うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

異界との関わり

2011-08-21 21:06:58 | 本と雑誌

村上春樹小説世界のメインテーマの一つが異界との関わりだと思う。  内田樹のブログにも同様な事柄が語られている。

異界とは、霊界、魔界、あの世と言った、人が生き暮らしている現実とは異なる、要するに一つは死後世界を言う。

この世に在るものと言えば、私達が言葉で表象し、意識のうちに具体的に象形可能なもの(認識できるもの)の事を言う。  この意味では、極論すると貴方には認識できたとしても、私に認識できなければ、それは私には存在しないものと同じ事と言える。  認識や此れに繋がる「存在」と言ったことは、この意味できわめて個人的な個別的なもののようである。

また、宇宙の果ては大方の人には認識不可能だ。 銀河系や暗黒星雲等といったところまでは、私達市井の者達でも思いが及ぶのであるが、その先のことになると空恐ろしく、目も回る思いになってしまい全く思考停止に陥ってしまう。

ミクロの世界でも同じ事が云えよう。 細胞や染色体の塩基配列、分子や原子、中性子から原子核、これの奥深い運動や影響力など自然科学の力で少しずつ、人知世界を広げつつあるものの、これの及ばない未知の世界は厳然と存在している。

海にしてもその深海には未だ見たことも無い世界が広がっているだろうし、地底にはもしや地底王国が広がっているやも知れない。  そこは、またもう一つの異界なのである。確かにそこは在るのだが現実的には無いに等しいのである。

精神世界での異界が生死を分界点とする世界だろうし、そこには精霊や幽霊や悪鬼羅刹が住んでいるのかも知れない。  そして、此れの近辺に居て、この異界により感応しやすい精神は、現代では病んだ精神として葬られており、実はこの敏感に感応する精神のほうが、真実を認識しているのかもしれない。

私達は日常的なもの、普遍化されたもの、大部分が認識できるものというだけで、異界を無いものとして遠ざけてしまっているのではないか。

このような果てしない異界を人間世界へと、自然科学や哲学、宗教といった人智で押し広げていく事が人類の歴史であり進歩なのであろう。  そうだとしたら、この異界への恐れや思いや好奇心が無ければ人類の歴史を、進歩を推し進めることは出来ないといえる。

自分でもそうであったように、人は自らが思いの至らない事柄に関しては全くといってよい程に無関心且つ無視してきた。  もちろん、それだけが唯一というものでもないのだが、少なくとも契機としての好奇心、想像力は大変重要ではあるだろう。

異界の茫漠たる奈辺を思う時、私達の現実世界の圧倒的に矮小な事をもう一度、肝に銘じて確認すべきだ。  この、自らの矮小さの認識が全ての第一歩だと思えるのである。

そして、このことを忘れてしまい、それどころか自らの傲慢さも見えなくなった現代人こそが、福島原発事故を導き且つ、引き続き破局への道をひた走ろうとしているように思えてならないのである。

村上春樹ワールドに浸った夏に思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする