那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

日蓮遺文をよむ(大分前に書いたエッセーです)

2011年02月28日 | 宗教
                           日蓮遺文を読む


このところ種々の理由が重なり、日蓮の究極の教義とはなにか、つまり一念三千とはなにか、という問題に対して、日蓮遺文はもとより、唯識論、心理学、脳科学、量子力学の文献を片っ端から読み漁って一月を越えた。
 その理論面に関しては時を変えて記したいが、その合間合間に日蓮が信者に当てた書簡を読むと、実に心が洗われた。恐らく「書簡文学」という分野では日蓮はその質も量も、圧倒的に日本一の業績を残していると思う。
 私は、時系列を逆に遡り、晩年の書簡から読んでみたが、特にこの二つの文章は、その美文といい、心根の優しさといい、非常に感動したので、まず原文を写し、そのあとに私なりに現代語に訳し、私なりの感想を書きたいと思う。古典は高校時代は好きだったとはいえ、この数十年読んでいない。もし間違いがあれば指摘していただきたい。

{原文}

◆ 上野殿母尼御前御返事 〔弘安四年一二月八日・南条時光母尼〕/ 
乃米一だ・聖人一つつ〈二十ひさげか〉、かんかう(乾薑)ひとかうぶくろ(一紙袋)おくり給び候ひ了んぬ。/ このところのやうせんぜんに申しふり候ひぬ。さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、この山出づる事一歩も候はず。ただし八年が間やせやまいと申し、とし(齢)と申し、としどしに身ゆわく、心をぼれ候ひつるほどに、今年は春よりこのやまいをこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとをどとどまりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけ(酒)はたたかにさしわかして、かんかうをはたとくい切りて、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり。あせ (汗)にあかあらい、しづくに足をすすぐ。此の御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなんだをうかべて候。/ まことやまことや、去年の九月五日こ五郎殿のかくれにしはいかになりけると、胸うちさわぎて、ゆびををりかずへ候へば、すでに二ケ年十六月四百余日にすぎ候か。それには母なれば御をとづれや候らむ。いかにきかせ給はぬやらむ。ふりし雪も又ふれり。ちりし花も又さきて候ひき。無常ばかりまたもかへりきこへ候はざりけるか。あらうらめし、あらうらめし。余所にてもよきくわんざ(冠者)かな、よきくわんざかな、玉のやうなる男かな男かな。いくせをやのうれしくをぼすらむとみ候ひしに、満月に雲のかかれるがはれずして山へ入り、さかんなる花のあやなくかぜのちらかせるがごとしと、あさましくこそをぼへ候へ。/ 日蓮は所らうのゆへに人々の御文の御返事も申さず候ひつるが、この事はあまりになげかしく候へば、ふでをとりて候ぞ。これもよもひさしくもこのよに候はじ。一定五郎殿にいきあいぬとをぼへ候。母よりさきにげざんし候わば、母のなげき申しつたへ候はん。事々又々申すべし。恐々謹言。/ 十二月八日  日蓮(花押)/ 上野殿母御前御返事

{現代語}

お米とお酒、ショウガの乾燥したものを一袋、お贈りいただきました。
 最近の病状は前にも申しました。文永11年6月17日に身延山に入り、今年の12月8日まで、この山を一歩も出ませんでした。その8年の間、痩せ病(下痢を伴う病気・癌とも言われる)といい、加齢といい、年々に身体が弱くなり、心ももろくなっていた上に、今年は春から痩せ病がひどくなって、秋から冬になるまでの間、日々に衰弱し、一夜寝るごとに症状が悪化し、この十数日は食も喉を通らず、その上雪は降り積もり、寒さはこれでもかと厳しくなるばかりです。体は石のように冷たく、胸は氷のように寒くてたまりません。
 そのような時に頂いたお酒を熱燗にして、乾燥ショウガをガリっと食切ってひと飲みしたところ、胸は火をつけたように暖かく、まるで風呂に入っているかのようです。汗が流れて体を洗い、汗の滴に足まですっきりしました。あなたのお志に思いを馳せると、嬉しさのあまり両目から涙がこぼれました。
 実に実に、去年の9月5日には、お子様の五郎殿が亡くなられたことを思い出し、心乱れながらも指を折って年を数えれは、もう二年以上も前のことになりますね。母親のあなたにはあの世からの何かの知らせが何かあったことでしょう。どのような知らせがありましたか。
 雪は降って解けてもまた降ります。花は散ってもまた咲きます。ただ人の死のみ、消えたかぎり二度と帰ってはきません。なんと悲しいことでしょう。なんと悲しいことでしょう。
 傍目でみていても、優れた若者よ、優れた若者よ、玉のように美しい男の子よ、さぞかし親はこのような子供をもって嬉しいだろう、と思っていましたのに、まるで満月に雲がかかってそのまま山の端に消え入ったかのように、満開の桜が風に散ってしまったかのように、寂しさに耐えません。
 私は病気のためにいろんな人の書状にも返事を書かずにおりましたが、このことが余りに悲しくてこの度は筆を執りました。私も余生は長くないでしょう。きっとあの世では五郎殿に会うでしょう。あなたより先に会った時には、母の悲しみをお伝えいたしましょう。


