うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

連載小説 バックナンバー再掲

2012-01-23 21:48:34 | インポート

異変(一)

風雨が激しかっただけに、朝もやの立ち上る入り江は平和そのものの様に感じられた。

打ち寄せる波はゆったりと揺り篭のように磯巾着や珠藻を揺らし、波に攫われる銀砂利はなだらかな波紋を残していた。

入り組んだ入り江が続き、対岸の島々が新緑に覆われ、陽が高くなるにつれて明るい藍に変化していく海の色は、南洋に続く海とは言え陽春を想わせる温かさを感じさせるものであった。

  八之進は一巡り周りを見渡すと、波打ち際の戯れる浪と砂を感じながら真っ直ぐ入り江の奥の方角へ足を向けた。

入り江の奥まった当りにいかにも貧しげな家が4、5戸肩を寄せ合うように建っている。

朝餉の支度であろう一筋のまっすぐ立ち上る煙が、凪ぎの日和を物語っているようである。

集落の中を一筋、海に注ぐ川面が光って見えた。鰡であろうか一つ二つ川面を跳ねているのは・・。

入り江の奥は豊かに清水を注ぎ込む川に続いているらしい。 近づくにつれ、その川左岸に沿って集落が見えた。

八之進は「この静かさは朝餉の時間だ」と得心したまま、この集落に足を踏み入れた。

  しかし次の瞬間、異様な臭いに八之進の足は地を蹴っていた。

「血だ…」その異様な臭いは狩りで仕留めた猪の皮を剥ぐとき、鳥を絞めた後の、あの血の臭いだった。

一番手前の藁葺き家の板戸の片側に身を寄せた、八之進は身の毛の寄立つ気味の悪さと、一瞬にして五感が研ぎ澄まされて来るのを感じていた。それは、故郷の山野で猪を追い仕留める時の緊張感に似ていたが、一方この気味の悪さは全く違うものであった。

 物音も気配も無く、血の匂いだけが強烈であった。辺りを窺いながら板戸の内側に目を移した八之進は、血溜まりの中に転がる人影を見た。 「一人いや二人だ・・。」

部屋は暗いのだが、破れた板張りから差し込む陽光が、真っ赤な血溜まりと亡骸を浮き立たせていた。

躊躇いは有ったが、意を決するように板戸の内側に身を滑り込ませた。

部屋の中は凄惨を極め、血しぶきが囲炉裏や板張り床に飛び散っていた。二体の亡骸は重なるように土間に横たわり、後を追うように手を伸ばした一人は、女であった。  もう一人は年のころ三十五、六の男である。

どちらも逃れるところを一太刀で、切り下げられたもののようであった。背中の方の首から肩まで鮮やかな刀傷である。

 陽光に浮き上がった鮮やかな血の色は、この惨劇の起こって間も無いことを報せていた。

附に落ちない事に、これ程の事が起こっているのに、集落が静まり返っていることである。

この事は、八之進に躊躇無く次の行動を起こさせた。

 辺りに注意を払いながら、集落の様子を見て回った。

どの家も似たような状況を呈しており、集落全体が凄惨な血の海と化していた。

  八之進は本能的にここに長くいることの危険を思い、また起こったことの理解の為に時間が欲しかった。 

集落の入り口に在った漁具小屋に引き返し、身を潜めると改めて早鐘のように高鳴る胸の鼓動を感じた。

  「一体、何があったのだろう・・」

少なくとも、十二、三人が惨殺されているのだ。そして殆ど一太刀か二太刀で殺害されている。

逃げる間もなく家の中で惨劇が起こっていることから考えれば、それぞれの家を一斉に襲ったもので、組織された者の仕業にみえる。

 侍とは云え、太平の世に馴れた八之進には、此れほどの凄惨さは、吐き気と共に身震いを起させるものであった。

ここは、多久島藩の中でも周辺部の島嶼地域である。

漁業で生計を立てているであろう、ありふれた集落のようである。

八之進には、東シナ海を根城とする海賊達の仕業ではないかとしか推量できなかった。

それにしては家の中が荒らされた様子も無く、何より村人全員の殺戮とはあまりの狼藉ではないか。

八之進には理解できるものではなかった。

異変(二)

 「全員??」 「否、全員なのか?」

 八之進は改めて各戸の様子を調べる必要を感じた。と、云うのも死骸の中に子供の遺体が無かった事に気がついたためである。 小規模な集落とは云え、子供が一人も居ないはずが無いのである。

 三軒目を覗いた時である、薄暗がりの土間の片隅に、息の気配を感じたのは。

傍らの亡骸に注意しながら水瓶の背に潜む少年を、抱きかかえた八之進であった。

  恐怖に引き攣るような、しかし確かに挑戦的な目を向けている少年であった。

恐怖と極度の緊張の中で耐えていたのであろう、少年はぶるぶるっと身を震わせるなり、八之進の腕の中で気を失ってしまった。

 冷たい少年の体を抱えて、八之進は昨晩一夜を過ごした入り江の向こうの岩場に在る洞穴に移動した。

焚き火の暖もりと、竹筒の水で一旦は目を覚ました少年であったが、八之進の落ち着いた目と敵意の無い振る舞いに安心したのか、また、直ぐ軽い寝息をたてた。

再び目を覚ましたのは小半時も過ぎた頃だろうか。

八之進が集落の様子を見守り変化の無いのを見届けて、洞穴に戻った気配を感じたのだろう。

少年の名前は平太といい、歳は九歳、父母と姉との四人で暮らしているそうである。惨劇の様子を一部始終見ていたものらしく、恐怖と両親を亡くした実感に暫く泣きじゃくっていたが、八之進が差し出した暖かい白粥に、子供らしく元気を取り戻していた。

