那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

三毒について一言

2013年01月28日 | 宗教
今日も簡単に、いつもの様にwikiから抜粋引用一部編集。
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三毒(さんどく)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。

人間の諸悪・苦しみの根源とされている。 ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。 例えば、最古の経典と推定される南伝パーリ語のスッタニパータに、貪・瞋・癡を克服すべきことが述べられている。更に中部経典(マッジマニカーヤ)においては「三不善根」として記され、3つがまとめて論じられている。三毒(三不善根)は悪の根源であり、それが展開されて十悪となる。

大乗仏教でも妙法蓮華経譬喩品第三の、いわゆる「三車火宅のたとえ」に「ブッダは、衆生の生老病死、憂い、悲しみ、苦悩、無知、混乱や三毒から開放する為に三界に姿を現したのだ」と説かれ、三毒などの煩悩を家についた火に喩えている他、般若経・華厳経にも記載がある。

貪:貪欲(とんよく)。むさぼり(必要以上に)求める心。和文では「欲」・「おしい」・           「むさぼり」と表現する。
瞋:瞋恚(しんに)。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。
癡(痴):愚癡(ぐち)。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。
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これは仏教の基本的な戒めで、物凄くポップに例えると「金のことしか頭にない欲望と虚栄心」「憎悪と嫉妬心」「比較検討せず思い込む愚かさ、盲信」と言えるだろう。

我執に囚われた人間の根本的な愚かさのことで、放っておけば誰にでも3毒は隠れている。
 
ところで、この三毒を無くすためには以下の様な懺悔文(さんげもん)を唱えるのが仏教のルールになっている。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

和訳

我れ昔(むかし)より造る所のもろもろの悪業(あくごう)は
皆無始(むし)の貪瞋癡(とんじんち)に由(よ)る、
身語意(しんごい)より生ずる所なり、
一切我今(いっさいわれいま)、みな懺悔(さんげ)したてまつる

このように懺悔した上で、大切なのは智慧の光に包まれて慈悲の心を持つ菩薩行を実践するだろう。

但し、である。汝の敵を愛せ、とか、慈悲や愛語で敵の良心を浮かび上がらせることが出来る、というのは、時と場合により、間違っている。

簡単な話、赤穂義士が主君の敵である吉良上野介に慈悲の心を持ち討ち入りを止めたらどうなるのか。井伊直弼に対する桜田門外の変がなかったらどうなっていたか、と考える、時により怒りの心は必要である。

この話題を続けているとまたブログが長くなるのでこの辺で止めるが、慈悲と怒りの使い分けは非常に難しい。
また暇なときに触れることにします。


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