うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

2014睡夢山荘の春

2014-04-27 11:55:10 | インポート

また、春が来た。

ここで田舎遊びを始めて、10年目の春である。

桜も、なかなか素敵な見栄えになってきた。昨春辺りから おや! なかなか素敵じゃない!”と、感じていたのであるが・・・・

今年は、気の会った仲間や旧友を沢山呼んで、最盛の桜を肴に花見を楽しんだ。

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10年とは、なかなかの年月であるし、今年は会社人生最後の年でもある。

10年一区切りでもあるし、本気で向後の老齢人生を考えるべき、年度でもある。少し考察してみよう。

まず、来し方の10年は・・・

昔、 衣、食、住を得る営み、其のことが即、生きることであった。今は、物理的に生きることに、それ程の労力を必要としない時代だといえる。 職が無くても、当面の金が無くても、今日明日餓えて死ぬことは無いし、寒さに凍え死ぬことも無い。 人間が社会を作って、相互扶助や協同、分業を通じて専門化することで、生産性を挙げ社会全体の余力をつけた結果なのであろう。

どんなに、強い百獣の王ライオンでさえ、餓えるのである。それも日常的に・・・

人が社会を構成し、構成員の一員として加わることの最大のメリットなのであろう。

日常的に餓えなくて済み、寒凍からの回避や外敵から保護されることがである。突き詰めると 衣、食、住なのである。

53にして前線引退を余儀なくされて思ったものである。 人が社会(会社)から外れて生きる時、衣食住を得られる力と感性は在るのかと・・・

 そして、ここから始まった田舎遊びであった。

果たして生きていく術と感性はこの10年で取り戻せたのだろうか・・・・

家を設計、基礎、組み上げ、内外装、設備工事と段取りと、凡そ5年掛かりで仕上げた過程は、それはもう楽しい時間であった。其の後の植栽、菜園も五感を刺激するものであった。

また、五感を刺激し非日常体験と視野拡大に大きく寄与しているのが、登山とそれに類する数は少ないのだが海外貧乏旅行である。

 そして、一方、社会は大きな変動と危機を迎えている。 地球規模の気候変動と大震災と津波、合わせて福島原発の破滅的災害である。

 この危機の時代にこそ、生き延びる感性が必要とされるのだと思う。個人として生き延びることと、社会、人類規模での生存をイメージできる感性こそ必要とされている。

この感性を持ち合わせていない国の指導者が原発を止めないどころか、海外売り込みに奔走している現状を憂えるのも、ここ10年この事を考えて来たせいでもあるのだが・・・

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