 平太は、この朝何時ものように、漁に出かける仕度のざわめきと、寝床の心地よい温もりの中ででまどろんでいた。

突然板戸を蹴破り飛び込んできた男達に土間に据えられ、何かを大声で詰問され、二言三言答えた父親に向かって刀を振り上げるのを夢でも見ているように、思い出すのであった。

とっさに母親が土間の水瓶の隅に押し込んでくれたのが、幸いして彼らの探索から逃れた平太であった。

それから、一刻程で迎えた朝日の中で、両親の惨状を目の当たりに、じっと耐えていたものであった。

 「平太、お姉ちゃんはどうしたのだ?」

「姉ちゃんは、枚方の伯父ちゃんの家に往ってる。

お土産持って帰ってくると、言ってたんだ!」子供らしく思い出した姉の事を話すの聞きながら、八之進は鸚鵡返しに平太に話していた。

 「平太、良く聞け、お姉ちゃんが危ない、」

 「帰ってくる前に、お姉ちゃんにこのことを報せないとお姉ちゃんもお父達と同じ目に会うぞ」

今日にも舟で帰るという平太の話を聞き、人影に注意しながら岬の高台で様子を見ることにした。

半刻も過ぎた頃、岬の向うから一艘の小舟が波間に揺られて、こちらに向かうのが見えた。

 八之進は平太に、誰にも見られぬよう注意して、海に身を沈めると抜き手を切って小舟に向かって泳ぎ出した。

 力強い泳ぎと必死の様子で自分の方に向かってくる泳ぎ手に早くから気がついた可奈は、異変の胸騒ぎに、櫓を漕ぐ手に力を込めた。

 舟縁に掴まるや、息を切らしながらも舟の中にすばやく身を隠し、

 「可奈殿か?」と問う若者に

 「何が有ったのです。」 「あなた様だれ?」

と、手を貸しながら矢継ぎ早に、問い返した。

「私のことは後で話します。

私の言うことを落ち着いて聞いてください。

私にも事情は判らないのだが、貴方の村に、貴方のご両親に異変が起きています。

村人全員が何者かに殺されました。

貴方の弟の平太が一人だけ助かっています。

私がたまたま匿って、貴方の事を聞きました。今、村に戻っては危ないし、今こうしている事も、もしかして危ないのかも知れません。

急いで、岸に着けてください。櫓を漕ぎながら聞いてください。」

 櫓を漕ぎながら、唇をかみ、それ以上何も語らず、大粒の涙を落とす可奈を見て、 「ああ、この娘は何かを知っているのかも知れない」と八之進はごく自然に得心した。

 洞穴の近くに舟を着け、平太が飛び出すのを受け止めた可奈は、今まで耐えていた悲しみを解き放つように、小さな弟を抱きしめながら声を出して泣き出していた。

八之進は急いで舟を岩陰に隠すと、二人の姉弟を洞窟に誘い、彼らの激情が治まるのを待った。

 「何か思い当たることが有るなら、私に話してみないか?」

「私は昨日の嵐で舟を流され、漂着した五島の者だ。

名を八之進と申す。」

平太の信頼を寄せた眼差しに加えて、可奈も不思議に初対面にも関らず、穏やかな気持ちで話が出来そうな気がしていた。

 突然、馬の嘶きと蹄の音とに合わせて、大勢の声が村の方から聞こえてきた。

八之進は身を隠し声のした方を見ると、侍とその下郎の一団が、手にて手にたいまつを持ち、集落を焼き払おうとしているところであった。

 これを見た、可奈が飛び出そうとするのを急いで押し留めた八之進は、この狼藉の正体が、正規の多久島藩の藩兵であることで、可奈の沈黙の理由が解ったような気がしていた。

 事情はどうあれ、今ここで多久島藩の役人に姿を見られることは、八之進にとってもあまり都合の良い事では無かった。

「可奈さん、ここを離れたほうが良さそうだ。

何処か身を隠すのに良い場所は無いだろうか?

貴方が今日までお世話になっていた、枚方の伯父さんとはどんな人なのですか?」

 「伯父さんなら信頼できる人です。きっと匿ってくれると思います。」

「よし、判った。平太急ぐぞ!」

 舟を引き出し平太と可奈を乗せ、力強い櫓捌きで、舟を対岸の枚方島へ向ける八之進であった。

岬を回り集落から立ち上る炎と煙の気配が届かない辺りに来ると、やっと安殿の色が可奈や平太の顔に浮かんできた。 舟に打ち付ける波の音と櫓の軋みの音は、今朝からの異変が無かったかのような、のどかさであった。

有り難い事に、もやが立ち小船の所在を、遠目から隠してくれた。

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