながら話していたことなど思い出話をしていると そのお坊さんゆわく 私は好胤さんにとっては孫くらいの一番若い弟子だったんですよ きっとその時も自分もお供をしていて どこかへ行っていたんでしょうね どの位怒られたか判りませんよ と そして玄蔵三蔵院が出来たときには好胤さんはいらっしゃら無かったんですよねといったら ご自分でもまだ死ぬとは思っていなかったと あと4・5年は生きているつもりだったと だから葬式のとき自分は棺の中の好胤さんに向かって 何度うそつき!!うそつき!!うそつき!!といったか解らないですよ と 何もこんなに早く死ぬことは無いじゃないか と

翌朝 金閣寺へ向かっていると携帯電話が鳴った 友人のSからで 学生時代の仲間のAが亡くなったと言う知らせだった 私とは生まれた日が1週間しか違わない一番近い奴だった
俺だって言いたいよ 何でこんなに早く死ぬんだ 大馬鹿やろうーーーーーーーーー
通夜が9日との事なので 7日一人でお別れに行ってきた 奥様と枕元でお話をしていると今にも起き出して来て よー何してるんだよ と声を掛けてきそうであった 
何を言っても詮無い       ご冥福を祈る
 
 
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