{鑑賞}

日蓮の死の前年60歳のときに南条時光の母(尼)へ当てた返事である。
なんと人間味に溢れた文章だろう。国家を諌め、神仏を諌め、伊東へ佐渡へと流罪になりながらも、我こそは上行菩薩の生まれ変わりと確信し、題目を唱えればこの身は仏と断言した、獅子王のような日蓮の姿はここには全く見受けられない。
 ただ年を取り、病にかかり、心も弱くなったままの、人としての人間日蓮がそのまま放りっぱなしで晒されている。
 時光の母は息子を亡くした。その息子にあの世で会って、あなたの悲しさをお伝えしましょう、とあるのだから、ここに日蓮の浄土観がよく現れている。
 また酒好きにとっては、この一文は有難い免罪符になる。日蓮はお酒が大好きだったようだ。
乾燥ショウガというものを私は食べたことはないが、恐らく口の中が熱くなり、体がポカポカするのだろう。それを熱燗で一杯やると、汗がタラタラと流れ、心地いい気持ちになったことだろう。しかも日蓮は有難さの余り泣いている。泣いた、などと男は言うものではないが、日蓮は隠さずその事実を伝えている。
 これらの言葉を「死を目の前に迎えた老僧の気弱さ」と取るべきではないだろう。一念三千の根底に空・化・中の三諦を置いて悟った日蓮のことだ。悲しいときは悲しみ、泣きたいときは泣き、従容として自分の死を迎えようとしているのである。
 記憶力のいい人は、この一文、丸覚えしていただきたいものだ。
 

{原文)
  
◆ 伯耆公御房御消息 〔弘安五年二月二五日・日興〕/
 御布施御馬一疋鹿毛御見参に入らしめ候ひ了んぬ。/ 兼ねて又此の経文は二十八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母の、ひととせ (一年)御所労御大事にならせ給い候ひて、やがて死なせ給いて候ひし時、此の経文をあそばし候ひて、浄水をもってまいらせさせ給いて候ひしかば、時をかへずいきかへらせ給いて候経文なり。なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こころざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえんまわう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰の刻にしやうじがは(精進河)の水とりよせさせ給い候ひて、このきやうもんをはい(灰) にやきて、水一合に入れまいらせ候ひてまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言。/ 二月二十五日  日朗花押/ 謹上 はわき公御房

{現代語訳}

お布施として頂いた栗毛の馬一頭、確かにこの目で見ました。
 それから、(お送りする)この経文28文字は法華経の第7巻の「薬王品」の文章です。
実は私の母が一年の間病気を患い、危篤になり、息を引き取った時に、この経文を燃やして清らかな水に溶かして飲ませたところ、たちどころに生き返ったといういわくのある経文です。
 南条時光殿は、体は小さいけれど、日蓮への信心は実に深いお方です。たとえこの病が死病であるとしても、今度だけは閻魔大王よ、助けてやってください、と誓願しています。
 明日の寅卯辰の刻に精進河の水を汲んで、この28文字の経文を燃やして灰にし、一合の水に溶かして、南条殿に飲ませてあげてください。

{鑑賞}

この文章は、日蓮の死より8ヶ月前、61歳のときの手紙。前出の手紙の相手であった尼母の子供である南条時光の病気治癒の方法を伝えるために、日蓮の弟子・日興に出した手紙である。
 またよほど日蓮は病が重かったのだろう。この手紙は弟子・日朗が口述筆記をしたものであり、そのために「私の母」というべきところを日朗の立場で「聖人の母」と、遠慮して書いてある。
 私は日蓮宗の祈祷主義がどうも気になっていた。現代科学の合理主義に染まった立場から見れば、祈祷など迷信と一緒で古臭い非科学的なものだ、と感じてしまうのだ。
 しかしこの文章を読むと、日蓮が明らかに密教的な祈祷をしていた事実が分かる。
薬王品の中の28文字とは「この経は全世界の人々の良薬である。もしこの経を聞けばたちどころに病は治り、不老不死を得る」と書いてある部分であり、これを燃やして灰にし、清らかな水とともに飲ませれば病は治る、というのである。事実、日蓮の母は、一度死んだのに生き返った、と書いてある。
 実に不思議な話であるが、書いてある以上、またこれが日朗の真筆として残っている以上は、それを信じるしかない。(大石寺所蔵)
 閻魔大王といえば地獄の裁判官、とイメージしがちだが、法華経の守護神でもある。だから閻魔に今度だけは助けてくれ、と誓願しているのである。
 このような文章や「祈祷抄」といった文書も残しているので、現在の日蓮宗は祈祷主義を信奉しているわけだ。
「日蓮密教」と言われるように、日蓮は様々な奇跡を体験している。例えば日蓮が初学の折に、智恵の神様といわれる虚空蔵菩薩を信仰し、「日本第一の智者にしてください」と祈っていたところ、智恵の宝珠が現れ飛んできて日蓮の袖に入った、と伝えられる。そのほか星が降ってきて庭の木にぶら下がった逸話など、日蓮に纏わる神秘は数多い。
 保守的科学はこれらを無視するだろうが、ユング派やトランスパーソナル心理学はこういった神秘を認めている。また素粒子論の世界にはいると、マッハの原理や、非局所論、不確定性原理など、「因果律」を超えた現象が存在することがいくらでも出てくる。
 結論だけを言えば、個と全体が統一しているのが「存在」というものであり、例えば私がこの場で誰かを思ったとすれば、その想いは相手に伝わる。石ころの気持ちも私に伝わるのだ。仏教ではそれを同時と呼び、ユングはシンクロニシティと呼ぶ。


いずれにせよ、ここに日蓮の手紙二つを残した。一つは人情に溢れる日蓮像であり、もう一つは祈祷者としての日蓮像である。「徒然草」が読める人なら、日蓮の遺文は簡単に読める(仏教用語以外)ので、ぜひ原文にあたってほしい。


 
 



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